自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

ラマダーンの月に、、、

2017年06月07日 12時41分09秒 | コラム

 イスラム暦の9番目の月、ラマダーンではイスラム教徒は日の出から日没までは一切の飲食を禁じている。今日明日の食べ物がなくて、ひもじい思いをしている人への共感を思い起こさせ、貧しい人への喜捨を義務とするイスラム教義の実践を諮る月となるのだろう。

 ”ひもじい”思いをした世代、つまりこの国では戦後の一時期、それ以前では人類の歴史500万年の内大部分はひもじい思いをしてきたはずだ。農耕が始まり定着民は日々働くことにより飢えからは解放されたが、遊牧民からは略奪の対象であった。”ひもじさ”が他への思いやりにもなるし、他から奪い取ることにもなる人間の性を、何とかして善導しようとしたのが、宗教家達なのだろう。

 世界三大宗教と言われている、仏教、キリスト教、イスラム教、もっとも古い仏教は、インダス文明の栄えた定着地に進入してきたアーリア人が現地人を奴隷とし、その支配を正当化するために、バラモンの教義を強制した。つまり神はその唇からバラモンを、両手からクシャトリアを、両足からヴァイシャを、足の裏からシュードラを作った。それ故に生まれながらにして尊いのがバラモン、泥にまみれるのが当然のシュードラ(奴隷)。それに疑問を持ち。釈迦族の王子で有りながら、セルフディナイアルして、”人は生まれによってではなく、その行いによって尊くもなるし、卑しくもなる。”と説き、”有り余る財は身を滅ぼす、喜んで捨てなさい。”と教えた。現地、インドでは定着せず、東アジア、東南アジアに広く広まった。

 宗教界でも、”権力は腐敗する”は貫徹するようで、”宗教はアヘンである”も真理である。イスラム過激派の自爆テロが頻発しているが、イスラム教宗派内の対立で、反対派を暗殺する正当性を信じ込ませ、”聖なる戦いの戦士”となれば天国に生まれ変われるとの教義を信じるようにさせないと、暗殺も自爆テロも起こるはずはない。そういえば神風特攻隊の若者も注射を打たされて突入していったそうだ、、、。