20201001
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(1)動詞の名詞化を教える
この夏。予定していたこと、どれくらいできたでしょうが、人によって「何一つ出来なかった、旅行も、帰省も」という人もいたし、「どうせ夏は暑さにやられて家からでない日常だからいつもの夏と同じ」いう方もいたことでしょう。
春庭がやろうとしてコロナに阻まれてできなかったことのひとつは、「中国から来日する日本語教師志望者に日本語教授法を指導する」という日本語学校の「夏の特別研修」です。中国からは、4月入学生が来日できずオンライン授業になったほか、10月入学生の来日予定もたっていません。
コロナのために店を閉めたという土産物屋レストランもあるのと同様、学校倒産となった日本語学校もありました。そんな中、なんとか在校生の授業は続けることができたし、春庭の勤務はまだしも、でした。
中国からやってくる日本語教師志望者というのは、本当に日本語教師を目指しているというより「夏の2,3週間、観光だけじゃなくて少しは実のある時間を過ごしたい」という「半分は観光目的のツアー」の参加者たち。
春庭が大学で日本語教授法の授業を始めたのは、2000年から。「日本語教育研究」というクラスを20年間続けました。
20年前に「アクティブラーニング」を始めたころは、先生の講義を座って聞くだけの授業が多かった大学講義に比べて、学生が自分たちでアクションを起こして行動の中から学んでいくというスタイルは学生たちの間では「こういう授業は初めて受けた。毎回の授業が楽しみ」などとフィードバックペーパーに書く学生もいて、私も毎年異なるアクションを考えるのが楽しみでした。
今ではアクティブラーニングは文科省推奨になってきました。私、ちょいと時代に早すぎたのかも。今やっていたら、他の教授から「先生の授業、何か、楽しく遊べる授業だそうですね」なんて、いやみを言われることもなかったかな。学生達、椅子取りゲームをしていたり、伝言ゲームをしていたり、楽しんではいても、それは「ゲームを利用した日本語文型の定着」ということを、自分たちが動いて学んでいたんです。
今夏実施できなかった日本語教授法のうち、「動詞の名詞化を教える方法」という教授法を記録した「春庭の日本語教師日誌」を再録します。
17年前の日誌、日本人学生を対象とした「日本語教授法」の授業実践の記録です。外国人に日本語を教えたいという日本人学生には、学習者にとってなにがむずかしいのかがわからない。「教えることはむずかしい」というときの「こと」がなんなのか、無自覚に日本語を話しているからです。「こと」と「の」は、動詞を名詞に化けさせるための附属の語です。
~~~~~~~~~~~~~~
2003-12-19
春庭のBC級ニッポン語教育研究14「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「授業の実際ー動詞の名詞化を教える①」私の趣味は日記を書くことです
春庭が「ニッポニア教師日誌」に書いた一番新しい授業実践報告の中から、日本語文法「動詞の名詞化」を、どのように学習者にわからせるか、というのを転載紹介しましょう。
日本語教師の資格取得をめざす日本人学生の「日本語教授法」というクラスで紹介した、春庭日本語授業のデモンストレーションです。
日本語教授法は、「どのようにして日本語を教えるか」を教えています。教員免許の「英語科教科法」とか、「国語科教育法」などに相当する授業です。
「動詞の名詞化」を教える授業。直接法(ダイレクトメソッド)と、媒介語(この授業の場合は英語)を用いて文法を説明するのを組み合わせた折衷直接法による授業例
最初に、基本の理論から。
英語の動詞はrun がrunning に、walk が walking に、という現在分詞の形で、動詞を名詞としてもちいることができる。
日本語はこれを取りいれ「ランニング」など、そのまま外来語として使用している。
日本語の動詞を名詞的用法で文にするには、助詞「の」形式名詞「こと」が用いられる。
泳ぐという動詞を名詞化(nominaraization)すると、「泳ぐこと」「泳ぐの」どちらも使う。
「こと」と「の」の使い分けなど、留学生には混乱が起きやすい文法項目だ。
「泳ぐのが好きです」は、「泳ぐことが好きです」と、言うことができる。しかし、「私の趣味は泳ぐことです」という文を、「私の趣味は泳ぐのです」と、言うのは不自然だ。
そのあたりの文法事項を、きちんと把握していないと、もし、留学生が「私の趣味は泳ぐのです」という発話をしたときに、教師として対処できなくなる。
「日本語ではそう言わないんだから、つべこべ言わないで覚えろ」と言うしかなくなる。
名詞化の「の」は、コピュラ「だ」「です」と共起しないことを、教授者が把握している必要がある。
動詞の名詞化の説明(「S.F.J」文法解説に基づく)
1,Attaching「の」 or「こと」(tha fact)that ro V-ing to the end of a sentence in it's plain form allows it to function like a noun.
動詞の基本形(辞書形=国文法でいう終止形)のうしろに、「の」、「こと」(できごと、事実の意味)を附属すると、名詞と同じ機能を持つ。
2 ナ形容詞(国文法でいう形容動詞)や、名詞+ナの単語は、「の」を附属させる方が、「こと」を附属させるより、好んで使われる。
例:「春さんが元気なことを知りませんでした」より「春さんが元気なのを知りませんでした」のほうが、よく使われる。
3 「の」is preferred to 「こと」in sentences involving ~好きだ/嫌いだ/いやだ/上手だ。
~好きだ/嫌いだ/いやだ/上手だ/下手だ、と、組み合わせるばあい、「こと」よりも「の」の方が好まれる.
例:雨の日にでかけるのはいやですね。>雨の日にでかけることはいやですね
4「こと」only is used in the following type of sentence. ( N は N です)
例:私の趣味は本を読むことです(「私の趣味は本をよむのです」は、不適切)
cf:「だれがなんと言おうと、私はいくのです」という場合の「の」は、また別。「いくんです」「だれが撮っても上手に写るんです」の「の」や「ん」は、説明的終助詞(explanated finel particle)の、「の」である。
あ、話がややこしくなった。逃げないで次に展開する授業実践を読んでね。春庭、授業中に「横綱土俵入り」を披露しているから。
<つづく>
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(1)動詞の名詞化を教える
この夏。予定していたこと、どれくらいできたでしょうが、人によって「何一つ出来なかった、旅行も、帰省も」という人もいたし、「どうせ夏は暑さにやられて家からでない日常だからいつもの夏と同じ」いう方もいたことでしょう。
春庭がやろうとしてコロナに阻まれてできなかったことのひとつは、「中国から来日する日本語教師志望者に日本語教授法を指導する」という日本語学校の「夏の特別研修」です。中国からは、4月入学生が来日できずオンライン授業になったほか、10月入学生の来日予定もたっていません。
コロナのために店を閉めたという土産物屋レストランもあるのと同様、学校倒産となった日本語学校もありました。そんな中、なんとか在校生の授業は続けることができたし、春庭の勤務はまだしも、でした。
中国からやってくる日本語教師志望者というのは、本当に日本語教師を目指しているというより「夏の2,3週間、観光だけじゃなくて少しは実のある時間を過ごしたい」という「半分は観光目的のツアー」の参加者たち。
春庭が大学で日本語教授法の授業を始めたのは、2000年から。「日本語教育研究」というクラスを20年間続けました。
20年前に「アクティブラーニング」を始めたころは、先生の講義を座って聞くだけの授業が多かった大学講義に比べて、学生が自分たちでアクションを起こして行動の中から学んでいくというスタイルは学生たちの間では「こういう授業は初めて受けた。毎回の授業が楽しみ」などとフィードバックペーパーに書く学生もいて、私も毎年異なるアクションを考えるのが楽しみでした。
今ではアクティブラーニングは文科省推奨になってきました。私、ちょいと時代に早すぎたのかも。今やっていたら、他の教授から「先生の授業、何か、楽しく遊べる授業だそうですね」なんて、いやみを言われることもなかったかな。学生達、椅子取りゲームをしていたり、伝言ゲームをしていたり、楽しんではいても、それは「ゲームを利用した日本語文型の定着」ということを、自分たちが動いて学んでいたんです。
今夏実施できなかった日本語教授法のうち、「動詞の名詞化を教える方法」という教授法を記録した「春庭の日本語教師日誌」を再録します。
17年前の日誌、日本人学生を対象とした「日本語教授法」の授業実践の記録です。外国人に日本語を教えたいという日本人学生には、学習者にとってなにがむずかしいのかがわからない。「教えることはむずかしい」というときの「こと」がなんなのか、無自覚に日本語を話しているからです。「こと」と「の」は、動詞を名詞に化けさせるための附属の語です。
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2003-12-19
春庭のBC級ニッポン語教育研究14「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「授業の実際ー動詞の名詞化を教える①」私の趣味は日記を書くことです
春庭が「ニッポニア教師日誌」に書いた一番新しい授業実践報告の中から、日本語文法「動詞の名詞化」を、どのように学習者にわからせるか、というのを転載紹介しましょう。
日本語教師の資格取得をめざす日本人学生の「日本語教授法」というクラスで紹介した、春庭日本語授業のデモンストレーションです。
日本語教授法は、「どのようにして日本語を教えるか」を教えています。教員免許の「英語科教科法」とか、「国語科教育法」などに相当する授業です。
「動詞の名詞化」を教える授業。直接法(ダイレクトメソッド)と、媒介語(この授業の場合は英語)を用いて文法を説明するのを組み合わせた折衷直接法による授業例
最初に、基本の理論から。
英語の動詞はrun がrunning に、walk が walking に、という現在分詞の形で、動詞を名詞としてもちいることができる。
日本語はこれを取りいれ「ランニング」など、そのまま外来語として使用している。
日本語の動詞を名詞的用法で文にするには、助詞「の」形式名詞「こと」が用いられる。
泳ぐという動詞を名詞化(nominaraization)すると、「泳ぐこと」「泳ぐの」どちらも使う。
「こと」と「の」の使い分けなど、留学生には混乱が起きやすい文法項目だ。
「泳ぐのが好きです」は、「泳ぐことが好きです」と、言うことができる。しかし、「私の趣味は泳ぐことです」という文を、「私の趣味は泳ぐのです」と、言うのは不自然だ。
そのあたりの文法事項を、きちんと把握していないと、もし、留学生が「私の趣味は泳ぐのです」という発話をしたときに、教師として対処できなくなる。
「日本語ではそう言わないんだから、つべこべ言わないで覚えろ」と言うしかなくなる。
名詞化の「の」は、コピュラ「だ」「です」と共起しないことを、教授者が把握している必要がある。
動詞の名詞化の説明(「S.F.J」文法解説に基づく)
1,Attaching「の」 or「こと」(tha fact)that ro V-ing to the end of a sentence in it's plain form allows it to function like a noun.
動詞の基本形(辞書形=国文法でいう終止形)のうしろに、「の」、「こと」(できごと、事実の意味)を附属すると、名詞と同じ機能を持つ。
2 ナ形容詞(国文法でいう形容動詞)や、名詞+ナの単語は、「の」を附属させる方が、「こと」を附属させるより、好んで使われる。
例:「春さんが元気なことを知りませんでした」より「春さんが元気なのを知りませんでした」のほうが、よく使われる。
3 「の」is preferred to 「こと」in sentences involving ~好きだ/嫌いだ/いやだ/上手だ。
~好きだ/嫌いだ/いやだ/上手だ/下手だ、と、組み合わせるばあい、「こと」よりも「の」の方が好まれる.
例:雨の日にでかけるのはいやですね。>雨の日にでかけることはいやですね
4「こと」only is used in the following type of sentence. ( N は N です)
例:私の趣味は本を読むことです(「私の趣味は本をよむのです」は、不適切)
cf:「だれがなんと言おうと、私はいくのです」という場合の「の」は、また別。「いくんです」「だれが撮っても上手に写るんです」の「の」や「ん」は、説明的終助詞(explanated finel particle)の、「の」である。
あ、話がややこしくなった。逃げないで次に展開する授業実践を読んでね。春庭、授業中に「横綱土俵入り」を披露しているから。
<つづく>