つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

11年目の検査、無事クリアです。

2022-01-29 13:00:41 | 乳癌

昨年で、一応の区切りとなる10年目だったのですが、乳がんは術後再発の可能性ゼロにはならない病気のため、今後も経過観察はした方がいい病気です。

なので、主治医が実家の病院に戻られたこともあり、そのまま引き続き面倒をお願いすることにしました。

そのため今年もCT、エコー、血液検査、マンモをやりました。幸い、今年も無事クリアです。

大腸と胃だけはこれで分からないので、別に検査をするよう勧められました。…胃カメラ飲めないけど…うーむ。何か考えてみよう。

私は胃カメラ飲むのが超のつくど下手で、一度だけやったときは鎮静剤を入れてもらったのですが、それでも時々吐き気がして目が覚める事態に(汗)。

そのたびに看護師さんになだめられては落ちていたようですが、あれ、鎮静剤なしでは絶対入らないだろうなぁ…。うーん。慣れると上手くなるんだろうか。

脂肪肝だけはちょっとひどくなっているので、引き続きダイエット頑張ります。…コロナ禍で悪化させてるんだろうなと思います。

来年はもうちょっとよくなっているよう、頑張ろうと思ってます。主治医には、頑張りすぎてまた揺り戻しがくるとなんなので、十年かけて戻すくらいのんびりやりましょう、と言われてはおりますが、肝硬変や肝臓癌にならないよう、できることは頑張るつもりです。

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元三大師様

2022-01-28 13:02:56 | 仏教

元三大師様、ってご存じでしょうか。

恥ずかしながら、私は全然存じ上げませんでした。コロナ禍が始まってから、角大師の御札の話を聞いて、初めて知りました。

先日、意外と近くでお祀りされていることを知り、初めてお参りに行ってきました。実は関東の方で有名な「佐野厄除け大師」も元三大師様なんだとか。…東京生まれ東京育ちなのに、知らなかった…。こちらは平将門公を信仰する方は行ってはいけないお寺だそうですが(汗)。…うーん、それでは知ってても行けなかったですね。私、将門公好きなので。

近所のお寺はそういう問題がないので、お参りに行けました。ほっ。

角大師と魔滅大師の御札を頂き、玄関と勝手口に貼りました。表に貼れない時は、内側でもいいそうです。

あと、お守りをいくつか買って、最後におみくじをひいて帰ってきました。

角大師は厄除け、疫病よけにいいそうです。

 

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いろいろ思うこと。

2022-01-21 17:27:45 | 日常雑記

最近思うのですが、ここ一年一年、疲れ方がよりきつくなったり、痩せにくくなったり、年齢を感じるようになりました。

また、一月の後半は検査が続くのですが、オミクロン株もものすごい勢いで増えていて、おっかなびっくりで外出してます。

病院ばっかりですが…病院は、行かない訳いかないしなぁ…。

歯医者とか耳鼻科とか、突発的なものも持病もありますし。できれば外に出たくないですが、あまり籠もっていれば体力や筋肉が落ちるし。

来週いっぱいは検査やら何やらで外出予定が詰まってますので、無事終わりたいものと思っています。

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不思議に思うこと

2022-01-17 12:37:18 | 仏教

主人の宗派は天台宗ですが、天台系の勉強しやすい本って意外にありません。真言系は充実してます。なので、両方できる限りでお勉強中です。

しかし、ふと気づいた不思議なこと。YouTubeでもお話されているお坊さんで、虚空蔵求聞持法を修された方が、光に貫かれた、というお話をなさっていました。

あれ、これアビラの聖テレジアの体験と似てる?と思ったら、他の方の本で、やはり伸びてきた光に貫かれた、ということを読みました。

アビラの聖テレジアは痛みを感じた、とありますが、本で見た方のお坊さんも、痛みを感じた模様。

同じような神秘体験なのでは、とちょっと思っております。

 

さて、自分の方ですが。お祈りしていて、はたと気づいたのは、自分、いくつも許せないことを抱えているということです。

傷ついた時、その時点で時が止まっている。些細なことだったり、幼少期ではそれ以上どうしようもないことだったりするのですが、それら全てがその時点で止まっており、忘れているだけだということに気づきました。

これ、覚えておけるようだとやがて傷が癒えるのでしょうが、思い出してもすぐ忘れます。本当に、自分でもびっくりするぐらい忘れます。

お祈りしているとまた思い出します。また涙がでます。でもまた忘れます。

こうやっているうちに、癒えていくのではないか。今はそんな風に思います。

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ちょっと勉強始めました。

2022-01-15 13:16:43 | 仏教

昨年、主人の親族を亡くしたことがきっかけでお薬師さまをご本尊としてお迎えし、簡単な支度ではありますがお祀りをしています。

それから猫のみぃちゃんが亡くなり、そちらも供養をしています。

そうしたことがきっかけで、仏教の勉強を始めました。いや、信仰始めました、って感じです。

勉強だけなら90年代の仏教ブームの頃、結構はまって勉強していましたが、信仰は当時よく分かりませんでした。

 

仏教と神道とキリスト教と神道って並立するのか、というと、個人的な結論では並立できると思います。

仏教と神道は本地垂迹説がありますのでOKだと思います。問題はカトリック、一神教と多神教と共存できないんじゃ?って感じですよね。

が、世界宗教になるような宗教って結構共通点が多いんです。一番わかりやすいのは、仏教で言う「仏性」ですね。全てのものに仏性はある。キリスト教では、全てのものに神の息吹が宿る。聖霊が宿る、またはイエズスがおられる、と言います。神道も、全てに神がおられる、ですよね。

ちょっと乱暴なくくりでいうと、全ての中に聖なるものがあり、それをなんと呼ぶか、という問題に尽きると思います。

で、多分、なんと呼んでもいいんです。その人に合うよびかたで。神、でも主、でも、仏、でも。

共通点がなければ、エキュメニカルなんてできませんよね。何か身にしみました。

 

他にもいくつかありますが、あとはどれが自分にしっくりくるか、あるいはご縁があるか、だと思います。

 

さて、こうなるといいとこ取りみたいで、ご不快になられる方もおられるのは分かっているのですが、どれも正しいと思ってますので、どれも否定できません。したくもありません。

なので、まずはゆっくり理解していこうと思っています。

…というか、無宗教の両親のもとで育った葉月ですが、神道や仏教はやっぱり身に馴染んで楽なのです。しかし兄弟がミッションスクールに居たので、カトリックにもなじみがあり、これはこれで落ち着くのです。本人は落ち着きますが、はたからみたらカオスですね(汗)。

カトリックにいたから、今、仏教の勉強していて分かるところがあります。仏教の勉強してみて、カトリックで言われていることがやっと分かったりしてます。

一つの宗教でそれが理解できる方は、やっぱり頭がいいんだと思います。ほんとに。

私は一つでは理解しきれないから、あっちもこっちも学ぶことになってるのだと思います。だって、ほんとに一種類じゃ理解できなかった…。説明されてもよく分かってなかった(汗)お恥ずかしい。

…神仏も苦笑されてるかもしれません。

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四十九日の法要

2022-01-11 13:01:51 | 

今日が四十九日ですが、いろいろあって昨日法要をして頂いてきました。

密教系なのか、九字を切るとか密教法具とか出て来て、主人の家は天台宗なので、みぃちゃんを密教系で送れてよかったと思いました。

お坊さんも親切で、うれしかったです。

法要では花束、納骨堂では猫缶を供えて、追加の仏壇用の造花を買って帰宅しました。

 

みぃちゃんの霊園には馬に乗った、穏やかなお顔の馬頭観音様が祀られています。

馬頭観音と言えば憤怒相の、怖いお顔の尊像しか知らなかったので、帰ってから検索してみたら、なんと千葉あたりで集中的に祀られている尊像だそうです。

主人の実家あたりにもたくさんお祀りされていて、まったく知らなかったと主人が悶えてました(汗)。いや、小学生男子はそういうの、興味ない方が多いと思うよ。

しかし、福岡まで来て、出会った猫ちゃんであるみぃちゃんの葬儀を、主人の故郷あたりのご本尊様で、主人の宗派というか、密教系で送れて、なんだかものすごく縁を感じました。

それと同時に安堵したというか、ほっとしたというか、嬉しかった。みぃちゃんを、うちの子として送れたって思えて。

今、獣医さんに行くと、苗字つけて呼んでくれるんですよね。○○みぃちゃん、って。もうそう呼ばれることはないから、どこか切なかったんですが。

偶然かも知れないけど、つながったご縁が、ちゃんとみぃちゃんを主人の家の子として送らせてくれたようで、なんとも安堵感を覚えたのです。

写真入りの本位牌や、手形入りの写真立てもできてきて、昨日からそれに手を合わせています。

次、百か日の法要をお願いしてきました。

また花と猫缶を持って行く予定です。

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