自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

『ボールは丸い』が実現、、、。

2011年07月20日 15時14分49秒 | コラム

 ボールは丸く、どちらにでも転がっていく、という意味で、特にサッカーの勝敗に関して言い続けられてきた言葉である。かって、1934年のベルリンオリンピックで、スウェーデンと対戦した日本が、雨あられのシュートを打たれながらも粘り抜き、3対2で勝利したことがある。ベルリンの奇跡といわれたのだが、初戦の勝利で世界中を驚かせたものである。今回のなでしこジャパンのフランクフルトの奇跡は、恵まれない環境というより、逆境の中での勝利であるだけに、よくやったの一言を、10度繰り返しても足らないであろう、、、。

 サッカーファンの一人として、なでしこの全試合を、夜中、朝方と観戦したが、決勝トーナメント戦の3試合は奇跡の連続、確かにボールは丸いを実感できた試合内容であった。彼女たちの快挙を、金銭で報いたり、政治的に利用したり、まして国威発揚に利用したりするのは間違っている。男女平等が実現している国の女子サッカーは強い、といわれるように、彼女たちが先駆けて強さを示してくれたのだから、この国の政治の世界での男性優位を対等になるよう社会全体で向かうことに最大限生かすことだ。

 ベルリンの奇跡が起きたころ、金子みすずが残した詩に。『女の子って ものは 木のぼりしない ものなのよ 竹馬乗ったら おてんばで 打ち独楽するのは お馬鹿なの 私は こいだけ 知ってるの だっていっぺんずつ 叱られたから』がある。平塚雷鳥氏が『元始、女性は太陽であった。』と述べ、シモーヌ’ボボアール氏が『人は女に生まれない。女になるのだ』と訴えたように、また女性参政権が実現したのが、1893年、ニュージーランドが世界最初、20世紀初頭に北欧、アメリカが1920年、民主主義の先進国といわれ続けたイギリスも1926年、日本に至っては戦後になってからである。リカチャン人形に見向きもせず、ボールをけり続けた沢選手は、太陽を取戻し、女になることを拒否した人生を選んだといえるだろう。

 男性優位の歴史はいつから生まれいつまで続くのかはわからないが、命を生む女性に対する配慮が、その起源ではないのだろうか。四季の歌にある、『根雪を解かす大地のような』目に見えない大きな力に対するジェラシーが昂じて、家の中に閉じ込める、家内という言葉も生まれたのかもしれない。非難されてるタリバンの女性に対する対応は、配慮昂じての蔑視となったといえるだろう。