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ぽかぽか春庭「2001年のゴールデンウイーク チョウの飛ぶ道」

2013-05-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/05/14
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2001年のゴールデンウイーク(3)チョウの飛ぶ道

 2001年のゴールデンウイーク日記つづき。
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2001/05/06 日 晴れ
ことばの知恵の輪>『frajileつづき。(教材研究)教科書の中の蝶』

  息子の中学校国語教科書1年(学校図書)に定番教材の『少年の日の思い出』が入っている。このヘルマン・ヘッセの文章は私にとっても特別な「乙女の日の思い出」になっている。73年秋。区立中学校で2週間の教育実習を受けて、最後の研究授業の教材がこの『少年の日の思い出』だったのだ。

  念入りに準備し教案を書いた。授業は教案どおりになんかいかないのに決まっているけど、最後に定番の「作者が読者に伝えたかったのは何か、どのような読後感をもったか」という質問をするよう指導の国語科教師に言われていた。

  研究授業当日。
  「悪いことをしたけど、ちゃんと謝りに行った『僕』は、勇気があると思う」「一度起きたことはもう償いができないと最後に書いてあるとおりだと思う」「この本の中の『僕』は最後にちょうちょの標本を粉々に押しつぶしてしまうけど、私にはそんなもったいないこと出来ません」というような答えが続いた中で、「こういう答えを引き出せたら成功」と指導教諭から言われていた答えを誰かが言ってくれないかなと思いながら、生徒の感想を聞いていった。

  そろそろ授業時間も終わるし、もういいかげんなところでまとめちゃおうかなと思ったとき、ある女子生徒が「みんなの感想とちょっと違っちゃうかも知れないけど」というようないいわけを前にふって、「『僕』がちょうちょを全部押しつぶしちゃところが胸にぐっときて、悲しい感じがした。それはたぶん『少年の日』という年齢のころがとてもこわれやすくて、特別な年齢で、美しくて保存しておきたいけど、すぐこわれちゃって、ときには自分でおしつぶしたりする、そんな年齢のころが少年の日という気がしました」というような意味のことを述べた。この感想でちょうど時間となって授業は終わった。

  授業後の研究会で、「少年の日のこわれやすさ、傷つきやすさ、特別な日々の思い出」という感想を引き出せたのは、それまでの学習によって、主題について深く感じ取れるような指導がなされていたためだろう、授業実施者はよくやった、と大いに誉められた。
  私は指導書通りの授業をして、指導教諭の案に従って教案を書いたのだから、私が誉められるべきことは何もしなかったのだ。あの女子生徒が自分で「少年の日の美しく、それゆえにはかなくこわれやすい日々」を感じたのだ。
 もしかしたら、もう何十年も教科書に掲載されているこの話の指導案に、今では「主題」のひとつとしてこの女子生徒の感想と同じようなことがちゃんと出されていて、期末試験には「少年の日のこわれやすさ」なんて書くと「正解」になって丸がもらえるのかも知れない。   

  「フラジャイルflajaileこわれやすい」という言葉を聞くと、『少年の日の思い出』が反射的に出てきて、標本箱の中の粉々になった蝶の羽が思い浮かぶ。チョウの標本と教育実習と。教育実習でうまくいったからとウカウカ国語教師になってみたら、チョウの羽よりはかなく粉々になってしまった私の青春の日々。
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2001/05/07 月 曇り
トキの本棚>『チョウの飛ぶ道』

  息子の学校は教科書を使わない。ほとんどの教師がプリント教材を用意していて、教科書と関係なく授業を進める。だから息子はたぶん中1の1年間のうちに『少年の日の思い出』を授業教材としては読まないだろう。国語は週に5時間組まれているが、そのうちの1時間は書道。1時間が副校長による現代国語。3時間が担任教諭による古文。『古事記』を旧かな漢字仮名交じり文で読解していく。

  現代国語の最初の教材は日高敏隆『チョウの飛ぶ道』。これを見て最初は「?」と思った。この文章は「中学入試用国語教材」の定番なのだ。日能研やサピックスなどの大手受験塾に通った生徒はもちろんこの教材の「正解」の出し方を教え込まれたことだろう。
 家の近所の小さな塾で、定員10人の教室に3人しか在籍しなかった息子のクラスでも、テキストにこの文章が載っていたし、四谷大塚だか首都圏模試だったかでこの文章が出題されたこともあったはず。

  「段落分け」と「筆者の述べたかったことを書く」という宿題が出され、各自の答えをクラスで発表した。段落分けの答えは3段に分けた者から27段に分けた者まで様々だったが、「筆者の述べたかったこと」は見事に全員同じ答えを書いてきたのだという。
 「少年の日に何かに興味を持ったことを忘れずに、ひとすじに追求していくことが大切だということ」というのが、息子がノートに書いた答え。他の生徒も大同小異、同じような答えだったのだという。

 それを聞いて先生は怒った。「段落はバラバラの答えなのに、なんで筆者の言いたかったことは全員同じ答えになるんだ。全員宿題やりなおし!」その先生の言葉を聞いて、息子は「だって、採点者が正解とするであろう解答をいかにすばやく見つけだし、いかに不正解にならないようにそつなく書くか、をひたすら訓練された生徒が入学してくる学校なんだから。そういう生徒を入学させておきながら、同じ答えだから宿題やり直しっていわれてもなあ」

  たぶん副校長は、同じような答えが出てくることを承知でこの「チョウの飛ぶ道」を最初の教材として出したのではないか。そして、生徒たちがこれまで養成されてきた「出題者が求める正解をすばやく見抜く読解力」を打ち壊したいのではないのだろうか。
 一つの文章を40人が読んだら、40通りの感想があっていい。「出題者が何を要求しているかではなく、自分が感じ取ったことが大事だ」ということを、最初に生徒に確認させたいのではないのだろうか。
 だってこの文章が「中学入試定番教材」であることは、入試業界に疎い私でさえ知っている。副校長がそれを知らずに、生徒にこの文章を与えたということはないだろう。

  「すばやく出題者の求める正解を見つけだす」訓練を受けたことがない私の感想は以下の通り。印象批評。

  戦前の子ども時代に「チョウは同じ道を飛んで行き来するのではないか」という興味を持った日高少年。チョウを追いかけているうちに太平洋戦争が始まる。44年。勤労動員で働く中で、どんどん人は死に、山は荒れる。45年、東京は空襲で焼き払われ、日高少年の家も焼ける。このような戦争の被害も書かれているのに、この「チョウの飛ぶ道」の全体の印象は驚くほど明るく、きらきらしているのだ。チョウが光を浴びながら、ひらひらと飛んでいく。そのイメージが全体を覆っている。木の葉が光にあたり風にそよぐ。葉が濃く淡く緑にきらめく。チョウが羽を輝かせて木の葉をかすめる。
  そしてチョウのイメージの通り、光輝きながら、不思議な存在感をまき散らし、見る者をこの世ならざる場所に誘う。重さを持たないもののように、この世からあの世へ誘うもののように、チョウは木々の南側を通り過ぎる。チョウが古代には「人の魂を運ぶもの」であったことなど知らなくても、チョウはいつでも「特別な飛び去るもの」なのだ。だから少年たちは追いかける。こわれやすく、消え去りやすい何物かを標本箱につなぎとめようと、はかない努力を傾ける。

  ヘッセのチョウは「手に入れたものを死者として永遠に所有する」存在である。愛するものを死体として身近において所有し続ける。昆虫採集には、生きた虫を追いかける熱さと、標本を眺め続けるひんやりした情熱の両方がある。これに対し、生態観察は生きて飛ぶ蝶を追いかけるのでなくては意味を持たない。チョウが生きて飛んでいる状態を眺めることが中心になる。ヘッセのチョウには、情熱を傾ければ傾けるほど、ひんやりした悲しみがつきまとうのに、日高のチョウは明るく「健全志向」である。この健全志向の部分につまらなさを感じる人はヘッセのチョウの哀感や翳りを好むだろう。

 戦争で東京が焼け野原になり、自宅が焼け落ちた日高一家も秋田の大館へ疎開する。「チョウ道」探求を再開するのは戦後10年を経てからであった。同好の士と共に、開発の及ばない千葉県東浪見の山に観察場所を決め、ついに小学校以来20年以上の疑問に対する答えがわかる。「チョウは光によって道を決める!」チョウは光の中に生きる。

 チョウが飛ぶ。木の葉が風に揺れる。この圧倒的な「自然と共にある至福感」。同好の友といっしょにひとつの謎を追いかけて解明しようと山に分け入り、沢を渡る。木漏れ日を浴びながら、チョウを追う。多くの大人たちはこのように純粋に「少年の日に願ったこと」を追求できないまま終わる。日高少年のように、20年後であってもついに少年の日の謎を解き明かす日が巡ってこないまま人生を終えるだろう。だから、この『チョウの飛ぶ道』はきらきらとひたすら明るい光明感と、さわやかな風が木々を吹き抜ける清涼感に満ちあふれる。

  少年たちがこのような向日性生物のような人生を生きていくのか、翳りと哀感に満ちた陰影の中で生きていくのか。チョウはダッタン海峡を越えてたちまち飛び去っていってしまうから、私にもわからない。 

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2013/05/14
 2013年5月11日土曜日は、NHKアーカイブスの番組「神秘の蝶 驚異の大冒険 ~北米大陸5000キロを渡る~」を見て過ごしました。1997年放映の再放送です。
 メキシコでモナルク、英語ではモナークバタフライと呼ばれる「オオカバマダラ蝶」が、何千万匹もの大集団を作って飛び、北はカナダからメキシコまで5千キロもの大移動をする「蝶の渡り」を記録した映像。

 メキシコではモナルクを「死者の魂が年に一度蝶になって帰ってくる」として手厚く保護してきたが、近年の森林乱伐盗伐で、蝶の生息地が荒らされ、モナルク蝶も数が減ってきているという国際共同製作の番組でした。蝶が魂を運ぶ、という信仰、モンゴロイドには共通する思いなのでしょう。 蝶が大集団となって飛ぶ様子、圧巻でした。

 私は、モンシロチョウが大根畑とかにひらひらしているのを見たり、からたちなどの柑橘類の木に揚羽蝶が卵を産みに飛んできたりするのを見るのが好きです。こんなふうに大集団で蝶が頭上を舞っていたら、逃げ出すかも。でも、メキシコまでわざわざモナルク見物に出かけた人の旅の記録を読むと、「蝶が飛ぶ映像だけ見たのでは、この蝶のすばらしさは伝わらないだろう。目をつぶって蝶の羽音を聞いている瞬間、蝶が舞う森の木洩れ日の美しさとともに眺めてこそのモナルクだ」と書いてあったので、私もいつかモナークバタフライの渡りを見にいきたい。

 少々くたびれた中高年になりつつある現在ですが、ここに行きたい、これを見たいという願いをもっていれば、あと何年かは希望のなかに生きていくことができるでしょう。

 中学1年で、旧かな旧漢字の原文で『古事記』読解の授業を受けた息子、今も古文書読解に頭を悩ませています。孫が日本史研究者として一人前になるまで生きていたいというのが、姑の希望です。あと10年以上はかかるでしょうから、姑は100歳を越えるまで長生きしてくれるでしょう。希望の種だけは持っていたい。

<つづく>
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