孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

ベトナム人留学生、ロン君のこと。

2016年03月12日 | 日記
先日ネットニュースで、ベトナムが日本語を英語と並ぶ第一外国語として必修科目に決めて、今年の9月から試験的に3つの小学校で開始するそうである。

しかも、小学校3年生以上が対象だそうで、こうなると日本語教師をどう確保するかが課題となってくるわけだ。

英語教育の若年化を推し進めようとするお役人達は、このニュースを歓迎するだろうが、何も日本人がベトナムのマネをする必要はない。問題意識の持ち方、外国語に対する考え方が違うベトナムのマネは禁物であろう。

ベトナムは、一度訪れたいところだ。実際、日本語のニュースを見たとき、私は遠い昔の学生時代のクラスメートだったベトナム人のことを懐かしく思い出した。

グエン・カン・ロン君という名前の彼は、父親が母国の高級官僚だったこともあって、いつもブレザーとスラックスを着こなしていて、我々のように汚いジーパンに下駄という格好と比べると、まるでロン君は貴族のようだった。

しかも昼の学生食堂では、我々はいつも100円のラーメンとか120円のC定食なんかをいつも食べていたのだが、ロン君は一番高いA定食ともう一皿おかずをつけているのが、私たちに身分の違いを痛感させたのだった。

英語の授業のときは、ロン君は流暢な英語を披露してくれた。しかし、読んだ英文を和訳するときは四苦八苦していて、我々は同情したものだった。

「ロン君は頭の中で英語をベトナム語に訳してから、それを日本語に訳すんだろうか?それとも、英語を直接日本語に訳すんだろうか?」などと心配した。

そのロン君も、当時真っ只中だったベトナム戦争の影響で、3年になると暮らしが一変し始めた。南ベトナムからは、次々と母国を捨てて逃げ出すベトナム人がニュースになっていた。彼の家族もアメリカに渡って、それ以来ロン君への仕送りもストップしたのだった。



その頃になると、講義で一緒になることもなくなってきて、4年になってからはロン君のこともあまり気にならなくなってきた。

いつも、ニコニコして愛嬌がある好青年だったのだが、ベトナム戦争の被害者であったことには間違いなかった。