フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

年の暮れは、やはり忘年会

2012-12-19 | 人々との交流

大阪に戻って来て、友人との忘年会が続く。

まずは山の会の忘年会。名物の京風おでんに舌鼓を打ちながら、来年の山行計画の話が進む。

日本百名山登頂残すところ数山になったメンバーから、屋久島宮之浦岳に登ろうと言う提案が出された。5月のベストシーズンがいいらしい。全行程は6日ほどかかる。鹿児島まで車で往復するルート、時間がかかるが一番安く行けて、天候が悪くなった場合、日程の変更もできるのがいい。果たしてそんな体力があるかな、などいいながら美味しい板蕎麦で締める。

続いては、大学の博士課程で学んでいる二人の友人との「三酔人経綸問答」。名物串カツを頬張ろう。

最近体調を崩していた一人が、無事に癒えて、その快癒祝いだ。博士論文の話を聞くと、読んでいる本も書いていることも、難しくて当方にはさっぽリ分からなかった。道頓堀も久しぶりだ。

その翌日は、イルミネーションで飾られた心斎橋に出る。2013年の手帳と新潮社の「マイブック 2013年の記録」を買う。ヤマハに入って、フルートの楽譜を片っ端から読む。吹いてみたい曲が沢山あるので困るものの、楽譜を買うのを我慢した。その後、以前通っていたフルートオーケストラのメンバー3人と落ち合う。フルート中心の楽しい会話で旧交を温めた。

 


冬の一日

2012-12-14 | 日記

今日もいい天気になった。外気温はマイナス8度。朝食後、いつもの散歩コースを歩く。八ヶ岳は薄い雲のヴェールがかかった青空を背景に一段と白さを増している。

南アルプスも美しい。

向こうの村からは、煙が立ち上っている。長閑な山里の風景だ。

葉を全て落としたコナラの巨木が、堂々と天を突いている。

1時間ほど歩いて部屋に戻って来る。日課のフルートの練習をしておこう。今日からアルテは25課だ。ハイドン(1732~1809)のソナタは、明るく優雅だ。その当時はどんな所でこの曲は吹かれていたのだろうか、と想像してみる。

午後からは、妻はまたまた、豚まんと饅頭を作り始めた。私は庭に出て、薪の丸太作りをする。その後、庭中に散らばっている丸太を、先日の薪割りで空間ができた、家の西側の薪置き場に運んだ。この作業は4時までかかった。

アダージョの森には今日も静かない夕暮れがやってきた。

日が落ちてから、地元のAさん宅に年末のご挨拶に伺う。丁度寄り合いが終わって、皆さんが帰り始めていたところだった。津金のリンゴを頂戴しながら、水抜きや井戸など、笑い声の混じる会話を楽しいんだ後お暇した


「古楽とは何か」(ニコラウス・アーノンクール)

2012-12-13 | 濫読

 先日、バイエルン放送交響楽団が京都コンサートホールで、ヤンソンス指揮の「運命」を演奏した。私は「運命」が好きなので特になんとも思わなかったが、アーノンクールの問題意識はこういったことに疑問を呈することから始まる。今日の演奏会のプログラムにおいては、演奏曲目が限りなく少なくなってきている、はたしてこれでいいのだろうか、今日の音楽は力を失ってしまっている、人々の生活からかけ離れてしまっているのではないか、ということである。

「中世からフランス革命に至るまで、音楽は文化や人生の大黒柱の一つだった。音楽を理解することは一般教養に属していたのである。今日では音楽は、オペラや演奏会に行くことで虚しい夕べを飾り、…ラジオによって家庭での静寂の淋しさを追い払ったり活気づけたりするための、単なる装飾と化してしまっている。したがって今日われわれは、量的にはかつてよりはるかに多くの音楽を、それもまさにほとんど切れ目なしに所有していながら、音楽は人生にはほとんど何の意味ももたず、ちっぽけな装飾につぎないという、矛盾に満ちた状況が生じたのである。」

「音楽がもはや人生の中心に存在しなくなってから、すべてが変わった。装飾としての音楽は先ず第一にあらねばならない。…美しさというのは音楽の単なる一つの要素にすぎない、人々の暮らしには、醜い面や辛いところもあるが、それらから逃げようとうしているのが今日の音楽だ。

もう一度、モンティヴェルディやバッハ、モーツァルトの音楽をただ美しさを求めることから越えて、全体として理解することにより、それらの音楽がもつ力とメッセージに身をゆだねようではないか」と

以下、成程と思った文章を、書き記しておくことにする。

《音組織と音程法》

「我々は、音程法のシステムを全ての人の基準とすることはできない、…われわれにとって純正なものは他の人にとっては間違いであるということもあるのである。…われわれは聴覚を多くの場合ピアノの平均律に即して訓練してきた。この調律法においては、十二の半音はすべて、厳密に等しい間隔で調律されている。…そこでもし耳にこのシステムをもったまま、別のシステムに従って音程づけられた音楽を聴くならば、それは間違って演奏されたような印象を受けることになる。」

…ピアノでク訓練された「絶対音感」は演奏家にとっては、障害になるということか。

《古楽器は是か非か》

「ベーム式フルートの響きの理想から見れば、オットテールのフルートは、さまざまな音が均質に響かないから悪い楽器であるし、一鍵式フルートの側から見れば、ベーム式フルートは全ての音が画一的に響くから悪い楽器であるともいえるのである。

楽器を選択する際に決定的な意味を持つ問題は、客観的なクオリティである。現代楽器で演奏するべきか、古楽器で演奏するべきか、という問題のほかに、そもそも楽器とは何か、ということも問われなばならない。

一時的な古楽器ブームの結果として、数多くの多少とも美しく仕上げられた六穴ないし八穴の木管が、たとえその響きが常に適切でなくても、などともてはやされて使用するようなことがあってはならない。われわれは常に、聴覚や趣味を審判官として、最良のものにのみ満足をすべきなのである。」


「モーツァルトにはモンティヴェルディと同様の原理が見受けられる。モーツァルトにとって重要だったのは常にドラマであり、対話であり、個々の言葉であり、衝突とその解決であり、雰囲気全体を象徴するポエジーではなかった。

モーツァルト以降の世代になると、対話的・言語的な要素はだんだんと音楽から失われていった。その理由はフランス革命およびそれの文化面に引き起こした変化にある。…聴き手はそれ以降もはや対話の相手ではなくなり、響きから刺激を受け陶酔する享受者へと変えられたのだった。私が、考えるに、革命前の音楽をわれわれがまったく理解できない理由はそこにあるのだ。」

「音楽は対話」だとの観点から、アーノンクールは、極論して、今日のクラッシク音楽の「衰退」の原因をフランス革命に求めている。果たして今日の私たちは、彼が言う様に「革命前の音楽を全く理解できない」のであろうか。18,19世紀の音楽に慣れ親しんできた一人として、17、16世紀あるいはそれ以前の音楽とどのように向かいあって行くべきなのであろうか。

かつて受験勉強で齧ったフランス革命の歴史に改めて興味が湧いてきた。

今日もアダージョの森は静かな夕暮れを迎えた。


フルート・陶芸・干し柿・まんじゅう

2012-12-12 | 趣味

今日は夜明け前には満点の星が輝いていた。いい天気になったので冷え込みが厳しい。外気温はマイナス8度まで下がったきた。
朝日に紅く染まってきた八ヶ岳が美しい。

赤岳は燃えるようだ。

朝の間は、昼からのレッスンに向けフルートの練習をする。アルテの練習が終わってから、有田正弘の演奏でよく聴いているコレッリの「ラ・フォリア」を吹いてみたくなった。インターネットでダウンロードした楽譜はヴァイオリンのものだが、試しに吹いてみると下手なりに十分楽しむことができた。

妻は、先日から軒につるしていた干し柿が、そろそろ頃あいになってきたので、採り入れる。それを藁に入れて寒風にさらすを、白い粉が吹いて更に美味しくなるそうだ。

それが終わると、薄皮まんじゅう作りをやりだした。

中に甘~い粒餡が入っている。今回は上手くできたと納得していた。

昼からは、「チャミタクハウス」で今年最後のフルートレッスンである。長い間やってきたアルテ24課のターン練習。NO3の練習曲だが、トリルの終結部の入れ方、ターンを慌てずにきっちりと吹く、音楽性を忘れずにクレッシェンド等をかけるなど、チェックを受ける。最後の鈴木先生との二重奏もまずまずの仕上がりで、一応「○」を貰うことができた。やれやれである。
続いて、25課のハイドンのソナタを一通り吹いていただいた。来年へむけての宿題だ。
練習が終わるとトム君が出てきた。「ママ」「耳」などを大きな声でいいながらニコニコしている。

妻の陶芸作品が出来上がってきた。一つは香炉、ろうそくの上に茶葉などを入れて香りを楽しもう。

 

 もう一つは薬味入れ、直径5センチ、高さ8センチぐらい、色はくろがけとビードロだ。余った土を使ってお猪口も出来上がっている。

今日は「12・12・12」という珍しい日だ。

 


寒い日は薪割りで暖まろう

2012-12-10 | 薪ストーブ・焚火

今日はいい天気になったが、冬型の気圧配置が強まったため、冷え込みがきつい。朝食後いつものハイキングコースを歩くと、南アルプスには深い雪雲がかかっている。

畑の小川にはつららが掛かっている。

デッキの前にかけていた小鳥の巣箱に、シジュウカラがやってきて入ったり出たりと忙しくしている。この家が気に入ってくれればいいのだが。

昼からは、庭に出でる。まだあちらこちらに雪が解けずに残っている。

薪割りをやった。重い斧をしばらく振り降ろしていると、だんだん身体が暖まってきた。運動不足を解消するのにも、なかなかいいスポーツにもなる。一石二鳥だ。薪ストーブは、薪を割って暖まり、ストーブで燃やして暖まり、薪が燃える炎を見て心が暖まると言われている。成程成程。

その後は、部屋の中でフルート練習をやる。アルテ24課ターンのNO3の練習曲をなんとか仕上げたいと思っているのだが、どうも慌てていけない。トリルの終結部を入れるのも上手く決まらないのが悩みだ。その後、バッハフルートソナタBWV1033のAndante~Allegroと「ハンガリー田園幻想曲」Molto Andanteを吹いて楽しんだ。