つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

別の見方

2005-05-31 19:21:57 | SD
ここを開設して日付は浅いですが、積もり積もった思いを綴ってみたことで、何が一番私にとってひっかかることなのか、はっきりしました。

私は、あの宗教設定ー自分が選んだ訳でない設定を、私のSDたちにつけられたことを振り切れない。
信者ではなくても、それなりに特別なものとしていたキリスト教ー聖母を、訳の分からないことに持ち出されたことをどう割り切っていいか判らない。
その状況で、私のSDたちを、どう扱っていいのか判らない。
可愛いのは可愛い。
でもあの設定をつけられたのを、割り切り切れない。

なので。
初めて、カトリックの教会に行ってきました。

信者ではないことを伝えましたが、あっさり相談にのって下さいました。

神父様に、ことの次第を説明して、どう考えていいのかわからないとお訊ねしました。
また、SDたちをどう考えたらいいのか、と。

答えはー「無」でした。

私は知らずにSDを買った。
ただ可愛いお人形として買った。
そして後付けでこういう設定をつけられた。
でも、その設定は、無なのだと。
だから、人形には何の関係もない、今までと同じように可愛がっていていいのだと。
そう、言ってくれました。

聖書に、ローマの神々に捧げた肉を食べていいものかどうか、と議論する話があるそうです。
異教の神に捧げた肉だから、食べてはならぬ、とする人びとに対し、パウロが答えたのが、「無」だと。

「この世には全能の神ただお一人、他にはおられない。いないものに捧げた肉はなんの意味もない。だから食べていい」と。

この話を聞いて、それを思い出しました、と神父様は語ってくれました。

聖母像のことも、まったく気にされないようでした。
かたちだけのものは、よくあることだと(要約です。いろいろ話して下さったのですが、まとめるとこんな感じです)のことでした。

…何というか、文章にしてしまうと実はあっさりですが。
妙にすとんと腑に落ちるのがすごいところです。
さすが二千年の歴史ある宗教、というところでしょうか。

それと。
SDを説明するのに、「パーフェクトカタログ1」を持って行ったのですが…。
それを見ながら、「皆寂しい顔をしていますね」と言われたのが印象的でした。
「とてもとても綺麗だけど、とても可愛いけど」誰も笑っていない、と。



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今も続く悩み

2005-05-30 10:19:25 | SD
それでも、うちの子たちを、可愛いと思う気持ちがなくなった訳ではないことが、余計に苦しかった。

そして、ちょうどスタンダード切り替えになったこともあり、お友達の言葉に救われた部分もあり、無理矢理に割り切ることにしました。
「この子達は設定前にうちに来た子たちだから、あの設定とは別物、これはうちの子。ボークスとは関係ない」。
ピュアスキン化により、生産終了した旧肌の子の方が多いことから、これは何とかできました。
「この子たちはボークスから縁切りされたようなものだから、もう何の関係もない」と思いこめたからです。
もう新しい子はボークスからお迎えしない、と決めましたし。
それでも、澱のように溜まる不快感はなくなりはしませんでしたが。

ところが。
またもや不快な話を聞くことになります。

前回のドルパ13において、とあるVTRが流れ、そこでボークス社長が、「やはりSDには魂が宿ってるんですねぇ」とコメントしたという…(VTRの内容は、葉月的に不愉快ですので意図的に省略しています)。


VTRの内容は、私的にはどうあれ、作りたい方が作るのは結構ですし、仲間うちで見るのも結構です(法律に触れる内容ではないですし)。
でもそれをドルパで流すことを許可し、このようなコメントをつける、ボークスという企業の無神経さに不快感を覚えます。
100歩譲って、ドルパで流すところまではいいとして、こういうコメントをしてしまえる異常さに気づかないあたりに絶望します。

普通、「この人形は私の生まれ変わり(or前世)なの」と言われたら、ひくと思います。
人形に魂が宿る、という話はありますが、それは人形師が精魂込めて作り上げた、あるいは持ち主が溺愛したが故に、その人形に魂が宿る、という話です。
持ち主の前世だの、生まれ変わり(今生きているのに?)などという話は聞いたことがありません。
いえ、ボークス社長が個人的にどう思おうと勝手ですし、それをとやかく言うつもりはありませんが、社長という立場で公の席でコメントするのとは別です。
企業の代表から出されるコメントは、ユーザーに対してある種の強制力を持ちますから。

この他にも聞いた、見た(聞いた話を調べようとして)ものもありますが、それは(それそのものはひきますし、私自身の倫理観に外れますが、ボークスやSD全体に関係するものではないのではぶきます)ともかく、このような宗教的な面での不快感は深く、辛いです。
でもこれはSDを所有し続ける限り、ボークスとは縁が切れないため、続くことになります。
けれど、うちのSDたちを、見限ることもできない。

中途半端な状況です。
割り切れない。

趣味なのに重い、から、趣味なのに辛い、になり、それでも思い切れない情けなさに、いまだ苦しいです。


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天使の登場と宗教設定・2

2005-05-30 09:40:52 | SD
そしてもうひとつ、愕然としたのが、「スーパードルフィーの世界観」と銘打たれたものの存在でした。

おみたま?精霊?オーナーの姿をうつすもの?

…何の新興宗教を始めたのかと思いました。

SDに対して、私が求めているのは、「可愛いお人形」で「着せ替え遊びができる」ことだけです。
SDは玩具です。
彼女たちに対して、設定をつけるのはそれぞれのオーナー様だけでいい筈です。

なのに、メーカーが各自の死生観にまで立ち入ってくる、この不快感。

自分の人形を、何か不気味なものに置き換えられてしまった気がしました。

そして。
誰もがその人自身として、独自の存在であるのに、ボークスという一企業が作った何種類かのお人形が、すべての人間を映すものであるような傲慢な表現。

吐き気がしました。

SDそのものは可愛い。
でも、こんな設定を後出しとはいえ、つけられたこの子たちを、このまま可愛がっていけるのだろうか?

悩みました。


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天使の登場と宗教設定

2005-05-30 09:31:00 | SD
そんなこんながありつつも、SDは好きで、可愛いとは思っていました(今でも思っていない訳ではありません)。

ボークスの対応に不満を感じることもありましたが、もともとガレージキットメーカーだし、スキルのない私は諦めるしかないのかも、と思ったりしていました。

ところが。
京天使の発売。

…ちょっと嫌な気分になったことを覚えています。
きちんとした信者ではありませんが、兄弟にミッション系がいたため、カトリックの教義に慣れ親しんだ私としては、「天使」を軽々しく扱ってもらいたくありません。
京都も大好きなのですが、あのたたずまいに合わせるなら、「天使」より「童子」だと思います。
正直、ミスマッチだな、と思いました。

そこまでは、でも、まぁよかったのです。
「私にはイメージ合わないけど、仕方ない」「外国に展開しないなら、日本国内だけなら許されるだろうし」と思えたので。
「天使の里」も、「何だか新興宗教みたいで嫌だな」とは思いましたが、嫌なら行かなければいいんだし、と思っていました(不快感はありましたが)。

ところが。
昨年11月。
天使の里と聖母降臨の儀、という話が登場しました。

葉月本人は前述したように、きちんとしたカトリック教徒ではありません。
でも、宗教はそれ相応の敬意を払われるべきだと思っていますし、他人が茶化していいものではないと思っています。
怒りました。呆れました。
聖母マリアは、キリスト教にとっては特別な存在です。
宗派によっても違うとは思いますが、少なくともカトリックにとっては特別です。
それをキリスト教とは関係なく造り、「SDの」聖母として建立する…。

自分の中の、大切な存在を冒涜された気がしました。
いえ、あれは冒涜されたのだと今でも思います。

長くなるので、次に分けます。
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お人形遊び

2005-05-30 00:29:55 | SD
お人形好きな方はどうやって遊ぶのがお好きでしょうか。

私は着せ替えがしたかったし、ごっこ遊びも好きでした。あまり普通のおままごとではなく、物語のような世界でのごっこ遊びでしたが。

アンティークドールも好きですが、着せ替えがしにくく(服が高価、サイズがあうかどうか賭けに近い、好みのデザインが少ない)、そんな時に出会ったのがSDでした。

SDで着せ替えがしたかった、それだけの筈が。
メイクだ、カスタムだ、服作りだと(服作りだけは、できればやりたかったですが)、いろいろ「しなければならない」ように思われ始めて。

SDが「重荷」のように感じられ始めたのは、この頃からだったと思います。

嫌いな訳ではない。
大事なのに、重い。

趣味なのに、辛くなりはじめていました。

そして次々に出て来る限定っ子をお迎えしたくなり、お迎えすれば嬉しいけれど、辛さもふくらんでいきました。
矛盾していますが。

それと、判らないことを質問できるところがないのも、辛いことでした。
SD友達が周りにいなかったため、情報収集はネットが主でしたが、それだけでは判らないことが多く、どこか質問できるところはないか、一生懸命探した記憶があります。
やっと見つけたいくつかの掲示板をロムしていたら、初心者さんらしき人が質問し、冷たくあしらわれている様を見て、「とても質問できない」と思ったことを覚えています。

回答者さんは、「冷たくあしらった」つもりはないかもしれない。
でも、文字だけのネット世界で、ぴしりと書かれている文章は、ロムしているだけの身にもこたえました。
実際質問している方はもっとこたえたと思います。
もちろん、質問に答えを期待するのは誰かの善意をあてにしているということですし、初心者さんの質問は、ベテランの方にはばかばかしく、自分で調べろと思われても仕方ないと思います。
でも、初心者のうちは調べ方も判らないのも事実です。
だから手加減してくれ、とは言いませんが、不快ならレスをつけずに流してくれれば、それも辛いけどまだ我慢できるのに…と思いました。

これもある種勝手な言い分だとは思いますが、ロムだけの身でも質問するのが怖くて、結局判らないことはそのままいつか判るのを待ってしまうようになりました。
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SDとの出会い

2005-05-29 23:50:19 | SD
SDというお人形を知った時、何となく怖いと思ったことを覚えています。
ガラスの目の人形が嫌いという訳ではありません。
お人形自体は大好きです。
ジェニーやリカちゃん、アンティークドールなどは大好きです。
でも、SDは最初、怖いと思いました。
うつろな表情をしている、どこを見ているかわからない、そう思いました。

ところが、そんなイメージでないSDにある時出会いました。
いまもって、あの時のあのSDがどの子だったかは判りません。
おそらくはオプションヘッドの子だと思いますが、あの子は怖くなかった。
むしろとても綺麗で、手にはいるなら欲しい、初めてそう思いました。

そしてネットで写真を見比べ、SRへ出かけていって初めての子をお迎えしました。


あのままの気持ちで、SDを可愛がれたら、どんなによかったか、と時々思います。

最初は触るのもおっかなびっくり。
やがて思い切って素手でお着替え。

服作りをしたくて、型紙本を買って、どうしても、というデザインがなく、とりあえず着られるサイズのを作り始めたら、難しくて放り出して。

着せてあげられる服を探して、初めてオークションに参加して。

そしてやがて、「服を作ってあげられない」「メイクが上手くできない」ということに感じる、コンプレックス。

オプションヘッドを購入して、何度もメイク練習して、どうしてもうまくできなくて(このころはまだ造型の違いをよく理解していなかったため、好みでないヘッドを購入してしまっていた)、泣きたい気持ちになって。

そしてキットで次の子をお迎えして、初めて何とかメイクが上手くいって。

それでも、メイクの上手なサイトさんを眺めては羨ましかった。

今はそれなりに諦めてますが(笑)、このころから、私が遊びたい遊び方から、ずれてきてしまっていたことに、後で気づきました。

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はじめに

2005-05-29 13:56:04 | SD
初めまして。
管理人の葉月と申します。

ここでは、SDおよびお人形のことについて、葉月が思ったことを綴ります。
毒を含む表現もあるかもしれません。

そういう場合はコーションを題名に入れますが、不快な方は閲覧なさらないようお勧めします。
警告を無視して閲覧なさった場合、管理人は一切の責を負いませんので、ご了承下さい。
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