つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

いい天気で、よかった。

2005-08-30 16:52:03 | キリスト教(カトリック)
今日、ずっと通っている教会の神父様が外国へ出張されました。
期間は一ヶ月。

穏やかで、明るくて、お話が上手で、とてもよい方です。

ちょっと危なそうな国への出張なので、ちょっと心配ではありますが、ご無事に帰ってきて下さいますように。

出発日の今日はいいお天気です。よかった。
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最近。

2005-08-30 16:47:02 | SD
SDが我が家にやってきてから、三年目になりました。

最近は、ほとんどお着替えもせず、飾ってあるだけです。
時々、新しい服を購入したら着替えさせるくらいかな。それも、小さいサイズの子たち限定で(幼天使・幼SDではありません)。
でも、これくらいの距離感が丁度いいようです。

SDは綺麗な人形ですが、やはり人形は人形。
愛情が増す、ということはないようです(愛着は湧きます)。

最近は、ボークスの限定っ子にも興味がなくなりました。
画像だけ見て、ふーん、という感じです。

次から次に、限定が欲しい、服が欲しい、靴が欲しいとまるで餓鬼道に落ちたような状態から抜け出して、今はとても落ち着いています。
これはやはり神父様の、「とても綺麗なお人形ですが、ただのお人形です」というお言葉によるものだと思っています。
これは、このブログを始める際に悩んでいた、SDに付けられた宗教設定について、初めてご相談に伺った時のお言葉。
これを聞いて、「愛娘」だの「オーナー」だのでかけられていた呪縛がとけたような気がします。
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メダイ

2005-08-19 21:25:05 | キリスト教(カトリック)
私がとても好きなメダイは、マリア様の青い七宝がはめこまれたもので、おそらく「不思議のメダイ」と呼ばれているものです。
元々、姉が一つ持っていて、子供の頃とてもそれが羨ましかったのでした。

先日長崎でそのメダイを見かけ、一つ購入して翌朝早速身につけたところ、その日は少々体調が悪かったのですが、昼過ぎにはよくなりました。
そのかわり、何とつけたばかりのメダイが真っ黒に(七宝の周りの銀色の部分です)なっていました。
…前日に温泉に入っていたので、そのせいかとも思いますが、やはり不思議な気持ちでした。

で。
その後、サンパウロで一つ、銀製のものを女子パウロ会で一つ購入しました。
銀製の方は神父様に祝福して頂き、先日東京のサンパウロで購入した銀鎖につけて身につけ始めたのですが…。

…つけるたびに、鎖が真っ黒に、メダイの縁も真っ黒になるのです(私は朝起きるとつけて、寝る時に外します)。

銀は好きなので、銀製のペンダントやネックレスも持っていますし、今までもつけていたのですが、こんな風になるのは初めてです。
ティファニーもジェンセンもこんなに黒ずむことはなかったのに、なぜこれだけこうなるのでしょう?

何だか不思議ではありますが、一日の終わりにメダイと鎖をきれいに拭いて、マリア様に感謝。それでいいかな、と思っています。
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朝ミサ

2005-08-18 20:33:16 | キリスト教(カトリック)
今日は木曜日、ミサのある日なので参加しました。
第一朗読は士師記、福音はマタイ22章1-4節です。

ここ、ただ聖書を読んだ際にはとても疑問の残る箇所でした。
エフタはなぜ人間を神への献げ物にしようとしたのか?
ちょっと考えれば、まっさきに出て来そうなのは娘の筈なのに、思い至らなかったのか?
神はそれを受け取られたのか?
人間を供え物としては受け取らない筈では??

マタイの方も同じく、婚宴の話ですが、家来たちが連れてきた客のうちで、婚礼の礼服を着ていないと王がとがめた客がいたが、適当に連れてきたら礼服を着ていなくても当然なのでは?

と、これが以前からの私の疑問ですが、神父様のお話であっさり氷解。
1の方は、注目すべきは「主が答えていないこと」。
つまりエフタは、自分で勝手に誰かを捧げると約束しただけで、主がそれを望まれているかどうかは考えていない。
かつ、主はそうした献げ物を喜ばないとかつて明言している訳で、それがわかっていれば出て来る筈のない約束である。
主は当然望んだ犠牲ではないから、返事をしていないのだ、と。

マタイの方は、実は当時、婚礼の礼服は宴の入り口にかけてあって、招待された人はそれを着て宴の席につくものだそうです。
宴を催して下さるのは主ですが、人間の側が積極的に主に協力しなければいけない、受け身でいてはいけない、ということだそう。

いやはや、聖書は難しいです。
でも疑問が解決されて嬉しいですが。
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オフ会について。

2005-08-17 00:41:32 | 日常雑記
以前ブログを徘徊していて、偶然たどり着いて以来、時々読ませて頂いているブログがある。

今日たまたま読んでいたら、その中の「それって、変だよ。」という記事が目にとまった。
それを読んで、ふと思い出した。
以前、ロム専で人形サイトを巡っていた頃、オフ会のページは読み飛ばしていたこと。
読み物として余程面白くない限り、他人のオフ会のページなんてつまらない。
参加していれば話は別なんだろうが。

もうひとつ。
他人の楽しそうな交流の様子が書かれていると、何となくこの中に入っていくのに抵抗を感じる。
活発に交流しているサイトさんに書き込みしても、受け入れてもらえるのかどうか、と思ってしまう。
…なので、頻繁にオフ会をしてその報告ページを載せているサイトさんには、そういえば書き込みをしたことはない。

オフ会に参加してみると、その報告ページは楽しいし、ちょっとしかなくても楽しく読める。

ただ、不特定多数の人に公開するものとしては、判断の難しいところだと思う。

そんなことを、考えた。
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湖上を歩く

2005-08-05 16:12:44 | キリスト教(カトリック)
昨日の聖書研究会で読んだところです。
今週の土日に読まれる箇所、マタイ14章22~33節。

実はここ、イエスが何をもってペトロに「信仰薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われたのか疑問だったのです。
…まぁ、確かに先生と仰ぐイエスが湖上を歩いてきたらたまげるのも当然ですが、顔見て声聞いたらイエスかどうかはわかりそうなものです(だから「幽霊だ」と最初騒いだのかもしれませんが)。
で、ペトロが「主よ、あなたでしたら…」と言って側まで歩いていこうとするが、風の強さに恐ろしくなって沈みかけ、「主よ、助けて下さい」と叫ぶと、イエスが手を掴んで下さり、「信仰薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言う。
そして船に戻ると、船にいた人びとは「本当にあなたは神の子です」といった、という話ですが、ペトロは「何」を疑ったのでしょう?

候補は二つ。
1.湖上を歩いていたのがイエスであるかどうか。
2.イエスを信頼して歩き始めたにもかかわらず、風におびえたこと。

神父様のお話では、初期教会について例えた話だとのことで、船は教会、人びとは初期のキリスト者だそう。
で、この場合は1にあたる、とのこと(とはいえ、正確にはどっちだかわからない、とおっしゃっていましたが)。
ただ、イエスが刑にあったあと、墓にイエスがいないと探したマグダラのマリアにイエスが現れたことと比べて、ペトロのことを話しておいででした。
…確かにマグダラのマリアとペトロとでは、マグダラのマリアの方が信じにくい場面です。

ところが、今日、サンパウロのHPを見たら、解答が2に。
雨に気をとられず、イエスだけを見なければならないと。
…神父様によって、解釈もちがうものなんでしょうか??

まぁ、歴史書の場合も、学者によって意見が割れるものですが…。

結局、自分自身はどっちの解釈がすっきりするかというと…しいていえば1でしょうか。
2もわかりやすいのは確かなんですが…湖上を歩く、なんて普通では絶対できないことをしている上に、揺れたら怖いだろうなとペトロに同情してしまうので。
それなのに先生に「なぜ疑ったのか」と叱られたら…私ならショックだから(苦笑)。

…しかしこんな私でキリスト者としていいものなんでしょうか。
ちょっと悩みます。
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「キリストにならう」

2005-08-03 23:50:10 | キリスト教(カトリック)
最近はまったく信仰面のことは書いていませんが、主日ミサにはきちんとあずかっていますし(土曜日の夜の参加が多いです)、週一の聖書研究会にも出ています。
理解の程は…いくらか、かもしれませんが

知識でなく、心で感じるものだと神父様から言われたこともありますが。
習い性なのか(苦笑)、知識を探してしまいます。

神父様お勧めの本と、私が店頭でいいな、と思った入門書の類は購入したのですが。
それ以上となると、何を読んだらいいのか???

先日の主日ミサでも、シスターが本やグッズなどの出張販売をなさっていたので、質問して本を選んで頂きました。
で、その後、カトリック書店に出かけて気になったのが、タイトルの本です。
「キリストにならう」。
リジューの聖テレーズの愛読書です。

その日は他の本を買ったのですが、やはり気になって。
今日また買いに行ってきてしまいました。
…これはいつものペースでは読めそうにないです。
神父様お勧めの本と同じく、ゆっくり読んでいくつもりです。
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花火

2005-08-01 23:39:13 | 日常雑記
花火見てきました。
昨年は都合で一時転居していたので、二年ぶりの花火です。

朝から曇りだったので、ちょっと心配していたのですが、幸い終了まで降り出さず、花火を堪能することができました。

終了後、ぽつぽつと雨が降り出し、何と雷も!
雨は駅に入るまではそれほどでもなく、最寄り駅に着いた時には降っていなかったので、ほとんど濡れずにすみましたが…。

神様が花火の答礼に、雷を鳴らしてくれたのか?と主人と話しておりました(不謹慎?)。
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