つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

今も続く悩み

2005-05-30 10:19:25 | SD
それでも、うちの子たちを、可愛いと思う気持ちがなくなった訳ではないことが、余計に苦しかった。

そして、ちょうどスタンダード切り替えになったこともあり、お友達の言葉に救われた部分もあり、無理矢理に割り切ることにしました。
「この子達は設定前にうちに来た子たちだから、あの設定とは別物、これはうちの子。ボークスとは関係ない」。
ピュアスキン化により、生産終了した旧肌の子の方が多いことから、これは何とかできました。
「この子たちはボークスから縁切りされたようなものだから、もう何の関係もない」と思いこめたからです。
もう新しい子はボークスからお迎えしない、と決めましたし。
それでも、澱のように溜まる不快感はなくなりはしませんでしたが。

ところが。
またもや不快な話を聞くことになります。

前回のドルパ13において、とあるVTRが流れ、そこでボークス社長が、「やはりSDには魂が宿ってるんですねぇ」とコメントしたという…(VTRの内容は、葉月的に不愉快ですので意図的に省略しています)。


VTRの内容は、私的にはどうあれ、作りたい方が作るのは結構ですし、仲間うちで見るのも結構です(法律に触れる内容ではないですし)。
でもそれをドルパで流すことを許可し、このようなコメントをつける、ボークスという企業の無神経さに不快感を覚えます。
100歩譲って、ドルパで流すところまではいいとして、こういうコメントをしてしまえる異常さに気づかないあたりに絶望します。

普通、「この人形は私の生まれ変わり(or前世)なの」と言われたら、ひくと思います。
人形に魂が宿る、という話はありますが、それは人形師が精魂込めて作り上げた、あるいは持ち主が溺愛したが故に、その人形に魂が宿る、という話です。
持ち主の前世だの、生まれ変わり(今生きているのに?)などという話は聞いたことがありません。
いえ、ボークス社長が個人的にどう思おうと勝手ですし、それをとやかく言うつもりはありませんが、社長という立場で公の席でコメントするのとは別です。
企業の代表から出されるコメントは、ユーザーに対してある種の強制力を持ちますから。

この他にも聞いた、見た(聞いた話を調べようとして)ものもありますが、それは(それそのものはひきますし、私自身の倫理観に外れますが、ボークスやSD全体に関係するものではないのではぶきます)ともかく、このような宗教的な面での不快感は深く、辛いです。
でもこれはSDを所有し続ける限り、ボークスとは縁が切れないため、続くことになります。
けれど、うちのSDたちを、見限ることもできない。

中途半端な状況です。
割り切れない。

趣味なのに重い、から、趣味なのに辛い、になり、それでも思い切れない情けなさに、いまだ苦しいです。


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