指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『青い果実』

2012年10月31日 | 映画

1965年、太田博之と太田雅子(梶芽衣子)のダブル太田主演の日活青春映画。

だが、日活青春映画も末期なので、かなり変である。

この少し前の『非行少年・陽の出の叫び』のとき、岡田裕助監督作成の予告編によれば、

「日活得意の異色青春路線」をキャッチ・フレーズにしていたのだが。

この映画をわざわざ録画して見たのは、主役の太田博之君とは、池上小学校、大森4中と、小・中学校が同じだったからで、同じクラスになった事はないが、大変きれいな、本当に外人のような少年だった。

当時、すでに新東宝映画等に出て有名で、今考えると彼は非常に美しかったわりには、なぜか新東宝をはじめ変な作品に出ていて、意外にもマイナーな

路線だった。松竹大船だったら、木下惠介監督に気に入られたと思うが、それは彼が映画出演した最後の作品『スリランカ愛と別れ』で実現されたが、時代的に「時すでに遅し」だった。

 

脚本は池田一朗、監督は堀池清。

広島から、太田博之が東京の渋谷近くの高校に転校してくるが、彼はアパートに一人で住んでいて、その理由は最後でわかる。

二人はある日、夜に会うことを約束するが、太田雅子の母で、幼稚園副園長で夫を尻に敷き、実際は幼稚園を経営している山岡久乃に外出を止められて、約束の時間に行けない。

遅れて行くと博之君はいなくて、前から目を付けられていた不良学生に暴行されてしまう。どこまでやられたのかは、よくわからないが、寸でのところで工事現場の人間に助けられ交番に行く。

彼らの中には、杉山元、また高校の同級生には、ロッキード事件のとき、児玉邸に飛行機で突っ込んだ前野霜一郎らの顔が見える。

 

すると、警官は、この近くに学校の先生が住んでいると言って、その教師初井言榮のところに連れてゆく。

だが、問題教師の初井は、この事件をPTA会長の高橋とよに告げてしまい、娘の浜川智子が、学校中に言いふらしてしまう。

この辺が少しおかしいが、現在でもそんなものだろうか。

いろいろあるが、最後は映画『青い山脈』のような校内全体の会議になり、そこで太田博之と叔父の内藤武敏は、初井以下の大人の罪悪を暴き、太田博之と太田雅子が性的行為をしていないことを明らかにする。

なぜなら、太田博之は、未亡人となった母親と若い男の情事を目撃したことから、女性嫌悪になり、精神病院にもいた事があるのだからと言う。はっきりとは言っていないが、性的不能なのだから性行為はなかったということなのだろう。

なんとも変な話だった。

チャンネルNECO

 

 


藤本義一、死去

2012年10月31日 | テレビ

藤本義一が死んだ、79歳。

やはり肺ガンだそうだ。

彼は、膨大な数の脚本を書いているが、あまり感心したものはない。

中では、読売テレビでやった、三田佳子主演のテレビドラマ『祇園物語』は、相当に面白いものだった記憶がある。

祇園のお茶屋の話で、半玉として育てられた三田佳子が、一人前になり、曾我廼家明蝶に水揚げされるが、実は茶屋の息子の荒木一郎に処女を奪われており、明蝶は「この子はなんや、騙された」と怒る。

茶屋の女将の山田スミは、店を閉じて・・・と言った話で、このときに祇園言葉の指導として来たのが、後に大阪イレブンに出ることになる安藤孝子である。

 

藤本義一の映画についてのエッセイは面白いが、脚本は果たしてどうか、勝新太郎主演の『とむらい師たち』など、どこか空回りしていてかなりシラケたものだが。

ともかく、「大阪11PM」の司会者として大阪、関西の文化の一端を東京に紹介した者としての功績は大きいと思う。

ご冥福をお祈りする。