フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

「深い河」遠藤周作

2011-04-15 | 濫読

遠藤周作が壮絶な闘病生活を送りながら、書き上げた最後の長編小説と言われている。
遠藤周作はクリスチャンとして、如何に人の苦悩にキリスト教的な解決の道筋を与えるのか、と思って読んだ本だったので、的が外れてしまった。キリスト教であろうが、ヒンズー教であろうが、仏教であろうが、宗教の違いを超えて、人々の苦しみをつつみ込みながら悠久に流れるガンジス川的な人類愛の深い流れに精神の救いがあると言わんとしているのであろうか。「深い河」の中では、マザーテレサの活動も紹介されているが、キリスト教の教理主義が批判されている様にも見受けられた。

「一人ぼっちになった今、磯部は生活と人生が根本的に違うことがやっとわかった。そして、自分には生活のために交わった他人は多かったが、人生の中で本当にふれあった人間はたった二人、母親と妻しかいなかったことを認めざるを得なかった。
『お前』と彼はふたたび河に呼びかけた。『どこに行った』
河は、彼の叫びを受けとめたまま黙々と流れていく。だが、その銀色の沈黙には、ある力があった。河は今日まであまたの人間の死を包みながら、それを次の世に運んだように、川原の岩に腰かけた男の人生の声も運んで行った。

この本のポイントともいえる箇所だが、読者には、何故主人公磯部が、こうした考えを持つに至ったのか、人生の中で本当に触れ合ったのは何故二人だけで、しかも女性なのか、は物語として説明されていない。主人公の独白だけでは、人生論の論文になってしまうだろう。直ぐに悪の誘惑に駆られる美津子の姿も、限りなく薄いのも納得できなかった。

昨年末に買ったテレビのエコポイントが届いた。と言っても量販店に取りに行かねばならない仕組みになっているので、ミナミのビッグカメラに出向く。