グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

ゆざわジオパークを案内してもらいました・その1

2015年11月15日 | 火山・ジオパーク
11月12日の湯沢到着後、ジオパーク推進室の沼倉さん、加賀美さん、ジオガイドの川井さんに夕暮れまで案内していただきました。

最初に連れて行ってもらったのが「院内銀山」
ここは江戸時代から昭和29年の閉山まで約350年続いた我が国有数の銀山だったのだそう。

見せてもらった写真には、たくさんの家が写っていました。
すごく栄えていたのですね。

銀が含まれた岩を取るため掘られた穴は、なんと深さ約400mとのこと!

まるで蟻の巣のような形にも驚きました。

その穴の出入り口を見せてもらいました。

(この入り口は明治天皇が入坑してから『御幸抗』と呼ばれるようになったそう)

明治時代には102名の人がこの中に閉じ込められて亡くなる銀山史上最大の火災事故があったとのことです。

火を消すために人を穴の中に残したまま入り口を塞いだという説明や、粉を吸って肺を病み30歳までに亡くなる人が多かったという説明から「命がけの仕事だったのだなぁ」と思いました。

ところで、何でここで銀が採れたのかというと、この図のように…

銀を含む熱水が岩の隙間に沿って上昇し、固まって結晶となったからとのこと。
しかし、どうして銀の出る火山と、出ない火山があるのでしょう?(それぞれ個性の違う火山…面白いです!)

湯沢の火山は、銀だけではなく、建材として優れた石も生み出しました。
その名も『院内石』

約800万~600万年前の噴火で地上を覆った火山灰が溶けて固まり石になったもので、耐火・耐水・耐圧に優れ、地震にも強く、コンクリートよりもひび割れがないのだそうです。

その石切場に、連れていってもらいました。

ここは、藪だったところを地元の人達が整備して、見学できるようにしてくれたのだそうです。

目の前には大昔の噴火でできた巨大な凹地(カルデラ)が開けています。

(手前の山は、凹地ができた後の噴火で積もったものとのこと)

坂を登ったところは、こんな風景でした!


はぁ~

なんて素敵!

すっかり石好きと化した私には、たまらない風景です(笑)


足元には院内石のかけらがゴロゴロ。

軽くて加工しやすそうです。

院内石は、様々な場所に使われていました。

院内銀山にある神社の…

石段や…


町中のさりげない風景の中。

(これが規格サイズのよう)

旧町役場倉庫や…


子ども達が遊ぶ広場の石垣。

この石垣は、上2段は院内石だそうですが、下2段は銀を採った後の残りを再度固めた物だそう。

沼倉さんは、この石を前に「地球が溶かした石から銀を採って、それをまた人間が溶かして使っているんです」…というような意味の説明をしてくれました。

こちらが「人間が溶かした石」です。

湯沢の人の歴史も、ジオそのものですね!(感心)

町中の何気ない風景の中で、人の暮らしと地球が織りなす物語を感じることができました。

多忙なお仕事の中で、ご案内いただいたことに感謝です。
ありがとうございました!

まだまだ書き切れませんが、長くなるので今日はこの辺で…。

(カナ)





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