2011/12/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(8)ドラマ
年末の訃報、功成り名遂げた年長の方の死は悲しくはあっても、それなりに納得する。市川森一さんは。日本放送作家協会理事長を勤め、2003年には紫綬褒章も受章し、脚本家として功成った一生であったと納得しての見送りができます。しかし、同世代の人が亡くなると、やはり衝撃は大きく、これからまだまだ撮りたい作品があったろうに、と思うのです。12月20日森田芳光監督、61歳での死。
今年はNHKBSで山田洋次監督が選んだ「日本の名画100選」という番組が始まり、日本映画の傑作を放映しています。今年は家族編50本。その中の1本として、森田芳光の『家族ゲーム』がありました。初公開のときは、娘が生まれた年で、映画を見る余裕はなかったのですが、テレビで何度か放映されるたびに見て来ました。松田優作と伊丹十三の演技合戦は面白かったけれど、脚本としては『の・ようなもの』のほうが秀逸と感じました。今回も、放映時に録画しておいて見ました。
森田作品としては、そのほかに『キッチン』『阿修羅のごとく』が好きな作品でしたけれど、これは原作が好きってことだったのかもしれません。『間宮兄弟 (2006年)』や『武士の家計簿 (2010年)』は、まだ見ていないので、そのうち見たいと思います。遺作となった『僕達急行 A列車で行こう』は、久しぶりのオリジナル脚本だし、瑛太とマツケン、好きですから見たいです。監督、「これが遺作ならいいかな」と思えたかどうか、期待しています。
今年後半、印象に残った連続ドラマ。
・「それでも、生きてゆく」瑛太、満島ひかり。大竹しのぶや風吹ジュンらの演技合戦がすごかった。風間俊介もよかったけれど、まだまだ伸びきれていない印象。悲しいストーリーだったけど、脚本もロケの景色もよかったです。 おみくじのように手紙を枝に結びつけるラストシーン、ほんとうにせつなく、泣けました。
・「11人もいる!」神木隆之介ほか。いつもながらのクドカン快進撃でした。毎週、笑えました。
・「家政婦のミタ」松嶋菜々子主演。「承知しました」の決めぜりふが保育園児にまで流行ったという今年一番の視聴率ドラマでしたが、私には今のところ「まあまあ」の感じ。
・「南極物語」「キムタク一人ヒーロー」ドラマなのはわかっていたけれど、予想外に犬たちの演技がよかったので見ていられた。リーダー犬リキ役のピム、ほんとうに演技上手で、昭和基地を見つめながら息絶えるシーンなど、家族で泣きました。タローとジローが迎えに来た隊員を見て、うなり声を上げて牙をむいた、という「史実」も、やわらげられていたけれど、ちゃんと写されていました。
・「江・姫たちの戦国」上野樹里主演。息子が戦国史を専攻しているので、いろいろ詳しい解説を聞くのが楽しみでした。史実とはここが違う、と息子が説明するところも、ドラマと割り切って、江が家康の伊賀越えに同行するなども楽しめたので、将軍夫妻がふたりして馬の遠乗りをするラストシーンも、まあ、これでいいんじゃないの、と思えました。
・「坂の上の雲」まだ、最終回を見ていないのですが、司馬遼太郎が「映像化した場合、脚色によっては、戦争賛美と誤解される作品になるかもしれない。それが心配だから、映像化してほしくない」と言っていたのを押し切ってドラマ化したとあって、「戦意高揚」的な映像になるか注目していたのですが、これまでのところ、司馬原作を裏切るような方向には行っていないと思います。数万の歩兵が満州の荒野に「使い捨て」にされた、ということもきちんと示していたと思うし、「日本の近代」がどれほど「ばくち」であったのか、よく伝わったと思います。
娘は「映画もドラマも家族でわいわいしゃべりながら見るのが好き」というので、娘が見ないドラマや映画は、録画しておいて、一人で見ることになります。
・「テンペスト」仲間由紀恵の一本調子台詞まわしも気にならないくらい沖縄の風景は美しかった。
<つづく>
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2011年12月23日
ぽかぽか春庭「映画・ドラマ演劇メモ2011後半」
2011/12/23
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(8)映画・ドラマ演劇メモ2011後半
BSほか2011年後期にテレビで放映された映画のうち、『狂った果実』中平康監督1956年、『泥の河』小栗康平監督1981年、『人情紙風船』山中貞雄監督1937年、『楢山節考』木下惠介監督1958年、『切腹』小林正樹1962年、などが印象深かったです。
『泥の河』何度かみてきたけれど、今回は加賀まりこの美しさが心に残りました。その美しい表情ひとつで、戦争をはさんで泥にまみれていながら「悲しみの聖母」とも思えるような存在の女性像をしっかり描き出している、これは女優の力なのか、それを引き出す監督の力なのか、
『狂った果実』若い頃の石原裕次郎が好きではなかったので、見たこと無かったのですが、今回の放映で初めて見ました。クレジットの主演は裕次郎ですが、実質主演は16歳の津川雅彦。演技もまだ未熟ですけれど、「未熟さの光」にあふれていて、とてもよかった。『楢山節考』の田中絹代も、『切腹』の仲代達矢も、ほんとうにすごい演技で、圧倒されました。
映画館に行ったのは飯田橋ギンレイホールのみ。2011年後半にギンレイで見た中では、『英国王のスピーチ』『キッズ・オールライト』『軽蔑』『ブラック・スワン』『未来を生きる君たちへHaevnen』がよかった。
「英国王のスピーチ」では吃音がストーリーの要。吃音(どもり)にもさまざまなタイプがあるそうですが、イギリス女王エリザベス二世の父ジョージ6世(ヨーク公アルバート王子)の吃音は、幼時、左利きとO脚を父王によって厳しく矯正されたことが起因してどもるようになったと言われています。
ジョージ6世のために、エリザベス王妃は、セラピスト兼演劇人であったライオネル・ローグを吃音矯正のため雇います。映画では、治療をめぐる王とローグの身分を超えた交流が描写されます。国王として国家の重大事、宣戦布告を国民に告げ、「国民を奮い立たせる演説」をしなければらならなかったときをクライマックスとして、ストーリーは終わります。
その後の第二次大戦、大戦後の激務によって、ジョージ6世は1952年に56歳で崩御。その翌年にローグも73歳で死去。ロイヤルファミリーの人間模様も面白かったですけれど、「言葉の力」が直接のテーマになっていた映画でした。
『ブラックスワン』をダンス仲間と見たあとお茶したとき、「子どもの頃バレエを習っていたというナタリーポートマンが、1年のバレエレッスンを受け、バレエシーンをポートマン自身の踊りで撮影した」とう宣伝文句をみな信じていたので、へぇ、自分がダンス下手なのはかまわないけれど、見る目はちゃんと持っていようよ、と思いました。1年でブラックスワンを吹き替え無しで踊れるようになったのなら大天才だから、ポートマンは女優なんぞやめて、バレエダンサーとして大成すべき、ということ。ABTダンサーのサラ・レーンがダンスシーンの吹き替えをやっているということが映画の宣伝としてはシークレット扱いになったのはどうしてか、と、疑問に思うけれど、映画の宣伝にはいろんな事情があるのでしょう。
「エディット・ピアフ」で、マリオン・コティヤールは本物のピアフの歌にあわせて口パクしているけれど、それでよしとして誰も文句言わない。けれど、古くはオードリーヘプバーンの『マイフェアレディ』の歌をマーニ・ニクソン(『サウンド・オブ・ミュージック』の修道院長役で知られる)が吹き替えたときなど、マーニの名はいっさいクレジットされなかったというのも有名な話ですから、ブラックスワンもサラ・レーンの名が外に出されなかったのも、まあハリウッド的戦略。
『未来を生きる君たちへHaevnen』。Haevnenは、スエーデン語デンマーク語で復讐という意味。スエーデン語とデンマーク語は、方言差のちがい程度しかありません。しかし、「我が方、尊し」は双方とも同じ。スエーデン人アントン がデンマークで、ロッシという名をロッシュと発音してしまい、よそ者と判断され受け入れてもらえない、というシーンがありました。暴力連鎖の行方を描いて秀逸でした。確かに、世界は理不尽な暴力に満ちています。ガンジー流の非暴力主義では解決しきれない問題が根深くあることも、きちんと描いた上で、暴力の連鎖が何も解決しないことを伝えていました。許しあうことをどのように受け入れていくのか、私たちにも突きつけられます。
最後に舞台で興味深かったもの。
12月11日日曜日、府中市の外語大アゴラホールで、シンポジウム「子規と漱石の近代」があり、正岡子規を主人公にした劇『六尺の天地』が上演されました。出演者の半分が留学生で、日本語の台詞として不十分な発音の留学生もそれなりにがんばっていました。主演の子規は発音も演技もとても上手で大熱演でした。ラストシーン、痛みにのたうちながら死の床にある子規の脳裏にあったであろう幻想として、ユニホーム姿の子規がホームランを打ち、「一直線じゃ」と、最後の台詞を言いました。近代のはじまりを一直線に生きて行った子規や漱石の軌跡を思うとき、今、「日本の近代のはじまりと終焉」について思い巡らしているところなので、『坂の上の雲』に描かれた子規よりも心に残る姿でした。
私は活字人間ですけれど、映像でしか表現なしえなかったと思われるシーンに出会うと、もっともっといろんな映像を見たくなります。これからもドラマや映画を見る時間にかまけて、半年で13冊しか単行本を読まなかったという年もあろうかと思いますが、まあそれもまたよし。
<つづく>
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(8)ドラマ
年末の訃報、功成り名遂げた年長の方の死は悲しくはあっても、それなりに納得する。市川森一さんは。日本放送作家協会理事長を勤め、2003年には紫綬褒章も受章し、脚本家として功成った一生であったと納得しての見送りができます。しかし、同世代の人が亡くなると、やはり衝撃は大きく、これからまだまだ撮りたい作品があったろうに、と思うのです。12月20日森田芳光監督、61歳での死。
今年はNHKBSで山田洋次監督が選んだ「日本の名画100選」という番組が始まり、日本映画の傑作を放映しています。今年は家族編50本。その中の1本として、森田芳光の『家族ゲーム』がありました。初公開のときは、娘が生まれた年で、映画を見る余裕はなかったのですが、テレビで何度か放映されるたびに見て来ました。松田優作と伊丹十三の演技合戦は面白かったけれど、脚本としては『の・ようなもの』のほうが秀逸と感じました。今回も、放映時に録画しておいて見ました。
森田作品としては、そのほかに『キッチン』『阿修羅のごとく』が好きな作品でしたけれど、これは原作が好きってことだったのかもしれません。『間宮兄弟 (2006年)』や『武士の家計簿 (2010年)』は、まだ見ていないので、そのうち見たいと思います。遺作となった『僕達急行 A列車で行こう』は、久しぶりのオリジナル脚本だし、瑛太とマツケン、好きですから見たいです。監督、「これが遺作ならいいかな」と思えたかどうか、期待しています。
今年後半、印象に残った連続ドラマ。
・「それでも、生きてゆく」瑛太、満島ひかり。大竹しのぶや風吹ジュンらの演技合戦がすごかった。風間俊介もよかったけれど、まだまだ伸びきれていない印象。悲しいストーリーだったけど、脚本もロケの景色もよかったです。 おみくじのように手紙を枝に結びつけるラストシーン、ほんとうにせつなく、泣けました。
・「11人もいる!」神木隆之介ほか。いつもながらのクドカン快進撃でした。毎週、笑えました。
・「家政婦のミタ」松嶋菜々子主演。「承知しました」の決めぜりふが保育園児にまで流行ったという今年一番の視聴率ドラマでしたが、私には今のところ「まあまあ」の感じ。
・「南極物語」「キムタク一人ヒーロー」ドラマなのはわかっていたけれど、予想外に犬たちの演技がよかったので見ていられた。リーダー犬リキ役のピム、ほんとうに演技上手で、昭和基地を見つめながら息絶えるシーンなど、家族で泣きました。タローとジローが迎えに来た隊員を見て、うなり声を上げて牙をむいた、という「史実」も、やわらげられていたけれど、ちゃんと写されていました。
・「江・姫たちの戦国」上野樹里主演。息子が戦国史を専攻しているので、いろいろ詳しい解説を聞くのが楽しみでした。史実とはここが違う、と息子が説明するところも、ドラマと割り切って、江が家康の伊賀越えに同行するなども楽しめたので、将軍夫妻がふたりして馬の遠乗りをするラストシーンも、まあ、これでいいんじゃないの、と思えました。
・「坂の上の雲」まだ、最終回を見ていないのですが、司馬遼太郎が「映像化した場合、脚色によっては、戦争賛美と誤解される作品になるかもしれない。それが心配だから、映像化してほしくない」と言っていたのを押し切ってドラマ化したとあって、「戦意高揚」的な映像になるか注目していたのですが、これまでのところ、司馬原作を裏切るような方向には行っていないと思います。数万の歩兵が満州の荒野に「使い捨て」にされた、ということもきちんと示していたと思うし、「日本の近代」がどれほど「ばくち」であったのか、よく伝わったと思います。
娘は「映画もドラマも家族でわいわいしゃべりながら見るのが好き」というので、娘が見ないドラマや映画は、録画しておいて、一人で見ることになります。
・「テンペスト」仲間由紀恵の一本調子台詞まわしも気にならないくらい沖縄の風景は美しかった。
<つづく>
10:44 コメント(1) ページのトップへ
2011年12月23日
ぽかぽか春庭「映画・ドラマ演劇メモ2011後半」
2011/12/23
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(8)映画・ドラマ演劇メモ2011後半
BSほか2011年後期にテレビで放映された映画のうち、『狂った果実』中平康監督1956年、『泥の河』小栗康平監督1981年、『人情紙風船』山中貞雄監督1937年、『楢山節考』木下惠介監督1958年、『切腹』小林正樹1962年、などが印象深かったです。
『泥の河』何度かみてきたけれど、今回は加賀まりこの美しさが心に残りました。その美しい表情ひとつで、戦争をはさんで泥にまみれていながら「悲しみの聖母」とも思えるような存在の女性像をしっかり描き出している、これは女優の力なのか、それを引き出す監督の力なのか、
『狂った果実』若い頃の石原裕次郎が好きではなかったので、見たこと無かったのですが、今回の放映で初めて見ました。クレジットの主演は裕次郎ですが、実質主演は16歳の津川雅彦。演技もまだ未熟ですけれど、「未熟さの光」にあふれていて、とてもよかった。『楢山節考』の田中絹代も、『切腹』の仲代達矢も、ほんとうにすごい演技で、圧倒されました。
映画館に行ったのは飯田橋ギンレイホールのみ。2011年後半にギンレイで見た中では、『英国王のスピーチ』『キッズ・オールライト』『軽蔑』『ブラック・スワン』『未来を生きる君たちへHaevnen』がよかった。
「英国王のスピーチ」では吃音がストーリーの要。吃音(どもり)にもさまざまなタイプがあるそうですが、イギリス女王エリザベス二世の父ジョージ6世(ヨーク公アルバート王子)の吃音は、幼時、左利きとO脚を父王によって厳しく矯正されたことが起因してどもるようになったと言われています。
ジョージ6世のために、エリザベス王妃は、セラピスト兼演劇人であったライオネル・ローグを吃音矯正のため雇います。映画では、治療をめぐる王とローグの身分を超えた交流が描写されます。国王として国家の重大事、宣戦布告を国民に告げ、「国民を奮い立たせる演説」をしなければらならなかったときをクライマックスとして、ストーリーは終わります。
その後の第二次大戦、大戦後の激務によって、ジョージ6世は1952年に56歳で崩御。その翌年にローグも73歳で死去。ロイヤルファミリーの人間模様も面白かったですけれど、「言葉の力」が直接のテーマになっていた映画でした。
『ブラックスワン』をダンス仲間と見たあとお茶したとき、「子どもの頃バレエを習っていたというナタリーポートマンが、1年のバレエレッスンを受け、バレエシーンをポートマン自身の踊りで撮影した」とう宣伝文句をみな信じていたので、へぇ、自分がダンス下手なのはかまわないけれど、見る目はちゃんと持っていようよ、と思いました。1年でブラックスワンを吹き替え無しで踊れるようになったのなら大天才だから、ポートマンは女優なんぞやめて、バレエダンサーとして大成すべき、ということ。ABTダンサーのサラ・レーンがダンスシーンの吹き替えをやっているということが映画の宣伝としてはシークレット扱いになったのはどうしてか、と、疑問に思うけれど、映画の宣伝にはいろんな事情があるのでしょう。
「エディット・ピアフ」で、マリオン・コティヤールは本物のピアフの歌にあわせて口パクしているけれど、それでよしとして誰も文句言わない。けれど、古くはオードリーヘプバーンの『マイフェアレディ』の歌をマーニ・ニクソン(『サウンド・オブ・ミュージック』の修道院長役で知られる)が吹き替えたときなど、マーニの名はいっさいクレジットされなかったというのも有名な話ですから、ブラックスワンもサラ・レーンの名が外に出されなかったのも、まあハリウッド的戦略。
『未来を生きる君たちへHaevnen』。Haevnenは、スエーデン語デンマーク語で復讐という意味。スエーデン語とデンマーク語は、方言差のちがい程度しかありません。しかし、「我が方、尊し」は双方とも同じ。スエーデン人アントン がデンマークで、ロッシという名をロッシュと発音してしまい、よそ者と判断され受け入れてもらえない、というシーンがありました。暴力連鎖の行方を描いて秀逸でした。確かに、世界は理不尽な暴力に満ちています。ガンジー流の非暴力主義では解決しきれない問題が根深くあることも、きちんと描いた上で、暴力の連鎖が何も解決しないことを伝えていました。許しあうことをどのように受け入れていくのか、私たちにも突きつけられます。
最後に舞台で興味深かったもの。
12月11日日曜日、府中市の外語大アゴラホールで、シンポジウム「子規と漱石の近代」があり、正岡子規を主人公にした劇『六尺の天地』が上演されました。出演者の半分が留学生で、日本語の台詞として不十分な発音の留学生もそれなりにがんばっていました。主演の子規は発音も演技もとても上手で大熱演でした。ラストシーン、痛みにのたうちながら死の床にある子規の脳裏にあったであろう幻想として、ユニホーム姿の子規がホームランを打ち、「一直線じゃ」と、最後の台詞を言いました。近代のはじまりを一直線に生きて行った子規や漱石の軌跡を思うとき、今、「日本の近代のはじまりと終焉」について思い巡らしているところなので、『坂の上の雲』に描かれた子規よりも心に残る姿でした。
私は活字人間ですけれど、映像でしか表現なしえなかったと思われるシーンに出会うと、もっともっといろんな映像を見たくなります。これからもドラマや映画を見る時間にかまけて、半年で13冊しか単行本を読まなかったという年もあろうかと思いますが、まあそれもまたよし。
<つづく>