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ニーハオ春庭中国日記「日本事情の授業&母の日」

2011-05-21 23:57:00 | 日記

2009/05/08
ニーハオ春庭>日本事情中国事情(1)藤式部と藤野先生

 「日本事情クイズ」として、日本の文化や社会習慣を知らせるクイズをときどき学生に出しています。
 日本人でもひっかかるクイズをひとつ出してみましょう。
第1問 日本のお札に最初に登場した肖像は女性です。○?×?
第2問 現在使われている日本のお札の肖像画に、女性は二人います。○?×?

正解。
第一問 ○ 明治時代に発行された最初のお札肖像画は、神功皇后でした。
第二問 ○ 五千円札の樋口一葉は皆知っています。もうひとり、二千円札の裏に、紫式部の後ろ姿が描かれています。こちらは知らない人のほうが多い。二千円札は出回っていないし、裏までじっくり眺める人もいないので。

 「『源氏物語』の作者は、藤原氏出身の父親が式部の身分を持っていたから藤式部と呼ばれていました。光源氏と呼ばれた貴公子が主人公の小説が、藤式部によって書かれました。紫色の花が咲く桐や藤の花にゆかりの女人、また、紫の上と呼ばれいる人と恋愛をする小説が、藤式部によって書かれたので、藤式部は紫式部という名で呼ばれました」
(受身形の練習としての例文提出です。)

 「日本事情」の授業だと、紫式部や『源氏物語』を時間をかけて紹介をするのですが、今回は初級日本語の学生なので、『源氏物語』について取り扱う時間はありません。しかし、日本の至宝である『源氏物語』をなんとか学生に紹介したい。今回は、「受け身文」の復習応用をする時間に、少しだけ紹介しました。
 「『源氏物語』は、紫式部によって書かれました」という文。日本語ギョーカイでは、このような文を「非情物主語の受け身文」と呼んでいます。人ではなく、物を主語とする受け身文。「日本語は日本で話されています」の類。

 受け身文の練習をしながら、『源氏物語絵巻』をスライドで見せて、「『源氏物語』は、千年前に書かれた世界最古の小説です」などのあらましを解説し、「日本の漫画が大好き」という学生のために、『あさきゆめみし』という漫画を紹介しました。『あさきゆめみし』は大和和紀によって描かれました。『源氏物語』を漫画化した作品で、1993年に完結し単行本も大いに読まれています。とくに、若い人々に読まれています」と、ふたたび非情物受け身文を練習。

 教科書『実力日本語』に提出されている非情物主語の受け身文の例文は、「『狂人日記』は魯迅によって書かれました」です。
 私は岩波文庫版の『狂人日記・阿Q正伝』をスライドで紹介し、教科書に出ていない文として「魯迅が書いた『藤野先生』は、日本でよく知られています」という「知られている」という受け身文を提出します。

 藤野先生は、魯迅の仙台留学時代の恩師。藤野先生は医学授業ノートの日本語誤用添削を誠実に続けました。魯迅は医学者にならず、文学者になりましたが、藤野先生について小説を書き、発表しました。学生たち、魯迅については「中国ではこどもにも知られています」というのですが、藤野先生については知っている学生は少ない。

 「魯迅は、藤野先生に日本語を教えてもらいました。」「藤野先生は魯迅の日本語の間違いを直してくださいました」と、苦手な「やりもらい文」も復習。
 「私も、藤野先生のような教師になりたいです。私は藤野先生のように、学生の日本語誤用を添削します。みなさんは魯迅のような立派な人になるでしょう」と、「~のような」「~ように」の復習もします。
 日本語授業にとって、どんなことも「授業のネタ」です。

<つづく>
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2009年05月09日


ニーハオ春庭「迷惑がられる話」
2009/05/09
ニーハオ春庭>日本事情中国事情(2)迷惑がられる話

 1904年9月、清国留学生周樹人(のちの魯迅)は仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に入学しました。
 当時の日本は、日清・日露戦争後。「日本のほうが強い」と中国を蔑視する風潮があり、清国人留学生は「中国をなんとか近代的な国にしたい」という強い意欲を持っていました。周樹人は、医学を学んで中国のために役立つ人間になろうとしていました。

 そのような周樹人を、解剖学講座の教授・藤野厳九郎(ふじの げんくろう)は誠実に指導しました。若い師は30歳、弟子は23歳。藤野先生は、解剖学のノートを提出させ、誤字誤記をひとつひとつ丁寧に添削してやりました。
 周樹人は、医学では中国を救えぬ、中国人の心を救うには文学が必要だと思うようになり、医学を捨てて仙台を去りました。しかし、藤野先生の教えを深く心にとめ、二十年後の1926年に自伝的短編小説「藤野先生」(小説集『朝花夕拾』に収録)に仙台時代のエピソードを書き残しました。

 「藤野先生」が発表されると、先生の名が日本でも知られるようになりました。文学者として成功し有名になった魯迅は、仙台時代に世話になった恩師に会いたいと思い、途絶えたままになっていた藤野先生の消息が伝わってくるかと期待しました。そのころ藤野先生は妻の実家で開業医としてひっそり生活していました。藤野先生は決して名乗り出ることをせず、魯迅が自分の教え子であることを他言しないよう、家族にも口止めしていました。藤野先生が魯迅について語ったのは、魯迅の死後です。

 誰かのために、自分のできることを尽くし、その人のためになることを誠実にやりぬく、そして、してやったことを吹聴せず、決して自慢などしない。明治の男の気骨がよくわかるエピソードです。
 この晩年の藤野先生の話は、学生には伝えなかった。
 なぜ学生には伝えなかったか。藤野先生のように誠実に日本語を教える教師になりたいと学生には言ったのですが、晩年の藤野先生のマネは出来ませんから。

 もし、私の教え子が有名になったら、サインをもらいにいって、「ねぇ、私、あなたに日本語教えたよねぇ、覚えてる?」と、いっしょに写真でも撮りたがるでしょう。
 「え、覚えてないの?私、あなたに宿題たっぷりだして、いやがられたでしょ?私がやたらに添削したがってばかりいるって、あなた、迷惑がっていたじゃないの」と、ガンガン言い立てて、いやがられるのがオチでしょうね。

 「~がる」「受け身文」の復習、しっかりやっておいてね、と学生達には言っておいたのですが、、、、、先週先生が教えたこと、今週は忘れられているでしょうねぇ。いいです、教えても教えても忘れるのが学生の仕事。
 さて、今週の文法は「使役文」です。先生は学生に宿題をたっぷりとやらせますよ。ほら、そんな迷惑がらないで、、、

<つづく>
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2009年05月10日


ニーハオ春庭「スピーチ・お母さんありがとう」
2009/05/10
ニーハオ春庭>日本事情中国事情(3)スピーチ「お母さん、ありがとう」

 8月に、学生たちは日本語の授業の仕上げとして、「日本語による専門の発表」を行うことになっています。ロボット工学について、ナノテクノロジーについてなど、自分の専門について日本語で説明するのが、最終課題です。

 最終課題にむけて、初級日本語のクラスでも、スピーチ発表を行っています。最初は、「自己紹介、私の町の紹介」「清明節のできごと」「私の趣味」など、宿題で書いた作文をもとにしての発表でした。
 学生たち、スピーチメモをにぎりしめ、懸命に発表を続けてきました。作文ネタは使い終わり、3巡目に入ったので、「スピーチトピックはそれぞれの自由」ということにしました。

 「私の専門」というタイトルで、「化学薬品と漢方薬」についての解説あり、パワーポイントをつかって本格的に「制御工学とは何か」を説明する人あり、「日本の結婚式のマナー」「ごみの分別収集」「日本人の好きな血液型性格判断」など、日本社会の情報をクラスメートに知らせる人あり、「東京ディズニーシーで遊んだこと」「北京<鳥の巣>でパラリンピックを見た」など、貴重な経験を語る人あり、トピックはさまざまになってきました。(パラリンピックの時の「鳥の巣」入場料は50元だったそうです)

 メーデー休みあけの5月4日には、「メーデーの起源」など、時節ネタも登場しました。学生たち、まだまだ日本語の発音や文型のまちがいはたくさんあるものの、「人前で日本語を話す練習」を続けています。

 5月8日、朝のクラススピーチの時間。クラス委員長(班長)さんのスピーチのタイトルは「母の日の起源」でした。うん、時節ネタ、いいね。
 班長さんは、南北戦争後のアメリカで、アン・ジャービスの娘アンナが母を偲ぶ会を始めたことがアメリカでの母の日の最初となったことを紹介していました。

 じょうずなスピーチに拍手して、「はい、次は会話暗誦です」と次の学習項目に移ろうとすると。班長さんが、「先生、ちょっと待ってください」と、言います。班長さんは窓のカーテンのうしろに隠してあったカーネーションの花束を取り出し、「先生はクラスみんなのお母さんです。私たちはお母さんに花を贈りたいです」と言いました。

 クラス全員が立ち上がって、「先生、いつもありがとうございます。母の日、おめでとうございます。」と、声を揃えて言ってくれました。びっくり。うれしかったです。
 「先生、花は18本あります。一人1本です」と、班長さんの解説つき。すてきな赤いカーネーションの花束。「たっぷり宿題」をありがた迷惑がりながらも「お母さん」へのプレゼントを忘れない、すてきな学生たちに囲まれて「幸福な母」です。

 日本にいる娘からのプレゼントメールも、前にもらってありました。「手作りコサージュ」の写真がメール添付されていて、「帰国してから渡すので今は写真だけね」というメッセージつき。ビーズや造花のきれいなコサージュです。写真をパソコンの待ち受けにしました。

<つづく>
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2009年05月11日


ニーハオ春庭「つまらない話」
2009/05/11
ニーハオ春庭>日本事情中国事情(4)つまらない話

 1994年には頻繁にあった断水。2007年には新しい水源地のおかげで断水はほぼ解消され、助かりました。

 ところが、5月8日土曜日の夜、予告もなくいきなりの断水。9日の土曜日10日日曜日丸二日間、一日中水が出ませんでした。台所に水のボトル(20リットル12元180円)が常備されているから、飲み水には困らないですが、断水で困るのはトイレ。

 私は、お風呂に水を貯めておき、次にお風呂に入る直前に排水しています。今回の断水でもバスタブの水を汲んでバケツでトイレに水を流して何とかなりましたが、他のお部屋の方々、断水で困ったのではないかしら。こればかりは、トイレの中味を捨てないで貯めておくってこともできないし。尾篭な話ですみません。

 9日に部屋のくず入れを掃除してくれるオバサンが「明天、~~~、対不起トィブチー(すみません)~~~」と言っていました。私に聞き取れたのは、「水、シュィ」「明天、ミンティェンあした」くらいでしたが、断水をわび、明日には復旧すると言っているのだと解釈して、「明白了ミンパイラ(わかりました)」と、言ったのですが、さて、中国の明天は、つぎの日になっても「明天」で、いつになっても、「あした」が続く。
 11日朝の状況。台所断水継続。浴室。洗面台と浴槽トト入れの水復活。お湯はでない。という状況です。台所と浴室は水道管が別系統なのかもしれません。

 さて、日本事情クイズのつづきです。
第3問 日本では、トイレットペーパーはゴミ箱に入れずに水に流します。○?×? 

 学生たち、そんなことをしたら、トイレが詰まるだろうと心得顔で「×」いいえ、日本では、ペーパーは水に流してしまうのです、と説明します。
 中国の一般的なトイレでは、トイレットペーパー(手紙)は、トイレの中に捨てずに、ゴミ箱に入れます。(水洗トイレでなくても同じ)日本でも、排水環境のために紙を流さないところがありますが、私などつい、ゴミ箱にいれるのを忘れます。
 トイレの中のことは、日常生活で目に触れる機会がありませんから、ペーパーを日本でもゴミ箱に捨て続ける学生も多い。別段それでも問題が起きなければいいのだけれど、ある中国人留学生の多い学校では、トイレ用汚物入れのゴミ箱が小さくて、どの個室でも紙があふれてしまい、掃除のおばさんが困った、というエピソードも聞きました。

 日本のトイレットペーパーは、水に溶けるように作られているから、水に流してもトイレがつまることはない、と、教えておきます。
 中国でも外国人が泊まる大きなホテルや中央の公官庁などのトイレでは水に流れるペーパーがありますが、地方の一般的な水洗トイレで紙を流すと詰まることがある。2007年赴任のチュンツォン先生はトイレが詰まってしまい、大弱りでした。なぜ大弱りかというと、詰まったトイレを服務員に何とかしてもらうには、自分の○○を見られてしまうので、、、、、。私は今のところ、人様のご覧に供したことはありません。

 また、女性たちには、トイレットペーパー以外のものをゴミ箱に捨てるときは、必ずペーパーで包んでから捨てるようにも伝えておきます。この習慣も教えられなければ、行われません。日本では、小学校の保健の先生が4年生5年生くらいの女子を集めて指導していますが、中国ではそのような指導は行われず、家庭でもそのような躾をしない。これは習慣の違いですから、しかたがありません。

 郷に入っては郷にしたがえ、ですが、このトイレ習慣のちがいには、3度目の中国赴任の私も、最初はついつい紙を流してしまって「あ、しまった、紙がつまらないといいな」と思うのです。
 はい、つまらない話、お読みいただきありがとうございました。

<つづく>
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2009年05月12日


ニーハオ春庭「捨てる話」
2009/05/12
ニーハオ春庭>日本事情中国事情(4)捨てる話

 私のクラスのソケツさんは、環境工学を専門としており、日本のごみ分別収集のことを調べて、クラススピーチのトピックにしていました。
 ソケツさんのスピーチでは、「生ごみと紙は燃えるごみです。生ゴミというのは、料理した野菜や肉の残りです」と説明があったのですが、分別意識のない中国人学生には今ひとつどれが燃やせてどれが燃やせないか、ピンとこなかったみたい。
 東京の私の住まいでは去年からプラスチックごみは紙といっしょに「燃えるごみ」になったし、自治体によって分別収集の方法がちがうので、気をつけてね、と学生には言っておきました。

 さて、捨てることのあれこれ。クイズ日本事情のつづきです。
第4問 日本では、古くなった家具や家電製品を捨てるときに、お金を払います。

 ほとんどの学生が「×です、お金をもらえると思います」と、答えました。日本も私の子供のころ、古物屋に家具や家電品をひきとってもらうとき、お金をもらっていたように思います。中国では、どんなに古くても再生利用する人はいるので、古物は売り物であり、古い物を持っていってもらうとき、お金をもらえます。

 去年の夏、我が家の冷蔵庫ひとつ捨てるのに、2千円かかったというと、学生達、びっくりしていました。ドアパッキンが古くなって、冷気漏れがしていた冷蔵庫ですが、パッキンを取り替えればまだまだ使えたはず。でも、パッキン取り替えのような簡単な修理でも、頼めば新しいのを買えるくらい修理代がかかるときいて、やむなく新型にかえたのでした。新品5万円くらいで買える製品があるけれど、修理代4万円(出張費やら何とか費やら込みで)、ですって。新しいほうは、省エネタイプなので、電気代を考えれば、新しいほうがエコだ、地球にやさしいとか言われて、新型にしました。

 中国は「地球にやさしい」は、まだまだ人々の意識にありません。
 また、中国ではまだ環境意識が薄くて、残った料理油は、他の水といっしょに下水に流しているそうなので、油を水道下水にそのまま流してはいけない、また米のとぎ汁だって、環境を汚すもとになるから、庭の花にでもやるようにしなければいけない、と教えます。我が家は地球環境のために無洗米使用。(ほんとは、お米とぐのが面倒だからだけど)

 中国の環境問題。水と空気の汚染、真っ先に改善してほしい問題です。環境と健康問題では、まだまだ中国人の意識は薄い。
 中国ではごみを分別収集せずにペットボトルもビール瓶もいっしょくたに捨てていると言っても、ごみが収集される前に、古雑誌もペットボトルもビール瓶も必ずだれかが分類して持ち去っていきます。売れるものはごみにはしない。

 家の中で粗大ゴミと化しているオトーサン、燃えないゴミの日に捨てられる前に、中国へ来て有用利用される人間になるのもいいかも。こちらには、定年退職後に生き甲斐を求めて日本語教師として働く方々も多い。現地給与は日本の物価からみれば安いですが、こちらで生活する分には十分な金額ですから、自分は現地給与で暮らし、年金はそっくり日本の奥さんに渡しているという方もいました。妻も「毎日が日曜日の粗大ゴミ」と成りそうな夫の世話もいらず年金はひとりで使えるし、文句なし、夫婦円満。
 ついでに言うと、現地給与生活に「愛人」が付帯している方の噂もちらほらですが。中国語では、「愛人アイレン」とは夫婦の片方のことですから、問題なし?

 私も、今のところ現地給与のみで生活しています。旅行の前に円を元に替える必要があるでしょうが、毎日の生活には不足なし。これで愛人がついていればもっと文句なしなんですが。え、この「愛人」は、中国語か日本語か?そりゃもちろん、、、、、

<つづく>
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2009年05月13日


ニーハオ春庭「煙ったい話甘い話」
2009/05/13
ニーハオ春庭>日本事情中国事情(5)煙ったい話、甘い話

 学生たちは、留学した後、日常生活で中国と日本の生活習慣のちがいに少しずつ気づいて慣れていきます。日本事情クイズは、文型の復習を兼ねた復習クイズです。

 中国では、日本より喫煙者数が多いと感じます。勤務校の校舎内は構内禁煙で入り口の脇の灰皿のところで吸わなければなりませんが、一般的な場所だと、高級レストランでもどこでも喫煙OKが多く、分煙意識はまったく普及していません。タバコに関する注意も学生達にしておきます。

第5問 日本では、地下鉄や都会のJR駅のホームでタバコを吸うことができません。路上でタバコを吸わずに、灰皿の有るところで吸います。 ○?×?

 JRホームで終日喫煙禁止になったところも多いし、千代田区港区などで、路上での喫煙禁止のところもありますので、日本でタバコを吸うときは、かならず灰皿をおいてあるところを探して、喫煙してよい場所かどうか確認してから吸うように教えます。もっとも、日本へ行って、路上で歩きタバコしたうえ吸い殻を捨てる日本人を見れば、「先生は路上で吸うなと言ったけれど、日本人も守っていない人がいる」と思うかもしれません。

第5問 日本では、バスや電車の中で携帯電話で話してはいけません。お年寄りや病人の近くの席ではメールもしません。

 中国はこの数年の間にものすごい勢いで携帯電話が普及しました。家庭電話の普及は遅々としていたので、家に電話がない時代から、一気に携帯電話時代に突入です。もともとバスや電車の中でも、知り合いのふたりは大声で会話する習慣だったために、バスにのると必ず大声で電話している人がひとりふたりいます。日本のバスは携帯電話禁止、電車の中でも、であのように大声で話すと、乗客から顰蹙を買うと教えます。

第6問 日本では、水道の水が飲めます。レストランでお茶と水は無料です。

 まずいと言われ続けた東京の水も、今では水道局がペットボトル「東京の水道水」を売り出すほどおいしく水質改良されました。しかし、世界的に見ると、水道の蛇口から出る水を直接飲めるほど水質がよい地域は稀です。
 日本では、この10年ほどで、お金をだしてペットボトルの水を買う習慣が根付きましたが、昔モノの私は、今でもお金を出して水を買う気になれず、飲み物が欲しいとき、緑茶や烏龍茶を買うことが多いです。

 さて、中国事情クイズ。
第7問 中国のペットボトル緑茶、値段は2元(30円)ほどですが、お味は、苦い?甘い?
 答えは甘い、です。ほとんどの緑茶ペットボトルは砂糖入り。無糖のものを見かけません。発売はされているということですが、実際に販売しているお店に入ったことがない。熱い緑茶は中国でも無糖ですが、ペットボトル入りの飲料は熱いお茶とは別の嗜好飲料となるので、甘いほうが好まれるのでしょう。コーラやジュースが甘いときは何ともないのに、甘くないと思いこんでいる緑茶のペットボトルを買ってひとくち飲んだ日本人は、たいてい「なんじゃこりゃあ」と思うみたいです。

 食べ物と飲み物、生活習慣、それぞれ違うところアリ同じ所アリ。所変われば品かわる。 最近、日本の「ネズミ講禁止」などを知らない留学生が、マルチ商法の甘い話に引っかかる例が増えたので、甘い話にはのらないように、注意しておかなければ。
 気をつけよう、甘い話と夜の道。鼠は講に入らず、料理して口に入れましょう。 

<おわり>
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2009年05月14日


ニーハオ春庭「肚皮舞」
2009/05/14
ニーハオ春庭>九年母(くねんぼ)日記中国版(1)肚皮舞

 5月10日締め切りの論文も不出来ながら出し終わり、初級日本語の教科書も終わりに近づいてきて、少し精神的に余裕もでてきました。そうなると気になるのが、ストレス解消のために食べ続けて、ぽっこり出てきたおなかです。
 まあ、ふだんでもビヤ樽体型なのですから、食べ続けても見た目の太さはかわらないですが、やはり自分自身で体が重くなったことを感じます。

 ずっと部屋に籠もりきりで仕事を続けてきたので、筋肉が固まってきたと感じるし、ここらで体を動かすことにしました。
 日本では週1回のジャズダンスサークル参加でストレッチやダンス、ヨガをしていますが、今回、同僚の先生に誘われて、ホテルの4階にある体育クラブに入会しました。7月末までしか中国にいないのに、同僚の先生のおすすめにより、1年分の会費を前払いしました。

 ホテルの4階にある体育クラブというと高級そうですが、たぶん、中級ホテルの中級体育クラブです。
 どこで中級と判断しているか。体育館のトイレ、個室の壁やドアが胸の高さまでしかない方式で、隣の個室の人とお話しできるタイプ。そして、トイレットペーパーが常備されていない。高級ホテルならトイレットペーパーがおいてある。

 中央にバスケットボールとバドミントンのコートがあり、周囲に小さな運動教室が並んでいます。小教室のなかで一番大きいのは(跆拳道テコンドウ)の部屋で、幼稚園くらいの男の子が20人ほど柔軟運動をしていました。ガラス張りの教室の外側廊下には、子や孫を送迎している親や祖父母が、我が子わが孫が運動している姿をじっと見つめていました。うちの息子や娘がスイミングスクールに通っていたころ、ふだんは送迎バスに任せていたのですが、たまにプールへ迎えにいくと、同じような光景を見たことを思い出しました。 

 1ヶ月の会費は300元3ヶ月だと割引になるから500元、でも、1年分だと、団体割引がきくので750元。私は3ヶ月分の500元コースにしようかと思ったのです。3ヶ月しか通えないので。でも同僚のリー先生が交渉して、1年分の利用カードを、私の帰国後に同僚の先生に引き継いで、利用してもいいってことになりました。同じ職場の人が5,6人も来ているので、特別なのだということで、まあムダにならないなら、750元でもいいかな、と1年分の前払いをしました。

 月~日の日替わりで午前中の部と夕方の部に瑜伽(ヨガ)や拉丁(ラテンダンス)肚皮舞(ベリーダンス)のコースがあります。同僚の中国人教職員たちは、ベリーダンスに参加しています。週に何度でも来てもいいし、午前と午後2回やってもいい。先週の水曜日の初心者ベリーダンス体験をしました。金曜日は健身球という大きなボールを使ったストレッチに参加してみました。

 来週はヨガ教室にも行ってみるつもりです。ヨガはいつもジャズダンスの練習のときに準備運動として体をうごかすときに、亀のポーズ、猫のポーズ、駱駝のポーズなどを先生に教えてもらってきたので、初心者ではないのですが、ベリーダンスはどんなもんだか、と、おそるおそるやってみました。まあ、動きについていけないことはない。ジャズダンス歴は30年、ダンスの基礎的な動きはどれも同じです。

 何よりも、私以上におなかぽっこりやら三段腹でも、みな堂々とへそをだし、プルプルと豊富なお肉をゆすって踊っていたので、私もおそれず、たっぷり脂肪をゆすることができました。へそだしはまあ、当分しないつもり。

 中国の物価から考えると運動クラブ会費750元(12000円)は贅沢なこと。私がこれまでに支払ったお金のうち、一番の「高額商品」です。
 高額なこと、これは運動のためにはよかったとも言えます。根が貧乏性なので、「こんなに払ったのだから、モト取って帰国しなきゃ」と思うから、運動回数が増える。同僚たちは週1回ペースのクラブ通いだというのですが、私は週3回は通うつもり。
 13日水曜日はチャンリー先生リジュン先生といっしょにベリーダンスの基礎クラスに参加しました。いい運動になりました。ベリーダンスの腰くねくね運動でおなかが引っ込むといいのですが。

 週末、金土日3日間、カフェ日記更新をお休みするかもしれません。休まないかもしれません。未定。

<つづく>
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2009年05月17日


ニーハオ春庭「世界遺産の旅・高句麗遺跡」
2009/05/17
ニーハオ春庭>九年母(くねんぼ)日記中国版(2)世界遺産の旅・高句麗遺跡

 ただいま。車中1泊2泊3日、金土日3日間の旅を楽しんできました。町で一番由緒正しきホテルだというところに泊まったのですが、由緒正しすぎたのか、ちょいと設備も昔風で、自分のパソコンとランケーブルを自分の持ち込みでつなげばインターネットはつかえるけれど、ホテルに備え付けの客が使えるパソコンはない、ということを事前に聞いていたので、まあ、ブログ更新のために自分でパソコン持っていくほどのことはないし、中国の町に増殖中のワンバー(网吧・網吧インターネットカフェ)がひとつくらいは有るかもしれないと思ったのですが、そのようなものは見あたらない小さな町でした。

 ということで、3日間の更新お休みのあいだ出かけていたところは、好太王石碑と高句麗古墳群。世界遺産のひとつを訪ねる個人旅行をしてきたのです。

 高句麗遺跡だから、北朝鮮にあるとばかり思いこんでいたのですが、鴨緑江の中国側にあることに気づき、古代史ファンとしては絶対に見ておきたいと思って出かけてきました。
 行きは夜行寝台で7時間+バス2時間半。帰りは高速バス5時間半の長距離移動でいささか疲れましたので、楽しかった旅の報告は、月末にお届けします。

<おわり>

23:38 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2009年05月18日


ニーハオ春庭「地名さまざま」
2009/05/18
ニーハオ春庭>中国地名由来 (1)地名さまざま

 中国の地名由来について質問をいただきました.
========
投稿者:a**** 2009-04-24 05:55
言葉が社会に定着するに、例えば「地名」
此れなどは、川に近いから「川辺」とか、家が五軒あるから「五軒家」とか、
直接的な表現、いい替えると「自然発生的」要因と、時の権力者などにより名付けられた名称だったりしますが、
中国でも同じでしょうか?
=========

 中国の学生に、日本人は中国のこんなことも知りたがっている、ということを知らせるために、学生への宿題として、「自分の町名の由来について調べて作文しなさい」という課題をだしました。それぞれ調べ、故郷のついて知っている情報や中国のインターネットサイトなどで得た知識を一生懸命日本語にして作文してきました。

 私としては、村の字(あざ)にあたるような、地方の小さな地域の地名の由来を知りたかったのですが、私が教えている大学院修士課程修了者たちのクラスには、農村の出身者が少ない。ほとんどは都会育ちです。

 (中国の戸籍法では、かっては、都市部の戸籍と農村戸籍は厳しく区別されていました。農村の出身者は、農村戸籍しか持てず、都会に出て就労するには、パスポートの「労働ビザ」にあたる就労許可証が必要で、原則農村から都会への居住地移動の自由はありませんでした。
 都会に出稼ぎに出ている農民のほとんどが就労許可証をもたない、いわば不法滞在の人々であり、住民票がないため彼らの子どもたちは学校にも行けない状態でした。現在は、北京市上海市のふたつの特別市のほかは、移住や就労に差別がなくなったということですが、特別市の住民への権利や福利と他の地域との間にはやはり格差があるようです。

 北京オリンピックのとき、オリンピック開会式会場に入れる人は「原則北京市民に限る」というお達しがあったとき、「国家の税金でオリンピックをするのに、北京市民だけ特別扱いするのは、国民平等に反する」という意見を言う論者もでてきました。
 「お上の言うことに従う」という昔の民に比べると、堂々と自分の意見を出せる場が増えてきたように思います。

 かって、都市戸籍を獲得するすなわち農村戸籍から都市戸籍への切り替えは、都市にある大学・高専に入学するケース以外には、稀でした。農村出身者が大学に入学するのは、数多くありません。農村から大学に入学するときは、村をあげて祝宴をあげるような、名誉のある大きなできごとでした。
 今回「私のふるさとは小さな村です」という学生も何人かいます。

 そのような中国の変化を感じながらの今回の赴任ですが、クラスの学生たちは、みな自分の生まれた土地や大学のある町に誇りをもち、「自分の生まれた土地の名前の由来」や省の名前の由来を調べてきました。
 誤用のある文もご愛敬としてそのまま紹介します。誤用はありますが、学習をはじめてから半年しか日本語を学んでいない学習者の文をしてはたいへん上手だと思います。

<つづく>
01:32 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2009年05月19日


ニーハオ春庭「川の顔色」
2009/05/19
ニーハオ春庭>中国地名由来 (2)川の顔色

 中国地名由来の作文紹介。
 中国全土から選抜されてきている学生達ですが、私のクラスにはなぜか山東省出身者が3名。レイトウさん、エンテイさん、「山東は、太行山という大きな山の東側に位置するから、山東というなまえを(が)つかわれています」と書いていました。
 ソケツさんは、「泰山は中国五大名山のひとつ」と書いていました。山東省の泰山は、中国五岳のなかで最も尊ばれる東岳にあたります。私は、2007年に泰山登山に挑戦したのですが、頂上まで行き着かなかったので、もう一度チャレンジしたいと願っています。今年は無理かな。

 同様に「江西省は、准河の西にあるので、江西省というなまえを(が)つかわれています」コウキさんの作文。
 「名前」を主語にした受け身文であるべきなのに、どうしても「なまえをつかわれます」になってしまいます。「私は名前を勝手に使われました」という受け身文なら「名前を使われる」でいいのですが、受身形の助詞をクラスで復習しないといけませんね。

 質問者が「時の権力者などにより名付けられた名称だったりします」と書いている例が中国でもあることを、天津市の出身者エイケイさんが書いてきました。
 「天津市というのは、中国で、皇帝に呼んばれました。(名付けられました)明朝の皇帝の朱糠が戦争したとき、河津という川を渡りました。皇帝は、役人にこの川の地方に名前をあげるといいました。役人は「皇帝は今の天子です」といいました。それで、天子は河津の川をわたし(り)ました。だから、名前は「天津」です。

 貴州省出身の学生シンランさんによる「赤水セキスイChìshui 」の紹介。
 私の町は「赤水」といいます。私の町の回りに大きい川があります。気候のために川の上游(上流)の地方に大雨がいつも降ります。だから、川の水の顔(表面)は、赤くなります。西南の地方には、土の顔色(表面の色)は赤いです。東北のと違います。

 学生が「顔色」と書いているのは、春庭コラムに4月上旬に連載した「中国と日本で同じ漢語でも意味のずれている語」の典型的な例としてあげた「顔色」の誤用例です。学生は、漢語なら日本語と同じ意味だろうと思ってつい使ってしまうのです。中国語の顔色は、「さまざまなものの色彩・様相」のことで、日本語の顔色は、「頭部の表面、目や鼻のある側の色」という意味です。

 赤水河という名は、夏になると泥で赤茶色に濁ることから付けられています。支流・風溪河の上流には十丈洞瀑布という幅の広い滝があるのをはじめ、多くの滝があり、沿岸は深い森や竹林、崖や急流が多く、美しい景観を求めて日本からもツアーが出ています。
 クラス・スピーチ発表で、シンランさんは「赤水地方の千の滝」を紹介していました。赤水の千滝は、、有名な観光地。滝マニアの私もぜひ行ってみたいと思っています。
 赤水河の流域の赤水市は、酒造りの郷として知られ、茅台酒などの名酒の産地だと、シンランさんは紹介していました。

<つづく>
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2009年05月20日


ニーハオ春庭「陰陽五行による名付け」
2009/05/20
ニーハオ春庭>中国地名由来 (3)陰陽五行による名付け

 私が2007年に訪れることができた曲阜(孔子の故郷)のある済寧市の地名紹介。リューカさんの作文です。
 「昔、済水という川がありました。この川の水源は済源と呼びます。済源市は、河南省にあります。済水は河南省から山東省まで流れました。そして、この川の南の市と(を)済南と呼びます。私のふるさとは済宁(済寧)市です。山東省の町です。済水は昔、時々洪水がありました。洪水を止めるために、私のふるさとは済寧市と呼びます。」

 ショウケンさんは、故郷の遼陽市の地名由来を書き、陰陽五行思想による地名の付け方を説明してくれました。
 「私の故郷は遼寧省の遼陽市です。遼寧という名前の遼というのは、広いの意味ですが、寧の意味は平和です。そして遼寧は、戦争に受けられない(戦火を受けない)ように祈ります。平和に発展することです。遼陽という町の名前は遼河の北にあることです。古代漢語によると、山の南と川の北は「陽」です。山の北と川の南は「陰」です。例えば「准陽」は、准河の北にありますが、江陰は長江の南にあります。」

 陽や陰がつく地名は、この陰陽五行によって名付けられています。
 レイショウさんの故郷「瀋陽市」
 「私の故郷に河があります。古い時(時代)この河は瀋水と言いました。今は渾河といいます。古い中国の時、河の北の所は「陽」と言いました。川の南のところは「陰」と言いました。私の故郷は瀋水の北にあります。それで、名前は瀋陽です。」

 ゴタンさんも同様の作文。
 「すっと前から遼河という大きい川は遼寧省の地方を流れています。この川の辺に住んでいた人々は生活がずっと平和になるように願っていたので、遼河の遼と平和の意味の寧でこの省の名前を(が)作られました。だから遼寧省といいます。」

 チョウケツさんの岳陽市も同様の陰陽思想です。
 「中国では、高くて大きい山は岳といいます。山の南の地方は「陽」と言います。岳陽市は、天岳山の南にあります。だから岳陽と言います。そのほかに岳陽市が洞庭湖の隣にあって、交通は、とても便利です。2000年前に岳陽市が大きい町になりました。」

 同じ遼寧省でも、大連の地名はロシア語から名付けられました。クラスの学習係カショさんの大連紹介。いつも完璧な文法修得を誇るカショさんです。
 「私の町は大連市です。大連は清朝から関東州(大連・旅順など)を租借したロシアが東清鉄道の終着駅を設け、ダーリニーと名付けたので、中国語でDalianになりました。」

 カショさん、「租借した」「設ける」なんていう初級では絶対に習わない語彙も使いこなしています。漢字に強い中国語話者ならでは。
 大連は、中国の歴史の中では比較的新しい町です。一方、1000年2000年という長い歴史を持つ町も多い。

<つづく>
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2009年05月21日


ニーハオ春庭「黒しいふるさと」
2009/05/21
ニーハオ春庭>中国地名由来(4)黒しいふるさと

 建築史が専門の女性、レイリさんの故郷地名紹介。
 「私の故郷は荊州ともうします。州というのは、昔の省のことです。それに、荊山の北側だ(な)ので荊州になりました。」

 レイリさんの故郷、荊州とは、現在の湖北省の一帯を指す地名。古代中国史ではおなじみの、「楚」の古名です。映画『レッドクリフ』にも描かれた「赤壁の戦い」の赤壁は、荊州市の東部、烏林にあります。
 
 子供の時、常徳市の模型自動車制作競技会のチャンピオンになったことがあるというシンショウさんはフェラーリ(菲拉力)大好き。そしてもちろん、故郷も大好きです。洞庭湖の西側に位置する常徳市。シンショウさんの紹介は漢詩から始まりました。
 「長沙沙水水砂、常徳山山有徳、というのは、長沙の白砂井水中で、砂がありません。常徳の徳山で人徳があります。徳山は、崇高な人格を持っている善巻先生の(を)記念するために、名前を得ます。それで、徳山の周りの町は、だんだん常徳市になりました。」

 偉大な漢詩人を排出してきた常徳市も、春秋時代からの歴史を誇る古い都市です。
 シンショウさんのスピーチによると、常徳市郊外には桃源郷のモデルになったという桃花源(桃源県)があり、常徳市の人々は春になると、桃の花見にでかけるそうです。

 日本語の文法はめちゃくちゃだけど、いつも書きたいことを思いっきり書くロクさんの作文。まあ、ロクさんの言いたいことは伝わってきます。
 「河南he nan省と河北hei bei省。黄河のきたの辺から、河北省というです。これ、河というのは、日本語で川の意味です。ただし黄河のみなみの辺から、河南省というです。」

 ヨウショウさんの紹介。説明だけあって町の名前が書いてないのは、ヨウショウさんらしい。たぶん、黒竜江省の漠河 (Mòhéモーホー)市のことでしょう。
 「漠河には、漠川があります。その川の水は、黒鉛のように黒しいです。その川の水も石のように周りが流します。墨と磨は、漠河の漠が同じ発音ですから、その名前を貰いました。」
 ヨウショウさん、「黒しいです」という誤用がなんだか愛らしいですが、柔道選手のような体つきの男性、クラスの体育委員です。

 クラスでのスピーチ発表で、故郷紹介をした学生達、みな故郷を誇りに思っています。故郷から大学のある町へ移住した人は「故郷の町も、大学のある町も両方好きです」と言っていました。広い中国全土から縁あってひとつの学舎に集まったクラスの仲間たち。スピーチを発表しあうと、それぞれの趣味や故郷のことがよくわかるようになり、よりいっそう仲良くなれるように思います。

<おわり>
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