どこで見たのか忘れましたが、ネットのどこかで見た言葉。
「出家しないと本当の仏縁は得られない」
どこかのお坊さんが書いてらした言葉です。ちょっと悲しい言葉。
ああいや、分からなくはないんですよ。僧侶は厳しい修行をして受戒してる訳で、普通の信者というか、在家とは別、在家では出家と同じ仏縁は得られない、と言いたいのだと。
それは当たり前なので(在家と出家じゃ役割が違う)、わざわざ「本当の仏縁は得られない」なんて言わなくてもよくないですか。だったら在家の仏縁は偽物だと言うのでしょうか。
大体みんな出家しちゃったら、お寺支える信者がいなくなっちゃうんですが。
偽物だとは言ってない、とおっしゃるかもしれませんが、言葉で言わずとも通じることはあると思います。だからこそ言葉は気をつけて使わないとまずいのです。
こういうの、カトリックでもありました。カトリックになる人はより神様から可愛がられてるからなる、とか。これは年配の信徒さんの発言ですが。
宗教は違いますが、なんでこんなこと言うんだろう。自分たちはより本物が得られていて偉いと言いたいんだろうか。より神様から愛されてると言いたいんだろうか。
こういうの聞くたびに、とても不愉快で悲しいです。もしかして信者減らしたいのかな。いやそんなつもりはないんだろうけど。
私の考えですが、おそらくみんな、仏縁もあるだろうし神様からの愛もあると思うんです。それがより濃いか薄いか。他人と比べるのでなく、各個人の中でどの縁が濃いか薄いか。それくらいの問題ではないかと。
しかし…悲しいです。