つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

「ダ・ヴィンチコード」について。

2006-06-23 22:21:36 | キリスト教(カトリック)
実は原作をぱらぱらと眺めただけですが…。
見事なまでのトンデモ本ですね。

マグダラのマリアとイエス(あえてここだけ呼び捨て)が夫婦関係、という話は、もう十年くらい前ですが、まだ教会に通ってもいない頃、仕事の関連でキリスト教の本を読みあさったことがありますが、そのころからあるゴシップ的な話で、別に「ダ・ヴィンチコード」が最初なわけではありません。

ドン・ボスコ社から『「ダ・ヴィンチコード」の真相』という本が出ていますので、カトリック書店に行かれれば手に入ると思いますが、私はこちらを読んで唖然としてしまいました(原作の方にです)。
歴史の基本的な部分も押さえてないなんて!!

例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』の絵を『モナ・リザ』と呼んでおらず、この名は後世の人がつけたというのは三十年近くまえの雑学の本にでも載っている事例ですし、「異教の神アモンとその妻イシス」とありますが、これはエジプト神話だと思いますので、それならばイシスは冥界の神オシリスの妻であって、アモンの妻ではありません(アモンはアメンと表記されることが多いと思いますが、テーベの土地神で、後に太陽神ラーと同一視されます。有名なツタンカーメンは、この神の祭祀が盛んだった時代に、一神教アテン<アトン>を唱えたイクナートンの娘を妻にして王になります)。

まぁ所詮はフィクションなんですが。
「現在判っている史実」をねじまげて作られるフィクションには価値がないと思っています(裏読みとか深読みとかは気にしません)。
なぜなら、読者が真実と誤解する可能性があるからです。

それから。
聖書にはたくさんの写本がありますが、これらが内容において差がないことから、元の文章を正確に反映しているといえます(誤字・脱字、語彙の変化は除きます)。
これは歴史学の初歩です。
筆者の解釈は入っている可能性はありますが、それは真の客観性は人間には持てない(つねに自分を通さない限りものはみえない)のでそれは致し方ないところです。
しかし、本当に弟子達が作り替えることが可能なら、もっと自分たちを格好よく書くでしょうね(しょっちゅうイエス様の話を理解していないとか、ペトロが三回主を知らないと言ったこととか)。都合の悪い話は省くでしょうし、マグダラのマリアそのものも、聖書に登場させなくてもよかったのだから、省くか単に「女」と書いていたと思います(史書の中には、そういう詐術の多いものもあります)。

しかしこれが売れてしまうところが、不思議です。
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松永司教様の葬儀ミサ

2006-06-05 16:24:08 | キリスト教(カトリック)
今日の11時から、松永司教様の葬儀ミサでした。

早めに行くつもりが、出がけの電話で予定変更。でももともとかなり早く行くつもりだったので、二十分前には着きましたが、お御堂はもう一杯でした。
ちなみに黒いベールを持っていなかったので、行きがけに女子パウロで購入しましたが(気を遣ってタグ等外して下さったので助かりました)、結構白いベールでの方も多かったので、白でも大丈夫だったのかな?と思いつつ買ったばかりのベールで参加しました。

入口で式次第と献花用の白い菊の花とお礼のお菓子の入った紙袋を頂いて、司祭・司教団の入場を待ちます。
聖歌を歌い、説教があり(この辺は普通のミサっぽいですね)、それから聖体拝領もありました。
司教団の皆さまが一度に祝福をなさるのは、何だか壮観です。

そして弔辞(…と言っていいと思います)や弔電の披露。
この辺で何だかぽろぽろしてしまいました。
でも熊本の司教様の弔辞は泣きながら笑ってしまいました。会場からも笑いが漏れていましたが、松永司教様も熊本の司教様も、ユーモアのある方のようですね。
司祭・司教団が退場なさると、また聖歌を歌い、献花します。
その後はまた席に戻り(司祭様達が退場なさったあとの席に座らせて頂きました)、出棺まで歌いました。
そしてお御堂から棺が出た後は、みんなでお見送りをしました。
この間にご遺族の方が挨拶をなさっていたのですが、お御堂から出るのが遅かったので、半分くらいしか聞けませんでした。
マイクロバスでお墓までいらした方もたくさんいたようです。

一度お説教を聞いてみたいと思っていたのに、とても残念です。
ご冥福をお祈り致します。
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松永司教の帰天・聖霊降臨の祝日

2006-06-04 23:40:48 | キリスト教(カトリック)
今日は聖霊降臨の祝日ということで、神父様の祭服も祭壇の布も赤でした。
実は昨日の土曜日の夕方のミサにも参加したのですが(私は基本的には土曜の夕方ミサに参加する方です)、今日は午後用事もあったので二日連続でミサにあずかりました。

実は今日は福岡教区の松永司教様の、司祭叙階50周年記念ミサが午後から予定されていたのですが…。
なんと、6月2日に、脳溢血で突然帰天されてしまったのです!

昨日ミサでお説教の最後にその話を神父様がなさったときは、一瞬驚きのあまり真っ白になってしまいました。
4日のお祝いのために、私の教会でも霊的花束の募集?をしていましたし、私も微力ながら参加していました。
初めて司教様のミサに参加できると思っていたのに…。

今は司教様のためにお祈りいたします。
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ゆるしの秘蹟

2006-06-03 23:34:28 | キリスト教(カトリック)
今日初めてゆるしの秘蹟にあずかりました。
式次第は一応読んでいったのですが、その場になったら忘れてました(苦笑)。

それにしても、はじめてのゆるしの秘蹟は感動でした。
「あなたの罪をゆるします」と神父様におっしゃって頂くのは気持ちいいですね。
もちろん、罪を犯さないよう暮らすのが一番なのですが、心弱い人間ですから(私みたいなのは特に)揺れてしまい、怒ったり嫌ったりしてしまったりします。
で、その後、自己嫌悪して、そういう状態のくせにまだ怒っていたりもして、それがさらに自己嫌悪に拍車をかける、という悪循環におちいったりしていたのですが、それをぱちっと断ち切って下さいました。

ミサのすぐ前だったので、泣かないよう気をつけたのですが、涙腺は意識でどうにかなるものでもないらしく(それでも泣き出さなかっただけ効果はあったのかも?)、涙が盛り上がってきてしまいました。
当初は痛悔の、終わりには感動の、でしたが。

…しかし、一年に一回はゆるしの秘蹟にあずかるのが信者の義務だそうですが、皆さんそんなにきちんと覚えておけるのでしょうか(私は自信ないのですが)。
ひと月に一回くらいか二ヶ月に一回くらい受けないと、私は何かやらかしそうな気がします…。なにしろ、結構気は短い方だと思いますので。
コメント (2)
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