つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

怒りまくり

2006-12-26 19:43:12 | キリスト教(カトリック)
内容が内容なので、詳細はここに書けないけれど、今年の降誕祭ミサは…参った。

教会に通い出して、時々こういう人々に出会う。
自分が「よいことをしている」「よい人である」と自信を持っている。
…教会に限らずこういう人はいるけどね。宗教であればどこでも。
だけど、教会の場合は、謙虚の皮かぶってるから始末に悪い。

本人は気づいていないんだろうけど(気づいていたら人として終わってる)、「微妙に上から目線」なんだよなぁ。「恵まれない~に」とか。してあげる、と言わんばかり。
「お恵み」とか言っちゃう信者もいるし。
「神の」お恵み、と考えるのかもしれないけれど、普通あの文脈では「(私たちの)お恵み」に聞こえる(ちなみに、お恵みという言葉の部分に「援助」とか「寄付」っていう言葉を入れるような文章)。
誤解を招くような言動を信者がするから、人が増えないんだよ。
いや、うちは神父様がいいから、増えてはいるみたいだけど。カトリック全体としての話。
…実際、今回の話を聞いて、「これがカトリック信者として正しいなら、信者やってられん」と思ったし。

ご聖体頂くまで、怒りまくりなミサでした。
…拝領に相応しい心持ちかって?とんでもない。頂く直前まで、自分を宥めまくりでした。
…イエス様ごめんなさい。
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ファイナルファンタジー6…惜しい。2(辛口です)

2006-12-08 21:45:46 | ゲーム
その談話によると、前半がティナ、後半がセリスになったのは「単に僕の趣味です(笑)」とありました。
…おい。趣味で、仕事のゲームソフトを作るな(怒)。
疑問のエンディングも、本来の物語の設定ではティナは死ぬ運命だったのだそうですが、テストプレイでスクウェアの女性社員が「かわいそう」と言ったから変えた、と…。
…ストーリーはどうでもいいのだな。うん(激怒)。

以来、FFシリーズには決して手を出さないということで、一切購入していなかったのですが…。DSに移植されたのを見て。
「設定は好みだったのになぁ」と思いつつ、禁を破ってDSのFF6をプレイしてみました。

う~ん…。
何のことはない、最初からストーリーめためた(苦笑)。
エドガーはリターナーに最初から入っていた訳ではないのに、ケフカがフィガロに火をかけて、ティナとロックと国を離れた時、ティナにリターナーの偉い人(名前忘れました)に会うよう言うのは彼。…おいおい、これロックの役割でしょ。実際会った時も、エドガーが代表して挨拶してるけど、本来はこれリターナーの一員であるロックの役所で、エドガーは王様なんだから、ああいう言葉遣いはしないでしょうよ。あれじゃ臣下みたいだ。
セリスは登場時とオペラの時までで言葉遣いがまったく変わるし。性格も違いそうだけどね。
中盤、ケフカと皇帝と対峙するイベントで、セリスが後追ってくるけど、これってティナの役所のはず。セリスは帝国の元将軍だから、彼女は最初からパーティキャラ固定の方が自然。

改めて見てみると、制作者がセリス萌えを起こしてるのが明白。
ひいきの引き倒しといったところかな。
セリスとロックをくっつけてもいいけど、主役はあくまでティナ、というかたちなら納得するけど。それとも、主役はロックにしちゃうとかね。

設定はいいのに、料理の仕方がまずかった、というタイプのゲームだと再認識。
これで心おきなく手放せる(笑)。
やはり、スクウェアのゲーム(今はエニックスと1つになったので、「元」スクウェアのゲームですね)には手を出さないのが、葉月の精神衛生にはいいようです。
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ファイナルファンタジー6…惜しい。1(辛口です)

2006-12-08 21:28:08 | ゲーム
え~…。
もともと私は「ファイナルファンタジー」(以下FF)のコンセプトだった、「ドラゴンクエストに追いつけ、追い越せ」というのが嫌いだったので、5までは手を出さなかった奴です。
何で5やったんだろう…。ファンが友達にいて、強力に勧められたから…だったかな(うろおぼえ)。キャラデザの天野さんが好きだったから、かもしれない。
実際やってみて。
「面白くない訳じゃないんだけど、何だか好みじゃないなぁ」でした。
どこが好みじゃないのか分からないけど、多分、ストーリーに何の深みもないことではないかと。
…ゲーム内容、今となってはまったく覚えてませんし(笑)。

で。
6は何で買ったかと言えば…やっぱり天野さんつながりだったかと。
主人公は女の子だし、これいいかも?と思ったような。

ところが、実際やってみたら、主人公のティナちゃんは髪色が好みでなく(天野さんの絵と違う)、後から出て来たセリス将軍の方が格好良い!とこっちをひいきしてしまい。
が。私はストーリー重視でゲームをするタイプで、アイテム集めはそれほど興味ないんですね。
なのに、FF6は中盤に一回世界の変容を起こしますが、この後で最初にプレイヤーが操作するキャラがセリスなんです。
「あれ?主人公のティナちゃんどこ行ったの??」とかなり当時パニックしながら、いずれ出るだろうと思っていたら、かなり後で。
エンディングも納得いかず、「前半と後半でヒロインが変わるなんて…」と思っていたところ、当時のゲーム雑誌で、制作者の談話が載っていたんです。
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待降節

2006-12-03 23:13:14 | キリスト教(カトリック)
今日から待降節ですね。
落ち込みすぎて家から出る気にならなかったのですが、所用あって頑張ってミサに出ました。
…でも、こんなに行きたくない気持ちで行ったのも初めてです(苦笑)。

ミサに出ていて、神父様の言葉に触発されてーか、ふと、こんなことを考えました。
「私はあの子(うさぎ)を亡くしてこれほど辛いなら、神様はイエス様が十字架に至る刑を受けている間中、どんな思いだったのだろうか?」

不敬かもしれませんが、この思いが私に力をくれました。
重ね重ね不敬ですが、私はあの子(うさぎ)に傷1つでも付けた人間がいれば、相手を決して許さないでしょう。怒りでどこまでやり返すか、考えたくもありません。
キリスト者として不適であっても。
端から見たら、それは行き過ぎと思われようと、私にとってはそれだけ大事な子です。

そして、初めてマリア様の苦しみも理解できたような(実際は私の理解を越えていると思いますし、そんな状況に立ちたくはありませんが)気がします。
初めて、胸が痛む程その思いを感じました。

そうしたら、不思議なことですが、何となく楽になったのです。

それで、ミサが終わって、神父様にこのところの落ち込みようをお話しました。今まではお話できる程にも気力がなかったので。

神父様からは、成長の機会、離れて初めて分かることもある、役に立たないことは1つもない、といわれました。
また、小さいものの主である神は、あの子を決して見離しはしないことも。
キリスト教では、人間以外は魂を持たぬもの、としていると思っていたので、これはとても嬉しかったです。

それから、実は苦しい時には祈りは容易い、言葉数はいらない、「アッバ」と祈ればいいのだから、とも言われました。
神父様には言いませんでしたが、私が苦しくても祈れなかったのは、「生き返らせて下さい」とは祈れないー叶えて頂けないからーと思っていたからです。
そして、私が祈るとしたら、これしかありませんでした。
病気になって、容態が急変して、「助けて下さい」とずっと祈っていたのだから。
それは聞いて頂けなかった。
だから、今さら「生き返らせて下さい」と祈ったところで、それは聞いて頂けなかったでしょう。
それを、まったく祈らなかった訳ではありません。
獣医さんが心臓マッサージをしている間、ずっと祈っていましたから。

だから後は、何も祈ることがありませんでした。
自分が苦しい、と自覚したのはここ最近ですし、だからといって、それがどうにかなるとも思っていなかったので。
苦しさをなくしたいという意志もありませんでした。

あとは、「もっと苦しい人もいるのだから」(この言葉は正確ではありませんが)だったと思います。
これは、ああやっぱり言われたな、言われたくなかったけど、という感じでした。
でも、先述の思いがあったので、それほどひっかかりませんでしたが。

神父様の言われたのは、正しいのです。
が、「もっと苦しい」という言葉で表される何か、を具体的に考えられる程冷静なら、そもそも苦しんでいません。
自分の苦しみだけで手一杯で、人様のことまで考える余裕はありません。
具体例を出されても…この状況では反発するでしょうね。だって回す頭がないんですから(苦笑)。

それこそ天啓?のおかげで、その通り、と受け入れることができましたが…。いや、あの天啓がなかったらキレてたかもしれません(かなり参っていたので)。
だから今まで黙っていたのですが(絶対言われると思っていたので。実際言われたし)。

お話できたことで、かなり楽になりました(自分でも不思議です)。
…で、勢いでサンパウロと女子パウロに出かけてきました(←趣味に走ってます)。

今日から待降節ですが、やっと私も主の来臨を待ち望む精神状態になれたようです(昨日までなら何にも考えたくなかったので)。
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すこしずつ。

2006-12-01 03:23:21 | 日常雑記
ではありますが、元気になってきました。
教会の方々が励まして下さったり、外へ誘って下さったりしてくれたので、これは無理にも元気にならなければいけないなと…。
胸は痛みますけど。

ペットロスの解消法もネットで検索して、いろいろやってみました。
それらはやはり効いたようです。
でも、やはり一番効くのは時間薬のようですが。

勢いで、といったら何ですが、手乗り文鳥の雛を飼いました。
娘時代に飼っていたということもありますし、正直、手のかかる何か(かつ、しなければまずいこと)が欲しかったので。
こんな理由で飼ってはいけないんでしょうけどね。
最近独り餌になってきて、可愛いと思う気持ちも戻ってきました。
最初は、胸の痛みの方が強かったですけどね。

でも、何かあればまだ泣いてます。
獣医さんに相談したら(別件で行く用事があったので)、「次の子を飼うまでは無理」「一番は時間薬」「悲しいのは当然なので悲しんでいい」等のアドバイスをもらいました。
…これも、とてもありがたかったです。

ただ、まだ祈れませんが(苦笑)。
祈ろうとすると、呆然としてしまっている感じです。
ミサには行きました(祈れないのに行っていいのか?)。
…聖体拝領の後しか祈れないってどうなんだか(苦笑)。
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