指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

これも、もうひとつの「血脈主義」ではないか

2012年10月20日 | 政治

作家佐野真一が週刊朝日で、橋下大阪市長の出自に触れたの記事に対する、橋下市長の記者会見をテレビで見た。

書店に行くとすでに売り切れだった。

記者会見の中で、橋下市長は、朝日新聞の大阪市政記者室の記者に対し、

「週刊朝日の100%出資の親会社である朝日新聞の責任がないのか」と激しく追求していた。

これは、よく考えれば、「親会社は、子会社に100%セントの責任がある」という、もう一つの血脈主義である。

親会社は、子会社の行為に対して責任があるだろうか。

勿論、経理上の連結決算の責任の範囲になるだろうが、それもあくまで親会社の株主総会で問題になるだけであろう。

第三者が親会社に対し、子会社の行為にも責任を取れ、いうのは非常におかしな、通らない論理だと思う。

 

行政の場合は、親会社である市役所と子会社の外郭団体との関係は地方自治法等で定められている。

50%以上の出資、出捐等をしている場合は、報告義務団体として議会に報告して議会による監査の対象になる。

また、それ以下の団体については、「報告団体」として議会への報告義務がある。

だが、このことは外郭団体の法人としての個別性を認めていることであり、たとえ外郭団体で問題があったとしても、それがすぐに市役所や市長の責任になることはない。

あるとすれば、「外郭団体の監視を強化せよ」という程度の意見がつくくらいである。

報道でしかその内容は分からないが、週刊朝日の記事にはかなり問題があるようだが、橋下大阪市長の「江戸の敵を長崎で」的な、もう一つの血脈主義にも首を傾げざるをえない。

 

 


香道は難しい

2012年10月20日 | その他

7月から、カルチャーセンターで香道を習っている。

始めた理由は、小さい頃から嗅覚に少々自信があったからだ。

大学生の頃、家で貰い物のリンゴを食べていた。そのとき、リンゴにかすかにモミガラの匂いがした。

そこで、「美味しいけれど、籾殻の匂いがするね」と言ったが、皆が「ええっ」という顔をした。

その時、兄嫁が言った。

「これリンゴ箱に籾殻を詰めて送ってきたの、よくわかるわね」

 

人間の感覚には、視覚、味覚、聴覚、触覚等があるが、嗅覚は触覚などと同様に比較的原始的な感覚らしく、私は原始的な人間のようだ。

そこで、嗅覚を活かして香道を始めることにした。

教室は、泉山御流の小林芳香先生、まだ4回目だが、香道の奥深さに驚いている。

主に、組香という、あらかじめ数種類のお香を聴き、その後に順番を替えて再度お香を聴き、その順のお香がなんであったかを当てるもの。

因みに、香道では、お香の匂いをかぐことを、聴くという。

一般に、西欧やインドのお香は、きわめて匂いの強いもので、その違いはすぐにわかるものだ。

だが、日本の香道でのお香の匂いの差異は、きわめて微妙で小さく、容易には判別できない。

しかも、組香でも、順に回されてきたお香の匂いを記憶しておかなければならない。

だが、匂いを記憶しいておくためには、言語表現に換えておくことが一番簡単だが、匂いほど言語表現することが難しいものはない。

4回受けて、当たったのは、1回だけで、香道の奥深さを知る次第である。


『単騎、千里を走る』

2012年10月18日 | 映画

2006年、高倉健が、中国のチャン・イーモウ監督から請われて出演した日中合作映画で、日本側は監督降旗康男、撮影は木村大作。

地方の漁村で一人で生活していた高倉は、疎遠だった息子で大学の研究者の中井貴一が病気だというので会うため、上京してくる。

恋人か妻かは不明だが、寺島しのぶに会うと、「父には会いたくない」とのことで、その代わりに1本のビデオを渡される。

中で中井は、中国南部の少数民族の仮面劇を研究していて、その様子を撮影していた。

そこで、主役の男は、今日は演じられなかった『三国志』の『単騎、千里を走る』を歌いたいと言う。

すると高倉は、いきなり中国に行ってしまう。

その仮面劇の主人公の『単騎、千里を走る』を撮影するために中国奥地まで行く、道中記である。

 

この映画で一応良いところを上げれば、高倉と中国人の言葉の通じ合わないことをきちんと描いていることで、その意味では国際交流、親善は言語の問題が最大なのだから。

昔、熊井啓の映画『天平に甍』では、中国人も全員日本語をペラペラと話し、鑑真和上が唐招提寺で、仏教を日本語で講義するので、仰天したことがあるが。

筋はいろいろあるが、『単騎、千里を走る』も、仮面劇役者の息子探しも、さらに中井にビデオを見せるのも、全部無意味なことが明かされる。

それは、こういう作品を作ることへの、チャン監督の抵抗なのだろうかと思った。

日中合作無駄骨折映画、はいご苦労さん。

日本映画専門チャンネル


『グラン・トリノ』

2012年10月18日 | 映画

クリント・イーストウッド監督、主演の2006年の映画、アメリカ中西部の小さな町の話。

イースト・ウッドの妻の葬儀が教会で行われ、家でパーティーが開かれる。

二人の息子とは疎遠で、ひとり暮らしになる父親の今後を息子たちは心配し、老人ホームをすすめるが、何事も自分でやるイーストウッドは断り、一人で生きてゆく。

隣家は、アジア人の家で、相互の生活習慣の違いで、衝突が起きる。

実は、イーストウッドも、ポーランドからの移民の子で、町にはアイルランド、イタリア系なども多い。中西部は、20世紀初頭に移民してきた東欧やアイルランドの移民が多いのである。彼は、朝鮮戦争に従軍した後、フォードの工場で働き、それを誇りにしてきたが、息子は日本車の代理店をやっている。

グラン・トリノと言うのは、フォードが1970年代に作った名車だそうだが、車に興味のない私は知らなかった。

イーストウッドも、実際に朝鮮戦争に行ったことがあるようだ。

イーストウッドは、隣家の連中を避けているが、若い女の子を切っ掛けに、次第に隣の連中と付き合うようになる。

彼らは、中国南部、タイ、ベトナム等に住むモン族で、ベトナム戦争以後に移民してきたという。

大家族で、一家、親族がいつも和気あいあいとやっているのが、イーストウッドの家族の冷淡さに比べ幸福に見えるのは、皮肉である。

そこに女の子の弟に引きこもり少年がいて、イーストウッドは、彼に仕事のやり方を教え、他人種との付き合い方、女性の誘い方等のアメリカ社会での生き方を教える。

渥美清の『男はつらいよ』の最後の方に、甥っ子の吉岡秀隆が後藤久美子が好きになり、吉岡へ恋愛指南をする1本があったが、これはそのイーストウッド版である。自立の仕方の教育である。個人主義のアメリカでは、自分でなんでもしなければいけないことを教える。

最後は、モン族の中のマフィア一味に傷つけられた姉弟の仕返しに、イーストウッドは、一人で彼らのところに出かけてゆく。

ラストは書かないが、大変立派な態度で終わる。

この映画の意味はなんだろうか。

アメリカもアジアを理解してきちんと付き合えということだが、アジア人にも良いアジア人と悪いアジア人がいるぞ、という警告だろうか。

それにしても、クリント・イーストウッドは、かっこいい。

この時、彼は80歳を越えていたのだから、日本の高倉健さんには、もっと頑張ってもらわなくてはならない。

BSプレミアム


『リチャード3世』

2012年10月18日 | 演劇

3年前の大傑作『ヘンリー6世』につづき、イギリスの王政の争いを題材としたシェークスピアの史劇。翻訳は小田島雄志、演出は鵜山仁である。

出演者も、同じ中島朋子など俳優も出ていて、善玉は涌井健治だが、今回の主役は、すべての悲劇を引き起こすセムシの悪玉のリチャード3世は、岡本健一。

前半は、バラ戦争を勝ち抜いて、グロスター公から王になり、リチャード3世となる岡本が、兄弟をはじめ周囲の者を殺害し、追放し、破滅させるドラマ。

この劇は、全体にかなり省略されているようで、この兄弟殺しのところは、少しわかりにくかった。

2幕目は、フランスに亡命していたリッチチモンド伯が帰国し、イギリスの諸国の軍隊も反乱を起こして、最後の二人の決闘で、リッチモンドがリチャードに勝ち、ヘンリー7世となり、騒乱に終止符が打たれて、ハッピーエンド。

この最後のところも相当に省略してあるようで、少々あっけなく終わった。

だが、シェークスピアは、歌舞伎のようなもので、要は役者を見せる劇なのだから、これはこれで良いと思う。

新国立劇場のプリンス涌井健治の素晴らしさが今回も目立った。

 

昔、国立劇場ができて、そこでの公演で、歌舞伎座では一部の者には注目されていたが、特に有名ではなかった坂東玉三郎が大スターになったように、涌井健治がスターになることで、新国立劇場の最大の功績となることをお祈りしたい。涌井を見るための、この劇場のミーハーへのファンが生まれるようになればまことに幸いである。

帰り、バスで渋谷に出て、公園通りの教会の前を通過した。

この地下には、言うまでもなく渋谷ジャンジャンがあり、ここでシェークスピア・シアターの『リチャード3世』を見たことを思い出した。彼らは地味だったが、結構良い芝居をやっていたが、今ではその名を知っている者も少ないだろう。

新国立劇場


エルスール15周年パーティーに行く

2012年10月16日 | 音楽

渋谷の宮益坂で、原田尊志さんがやっているCDショップ「エルスール」が開店15周年を迎え、そのパーティーがあったので、青山まで行く。

この辺は、まったく地理不案内なところで、地下鉄神宮前駅を降りて方向がわからず、ビルの駐車場の案内の小父さんに聞き、意外にもすぐに近くだった。

やはり、人に聞いたほうが早い。

以前、この近くの青山劇場やスパイラル・ホールによく来て、その度に方角を間違ったことを思い出す。

会場の「なるきよ」という店は、特に有名でもないらしいが、それなりで、普段は立ち飲みと座敷の店らしい。

すでに20人くらいがいて適当に集まり飲んでいる人は、音楽業界の人たちのようで、まったく知らない。

知っていたのは、店主の原田さんとサラーム海上さんの他、ミュージック・マガジンの高橋修編集長や栗原君くらいだった。

こういう世界もあるのかという不思議な感じでだった。同時に1960年代にイギリスの映画監督ジョン・シュレシンジャーがジュリー・クリスティーを主演で作った『ダーリング』や、かの有名なフェリーニの『甘い生活』を思い出す。もちろん、レベルは格段の差があるが。後にシュレシンジャーは、アメリカに行き、『真夜中のカーボーイー』を作るが、エイズで死ぬ。ゲイだったらしい。

帰りは、下り坂なので、渋谷まで歩いて下りる。

この辺も、ヒカリエの出現で随分変っているが、東急がかなり土地を買収してビルの敷地にしたところもあるように思える。

エルスールは、かつて1980年代は東京や横浜にも、雨後の筍のごとく数多くあったワールドミュージック系のCDショップの数少ない生き残りで、多分今首都圏では、今はここぐらいしかないだろう。

今後も、長く頑張って営業してほしい。

 


『生きている孫六』

2012年10月15日 | 映画

1943年、『花咲く港』につづく、木下恵介の監督二本目の作品。

戦意高揚というか、食糧増産と旧弊打破をテーマとした作品だが、やや筋書きが不明確ですっきりしない作品で、飯島正の批評では低く評価されている。飯島正は、かなり公平な批評家だったが、黒澤明にはやや甘く、反面木下惠介には厳しかったようだ。

孫六というのは、言うまでもなく名刀関の孫六のこと。

三河の三方ヶ原で、昔本物と知らずに売ってしまい孫六を求めている医者の細川俊夫と、1本所持しているという軍人の上原謙が出会い、農民と見えて実は刀鍛冶の河村黎吉のところに行く。

川村は上原の剣を一目見て、「これは孫六ではない」と断言する。

怒った上原は、試し切りをするが、なんと藁を切ると刀は折れてしまう。

河村は言う、新刀に古い刀を接いだ偽物だと。

上原は、出征することになり、河村に新しい刀を打ってもらい、「これで米英のへなちょこなど切ってやる」と勇む。

近代的な武器の殺傷力とその物量で勝敗が決まってしまう近代戦を知らない無知蒙昧で、犠牲になった国民は悲惨そのものである。

いろいろあるが、最後は皆解決されてめでたしめでたし。三方ヶ原に若者集団の鍬が入れられて食糧増産に向かう。

ここには、戦後は井川邦子になる河野敏子が出ているが、やはり美人は目立つ。

衛星劇場


今後の区分は

2012年10月14日 | その他

この度、あらたに私のホームページを作りました。

そこで、このいままでの「さすらい日乗」と「ホームページの新・さすらい日乗」との区分を、個々の作品の批評などは今までどおり「さすらい日乗」に、さらに個々の作品から広く演劇、映画、音楽、大衆芸能全般に関わるような事柄は、新ホームページの新・さすらい日乗の方にかくことにしました。

どうぞよろしくお願いいたします。


『春の夢』

2012年10月14日 | 映画

1960年の正月映画として公開された松竹映画、監督は木下恵介だが、この時の2本立てのもう1本は、五所平之助監督、有馬稲子主演の『わが愛』だった。

東京の会社社長小沢栄太郎の邸宅で起こる喜劇。焼き芋屋のオヤジ笠智衆が、邸宅の応接間で倒れてしまうことから起きる、小沢家の異常な人間たちのおかしさ。小沢の他、東山千栄子、久我美子、丹阿弥弥寿子、川津祐介、荒木道子らの主に金持ち連中のいびつな性格が暴露される。同時に笠智衆が住む木造アパートの織田政雄、賀原夏子、菅井きん、日野道夫らの貧乏人たちも金に目のくらんだ連中であることが対置される。

数少ない良心的な人間は、田中晋二、佐野周二、久我美子だけであるが、最後若い頃に恋を諦めた東山千栄子の相手が、実は笠智衆であることが分かり、独身の冷酷なオールドミスと思われた荒木道子が、小沢栄太郎と関係を持っていたことも暴露される。

大変面白い喜劇だが、同時にそこには木下恵介の、女性への嫌悪があるように思える。すべての女性は、いくら清ましていても、本当は愛欲に飢えているものだという偏見である。

フィルムセンター

 


『太陽を抱け』

2012年10月13日 | 映画

井上梅次が宝塚映画で作った音楽もの映画。例によってジャズ好きの無名の若者たちが、苦労の末に売り出してゆく物語。

彼にはこの手のものが、『素晴らしき男性』『嵐を呼ぶ楽団』など、同工異曲でいくつもある。井上作品は、他にも似た筋書きのものが多いが、それはマキノ雅弘も同じで、要は座付き作者のようなものなのである。彼らは、ある基本的な筋書きを、その時の出演者に応じて書き直して作る作者であって、歌舞伎の狂言方のようなものである。

ここでは、宝田明、神戸一郎、さらに高島忠雄、朝丘雪路などが、大阪の三流レコード会社のオリオンのオーディションに受かり、ジャズのレコードを出し売れるまでの話。

いつものことだが、ジャズと言われても、ここでやられているのは、モダンジャズではなく、スイングであり、かつて非クラシックの洋楽がすべてジャズとよばれていた時代のジャズである。もちろん、それで良いが。音楽は、ジャズの多忠麿。

役者としては、若者の他にオリオンレコード文芸課長に有島一郎、社長は加東大介、専務が多々良純、さらに製作課長に有木三太とベテランを揃えている。中では有島がおもしろく、ジキルとハイド的性格で、普段は非常に大人しい人間だが、酒が入ると人格が一変し、本音を怒鳴りまくる人物。

多々良純は、会社の業績を悲観して大手電機会社に、社長に黙って売ろうとするが、有島の真実の叫びで阻止され、加東社長は、大手企業との提携に踏み切り、万事めでたしで終わり。

この映画は、特にどうということもないが、この筋書きには、戦前から西宮にあり、関西の有名レコード会社だったタイヘイのことがヒントになっているのではないかと思った。タイヘイは、戦前は大衆芸能もので当て、戦後はアメリカのマーキュリーとも契約し、日本マーキュリーレコードを作ってジャズにも進出し、成功した。だが、1950年代に不振となり、ついには倒産する。そのとき、タイヘイにいた松山恵子、藤沢恒夫らの歌手、さらにスタッフは、新しく東芝電機が設立した東芝レコードに移籍し、東芝の発展の基礎になったのである。

神戸一郎の奥さんで、環三千代が出ていた。環は、宝塚出身で、主に関西の映画、テレビで活躍した可愛いいルックスの女優である。特にどうということもないが、小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』で、主人公笠智衆の友人北竜二の若い後妻として出ているので、その名は日本映画史に残るにちがいない。彼女は、すぐに結婚して引退したが、1970年代に若くして死んだそうである。

阿佐ヶ谷ラピュタ

 

 


『ボサノヴァ物語「太陽・汐・南」の詩人たち』

2012年10月12日 | 音楽

友人から、JASRACで北中正和さんのコディネートでやっているミュージック・ジャンクションがボサノヴァ特集をやるとの誘いを受けたので、阿佐ヶ谷で井上梅次作品を見た後、バスで代々木八幡まで行き、そこからかなり歩いて古賀政雄音楽資料館もある、JASRACのけあきホールに行く。

ともかく、この故古賀政雄邸の広大さには驚く。今は、資料館の他、JASRACの事務所、その他マンションなどになっている一帯がかつては、すべて古賀政雄のお屋敷だったのである。おそらく1万平米位はあるのではないかと思う。

ミュージック・ジャンクションの「ワールドミュージック」シリーズは、やっていたのは前から知っていたが、行くのは今回が初めて。すでに27回目なのだという。

今回は、ボサノヴァで、今年は1962年に、ブラジルで『イパネマの娘』がヒットし、さらに同年11月にはニューヨークのカーネギーホールで、ボサノヴァコンサートが開かれ、世界的にボサノヴァとブラジルのアーチストが知られるようになって50年で、ボサノヴァ50年でもあるそうだ。

会は、二部に分かれていて、一部は、大著『ボサ・ノヴァの歴史』も翻訳された国安真奈さんによる1950年代末から1964年までのボサノヴァの歴史。 

トム・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、ホナルド・ボスコリ、ビニシウス・ジ・モライス、さらにホナルド・メネスカルやナラ・レオン等のアーチストが出会い、音楽を作り、公開の場で発表するようになり、クラブ、ラジオ、ステージ、コンサ―ト等で若者の支持を受けて大ムーブメントになる様子が要領よく説明された。

1964年だったと思うが、高校2年のとき、新宿日活の6階の国際名画座で『黒いオルフェ』を見た。その予告編では、『思いあふれて』がリオの十字架の像の映像のバックに流れるという本編にはないものだった。ボサノヴァのレコードを最初に買ったのも、川崎の日航ホテルのビルの2階にあった中古レコード店ハンターで、言うでもなくアストラッド・ジルベルトの『イパネマの娘』の『ゲッツ・ジルベルト』である。

当時、同時にフランスや日本の松竹ヌーベルバーグ映画も見ていたので、私には、ボサノヴァとヌーベルバーグと、時代的には少し早くなるが、日本の太陽族は同時期の運動と言う感じが昔からしていた。そのことを『ミュージック・マガジン』に書いたこともある。

二部は、ボーカルの吉田慶子とギターの笹子重治で、『思いあふれて』や『デサフィナード』などのコンサート。やはりボサノヴァは良い。日本にも本物のボサノヴァ・アーチストがいると知った。

国安さんのお話を聞き、あの大著『ボサノヴァの歴史』を最後まで読みとおし、そのことについてもう一度考えてみる気になった。

JASRAC けあきホール    ボサノヴァ物語『太陽・汐・南』


『暗黒街最大の決闘』

2012年10月12日 | 映画

井上梅次は、ときどき非常に驚くような良い作品を残しているが、これもそうだった。

東映に来て、最初のアクション映画で、主演は鶴田浩二と大木実、それに高倉健、佐久間良子、さらに東映の重鎮薄田研二が出るなど、オールスター・キャストの大作である。脇役も、南広、井沢一郎らも出ているが、特筆したいのは、高倉の伯父で佐久間の父親、皆からは「隠居」と呼ばれている植村謙二郎である。彼は、大映、日活の悪役で有名なのは、黒澤明の映画『静かなる決闘』での性病病みギャングだが、ここでは渋い古い任侠道に生きる善人役を好演している。

映画は、大きなクラブで半裸の男女が激しく踊っているシーンから始まる。そこに着流しやくざの薄田らが乗り込んできて、クラブのオーナーで、愚連隊上がりの連中大木実らと対決する。

タイトルが終わると、ニューヨークになり、外人が英語で会話しているが、一人だけ鶴田浩二がいる。

大木実からギャンブル事業の提携と資金の援助を求めて来たとのことで、5億円を融資し、その監視役に鶴田を派遣することになる。

鶴田と大木は、アメリカでギャンブラー生活を共に過ごしたこともある親友なのであり、再会を喜び合う。

筋書きは結構複雑だが、一番驚いたのは、日本のヤクザ薄田研二の息子で、薄田の病死の後、組をつぐ高倉健だが、実は鶴田も、薄田の子で、古臭いやくざを嫌ってアメリカに行ったということ。ここは、途中まで伏せてあったので、聞いてびっくりだった。

要は、ヤクザと愚連隊の対立であり、またヤクザの中で、悪役の安部徹との対立である。

この辺の感じは、山下耕作の傑作『総長賭博』の骨肉相争う悲劇によく似ている。

また、鶴田と大木の二人のやり取りのシーンになると、バックに「クレメンタイン」が流される。音楽は伊部晴美。この作品は、ジョン・フォードの『荒野の決闘』からヒントを得ているという示唆なのだろうか、私にはわからなかった。

阿佐ヶ谷ラピュタ


美空ひばりについて映像と音楽の会をやります

2012年10月11日 | 音楽

来月、11月17日の土曜日の夜に、戸塚区の上矢部地区センターで、美空ひばりの隠れた魅力、演歌歌手ではなく、世界中のポピュラー音楽を歌った彼女の映像と歌を見る会をすることになりました。
戸塚駅から、バスで来ていただくことになりますが、ご興味のある方はお出でください。

彼女が最後に映画に出た作品『女の花道』(監督沢島忠)など、珍しいものも上映しますので、ぜひお出でください。

 

 

      音楽と映像の会  ひばりの隠れた魅力をさぐる

日時  11月17日土曜日 午後6時30分から

会場  横浜市戸塚区上矢部地区センター 4階会議室(戸塚区上矢部町2342

                              戸塚駅西口から上矢部循環のミニバスで役12分 上矢部地区センター下車)

費用  300円(ドリンク付き)

定員  30人

申込  11月10日からHP,電話、窓口で受付中 

         NPO法人 みんなのまちづくりクラブ   045-812-9494

                            fax  045-812-9199


『誇り高き男』

2012年10月10日 | 映画
テキサスの小さな田舎町に、牛のビッグ・トレイルの連中がやって来る。
いきなりの大群の消費と商取引で、町中が好景気にわきあがる。
もちろん、サルーンや売春宿もでき、他所から多くの男女がやってくる。
町の保安官は、正義感の強いロバート・ライアン。
私は、ロバート・ライアンが大好きなので、トイレにも行かず一気に最後まで見てしまう。
音楽が有名で、ライオネル・ニューマン、撮影は美しい画面で知られるルシアン・バラード、20世紀フォックスのシネマスコープ作品である。

そこに悪漢の一味のブリッグスが来て、サルーンを作り、インチキポーカーで暴利を貪ろうとする。
ライアンは、いちいちに厳しく対処するが、次第に町の中で孤立して行く。
この辺は、フレッド・ジネンマン監督の『真昼の決闘』に似ているが、あれを少しゆるくしてより娯楽的にした作品だともいえる。
かつて小泉純一郎が、アメリカでブッシュ大統領に会った時、この『真昼の決闘』を話題にしたが、ブッシュは「その映画はなに」と知らず、会話にならなかった。
それも当然で、『ハイ・ヌーン』は、ニューロチック・ウエスタンとのことで、アメリカではまったくヒットしていず、ブッシュは知らなかったからである。

このライアンの主演作には、二つの意味があると思う。
一つは、ライアンが、頭に打撃を受けたために、ときどき目が見えなくすることで、まるで脳梗塞の発作みたいだった。
これでは、まるで誇り高き男ではなく、血圧高き男である。
もう一つは、このビック・トレイルによって町が大好況を迎えることである。
当初は、1食50セントだったのが、いつの間にか2ドルになり、洋品屋は、すべてのショーウィンドの物の値段を倍にしてしまう。
需要が供給を上回るから物価が上昇するのは当然である。
これは、戦後の日本社会もそうだったと思う。
地方から多くの若者が都市に来て旺盛な需要を作り出し、それが高度成長の源になった。

途中で、ライアンは町の連中に向かっていう。
「お前たちがやっていることはサルーンのブリッグスのやっていることと変わりはない!」
要は、暴利を貪っているだけであり、程度の問題に過ぎないのだと言う。
これは、戦後の日本の経済社会によく似ていると思う。

そのことは、かつて新宿歌舞伎町に中国人等が来たことに似ている。景気がよく富のあるところには、世界中から人が来るのである。
それを排除した石原慎太郎知事の政策が、景気を低下させた一因であることは言うまでもないだろう。

だが、少子高齢化になった日本は、どうなるのだろうか。
ビッグ・トレイルが去った後の物語は、この映画では描かれていないので、分からないが。
イマジカ・シネマ