春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「漢字読み方の変化 誤読→慣用読み その5」

2024-09-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240928
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの新旧(7)漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその5

 2005年の春庭コラムの再録です。
~~~~~~~~~~~~~
2005/02/05 (土)
ニッポニアニッポン語>誤読→慣用読み⑤

 今週は漢字の誤読誤記、言葉の誤用について考えてきた。
 誤読や意味の誤用が多くなり、それについて心配する人が多くなったせいか、テレビ番組「平成教育予備校」と「みんなの問題日本人は日本語を知らない」の両方で同じことばを例にあげて、いかに日本語が誤解されているかを示していた。

 「姑息こそく」がその例。「姑息なやりかたで処理する」というセリフをきいて、「姑息なやりかた」を「ひきょうな手段」「ずるいやり方」と思った人はまちがい、と番組で紹介していた。
 「姑息」は、「一時しのぎの間に合わせ、その場のがれ」の意味だ、というのが「正しい使い方」という解説。

 しかし、姑息の意味が「一時しのぎ、その場のがれ→いいかげんなやり方→ずるい、ひきょうな方法」と、うけとられるようになり、現在は大半の人が、後半の意味で使うようになっている。
 「姑息なやり方で上司にとりいるなんて、いやなヤツだ」というセリフを聞いて、「その場しのぎのやりかた」と思う人より、「ずるいやり方」と感じる人のほうが、多くなり、おそらく誤用のほうが定着していくだろう。

 日本語の変化のなかで、誤用や誤解が定着していく例として、私がよく出すのは、「あらたし」が「あたらしい」に変わったということ。
 「新たし(あらたし)」と「可惜し(あたらし)=おしむべき、もったいない」の混同から変化が起きた、という説が有力。
 現代では「あたらしい」という語が正統な日本語として定着し、「あらたしい年になりました」といっても通じない。

 今、お菓子のコマーシャルで「やらわか~い」と繰り返している。幼児的な発音のいいまちがいだった「やらわかい」が、正規の「やわらかい」を押しのけ、さらに「やらかい」「やらけぇ」という言い方も増えていくだろう。

 「夜空ノムコウ」がはやったときは、♪僕の心のやらかい場所を~♪について、「やらかい」なんて俗語を歌詞にして、と眉をひそめた人もいたが、CMの「やらわか~い」にクレームつけた人、いただろうか。 

 誤解の定着。よく知られたことわざの例をあげる。
 「情けは人のためならず」の意味が、「情けを他の人にかけてやると、周り回って必ず自分のところにもどってくる。だから、情けをかけるのは他人のためなのではなく、結局自分のためになることだ」というのが原義。 

だが、若い世代にはぴんとこなくなり、現代解釈「やたらに他の人に情けをかけると、甘えて自立できないだろうから、情けをかけるのは人のためにならないことだ」と、受け止め方が変わった。誤解のほうが優勢になっていくかどうか、ウォッチング継続。

 「流れに棹さす」も、「棹でこぐ船の船頭が流れに棹を入れ、勢いを増す」という原義から、現代解釈「流れに棒を入れて流れを悪くする」へと変化。若い世代には棹で動かす船が縁遠いから、理解できないのだ。
て辞書に載り、やがては正式なものになる。意味が誤解されたことわざや熟語も、多数が間違えて使用するなら、そちらが優勢となる。

 ことばの意味や読み方がしだいに変化するものであることは、生きた言葉に内在する運命。「あわれ」も「かなし」も「あからさま」も、千年前の人々とは異なる使い方をしている。「姑息」の使われ方が変化していくのも、止められない。

 ことばの意味や発音は千年前とは変わってきても、生きた変化の中で、積み重なったことばの文化は、伝えられてきた。豊かな言語環境があるなら、いくつかの言葉の読み方や意味がしだいに変化していくこと自体は、問題ないことと言える。問題なのは、言語文化を含めた文化全体の貧困化というゆくすえだろう。

 なにしろ一国の首相のことばが「ボキャ貧」と評されたり、「説明責任をはたすことができない」と、嘆かれる国なのだ。

 一度口に出したことばを守らなかったことに対して「首相は公約を1つも守っていない」批判されると、「この程度の約束を守らないことは大したことではない」と公言した1年前の「ことばのいいかげんさ」を忘れるヒマもないうち、今年は、質問に対して、「フッフッフッ」と薄ら笑いをしながら、はぐかそうとする。

 最も真摯に言葉をやりとりすべき場で、「適切はテキセツです」と、言葉を軽視した発言を繰り返す姿勢が、子どもたちへと蔓延しないことを願う。

 5年生が「あかじゅうじ」と読んだことを心配するよりも、「適切はテキセツです」としか説明しようとしない人を一国のトップにおき、皆がそれでいいと思っていることを心配する私は、「杞憂人」となって今日も一日、空をながめているしかない。
~~~~~~~~~~~~
20240928
 約20年前に書いた漢字語彙の表記問題が、今も決して解決したわけではないことがわかる。
 ますます漢字を忘れていく頭をなんとか奮いたてながら、よろよろと歩いていきましょう。

<おわり>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする