孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

いいえ、誰でも

2016年03月19日 | 社会観察
3.11は、職場でも1分間の黙祷をするよう社内放送があって、皆頭を垂れて黙祷をした。玄関横の国旗・社旗の掲揚もあの日は半旗で弔意を示したつもりであったようだったが、旗棹の全長の半分の位置まで旗が降ろされていたので、旗が異様に低すぎて、見た感じ何とも間抜けな印象を受けた。

5年も経ったとは、驚いた。あの時、私は家でテレビの悲惨な状況に文字通り釘付けになっていて、一緒にいた家人も私も、何分間も一言も発することが出来ずにひたすらテレビ画面を見つめていたのを覚えている。

その後のテレビ報道もなるべくたくさん見たのだが、原発の事故が起きてからの専門家の解説が専門的過ぎて、一体大丈夫なのか大変な状況なのか分からず、何百キロも離れたところにいながらも不安な心持がしたものだった。

ずっと後になって分かってきたのは、当時の政権の対応のまずさがいろいろあったことで、5年経過を機会に、総括をしっかりとすべきではなかろうか。

当時テレビからは、CMがほとんど消え去り、ACジャパンの公共広告のみが繰り返し流れていた。





インターネットではどこかの皮肉屋がこの、「こだまでしょうか」のパロディーを作って公開していたが、なかなか良くできていたので、笑っては失礼かもしれないが、大笑いしたものだった。




皮肉屋もすなる、パロディーというものを、素人の私もしてみんとてするなり

題材は、当然今世間を騒がす夢売る集団の、とある行為、、、



士気を高めるために、ほんの端金(はしたがね)をやり取りしただけでしょうが、、




「賭けよう」っていうと
「賭けよう」っていう。

「がんばろう」っていうと
「がんばろう」っていう。

「もう賭けない」っていうと
「もう賭けない」っていう。

 そうして、あとで
 さみしくなって、

「声だしやろう」っていうと
「声だしやろう」っていう。

賭け事でしょうか?
いいえ、験担ぎです。



金銭授受とは言わないで・・

2016年03月19日 | 社会観察
この電話会社の創業者は、日本の家族の大黒柱である父親を犬に、長男を黒人にしたテレビCM(犬の子や黒人は半島人の侮辱用語)を作って喜んででいるようだが、その球団会長である王貞治氏が、プロ野球選手たちの常識はずれの金にまつわる習慣についてコメントした。



曰く、「やったことは悪いことかもしれない。 (選手自らの)集中力を高めるためで、ファンを裏切るためにやったわけではない」 と、有害行為につながる意図はなかったとの認識を強調し、ソフトバンクを含む半数以上の7球団に問題が広がったことについては、、、


「選手もトレードで交流する。前の球団でやっていたと聞いたら発奮するために考えるかもしれない」との 見解を示し「金銭授受という言葉はきつい表現。使わないでほしい」と要望したそうだ。

有体に言えば、『まあ、そんなに目くじら立てることじゃないんじゃないの?』と言っているわけだ。

高校野球選手権の地方大会などでは、野球には関係ない生徒が不祥事を起こしても、潔く大会への出場を辞退する高校もある。出場辞退は、野球選手が決めるのではなく、大人たちが決定するのだろうが、苦渋の決断であるはずだ。

素人でもこれくらいの事はやってのけるのだから、子供たちに夢や元気を与える大人たちは、この際範を示すべきだと思うがどうだろう。

若いとはいえ、問題となった賭博カルテットは皆成人である。



泣きべそをかきながら、「奥さんと両親に相談して、真実を言うことにした」と話していた選手も、そうすることで許されると踏んだ結果だろうが、どうもそうなりそうな雰囲気である。

子供の頃から野球漬けで、社会の常識的な倫理観や道徳観など身についていない連中ばかりの球界のようだが、それまでの指導者達は野球しか教えてこなかったのだろうか。



一球ごとにベンチを見て監督の指示を仰ぐスポーツだから、こんな未熟な連中が出来上がってしまうのだろうか。

さらに私は高校生のときから、試合に勝てば、すべて監督の手柄のように、真っ先に勝利監督のインタビューをするテレビ報道やその監督達にに違和感を持ち続けている。



有名な高校野球の監督が、ある時から分不相応な高級外国車を乗り回しているなどということを聞くと、はは~ん、教え子がプロ野球選手になる過程で何か裏工作があるのだな、と想像したものだ。

卒業してから何年も経って、母校が地区予選で連勝して、すわ、甲子園出場か!という頃、手際よくそうなった場合の寄付の要請が送られてきたことがあった。結果は代表に離れなかったが、当時の行きつけの床屋さんの話だと、寄付は1000万円以上集まったようで、使い道に悩んでいるそうだった。

とかく、金が絡むと、それに反比例して人の道から外れていくもののようである。

金銭授受と言わずに、「奨励金」とか「お駄賃」とか呼び方を変えたところで、金は金であって、無垢な若者の人生を狂わす凶器みたいなものだろう。