20200209
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(25)ダイレクトメソッドの模擬授業
春庭の日本語教師日誌を再録しています。
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2006/12/23 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(4)ダイレクトメソッド
この教授法「直接法」、日本語を日本語だけで教えるダイレクトメソッド、各段階の文法項目、「文型」を教えるテクニックが工夫されてきました。
教師達は工夫を重ねて、日本語だけで日本語を教える教授法を開発してきました。
日本語教授法には、いろいろなやり方があるけれど、学生達に身につけてほしいのは、まず、この「直接法」です。が、なかなか理解してもらえません。
日本語教師として仕事につく場合、まずキャリアのスタートは、日本国内の日本語学校で教える、という場合が多い。
多国籍の学生がクラスにいたら、ほとんどが直接法の授業となるので、この教授法の習得が大切になります。
外国で教えるなら、媒介語が使えます。
たとえばブラジル・サンパウロにある日系子弟のための日本語学校で教えるなら、ポルトガル語を習得した日本人が教えるか、日本語を習得したブラジル人が教えることが多い。
韓国で教えるなら、韓国語を習得した日本人か、日本語を習得した韓国人その他の国の人が教えるほうが、効率がいいでしょう。
日本国内の日本語学校には、在籍者が中国人のみ、という学校、韓国人のみと言う学校もありますが、いくつかの国の人が混じったクラスになったとき、ひとつの言葉を媒介語にすることはできません。
中国人が多数のクラスにひとりでもタイ人がまざっていたら、中国語で説明したら、タイの人は置いてけぼりになってしまいます。韓国人が多いクラスにひとりインドネシア人がまじっていたら、韓国語で教えることはできません。
全員に等しく理解させるために、直接法と言う教授法が重要になるのです。
外国語教授法として、文法訳読法やら、オーディオリンガル法、VT法TPR法など、さまざまな教授法を教えます。
「直接法」を、ことばでは理解できても、実際の模擬授業になると、直接法で教えますと言いながら、日本語を初めて習うはずの学習者に対して、日本語で説明をはじめてしまう学生も多いのです。
模擬授業をするのも、適当な準備で適当な授業をやって終わろうとする者もいるし、本格的に教材を準備し、しっかりと教材研究をして模擬授業を行う学生もいます。
最初は「緊張する。やりたくない」と、しぶっていた学生も、10分間の発表をおえ、他学生からのコメントをもらうと、「やってよかった」と、晴々した表情になります。
真剣に取り組んだ発表なら、教え方が下手でも、うまく授業が進行しなくても、それなりの達成感が残るのです。
教育実習の模擬授業や研究授業ではなく、あくまでも日本語教育研究の一環としての模擬授業ですから、明日からすぐにでも日本語教師ができるほど完成されている授業でなくてもかまいません。
なかには、「できの悪い生徒役」の私がおかしな答えを繰り返すので、わらいころげてしまう教師役もいます。
でも、とにかく、日本語の授業はこんな感じ、というイメージをつかみ、「日本語をおしえるのって、思ったより難しいことだったんだな、でも、教えてみるのはたのしいなあ」と、思ってもらうことが私の目的です。
だから、私からは「ここがわるかった、この点もまずかった」という論評はあまりしないようにしています。
「日本語を教えることは、むずかしいけれど、楽しい」ってことがわかってもらえれば、私の授業目的のひとつは達成できます。
日本語教師養成コースには、日本語の音声、文法、語彙、日本の歴史や文化、学ぶべきことはたくさんあります。
でも、知識を得ることはむろんのこととして、まずは、「ことばを通じて人と関わることは楽しい」という気持ちを味わってほしいと思っています。
<つづく>
2006/12/24 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(5)模擬授業コメント
模擬授業のコメンテーターは、授業を観察し、感想をコメント表に書き込みます。
自分で先生役をする以上に、他の学生が先生を演じているのを観察することが、多くの「気づき」をもたらします。
先生役をしているときは、夢中でシナリオの内容をこなそうとして気づかなかったことを、観察者の学生は冷静に見つめています。
コメンテーターには、よかった点をひとつ以上、改善点をひとつ以上書くことを義務づけている。
「ちょっと声が小さく、自信がなさそうでした。先生が不安に感じていると、生徒も不安になってしまうので、もっと大きな声を自信をもってだしたほうがいいと思います」
「スムーズに予定の授業はおわったところは、良かったと思います。しかし、順調に予定をこなすことにいっしょうけんめいだったせいか、顔がこわかったです。生徒にはもっと笑顔をむけたほうが、教室の雰囲気がなごやかになりますよ」
「自分で作った絵カード、文字カードを準備したことは、とてもよかったです。でも、カードをつかうことでせいいっぱいになってしまい、あまり生徒を見ていなかったように感じました」
など、かなり手厳しくも的確なコメントを書いてくれます。
先生役、生徒役、コメンテーター役の3つをこなすと、だいぶ日本語授業のイメージがわかってきます。
教育実習の他クラスでのことですが、模擬授業を終えた女子学生が、指導教師からこてんぱんな批評を受けて泣き出してしまうこともあった、という話をを耳にしました。熱心なあまりの厳しさとは思いますが、私はそうしたくない。
学生ははじめての先生役体験で、緊張しています。不出来ではあってもいっしょうけんめいやった学生には、できるだけよい点をみつけて、ほめてあげたい。
私の方針では「楽しく続けていきたいという気持ちを醸し出すことが第一。よい点をほめれば、続けているうちに悪い点は必ず自分できづき、直せる」
悪い点をあれもこれもと指摘すると、指摘された悪い点にはその場で気づき、対症療法でその部分は改良できるかもしれません。が、たぶん、楽しく日本語授業を続けていこうという気分は損なわれてしまうでしょう。
これは、日本語学習者を相手にしたときも同じ。
日本語の発音がまずい学生がいたとき、悪い発音を直そうとして、きつく訂正させてもあまり効果がありません。少しでもうまくできたときをとらえて、「うん、いまの言い方、よかった」とほめると、だんだんよくなっていくものです。
日本語の授業も、日本語教師養成の授業も、たぶん、ほかのすべての教育も同じ。わたしの信念。「ほめて育てる」「悪い点をしかるだけでは育たない」
「教」という字の旁(つくり)の「攵(のぶん)」は、鞭を象形化した文字です。老人が子をムチでたたきながら教えるのが「教」
漢語の「教育」を和語でいうと、「教え、育てる」です。大人が持っている知識を子供に詰め込むイメージが「教える」にあります。それも、教育のもつ機能のひとつだといえるでしょう。
もうひとつ、教育に関する語の語源を。
英語の「education」
語源はラテン語で 、e(out外へ)+doctus(引き出す) = 子供の資質を引き出す行為
なのだそうです。
子供・生徒は、本来さまざまなよい資質を持っています。その鉱脈を探り出して、引き出してやることが教師の役目。
学生たちが心の中にもっている鉱脈を今年、どれだけ探り出し掘り出すことができたかしら、と、自問自答しながら、1年を振り返る年末です。
<つづく>
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(25)ダイレクトメソッドの模擬授業
春庭の日本語教師日誌を再録しています。
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2006/12/23 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(4)ダイレクトメソッド
この教授法「直接法」、日本語を日本語だけで教えるダイレクトメソッド、各段階の文法項目、「文型」を教えるテクニックが工夫されてきました。
教師達は工夫を重ねて、日本語だけで日本語を教える教授法を開発してきました。
日本語教授法には、いろいろなやり方があるけれど、学生達に身につけてほしいのは、まず、この「直接法」です。が、なかなか理解してもらえません。
日本語教師として仕事につく場合、まずキャリアのスタートは、日本国内の日本語学校で教える、という場合が多い。
多国籍の学生がクラスにいたら、ほとんどが直接法の授業となるので、この教授法の習得が大切になります。
外国で教えるなら、媒介語が使えます。
たとえばブラジル・サンパウロにある日系子弟のための日本語学校で教えるなら、ポルトガル語を習得した日本人が教えるか、日本語を習得したブラジル人が教えることが多い。
韓国で教えるなら、韓国語を習得した日本人か、日本語を習得した韓国人その他の国の人が教えるほうが、効率がいいでしょう。
日本国内の日本語学校には、在籍者が中国人のみ、という学校、韓国人のみと言う学校もありますが、いくつかの国の人が混じったクラスになったとき、ひとつの言葉を媒介語にすることはできません。
中国人が多数のクラスにひとりでもタイ人がまざっていたら、中国語で説明したら、タイの人は置いてけぼりになってしまいます。韓国人が多いクラスにひとりインドネシア人がまじっていたら、韓国語で教えることはできません。
全員に等しく理解させるために、直接法と言う教授法が重要になるのです。
外国語教授法として、文法訳読法やら、オーディオリンガル法、VT法TPR法など、さまざまな教授法を教えます。
「直接法」を、ことばでは理解できても、実際の模擬授業になると、直接法で教えますと言いながら、日本語を初めて習うはずの学習者に対して、日本語で説明をはじめてしまう学生も多いのです。
模擬授業をするのも、適当な準備で適当な授業をやって終わろうとする者もいるし、本格的に教材を準備し、しっかりと教材研究をして模擬授業を行う学生もいます。
最初は「緊張する。やりたくない」と、しぶっていた学生も、10分間の発表をおえ、他学生からのコメントをもらうと、「やってよかった」と、晴々した表情になります。
真剣に取り組んだ発表なら、教え方が下手でも、うまく授業が進行しなくても、それなりの達成感が残るのです。
教育実習の模擬授業や研究授業ではなく、あくまでも日本語教育研究の一環としての模擬授業ですから、明日からすぐにでも日本語教師ができるほど完成されている授業でなくてもかまいません。
なかには、「できの悪い生徒役」の私がおかしな答えを繰り返すので、わらいころげてしまう教師役もいます。
でも、とにかく、日本語の授業はこんな感じ、というイメージをつかみ、「日本語をおしえるのって、思ったより難しいことだったんだな、でも、教えてみるのはたのしいなあ」と、思ってもらうことが私の目的です。
だから、私からは「ここがわるかった、この点もまずかった」という論評はあまりしないようにしています。
「日本語を教えることは、むずかしいけれど、楽しい」ってことがわかってもらえれば、私の授業目的のひとつは達成できます。
日本語教師養成コースには、日本語の音声、文法、語彙、日本の歴史や文化、学ぶべきことはたくさんあります。
でも、知識を得ることはむろんのこととして、まずは、「ことばを通じて人と関わることは楽しい」という気持ちを味わってほしいと思っています。
<つづく>
2006/12/24 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(5)模擬授業コメント
模擬授業のコメンテーターは、授業を観察し、感想をコメント表に書き込みます。
自分で先生役をする以上に、他の学生が先生を演じているのを観察することが、多くの「気づき」をもたらします。
先生役をしているときは、夢中でシナリオの内容をこなそうとして気づかなかったことを、観察者の学生は冷静に見つめています。
コメンテーターには、よかった点をひとつ以上、改善点をひとつ以上書くことを義務づけている。
「ちょっと声が小さく、自信がなさそうでした。先生が不安に感じていると、生徒も不安になってしまうので、もっと大きな声を自信をもってだしたほうがいいと思います」
「スムーズに予定の授業はおわったところは、良かったと思います。しかし、順調に予定をこなすことにいっしょうけんめいだったせいか、顔がこわかったです。生徒にはもっと笑顔をむけたほうが、教室の雰囲気がなごやかになりますよ」
「自分で作った絵カード、文字カードを準備したことは、とてもよかったです。でも、カードをつかうことでせいいっぱいになってしまい、あまり生徒を見ていなかったように感じました」
など、かなり手厳しくも的確なコメントを書いてくれます。
先生役、生徒役、コメンテーター役の3つをこなすと、だいぶ日本語授業のイメージがわかってきます。
教育実習の他クラスでのことですが、模擬授業を終えた女子学生が、指導教師からこてんぱんな批評を受けて泣き出してしまうこともあった、という話をを耳にしました。熱心なあまりの厳しさとは思いますが、私はそうしたくない。
学生ははじめての先生役体験で、緊張しています。不出来ではあってもいっしょうけんめいやった学生には、できるだけよい点をみつけて、ほめてあげたい。
私の方針では「楽しく続けていきたいという気持ちを醸し出すことが第一。よい点をほめれば、続けているうちに悪い点は必ず自分できづき、直せる」
悪い点をあれもこれもと指摘すると、指摘された悪い点にはその場で気づき、対症療法でその部分は改良できるかもしれません。が、たぶん、楽しく日本語授業を続けていこうという気分は損なわれてしまうでしょう。
これは、日本語学習者を相手にしたときも同じ。
日本語の発音がまずい学生がいたとき、悪い発音を直そうとして、きつく訂正させてもあまり効果がありません。少しでもうまくできたときをとらえて、「うん、いまの言い方、よかった」とほめると、だんだんよくなっていくものです。
日本語の授業も、日本語教師養成の授業も、たぶん、ほかのすべての教育も同じ。わたしの信念。「ほめて育てる」「悪い点をしかるだけでは育たない」
「教」という字の旁(つくり)の「攵(のぶん)」は、鞭を象形化した文字です。老人が子をムチでたたきながら教えるのが「教」
漢語の「教育」を和語でいうと、「教え、育てる」です。大人が持っている知識を子供に詰め込むイメージが「教える」にあります。それも、教育のもつ機能のひとつだといえるでしょう。
もうひとつ、教育に関する語の語源を。
英語の「education」
語源はラテン語で 、e(out外へ)+doctus(引き出す) = 子供の資質を引き出す行為
なのだそうです。
子供・生徒は、本来さまざまなよい資質を持っています。その鉱脈を探り出して、引き出してやることが教師の役目。
学生たちが心の中にもっている鉱脈を今年、どれだけ探り出し掘り出すことができたかしら、と、自問自答しながら、1年を振り返る年末です。
<つづく>