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ニーハオ春庭中国日記「出発&中国的経済生活」

2011-05-02 21:58:00 | 日記
2009/03/14 
ぽかぽか春庭九年母日記>いってきま~す
 
 春庭、本年も中国へ赴任いたします。2007年に2度目の中国赴任をしたとき、「中国での教師生活、これが最後になるだろう」と思っていたのですが、思いがけず、3度目の中国生活をすることになりました。15日、中国東北の赴任地に出発します。
 不景気の昨今、文科省も予算削減をしており、講師派遣費を削っているため、前回に比べ派遣期間が短縮されたので、行ったとおもったらすぐに帰国。7月末には帰国します。

 日本国文科省国費留学生として選ばれた中国の若手研究者たち、日本の大学院で博士号をとろうとしている人たちへの日本語教育を担当する仕事です。
 中国の大学院で修士号を取得したたちの中から選抜され、日本の最先端の医学や工学などを学びたいと希望に燃えている若者達。昨年の10月に日本語学習をスタートしています。2月は春節休みなので、実質4ヶ月の学習をしてきた学生です。たった4ヶ月の日本語学習ですが、日本語能力検定4級レベルに達しており、残り4ヶ月で2級レベルをめざします。この日本語教育プログラムは、約10ヶ月の日本語教育だけで、日本の中学校高校6年間で教える英語の分量(英検2級レベル)と同等の日本語を習得するという集中コースです。

 非常に優秀な若者たちへの教育なので、過酷な詰め込み教育が可能です。ほとんどの理工系の学生は英語で博士論文を書くので、日本語学習は日常会話ができる程度でいいのですが、文系の学生、日本語で博士論文を書かなければならない学生には、日本の大学院で研究生活を続けるに足る日本語を文字通りたたき込まなければなりません。

 このプロジェクトに非常勤講師として3度も採用されたのは私ひとりだそうです。事務方の人にも「公用旅券なんか一生に一度も使わない人も多いのに、外務省関係者でもないのに3度も公用旅券を使う人は、記録ですね」と言われました。これって、私に人気があって中国へ行けるみたいでしょ。実をいうと、だれも行きたがらないから、ほいほいと行きたがる私が採用されたのです。

 今回文科省からプロジェクトに参加した講師に振り込まれるお金、文科省の予算が縮小し、かなり目減りしました。私の場合、前期の国立大学授業はお休みしなければなりません。非常勤講師というのは、授業を行ってナンボのパートタイマーですから、減収となります。他の非常勤講師たち、減収を覚悟してまで海外で教えたくないので、私に3度目の赴任の声がかかったのです。ま、私自身が行きたいから行くのであるけれど、、、。

 「単身赴任するかしないか」を、私自身の意志のみで決定できるのも、家族にまったく関与しない夫をもったおかげなのかも。普通の家庭だと、妻の単身赴任を認めてあげるご主人はそう多くないかもしれない、、、、にしても、まったく関心を持たれていない妻ってのもいいんだか悪いんだか。

 通信事情安定するまでお休みします。といっても、中国の通信事情も格段によくなっているので、たぶん、そう間をあけずに「ニーハオ春庭中国通信」を再開できると思います。なにより毎日コラム更新しないと元気がなくなる春庭なので、数日も休むと萎れてくるかも。皆様に読んでいただくことが春庭の元気のモトですから。
では、中国だより「ニーハオ春庭通信」をお楽しみに。2,3日ほどお休みします。

<おわり>
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2009年03月17日


ニーハオ春庭「我買東西ウォーマイドンシー」
2009/03/17 
ニーハオ春庭中国通信>中国的経済生活(1)我買東西マイドンシー生活必需品の買い物

 中国からニーハオ!これから中国に4ヶ月半滞在します。前回2007年にすごした中国とはどんな点が違うかなど、いろいろ感じたいと思っています。町のようす、中国での仕事に関わる話、話題のニュースや中国の文字である漢字についてなど、お伝えしたいと思います。日本と中国の時差は1時間。日本の午前6時は中国では午前5時になります。

 中国生活のスタートは、近所のスーパーでの買い物。1994年にこの地に来たときは、「中国製のトイレットペーパーはごわごわしているし、歯ブラシは毛先がすぐにだめになるから、日本から持っていったほうがよい」などのアドバイスがあり、歯ブラシトイレットペーパーから衣料品まで山ほどの荷物を担いで中国入りしました。

 前回2007年の赴任で、ほとんどの日用品はスーパーで売っている中国製で間に合うことがわかりました。今回は極力荷物を減らし、現地購入できるものは日本から持っていかないことにしました。だいたい、私が日本で使っている衣料品雑貨品食料品の多くが中国製です。

 中国元、16日の中国銀行レートで1元=13.9円。計算しやすくするために1元15円で換算します。まずは、日常生活に必要なものを買いました。2007年に比べると全体的に1割~2割くらいものが高くなっているのは仕方ないのでしょう。
 こちらでも品質のよいものを買おうと思うといくらでも高いものがあるのですが、私は中国でも手ごろな値段なものを買います。16日の家計簿を、忘れないようにメモしておきます。物価の比較になると思います。

3月16日
<食費>
朝食(招待所食堂 パン ゆで卵 トマトと卵の炒め物 ソーセージ 卵とキュウリのスープ コーヒー) 10元≒150円
昼食(近所の米線屋ミンシン米粉のうどんとビール)若い同僚におごったので二人分30元。米線は、ビーフン鍋焼きうどんと思ってください。緬に茸、肉、青菜などが熱々の鉄鍋に入っています。
夕食(北朝鮮経営のレストラン「平壌館」でボスのおごり)ボスが払った総額6人分360元≒5000円。平壌館については後ほどレポートします。
17日の朝ご飯2人前おかず(3種類)とご飯、12元

<スーパーで食品購入>
ネスカフェインスタントコーヒー(雀巣珈琲)200g 66,8
ジャスミンティ(茉莉花茶)100g  7,50   
パン(主食面包)2,70
トマト(西紅柿)大3個 5,46
ジャガイモ(土豆)t中6個 4,46
バナナ(芭蕉果) 4.48
牛乳(牛奶)200ml×3個 5,40
バター(奶油)125g  10,80
ドリンクヨーグルト(生菌酸牛奶)1000ml  8,90
ジュースペットボトル350ml 1,90
缶ビール([口卑]酒)350ml×4  10,40
煎餅(旺旺仙貝)2袋  8.50
白糖400g 2,80
塩350g 1,00
<日用品>
ハンガー(プラスチック10本)7,80
丸形洗濯ばさみ物干し 9,90
ハンドタオル2枚(ぞうきん用) 3,80
サランラップ(保鮮膜)2,00
浴用アカスリ 1,90
トイレットペーパー(手紙)10ロール 19,90
テッシュペーパー 5,90
<化粧品屋で>
Avon(雅芳)クリーム   16,00
16日の合計 約320元≒約4800円

 16日はいろいろ足りない生活用品を買いそろえたので、けっこうお金をつかいました。
 17日以後は、食品以外にはあまり買わない生活をしなければなりません。なぜなら、今回私は現金をほんのわずかしか持ちこまず、両替したら135元にしかなりませんでした。前回日本の銀行カードでお金がおろせることがわかっていたので、カードだけ持ってきたのです。でも、中国の暗証番号は6桁なのを忘れて4桁の番号を打ち込み、お金が出ないのでまちがえたと思ってもう一度押したのにダメ、「4桁の前に00をつけて」というアドバイスを受けて、数字押したら押し間違えて、3度まちがえたので、エラーになってお金をおろせませんでした。

 3月の半月分の給与はもうもらったのですが、最初は何かと買い物も多いので、お給料だけでは足りません。ピンチです。節約生活しなければ。

<つづく>
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2009年03月18日


ニーハオ春庭「西紅柿vs雀巣珈琲」
2009/03/18 
ニーハオ春庭中国通信>中国的経済生活(2)西紅柿vs雀巣珈琲

 1回目の中国行きのときは、9歳の娘と5歳の息子を妹夫婦に預けて、親子泣き別れの単身赴任でした。夫が自営する会社は倒産寸前、私が働かなければ一家で飢えるという、背水の陣の仕事で「単身」という条件を飲まざるを得ませんでした。
 1994年、まだ中国は経済発展をはじめたばかりのころで、町に建設ラッシュが始まっていましたが、まだマクドナルドもウォルマートもなかったし、町から一歩外にでると農村は貧しかったです。農村でテレビを備えている家は、珍しかった。

 二度目の中国赴任。2007年の中国は大きく様変わりしていました。私の赴任地の町、大きなデパートがいくつもできており、新しい交通システムが町を貫いて電車が高架を走っていました。ペキンオリンピックを前にして、国中が建設ラッシュに沸き立っていました。農村も出稼ぎ効果で豊かになっている地域が増えました。私の赴任地も2007年アジア競技会冬季大会の会場として、建設ブームがわき上がった直後でした。

 2009年、オリンピック景気が終わってさらに世界同時不況となって、今はまた中国農民の出稼ぎが厳しい状況になっています。で、現在の中国をしっかり見てこようと思います。驚異的な経済成長率を誇っていた中国の伸び率にかげりが見えて、経済問題は人々に大きな影響を与えています。

 まずは、お金の話から。
 16日に買ったものの値段を見て気づくように、野菜は日本に比べて半値から十分の一以下の安さで大助かりです。農産物を加工せずに売っている場合、日本よりずっと安い。トマト(西紅柿)は大きなものが1個30円くらい、ジャガイモ(土豆)1個15円くらい。これはスーパーの中の野菜コーナーで買ったので割高で、野菜市場まで行って買えばこの半値。
 しかし、バター(奶油)125gで約150円、ドリンクヨーグルト(生菌酸牛奶)1000ml約130円など、加工食品になると生鮮食品に比べてぐっと割高。

 日用品も日本の百円ショップのほうが安いイメージがあります。17日に買った浴用タオル、生地のしっかりしたものは20~30元します。約300~450円。日本の百円ショップの品のほうが安い。私が買った特価品7元というのは、ペナペナの生地です。

 カップラーメンもありますが、1つ6元(90円)もするので、割高な食べ物です。6元あれば、一食分食べられる食堂もありますから。私の宿舎のランチはおかずが3品とご飯で6元です。私はこれを2人前注文して打包(ダーパオ=テイクアウト)して部屋に届けて貰い、翌日の朝ご飯に電子レンジで温めて食べます。余った分は冷凍して後日食べます。私が2人前頼んでいると知り、これはまた一段と太って帰るだろうと心配してくださった方もいるのですが、ご心配なく、2人前を3回くらいに分けて食べていますから。

 さらに、外国資本製品となると、ネスカフェのインスタントコーヒー(雀巣珈琲)が200gで、66元約1000円。日本の買値より高い。私は200g入りの大瓶を490円で買っていました。でも、他のコーヒーは、中国製も韓国製も砂糖と植物性クリームの混じった甘いものしかないので、割高だけれどしかたなく買いました。

 中国人はお茶を愛飲するので、コーヒーはまだまだ普及していません。中国の大きな町なら、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンのフランチャイズが進出していますが、スターバックス(星巴克)は北京上海のほかの町にはまだ少ないです。青島にできたと思ったら、勝手に名乗っていた店だったので、米国本社から訴えられました。

 16日17日にいろいろ買い物して、ふところがさみしくなってきました。文科省からの振り込みは日本の通帳に入るので、当地では赴任先の大学が支払う現地給与で生活します。現地給与は中国の一般教員給与と同程度の額で、現地採用の外国人専門家も同じ額。私の赴任校には現地採用の日本人準教授もいます。
 一般的な教員の平均月給額は3000~4000元(4万5千~6万円)で、レートでは日本の十分の一に見えますが、物価から見た生活水準レベルでは、日本の教員より生活に余裕があります。

<つづく>
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2009年03月19日


ニーハオ春庭「中国的給与」
2009/03/19 
ニーハオ春庭中国通信>中国的経済生活(3)中国的給与

 共働きをしている私の同僚は、30代後半の妻=大学専任講師と40代前半の夫=高校副校長、中学生の息子の3人家族。夫婦合わせると1万元(約15万円)前後の給与が得られます。さらに、夫の高校,妻の大学からは、それぞれに教員住宅を貸与されているので、そちらは(非公式に)貸家にして家賃収入を得ることもできるので、生活レベルとしては日本の教員共働きより余裕がある暮らしに見えます。

 日本の生活水準に換算すれば、日本の教員夫婦がふたり合わせて100万円くらいの月給を得て生活しているレベルに相当しているように見えます。市内の高級マンション200 m² の住まいを購入し、家電製品をそろえ、夫婦それぞれの車を持っています。一人っ子の息子は、市内の大学付属中学校に通っています。

 教員といっても、この同僚夫妻は恵まれているほうで、地域によっては、月給千元という町や村もあります。教師達が「もっと給料よこせデモ」をした地域もあります。
 宿舎の入り口には「服務員募集、一ヶ月1000元(15000円)」と、張り紙があります。町の食堂のウエイトレスが600~800元くらいのお給料ですから、大学服務員はずっと割がいい。

 町の食堂のウエイトレスは、農村から働きに来ている女性も多い。ベッドひとつの範囲だけとはいえ自分のスペースがあり、食事がまかないでついて800元(約12000円)の月給は、彼女らにとってはまたとない現金収入です。
 大学卒業した人の初任給は千元~2000元くらいです。最近の不況で、中国でも大卒者の就職は厳しく、よりよい働き口を求める若者たち、就活がたいへんです。これは日本も中国も同じです。

 私の生活。住まいと光熱費は大学からの提供によって無料。80m²ほどの2DKの宿舎にハウスメイド(清掃服務員)つき。家具は12畳大の寝室にダブルベッドとサイドテーブル。クローゼット。15畳大の書斎に執務机と椅子。テーブルとソファ。書棚。シングルベッド。テレビ。6畳大の台所に冷蔵庫など台所用品一式。バスルームも6畳大でバスタブ、シャワー、洗面台、洗濯機。そのほか、勤務校備品貸与として、電子レンジ、オーブントースター、炊飯器、アイロン、ドライヤーなど。

 食事は昼食は教職員食堂でバイキング形式のランチが無料。朝食と夕食にお金を使うほかに何も買わず節約すれば、一ヶ月千元もあれば十分に暮らしていけます。というか、一般的な中国人は千元以内の月収でやりくりしています。もちろんお金持ちもたくさんいますし、貧富の差が激しいので一概には言えませんが。
 私はごく普通の中国的生活をしていくつもりです。たまにはちょっと贅沢な中華料理を食べることもあるでしょうが、普段は節約生活を心がけましょう。

 しかし、旅行、スポーツなど趣味の領域にお金を使おうとすれば、3000元の給与では足りなくなります。前回2007年のときは、給与は使い切り、ほかに旅行費用として日本から持ち込んだ円を元に両替して、泰山、大連、延辺、西安、北京などの旅行をしました。あちこち旅行した分が20万円くらいでした。カフェ日記の中に「上海2泊3日19500円ツアー」なんていう旅行を楽しんだと書いてあると、うわあ、日本からのツアーで旅行したほうが、中国国内旅行として旅するより割安!と思います。

<つづく>
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2009年03月20日


ニーハオ春庭「日本式乾杯」
2009/03/20 
ニーハオ春庭中国通信>中国的経済生活(4)日本式乾杯

 数字がからむと頭が混乱することと、忘れ物落とし物と方向音痴は、子供の頃からきってもきれない私の三大弱点ですが、中国でもむろんこの困り癖は発揮されています。
 18日は、大学講師室の机の引き出しにサイフとケータイとカメラとパスポートを入れたまま、帰宅しました。夕食を外に食べに出ようかと思ったのですが、サイフをポケットにいれようとしてお金がないことに気づき、残り物ですませました。

 豚肉とキクラゲの炒め物と白菜と春雨の煮物は打包(テイクアウト)して冷凍しておいたおかず。冷蔵庫買い置きのジャガイモをチンしてマッシュ。トマト。ご飯は雑炊にしました。ま、今夜はこれでよかった、けっこうおいしかったし。と思ったら、サイフに全部のお金を入れておいた訳じゃなくて、家に給料の半分を入れて置いたのだから、お金が全然無いってわけじゃないと思い出しました。もう、食べちゃったから、いまさら外に出る気にもならず。

 何でも忘れる春庭です。今はまだ忘れたことを自覚することもできますが、そのうち忘れたことも忘れてしまって、完全に「忘却とは忘れ去ることなり」となるのでしょう。老人力がますますついてきた春庭、缶ビールでひとりカンパ~イ!

 生活用品で不足しているものの買い物、だいたい買いそろえることができましたが、あと、靴べらと爪切りを買いたいです。
 中国製品のなかで、質がよいと思うものも何種類かあります。たとえば中国製魔法瓶は昔からそうですが、お湯が翌日になってもさめずにしっかりと保温がされています。湯温がほとんど下がらないので、子供の頃うちで使っていた魔法瓶より優秀です。

 中国製品のなかで困るのは、中国製トイレットペーパーは水に流れるように作られていないこと。中国では水洗でない時代から、落とし紙は中に落とさず、わきのゴミ入れに棄てることになっていました。水洗式のトイレになっても、ペーパーを中に棄てることはないのです。
 水の中に流すより、ゴミ箱の中に棄てて燃やしたほうがエコなのかもしれませんけれど、どうもこの習慣には慣れることができません。トイレの脇にあるゴミ箱に使用後のペーパーを棄てるように言い渡されているのですが、つい落としてしまいます。今のところかろうじて流れてはいるのですが、2007年のときダンチョー先生は紙をトイレに詰まらせてしまい大弱りでしたから、今回私も気をつけなければ。

 トイレットペーパーは、中国語で「手紙」といいます。好きになった人に「手紙くださいね」と書くと、水に流れないトイレットペーパーを送ってもらえるかも。二人の出会いを水に流さないよう、気をつけましょう。

 水について。
 宿舎の各室や教室には、18,9リットル入りの水のボトルが常備されています。ボトルひとつが10元(150円)。飲み水はこのボトルをつかっています。2007年のダンチョー先生は「水が心配」と言って歯磨きで口をすすぐにもこのボトルの水を使用していました。私は直接飲むときはボトルの水を飲みますが、お皿を洗うには水道水で十分と考えるし、あまり神経質にならないようにしています。

 外に出たとき、水350ml入りペットボトルは1~2元(15~30円)。お茶は2~3元。他の飲み物もだいたい同じくらい。

 外食は圧倒的に日本より安い。6人で1テーブルを囲み、10皿ほどの大皿料理とビールを注文でひとり100~200元(1500~3000円)くらい。日本で同じような料理を中華街などで注文したら、コースひとり分が5000~10000円くらいかかってしまうでしょう。(2月に横浜の開港記念館を見にいった帰りに中華街へ行って見た値段では、だいたいこのくらいでした)

 宿舎のキッチンには料理道具がそろっているのですが、よほど和食が食べたくなったら近所の日本食品輸入店へ行って食材をそろえて和食を作るかもしれませんが、私は中華料理が大好きなので、当分外食します。
 しばらくは行かないでしょうが、「日本式ラーメン」の店や「日本式牛丼」の店も近所にあります。牛丼は20元(300円)、ラーメンも同じくらいします。割高な外食です。

 中国初日15日の夕食は赴任大学の副学長を接待主とする歓迎宴。中華料理とビールで乾杯。中国式乾杯は文字通り「杯を乾す」という意味で、紹興酒でもビールでも一気飲みでコップを空けなければなりません。でも、日本人教師団を招いての宴会で、日本式の宴会のやり方も十分に知っている人たちですし、なによりも私たちが仕事をする学院の李校長は、中国人男性には珍しい完全下戸なので、乾杯も日本式に一口グラスに口をつければいいというやり方でした。

<つづく>
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2009年03月21日


ぽかぽか春庭「ピョンヤンカンのおねえさん」
2009/03/21 
ニーハオ春庭中国通信>経済生活(5)平壌館のおねえさん

 中国生活3日目の18日水曜日の夜は、予報通り雪がふりました。2007年2008年の冬と比べると暖冬だと聞いていたのですが、厳冬期には零下20度になる土地ですから、3月下旬、年によっては4月に雪が降ることもあります。
 3月に雪が降ってもそのあと雨に変わることがないので、つもった雪が溶けずに残り、溶けたとしても水たまりが夜にまた凍るので、道路を歩くにも気をつけないとすべってころびます。

 中国2日目、16日の夕食は日本人教師団の団長ヒミツノ先生のおごりで「これから5ヶ月、よろしくね」という結団式みたいな夕食会。会場は北朝鮮国家直営のレストラン。「平壌館」と赤いネオンが煌々と輝くレストラン。入り口の警備員に「アンニョン」と挨拶して入ります。

 6時半から食事をはじめて焼き肉やキムチを食べていると、7時からお目当てのショウがはじまりました。チマチョゴリ姿のウエイトレス(接待員)は、給仕の順番をかわるがわる交替して、舞台にあがり、歌をうたいます。みな美人で歌がじょうずなので、「喜び組」の候補生か、なんて冗談を言いながら聞いていました。

 ドラムとキーボードの伴奏で、アリラン、トラジなどのなじみの朝鮮民謡。私にはなつかしいフォーククルセダーズの歌「臨津江(イムジンガン)」(若い世代には映画『パッチギ』の中で歌われリバイバルした歌というと思い出してもらえるかも)や、韓国ドラマ「チャングム」の主題歌まで、30分間歌が続きました。スピーカーの音が大きすぎたのはちょっと閉口でしたが、なかなかの歌唱力でした。
 
 キレーなお姉さんに好意をもった男性が「休みの日に何しているの?今度いっしょに遊びに行ってみないか、ドライブはどう?」なんてことを言ってみても、「北朝鮮で私を待っている恋人がいます。彼は○○川のほとりで私を毎日待っているのです」というのが、マニュアルに決められているオネーサンの答え方なのだそうです。
 ほんとうかどうか確かめてみようと、若い独身の同僚バンブー先生に「遊びにいこうって言ってみて」と、皆でけしかけました。しかし、ロシア語と英語が堪能な彼はシャイで、中国語と朝鮮語は話せないからと、お姉さんには話しかけてみませんでした。

 今回の教師団6名。ボスのヒミツノ先生は、私の出身校の後輩であり、ゼミ仲間でした。九州出身の若い女性イェンチュワン先生は中国語が上手、博士論文執筆中で、授業実践や中国人へのアンケート調査なども行っています。大阪から来た同じく若い女性のダオベン先生は中国語と韓国語両方が話せる。日本語しかできない私は気がひけるので、スワヒリ語なら日常会話ができるということにしておこうと思います。当地でスワヒリ語は何の役にもたたないですが。

 イェンチュワン先生とダオベン先生は中国語と朝鮮語でかわるがわる接待員のおねえさんに話しかけます。私たちのテーブルの係りになった接待員は黄色のチマチョゴリを着こなした美人です。
 歌でだいぶウエイトレスたちの表情もなごんできたので、イェンチュワン先生やダオベン先生はさかんに朝鮮語と中国語で質問を始めました。「肌がとてもきれいですね、どんな化粧品を使っているのですか」という質問には、化粧品に関するマニュアルがなかったのか最初は答えてもらえなかったのですが、何度も「綺麗ですね」と褒めるうち、「朝鮮は空気と水がきれいなので、肌もきれいになるのかもしれません」というお答えが帰ってきました。

 確かに農村地帯の空気はきれいだろうと思います。テレビのCMに人工衛星が映し出す夜の地球が出ていますが、南側のあかるさ日本列島の明るすぎるのと比べると、朝鮮半島の北側はまっ暗でした。工場の排煙も少なそうだし、空気は澄んでいるだろうと思われます。

 中国の農村。私の赴任地の周囲の農村のように都市近郊の農村は、都市部に農産物を売りに行くことができ、現金収入が得られるので、生活水準は格段に上昇しています。テレビも各家庭標準装備になり、都市部では小学生もケータイを持っています。日本で高度成長期に「三種の神器」ともてはやされて家電製品が普及しました。現在の中国で三種の神器をいえば、車、パソコン、次世代DVDでしょうか。学生三種の神器はパソコン、ケータイ、MP3プレイヤーだと、ビジネス日本語専攻の学生(日本語講師室アシスタント)が言っていました。
 北朝鮮の三種の神器は何でしょうか。将軍様お手製の映画、将軍様の人工衛星とテポ○ンかな?

<つづく>
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2009年03月22日


ニーハオ春庭「石焼きビビンバ脱北味」
2009/03/22 
ニーハオ春庭中国通信>経済生活(6)石焼きビビンバ脱北味

 接待員お姉さんに聞いてみたいことはいろいろあったのですが、、、イェンチュワン先生が「ここの接待員さんは、音楽学校などで歌唱の教育を受けた女性ですか」という質問したおねえさんのお答えは「特別な音楽教育は受けていません。選ばれてここに来てから歌を覚えました」というものでした。やはり、歌がうまいかどうかより、家庭の出自や容姿が選抜の重要ポイントなのでしょう。

 一番聞きたいことは「休みの日には何をしていますか」「いっしょに町を歩いてみませんか」ですけれど、とうとう聞けませんでした。ずばり「他の国へ行ってみたいと思いますか」なんてのも聞きたいけれど、もちろんマニュアルは「わが祖国は、世界一すばらしい将軍様のいらっしゃる国ですから、よその国へ行ってみたいとは思いません」でしょうね。
 韓国のことは韓国と言ってはならず、「南朝鮮」と表現しなければならない、など、制約はありましたが、ダオベン先生の韓国語はとても達者で、朝鮮語の会話で接待員ウエイトレスさんの口もだんだんほぐれてきました。

 友好国である中国にはこれまで各地に北朝鮮直営レストランがあったのですが、最近次々に閉鎖されています。さまざまな憶測が流れていますが、一番大きな理由は、「国家公務員である服務員(レストラン従業員)が、つぎつぎに脱北をはかり、逃亡が相次いだから」というところらしいです。

 2000年には、北朝鮮と中国の国境に近い町、延吉市にある「平壌食堂」が女性接待員の脱出により営業中止、現在まで営業が再開されていないといいますし、2006年12月には青島にあった北朝鮮直営「平壌牡丹館」から女性接待員が逃亡し、とうとう逮捕を免れ脱北成功。北朝鮮政府は見せしめのため同店の職員らを全て本国に帰国させ、食堂閉鎖。
 瀋陽市にあった「直営レストラン」が最近になって閉鎖されたのも、たぶん同じような理由なのでしょう。

 当地の「平壌館」もいつ閉鎖になるやもしれず、閉鎖されないうちに、また食べに来ましょう、ということになりました。入り口の警備員(若くてハンサム)は、お客の警備とともに服務員の出入りをチェックしているのでしょう。

 チマチョゴリ姿の綺麗で若いオネーサンたち。有力国家幹部の娘達であるとも言われていますが、仕事の場でも日常生活でも厳しく管理されており、宿泊所からいっしょにバスでレストランへ来て、勤務が終わればいっせいにバスに乗って戻る。この中で逃亡するには相当な覚悟が必要です。確実な手引きをしてくれる人がいるなら成功する場合もあるけれど、もし逮捕されて北朝鮮に連れ戻されれば、一生強制労働所暮らし、家族にも類が及びます。

 石焼きビビンバも冷麺も、私が中国で食べた朝鮮族料理のどこよりもおいしかったので、また食べにきたいと思いました。「ウエイトレス逃亡により閉鎖」とならないうちに。

 今のところ特に和食が恋しいということもないのですが、19日夜はじゃがいもと葱のみそ汁を作りました。(味噌は日本から持ってきました)
 20日夜は日本式ラーメンの店「888ラーメン」で「昔風ラーメン」というのを食べました。どこをとって昔風というのかわかりませんでしたが、ごく薄味のラーメン。日本だったら、3ヶ月で店がつぶれると思う味でしたが、私が2007年に当地にいて帰る頃に開店した店がまだ営業しているということは、それなりに儲かっているのでしょう。
 もう一度食べにいくなら、だんぜん北朝鮮冷麺のほうです。

<おわり>

2009/04/06
ニーハオ春庭中国通信>日本語でどづぞ(1)清明節休暇三連休

 中国に赴任してから3週間がたちました。赴任して最初の週は「気候と中国生活に慣れる」ための準備期間。2週目から授業が始まり、授業準備に追われました。パワーポイントを授業教材の表示に使うため、パソコンスライド作成に追われました。
 3週目は、さらに臨時の仕事として「開発中の日本語教科書」のために読解教材のCD音源を作りました。

 若い頃、俳優をやったことがあるとか、朗読の訓練を受けて視覚障害者のための朗読ボランティアをしたなどの経歴を、2007年にペアを組んだリー先生に話したことがあるので、協力を要請されたのです。上巻の朗読吹き込みは日本のプロが行っています。下巻もいずれはプロが本格的な朗読CDを作るのでしょうが、開発中の現在は試用版として、CDも試用版が必要で、私は「プロが吹き込むまでの臨時音声教材」のために録音したのです。

 ラジオ局のスタジオのような立派な録音室で、へたくそな朗読ながら吹き込みをしました。私はテイク1,テイク2、うまくいかなかったらさらにテイク3と吹き込むつもりだったのですが、テイク2までで、「あとは、間違えた部分抜けた部分だけ取り直せばいい」と、OKになりました。まあ、試用版だから、それほど厳密な朗読でなくても大丈夫だったのでしょう。私は鼻濁音ができず、「が」の音の鼻濁音にすべき所をところどころ濁音で発音したので、気になったのですが、担当のチャンリー先生は、「いいです。問題ないと思います」とおっしゃるので、訂正しませんでした。

 ボランティアのつもりだったのだけれど、謝金をもらえました。半月分の給料がすでに終わりそうだったので、給料日までの生活費にできます。校長先生や副校長先生が「いやあ、先生の朗読はプロ並みですね」なんて褒めてくれたのは、日本式おせじの使い方をよく知っている日本通のことばであったとしても、臨時収入はありがたい。

 祝日が日本のように多くない中国では、なかなか3連休はとれませんが、4月4日から土日月は、うれしい4月の3連休です。季節の「清明」を祝う清明節。5月は五一節(メーデー)が、4/30,4/31,5/1,5/2と四連休になります。
 この2週間ハードな勤務でしたから、ちょっとのんびりできる三連休がうれしいです。

 遠出はできないまでも、町の中心地へでかけて映画でも見ようかと思った清明節ですが、結局宿舎で昼寝とテレビ、読書ですごしています。読書、『自動詞文と他動詞文の意味論』を読んでいます。執筆予定論文の参考文献のひとつとして持ってきたのに、中国赴任以来まった読む時間などとれなかった。

 せっかくの休みなので旅行したくもありましたが、この2週間、旅行の計画を立てる余裕はなく、直前になって大学内にある電車の切符を買うオフィスに行ってみたところ、学生たちが長い列を作っており、行きたかった町への切符はとっくに売り切れでした。まだ寒いこともあるし、遠出は五月の連休までおあずけです。

<つづく>
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2009年04月07日


ニーハオ春庭「掃墓節」
2009/04/07
ニーハオ春庭中国通信>日本語でどづぞ(2)掃墓節

 連休中に行きたいと思っていた所は集安市。バスに8時間乗り続けて行かねばなりませんが、古代史ファンにはおなじみの古代高句麗の王、好太王の石碑があり、世界遺産となっています。朝鮮族が多く住む地域の、北朝鮮との国境付近にあり、世界遺産登録時には、石碑の所有をめぐって北朝鮮とひと悶着あったみたいです。歴史的には古代朝鮮、高句麗の王だった好太王ですが、現在は鴨緑川を国境とするので、石碑は中国領土内に存在しています。

 当地の中国人に聞いても「好太王?広開土王?知らないなあ」というのです。この世界遺産を訪問するのは、古代史好きの日本人ツアーか、韓国人ツアーの一行がほとんで、中国人はあまり訪れないようです。
 暖かくなったら、ぜひ行ってみたい世界遺産です。

 当地の寒さはだいぶ薄らいできました。氷が溶ければ「もう暖かい」と感じる地元の人たちの中には、昼中はコートを脱いで歩く人も出てきました。私も、昼うちはダウンコートを脱いでオーバーになりましたが、陽が落ちて以後はまだまだ冷えるので、ダウンコートです。

 日本はもう桜満開でしょうね。娘からのメールでは、住まいの五丁目団地に咲いた桜の画像が届きました。「父、弟と、これからおばあちゃんの家へ行くところ」という文面に添付されていたものです。
 「留守中、おばあちゃんのこと、よろしくね」と、娘に頼んできたのを、ちゃんとやってくれているみたいで、ほっとしています。「母親の世話はヨメまかせ」の夫を連れだして、いっしょにおばあちゃんの家へ行くことになったのは娘の手腕です。私が夫に「自分の母親なんだから、ちっとはおかあさんのところに顔をだしなさいよ」と言っても「仕事が忙しい」を錦の御旗にするのみなので。

 さて、清明節(せいめいせつqīng míng jíe,)は、二十四節気の1つ清明を祝う日です。太陽黄経が15度になる4月5日前後に当たりますが、中国では4月5日を清明節として6日月曜日まで三連休になりました。

 これは、去年からはじまった休日です。2007年にはこの休日は実施されておらず、そのかわり五一節(メーデー休暇)が5日間ありました。去年、北京オリンピックとのかねあいという意味もあったのか、休暇が4月と5月に振り分けられたのです。

 清明節の日から穀雨までの期間全体を「清明の季節」と呼びます。草芽が伸び花が咲き、万物が清々しく明るい季節。緑の若草を踏んで春の到来を感じるため、「踏青節」とも言います。

 中国では、この春先の季節に家族みんなで祖先の墓へ行き、線香をあげ祖先を供養します。そのため、清明節のことを「掃墓節=お墓を清める節句」とも言います。お墓を清めたらお供え物をして、紙で作ったお金や飾りを燃やして先祖を弔います。
 多くの中国人が先祖の墓参りをする掃墓節。テレビでは、お墓参りに関するニュースが流れました。最近、何かと雪解けムードの台湾との交流ニュース。国民党とともに台湾に移住した人々が、大陸に残されている先祖の墓にお参りした、というニュースもありました。
 日本のことはめったにニュースになりませんが、京都にある周恩来の石碑に集まった人々のようすが報道されていました。墓への参拝ではありませんが、これも清明節にふさわしい「故人を偲ぶ」ニュースとして報道されたのでしょう。

 清明節さいしょの土曜日4月4日、私は「寝てよう日」でした。いつものように早起きをして、お昼過ぎに眠くなったので、夕方まで昼寝しました。ゆっくり疲れをとることができました。

<つづく>
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2009年04月08日


ニーハオ春庭「XXXL」
2009/04/08
ニーハオ春庭中国通信>日本語でどづぞ(3)XXXL

 清明節当日4月5日の日曜日、近所の「昔からの繁華街」である桂林路は、大勢の買い物客でにぎわっていました。「今いちばんの繁華街」はウォルマートスーパーやデパート映画館などがたくさんある重慶街ですが、バスで行かねばならず、徒歩数分の桂林路でたいていの買い物は間に合うので、今回の中国滞在では、まだ重慶路に出かけていません。

 現代の中国人にとって、消費が最大の娯楽とも言えますから、洋服屋も靴屋も大勢の人たちが品定めをしています。食品は日本より割安な中国ですが、良質な衣料品や靴は日本の値段とそう変わらない。ナイキの高級スニーカーは千元していました。15000円のくつ、招待所の服務員の月給分にあたります。ということは、中国物価の中で、衣料品は高い買い物になります。品定めにも熱が入ろうというわけです。

 私は、道ばたの露天で下着を買いました。売り子は「日本への輸出品だよ。品は確かだよ。パンティ1枚5元、2枚で10元だ」ってなことを叫んでいます。(私に聞き取れたのは、値段とリーベン(日本)だけですが)
 露天で売るくらいですから、おそらくは日本向け輸出衣料の中で、検査にはねられた製品なのだろうと思います。外貿処理(外国貿易処理品)といいます。

 「2枚組みショーツ」と、日本語で書かれたタグの紙がついていて、「丈長タイプゆったりらくらくXXXL」と文字が入っています。XXXLと書いてあっても、それほど巨大でもないパンティ。文字がきちんとしているので、つい買ってしまいました。日本向け輸出衣料であったことは確かなようです。10元程度で売られている中国製の安いパンティは、化繊の派手な色のものがほとんどで、肌色木綿の「ゆったりおばはんパンツ」はなかなか安物の中にはない。

 XXXLなんか買って、ぶかぶかだったらどうしようか、とも思ったのですが、見た目、わたしが普段買っているLサイズパンティと同じくらいに見えたし、まあ、XXXLでも、大は小を兼ねると思ったのです。
 家に帰って履いてみたら、サイズピッタリ!うわぁ、XXXLがちょうどいいってどういうこと、とか思いましたが、ストレス解消に食べつつけた3週間が表れているのだから仕方ないのか。

 いや、負け惜しみで「これはLサイズの製品に、間違ってXXXLという表示の紙がつけられたので検査にはねられたのに違いない」と、思うことにしました。見たくない現実にはフタ!

 日本向け商品というと、品がよい、と思われるのか、日本向けではない品にも日本語が書かれていることがあります。でたらめな日本語なのですが、中国人は見慣れない平仮名片仮名を見て、「日本向け輸出品なら、高級品だろう」と思う人もいるのかもしれません。

 つまようじの袋に書かれていた日本語、面白かったので、つい買ってしまいました。
 「高級つまじうよ」と製品名が書かれています。おいおい、「つまじうよ」と書いてある時点で、すでに高級感ゼロだろうが、と思うのですが。
 「夏荷特潔牙簽 使用上の注意 ①本製品の湿気は少ないは所に保存てし下いさ ヒカのはたなつょヒはべ使用さたちあ様お原いいたいまょ ②一度使用たしつょは捨てて下さい」

 ああ、「ヒカのはたなつょヒはべ」とは、いったい、どんな意味を言いたかったのだろうか。
 おおいに笑える「高級な日本語」でした。ほかにも時々愉快な日本語を見かけます。2007年におもしろい「テキトー日本語」を集めておきました。まとめて本にしたら笑えると思って。でも、同じことを考える人はいるもので、すでに『日本語でどづぞ』という「笑える日本語」を集めた本が2008年に出版されてました。2007年に柳沢有紀夫さんが連載した記事をまとめたものです。一歩おそかった。

 日本語を正しく表記するのは、日本語を知らない人にとって難しいことだろうと思います。次回は、テレビドラマの中にみつけた「日本語でどづぞ」の紹介です。

<つづく>
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2009年04月09日


ニーハオ春庭「中日友好お原いいたいまょ」
2009/04/09
ニーハオ春庭中国通信>日本語でどづぞ(4)中日友好お原いいたいまょ

 2007年の赴任時には、温家宝首相が日本訪問をしている時期だったので、『鑑真東渡』など、日中友好をテーマにしたテレビドラマが放映されていました。今、日本が登場するドラマは、いつもの「日本帝国軍人はこれほど非道いヤツラだ」として描くドラマが多い。何が行われてきたのかという現実は知っておかなければいけないことだけれど、あえてこの地で見る気もおきなくて、、、、。

 1本だけ『関東大先生』というドラマを見ています。趙本山(チャオ・ベンシャン)が監督し、弟子の張暁飛(チャン・シャオフィ)が主演した東北コメディドラマ『関東大先生』、中国CCTV8が2009年1月22日から放映したものを、CCTV3で再放送しています。
 趙本山は、映画『落葉帰根(帰郷)』に出演し、台湾金馬賞にノミネートされるなど、俳優としても実力を認められている中国トップの俳優です。天才コメディアンと言われる趙本山(チャオ・ベンシャン)ですが、『関東大先生』では監督を務めています。

 『関東大先生』に登場する日本人も、軍の特務機関軍人なので悪者になっていますが、「東北コメディ」という内容なので、それほど「日本鬼子リーベングィズ」が強調されていることもなさそうだし、ときおり登場する日本家屋などの描写に「中国から見た日本」がわかるので、見ています。北京普通話(標準語)のセリフに中国標準語の字幕がでるので、内容は追っていけます。漢字文化のありがたさ。

 佐藤大先生という日本人の家のシーン。先生に大をつけて呼びかけるところが、すでに「日本語でどづぞ」になっています。日本ではどんな大先生を呼ぶにも、直接「田中大先生」とか「佐藤大先生」とは呼びかけません。まあ、これは中国でのお話ですから、大先生も許容の範囲でしょう。

 部屋の置き棚に載っている日本酒一升瓶。「日本盛」とラベルが貼ってある。酒の銘柄については日本事情を理解している。でも、日本の家庭で酒を飾っておくのは特別な菰樽などで、あまり一升瓶を飾ることはしないけれど、ま、いいか。
 佐藤大先生と特務軍人板垣の秘密会談が行われているシーン。部屋の壁に亜細亜大地図が貼ってありますが、漢字はいいとして、カタカナがおもしろい。ロシアの地名ハバロフスクは「へぺ口フスワ」と文字が入っている。クとワの違いなど、日本に留学する日本語を学んだ留学生もしょっちゅうすることなので、中国ドラマの美術さんも間違えて当然か。
 日本列島の南方には「シヤル群島」。たぶん、マーシャル群島の「マー」が何かの具合で抜けてしまったのでしょう。まあ、それらしい雰囲気がでればOKなので、中国の人はカタカナのまちがいなど気にしないでこのドラマを見るでしょう。

 佐藤大先生の部屋に掲げられている横長の扁額。右から左へと書いていく額字が、「中日友好」と書かれている。日本人帝国主義者の家に掲げられているのなら、中日友好と書くことは考えられず、「日中友好」となるはずですが、中国ドラマ制作の美術さんは、そこまで気にしない。

 佐藤大先生は中国人俳優が演じています。河田という特務軍人の役を演じているのは齋藤卓也とあるので、日本人かと思います。中国で活躍する日本人俳優も増えてきたのでしょうね。
 佐藤大先生と河田との日本人同士の会談シーンでも、むろんのこと中国語で会話するのですが、佐藤大先生の家の用心棒役のふたりは、袴に裃をつけ、頭には白い鉢巻き。佐藤大先生からの命令には「はいっ」「わかりました」とやや発音不明な日本語で返事を返す。

 河田と佐藤大先生とのセリフでは日本酒のお猪口を持って、河田が「かんぱいしましょ」というところが日本語でした。佐藤大先生のセリフ、「乾杯!」は、やはり「かんぱい」ではなく「干杯カンペー」になっています。
 
 「手紙」のように日本語では「便り、書簡」を意味しているが、中国語では「トイレットペーパー」のこと、また、日本語ではものを作ること「工作」が、中国語では「仕事」の意味、というように、意味が大きく異なる語の場合、中国人学生も気をつけますが、「先生」や「収集」など、基本的な意味は重なる部分がありながら意味のズレがある語だと、その意味のちがいに気づかないこともあるのです。

 中国語の「干杯カンペイ」は、文字通り杯を干す、杯を空にすることだ、と、中国式乾杯について3月に書きました。
 同じだと思っている中国語漢字熟語と日本語熟語の意味の違いについてのお話を、次回りよ連載し致すま。日本語でどづぞ、ご笑読お原いいたいまょ。

<おわり>
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