歴史小説や漫画などが好き。
特に井上靖の『額田女王』や、それを元にしたと思われる大和和紀の『天の果て地の限り』は名作だと思っている。
しかし。しかしである。
今思えば、読んでいる頃から引っかかっていたのだ(時代は昭和。岩下志麻主演で映像化されるより前)。
例えば、「采女って何?」とか。地方から献じられる美女、なのはいいけど額田女王って飛鳥に住んでるよね?
姉に「本当は『王』って書くけど『女王』って書いてるのよ」って言われた時も、「『王』とか『女王』って王族につく名前(敬称という言葉を知らなかった)だよね?なんで身分低いことになってる額田についてるの?」と聞いて「そんなの知らないわよ!そうなってるんだから仕方ないじゃない!」と言われたとか。
細かいひっかかりはありながらも、大好きな作品ではあり続けた。
で、日本史専攻して、あっさり解けた二つの疑問。
何のことはない、そのころはそこまで研究が進んでなかったとか分かっていても採用してなかった、とか。
最初の疑問については、「采女」は地方豪族から献じられる美女、というのは決まっている。容貌端正な者、という決まりがある。
でもって第二の疑問点だが、額田王は名前の通り「王」なので王子(大王の子)の子。鏡王の娘というのは分かっているが、鏡王の系譜がはっきりしない。額田王の姉に鏡王女という人がいて、中臣鎌足に降嫁しているが、この人が亡くなる時天武天皇が見舞いをしているので、おそらくかなり近い血筋と思われる(今は鏡王が舒明天皇の兄弟ではないかと言われている)。
となると額田王が采女になることはありえないのだが、「美女」にしたかったから「采女」にしたのかも、という推測は可能(他にもあるかもしれないが)。
それでもって、当時の歌は公の席で詠み交わされるもので、いわゆる「あかねさす…」の歌は宴の席かなにかで堂々と詠み交わされたもの、つまり未だに想ってます、などというロマンチックな話ではなくて、大人の冗談(周りもそう思ってくれるくらいでなくては危険だし)なのだった。
で、このくらいは既に私が読んでいた頃の昭和のあの頃分かっていたことで。
ただ、名作ゆえにあんまり広まっていなかっただけだった。
…ううむ。
創作物って歴史の入門などのとっかかりにはすごくいいのだが…。そして創作物の創作たる部分は否定したくはないのだが…それゆえに歴史というものが正しく届けられないとなると何なのだろう。
と、まぁ大学生になった頃の私は衝撃をくらったのであった。
でもこうなると、専門分野に関してはありえん!といいたくなる創作物をちょこちょこ見つけるようになる。
たとえば『あさきゆめみし』。誰もが知ってる、源氏物語の漫画版で決定版と言ってもいい名作。…なのだが…。「桐壺」の巻には少々物言いをしたいところがある。
「更衣」。これは国語辞典なら天皇の更衣をつかさどる女官、なのだがこの当時はすでに妃のひとつである。なので後宮には、基本的には身内以外の男は入れない。
ただし中国と違って、色々訪ねてくる公達などがいるのは確かなのだが、それは公用。お通いはなし(と言っても密通はありえる)。
なので桐壺更衣が、自分のところに通ってくる「月読の君」が「主上」以外だと思ったらおかしいのだ。主上、つまり天皇以外が通ってきたら密通である。真面目に月の神だと思い込んでるならありだけど。彼女の女房が「いずれの公達が姫様をお見初めになったのでしょうか」と言ってるが、これはありえないのだ。神様ならともかく、公達はまずい!
ついでに言えば、彼女は故・按察使大納言の娘なのでそこまで身分卑しくない。大納言は正三位の位、大臣につぐ地位である。父親が亡くなってるから更衣にしかなれなかっただけで、普通は女御になれる女性である。後宮の地位は実家の地位と関連するので仕方がないことではあるが、だからと言って弘徽殿女御にあそこまで見下されるほど身分低くない。院政期なら白拍子なども院の愛人になったりするが、この当時はまだないし。
個人的に、一番面白い!とも言える桐壺の巻だけど、実は歴史的にみると「ありえん!」でできている。気付いた時は大ショックだった。
いや、しょせん漫画でしょ、と言われてしまうと何も言えないのは分かってるんだが…漫画も大好き、小説も大好きな私としては、結構きつい話なのだ。
でもって、歴史を勉強すると、それまで大好きだった創作物が楽しめなくなってしまうのも、ちょっと悲しい話。