指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

暴走老人の本質は、

2012年10月27日 | 政治

石原都知事が知事を急に辞職して、自ら国政に出ると発表した。

当然、「1年前が任期満了で、そのまま引退した方が良かった、なぜ今頃辞めるのか、中途辞職は無責任だ」というのは、その通りである。

では、石原慎太郎の本質はなにか。

映画『日蝕の夏』で、石原を主演男優として使った監督の堀川弘通は『評伝・黒澤明』の中で次のように書いている。

「石原慎太郎主演の珍品であることは確かだった。太陽族の先駆けである石原が、臆病で慎重な男だったのは意外だった」

もちろん、当時22歳のときのことである。

だが、彼が慎重な男だったと言うのは、彼のそれまでの人生から見れば当然だろう。

山下汽船という、船会社としては、決して一流ではないが、それなりの大会社の重役で、戦時中の小樽では栄耀栄華を究めていた石原家が、東京に転勤になり逗子に住むとすぐに父親が急死して、急迫する。

二人の兄弟に必要以上の贅沢を与えていた事で、弟の石原裕次郎は、高校生時代から放蕩無頼の生活になってしまう。

その中で、家長たる慎太郎は、慎重かつ真面目に自身と石原家の生き方を考えて行かなくてはならなかっただろう。

 

午前中、彼の原作『挑戦』を須川栄三が監督した、三橋達也、司葉子主演の『愛と炎と』を見た。

出光興産の社長出光佐三をモデルにした小説で、彼の下でイランから石油輸入を実現させた男のドラマ。

ここで描かれているのは、米占領軍に抗して、アラブから石油を輸入し、日本の民族石油産業を奮い立たせた男たちの美しい姿である。

これを見ると、石原慎太郎は、三橋達也が演じる、石原より少し年長の戦中派へ、ある種の憧れを持っているように見える。

石原慎太郎は、太平洋戦争に行き遅れたことが、最大の悔恨のようにさえ見えてくるのだ。

彼が今回も口にした、最後のご奉公等のセリフの古臭さは、戦時中の日本人のものであるが、それに強い憧れを未だに持っているように思える。

その意味では、慎太郎は、やはり「「遅れてきた青年」なのだろうか。

今では、「怒れる高齢者」であり、田中眞紀子には、「暴走老人」と言われてしまったようだが。

三橋達也と恋仲になってしまう、出光佐三役の森雅之の娘の司葉子は、後に映像作家となる出光真子であり、彼女が連れている文化人風の戸浦六宏が演じた男は、美術評論家の東野芳明がモデルだと思う。

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意外な傑作 『青い獣』

2012年10月27日 | 映画

1960年、堀川弘通が、白坂依志夫の脚本で監督した、仲代達矢を主人公とする作品で、意外にも大変面白い傑作だった。

小出版社の編集部員の仲代が、美貌と度胸と知恵で、出世してゆく話で、言わばジュリアン・ソレル物語である。

大学時代は学生運動をやっていた彼が、田崎潤社長の雑誌社に入れたのも、田崎の妻丹阿弥弥寿子と関係していたからだったが、こうした背景は次第に語られていく運びもよくできている。

雑誌社では、賃上げと不当配転で経営者側と組合が対立していて、仲代は組合の副委員長だが、実は田崎に内報し、金を貰っている。

仲代の学生時代の友人で、労評専従(総評のことだろう)の中谷一郎も争議に介入してくるが、組合は分裂し、闘争は敗北に終わる。

一方、仲代は、雑誌の取材で、大財閥千田是也の娘で美女の司葉子を見たことから、彼女に目を付けモノにしてしまう。

最後、無事千田に二人の仲を認めさせ(千田が当時俳優座の代表であるので一座員の仲代が堂々と対するのがおかしく見えるが)、すべてが上手く行ったと思うと、 いうものである。

中谷に一緒になっている元女学生闘士が淡路恵子で、もちろん仲代は彼女とも関係する。この二人のホテルの部屋に、中谷が来た時の3人の芝居が非常に良かった。淡路恵子が、芝居、特に台詞が上手いのに感心した。

司葉子が著しくきれいだが、学生の一人として児玉清が出ていた。

この頃、堀川は、前年に『黒い画集・あるサラリーマンの証言』を撮り、その前にも小林桂樹の『裸の大将』を作っており、最高潮だったと言える。

彼は、リアリズム派なので、理詰めの運びのミステリーや、その逆も真なセンチメンタルなメロドラマにも合っていたのだろう。

松竹大船で最高のメロドラマ『君の名は』を監督した大庭秀雄が、非常に知的であったように、メロドラマは論理的でないと成立しないのである。

 

併映は、名作『女殺油地獄』で、近松門左衛門の筋書の上手さにあらためて驚嘆するが、桂米朝、芦屋雁之助・小雁兄弟、三津田健など、さまざまな俳優が出ている。

音楽は、宅孝二で、この人は大映が多く、東宝は少ないと思うが、荘重な響きだった。

新文芸坐