猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

菅新政権は 安倍政治の継承ではなく 道を正し 経済を正常化せよ

2020-09-18 23:14:42 | 叩き上げの菅義偉


菅義偉新首相は、いま、新閣僚にはっぱをかけ、国政で成果をあげようと頑張っている。たぶん、安倍政治が見せかけだけだったことを菅はよく知っており、本当の成果をだしたいのだろう。詐欺国家化や軍事大国化より、行政サービスの向上を目指して、頑張ってくれるのはいいことだと思う。

しかし、成果をあげようと無理をしても、気持ちだけが上滑りして失敗してしまう。きちんとアベノミクスを分析し、考え、批判しないといけない。

おととい(9月16日)の朝日新聞で、編集委員の原真人がアベノミクスを『負の遺産を残した「雨乞い」』と批判していた。

原によると、政権奪還の2012年12月の総選挙の全国遊説で、安倍晋三総裁は、つぎのように言っていたという。

「輪転機をぐるぐる回して日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」
「建設国債を大量に発行し、日銀に全部買ってもらう」

これって、いま、麻生太郎財務大臣があちこちで言って歩いて物議をかましていることではないか。それを、7年9か月前に、安倍晋三が遊説で言っていたのだ。

編集委員の原は、この安倍の言動を総選挙直後の朝日新聞で、「アベノミクス、高成長の幻を追うな」と批判したという。しかし、「アベノミクス」が揶揄だと社会に受け取らず、安倍政権のキャッチコピーとして、「三本の矢」とともに「アベノミクス」は使われた。

「三本の矢」とは何か忘れた方もいると思うので、説明する。

「三本の矢」は、1997年の大河ドラマ『毛利元就』の逸話で、兄弟が仲たがいせず、力を合わせて外敵と戦うという戦国武将の家訓のことである。3本なら1本の矢のように簡単には折れないということである。

安倍は、それを3つの政策を組み合わせれば強力な経済政策になるという意味で使った。3つの政策とは、金融緩和、財政出動、成長戦略のことである。国の景気対策は、つねに、金融政策と財政政策の両輪によっておこなわれてきたので、成長戦略を付け加えて「三本の矢」にしたことが目新しかった。

しかし、成長戦略とは何か、この7年9カ月、安倍政権は明らかにできなかった。

規制緩和は、10年前の小泉純一郎によってすでに言われてきたことであり、成長戦略になりえるとの根拠がなかった。それを、安倍は、規制緩和が不徹底だからとして、「ドリルの刃となってあらゆる岩盤規制を打ち破っていく」と言い出した。その結果、自分の友達の加計孝太郎が、愛媛県の今治市に獣医学部を新設することができただけである。
また、成長戦略だと言って、安倍政権は観光立国を進めたが、日本は観光でくっていくには大きすぎ、一部を潤すだけである。それなのに、IRとか言い出して、カジノ解禁を成長戦略の目玉にしようとした。

「金融緩和」「財政出動」は標準のマクロ政策である。しかし、安倍政権は、「金融緩和」を「異次元金融緩和」と言いだし、ついにマイナス金利まで行き着いた。問題は、「異次元金融緩和」をやり続けると、銀行本来の業務「金融業」が成り立たなくなることである。銀行は債権売りしか利益の出る商売がなくなり、国がどんどん借金をして発行する国債を売りさばくしか業務がなくなる。いっぽうで、安倍は財政出動の名目で選挙の論功行賞として自民党政権協力者にお金をばらまいた。この赤字予算が国債発行を引き起こし、銀行の倒産を防いてきたのである。すなわち、アベノミクスは国の借金拡大にばく進するしか、すべがなかったのである。

いっぽう、国民の年金を株式市場に投げ込み、また、日銀の債券買い入れで、株高を誘導してきた。株高の影で、国が企業の大株主になった。企業の経営に国は口出さないから、経営者はこの株高に甘えるようになった。民間の企業の経営の劣化が起こっている。

編集委員の原は、これを「禁断のアベノミクス」という。原は、つぎのように言う。

〈アベノミクスがもたらしたのは規律なき財政と金融政策、それに機能不全の市場メカニズムだ。政治家や官僚、経営者、投資家。多くの国民もそこで維持されているぬるま湯状態に甘えている。〉

私もそう思う。言葉だけの安倍晋三の下、いつのまにか、「日銀が輪転機をぐるぐる回してお札を刷ってしのいでいる」日本に落ちぶれ、国民がそれを直視しようとしない。

菅新政権が、「縦割り行政を改革する」とか「携帯の通信費を安くするよう企業を指導する」とか「GoToキャンペーンを強化する」という表面的なことに一生懸命頑張っても、しかたがないのだ。安倍晋三の見せかけばかりのキャッチコピーのもとに、国の財政にたかってきた寄生虫(建設業、広告業、芸能界のなかに見られる)を駆除し、金融業が成り立つ水準まで、金利をもとに戻さないといけない。

国が企業を中央集権的に管理するのではなく、自分で未来を判断できる優秀な若い起業家たちを多数育て、自立的経済社会に戻さないといけない。人を育てることこそ、成長戦略である。それは、競争社会に若者を投げ込むことではない。

また、所得を再分配して、低所得層の購買力をあげることも、大きな成長戦略になるであろう。所得の再分配は福祉政策の強化を含む。

菅政権は、問題を起こした安倍政治を継承して猛進するのでなく、物事の道理をわきまえ、じっくり考えて、道を正さないといけない。

「天国」は誤訳、「天の国」または「天の支配」である

2020-09-17 22:10:45 | 誤訳の聖書


日本人の多くは、キリスト教を、死ねば「天国」か「地獄」に行くという宗教だと思っているようだ。

この誤解は日本人だけではない。ウディ・アレンのコメディ映画に、悪さばかりしている息子がユダヤ人一家にいて、つかまって死刑囚となる物語がある。その息子が刑務所のなかでユダヤ教からキリスト教に改宗するので、ユダヤ人一家が大騒ぎとなる。母が改宗の理由を息子に尋ねると、ユダヤ教には死後の世界がないが、キリスト教には死後の世界があると、その息子は答える。

確かにユダヤ教には死後の世界はない。神は「生きている者の守り神」である。生きていないと神の恩恵を受けられないのである。しかし、初期のキリスト教徒が死後の世界を別に思い描いているわけではない。

新約聖書の福音書によれば、イエスは、「神の国」がすぐに来る、そして、来ていると言って、病気を治して歩いていたのである。だからこそ、福音書なのである。「良い知らせ(εὐαγγελίον)」なのである。

『マタイ福音書』は「神の国」の代わりに「天の国」ともいう。「天国」のあいだに「の」がはいるということである。口語訳の「天国」は誤訳で、新共同訳や聖書協会共同訳では「天の国」に正されている。

新約聖書はもともとギリシア語で書かれていた。「神の国」は“ἡ βασιλεία τοῦ θεοῦ”(ヘー バシレイア トゥー テオゥー)である。「天の国」は“ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν”(ヘー バシレイア トーン オゥラノーン)である。

さらに、ギリシア語 “βασιλεία”(バシレイア)は、佐藤研、田川建三、山浦玄嗣によれば「支配」「統治」という意味である。“βασιλεία”は、「治める」「支配する」という意味の動詞の“βασιλεύω”の語尾を-ίαに変えることで、女性名詞に転換したものである。

『マタイ福音書』3章2節は、口語訳では「悔い改めよ、天国は近づいた」となっているが、別に、しだいに天が地上に近づいた、すなわち、空が低くなったわけではない。「天の支配が近づいた」ということである。なお、「悔い改めよ」は「スパーと心を切りかえよ」という意味である。

(ただし、プロテスタント保守派のカール・バルトの本を読むと、イエスの時代に天が地上に近づいたと、本当に思っているように見える。)

「神の国」は「神による統治」または「神による支配」のことである。「神による統治」が行われるというのが、新約聖書の中心メッセージである。

「神の支配」によって何が起きるのかだが、悪い人が裁かれるというのが「神の審判」という理解である。

田川建三は一連のパウロの手紙を読み解いて、パウロは、死んだ人も眠りから生き返り、「神の支配」を楽しむことができると信じていたと言う。

ただ、「生き返る」という表現は新約聖書では使われておらず、「立ち上がる(ἀνίστημι)」という言い方をしている。ユダヤ人の考え方からすれば、神は生きている者の神であるから、そのとき、眠りから覚めて生きていないといけないのだ。

加藤隆は神が個々人の心に直接語りかけるのを「神の支配」の初期の理解であるという。

エーリック・フロムは、「神の支配」がなかなか来ないなか、キリスト教徒は「神の国」を「教会」(エクレーシア、ἐκκλησία)と解するようになった、と言う。フロムは、同じように共産主義の国がいつまでも実現できなくて、「共産党」に属することで、満足することで、国家主義への変質の罠に落ち込んだと考える。

深井智朗は幽霊を信じる北方ヨーロッパ人がキリスト教徒になることで、「神の国」が現世でなく、死後の世界になったと言う。また、「神の支配」が来ていないのではなく、到来が始まったが終わっていないのが神学者の説明であるという。

20世紀初頭のドイツ人マックス・ヴェーバーは、カルヴァン派は死後の世界を意識して現世では禁欲すると言う。

とにかく「天国」は誤訳であるが、「神の国」が来ないため、聖書を読まない人たちが「天国」と誤解することが、聖職者に都合が良かったようである。

叩きあげの菅義偉に送る言葉

2020-09-15 23:33:30 | 叩き上げの菅義偉

菅義偉は、81歳の二階俊博とタグを組んで、自民党総裁の座を得た。しかし、なぜか、うれしそうではない。なにかにおびえているような顔をしている。

東京新聞を読むと、菅は食事に5分間しか ついやさないという。私も食べるのが早いが、その2倍ぐらいを使っていると思う。菅は、なんのために、猛烈に働いているのだろうか。これでは、マックス・ヴェーバーの禁欲(Askese)ではないか。考えている暇がないではないか。

たしかに、自民党議員は2世3世議員ばかりである。「おぼっちゃま」ばかりである。しかし、こんな人たちとタグを組んで、総理大臣になってどんな意味があるのか。私は不幸な人生を送っていると思う。

菅のように、パンケーキが好きで5分間の食事の不健康な生活を送っていると、糖尿病患者になる。私は、昔、猛烈に働いて糖尿病になって、それ以来、悪くなるだけである。

叩き上げであることを自慢するより、叩き上げでないと生きていけない世界を変えようと思わないといけない。

菅の言っていること、書いていることを見ると、戦時体制の思想を思い出す。各産業を1つの企業に集約して規模をあげる、大きくすれば良いと考えている。

しかし、日本の農業は、戦後、「農地解放」といって、大規模地主から土地を買い上げ、分割して小作農に安く販売し、大量の自作農を作ったからこそ、農地の生産性が格段に増大したではないか。

日本の家電産業も、戦後、財団を解体したからこそ、「雨後の筍(うごのたけのこ)」のように、うじゃうじゃと出現し、繁栄したではないか。

自民党は、たんに保守的であるだけでなく、戦時経済体制を理想として、大規模化を推進する。菅は、地銀の再編成を唱えている。問題は、金融業が成立しえない低金利政策を政府がとっていることにあるのに、潰しえない大きな銀行を作っているだけである。

戦後、日本が学んだことは、経済の集約・官僚化ではなく、分散と民主化ではないか。

物事を考える暇がないような生活を送っていて、まともな政治が行えるような教養が身につくはずがない。菅は、空手部でつらい練習をして、そのあとしばらくふらふらして、間違って、自民党議員の秘書になったばかりに、つまらぬ人生を送り、不幸になった。

自民党に入らず、共産党か、社会党にはいっていれば、もう少しまともな人生をおくったことだろう。

解散総選挙は総理の専権事項、おごれる菅義偉はひさしからず

2020-09-14 22:44:32 | 叩き上げの菅義偉


きょうの自民党総裁選は、菅義偉の圧勝となった。各派閥が論功行賞を目指して、なだれをうって勝ち馬にのった。理念もくそもない。自分の損得のために、権力闘争をしているだけである。

菅も臆面なく、「自助、共助、公助」「ふるさと納税」「GoToキャンペーン」と ぼそぼそしゃべっている。異常である。おかしい。頭がいかれている。

安倍晋三の辞意表明直後の朝日新聞の世論調査で、自民党支持率が向上したことを受け、自民党内は来月にも衆議院解散、総選挙だと大騒ぎだ。菅は「解散は総理の専権事項」と、総裁選の前からもう総理になった気である。

総裁選のあと、野球選手の引退式のように、安倍総理の在りし日のビデオを自民党議員総会の場で流して、菅から政権の分け前をもらえると、勝ち馬に乗った自民党議員は狂喜している。

まさに、奢れる平家に、祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

新型コロナ対策に使い道の決まっていない補正予算を積み、ピント外れのGOTOキャンペンを行い、予算を土建屋だけでなく「電通」にも振りまき、この間、国会も開かなかった。そして、安倍が潰瘍性大腸炎で辞意を表明したら、安倍が辞めてせいせいしたと自民党支持率が一時的にあがっただけなのに、解散して総選挙でつぎの4年間を安寧に寝て過ごそうと自民党議員は思っている。

奢れる平家は久しからず。自民党をつぶせ。菅義偉をどぶのなかに投げ捨てよ。
立憲民主党がんばれ。少なくても、自民党単独過半数を許すな。

国会解散は、総理の専権事項ではない。総理が自分が有利な時期に選挙を行い、勝った後は、国民のことは知らぬ存せずで、いいはずはない。そんなことは、憲法に違反する。

ここに、2015年2月18日に別の場所で書いたブログを再録する。
 ☆    ☆     ☆
解散総選挙は総理の決裁事項か!

小熊英二が、2月10日の朝日新聞夕刊の『思想の地層』に、「首相の一存で、なぜ議会が解散できるのか。その根拠は何なのか」と問うていた。憲法に詳しくない私にとって、それは、「眼からうろこ」の指摘であった。

小熊英二の指摘によれば、衆議院の解散は日本国憲法の第69条によって次のように規定されている。

「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」

この明白な規定があるのに、1952年に吉田内閣が日本国憲法第3条と7条による解散を行った。それ以降、党内反対派や野党をたたきのばすために、政権を握った者たちはこの解散権を使ってきた。

第3条は「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」とし、日本国憲法第7条は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」とし、その3番目の項目に「衆議院を解散すること」をあげている。

天皇には、米国の大統領と異なり、拒否権がない。内閣の助言により天皇が国事行為をするのだから、国事行為はすべて内閣だけの意思で管理できる。民主主義が機能するには、内閣の暴走を防ぐには、国事行為を儀式的なものに限定しないといけない。したがって、日本国憲法第7条の「解散をすること」は、第69条にもとづいて解散するのを、あくまで、天皇が儀式として取り扱うものでなければならない。

吉田内閣の「抜き打ち」解散で衆議院の議席を失った苫米地義三は、解散の無効を裁判所に訴えた。東京高裁は第7条による解散を有効としたが、最高裁は、解散を「高度に政治性がある国家行為」として、有効か無効かの判断を避けた。

私は、最高裁の判事たちが第7条による解散を憲法に違反すると思ったが故に、判断をさけたのではないか、と思う。

これによって、第7条による解散を有効とすることが避けられたが、政権が憲法を無視し何かをごり押したとき、「高度に政治性がある国家行為」として、裁判所は判断を避けるという悪しき先例になったと思う。

「自助・共助・公助」と「競争」の菅義偉を総理大臣にするな

2020-09-13 21:23:03 | 叩き上げの菅義偉


雨宮処凛が、菅義偉の自民党総裁選の出馬会見の「自助・共助・公助」の発言に怒っている。菅が「自助・共助・公助」をかかげて

〈まず自分でできることはまず自分でやる。自分でできなくなったらまずは家族とか地域で支えてもらう。そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行なっていきたいと思います〉

と言う。これって、政府が行政サービスをするためにあるということを、完全に忘れた発言ではないか。困っている弱者を助けないで何のために国があるのか。国は、どこか他の国と戦争をするためのあるのか。そんなはずはない。

雨宮はつぎのように言う。

〈貧困の現場で16年間活動している私なりにこの言葉を通訳すると、
「自助」とは「自己責任で自分でなんとかしろ」
「共助」とは、「一家心中するまで家族で助け合え」「共倒れするまで地域で助け合え」
「公助」は、「何もかも失わないと公的福祉は機能しないからやっぱり自己責任でなんとかしろ」
という意味である。〉

私もNPOでボランティア活動をしているが、あらゆるところで福祉サービスに対する国の支援が減っている、というのが実感である。いっぽうで、福祉のために消費税を増税したと政府は言う。

これまでは、安倍政権は弱者を切り捨てるとは おおやけには言わなかったのである。おぼっちゃまの安倍晋三はいつも国民のことを思っていると言っていた。だれかが抵抗して単に実行されなかっただけである。

ところが、菅は「自助・共助」を言い出した。弱者を切り捨てても、自民党政権は揺るがないと思っているのだろう。たしかに、自民党内の総裁選では、利権の見返りを求めて、菅支持になだれをうっている。

これが、安倍政治の継承なら、安倍は表看板で、裏で政権維持のために国民の税金を菅が論功行賞として分配していたことになる。参院選広島で、河井案里に党本部から1億5千万円の選挙資金が流れていたが、菅が かかわって いたのではないか。

菅は日本会議国会議員懇談会の副会長である。また、平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会、神道政治連盟国会議員懇談会の一員でもある。「自助・共助」は本心で、自分は競争に打ち勝った人間だと思っているようだ。

森功は『総理の影―菅義偉の正体』(小学館)で、菅の実像を描いている。菅は、秋田からの「集団就職で上京した叩き上げ」ではなく、親は成功したイチゴ農家で、農業が嫌で東京に逃げただけである。一族の男子は電力系企業に勤めていたり、女子は教師となっている。

最初の政治家としての仕事、横浜市議では市長の影となり実質的に市長を支配するようになる。現在の安倍と菅の関係のさきがけである。

菅のホームページに「活力ある地方を創る」という見出しで、つぎのように誇る。

〈総務大臣時代には、官僚に大反対されながらも「ふるさと納税」を立ち上げて、いまでは年間約五千億円まで拡大しました。〉

地方自治体は、福祉やインフラ整備などの行政サービスの最前線だから、実際には年間約60兆円を支出している。したがって、5千億円とは別に自慢することではない。問題は高額返礼品で「ふるさと納税」がモラル崩壊のもとになっていることである。

菅が競争に勝ったと自慢しているが、競争はモラル崩壊のもとになる。人生は運の要素が多い。そこで、確実に勝つにはイカサマに行き着く。麻雀のように積み込む(詐欺)とまでいかなくても、将棋や囲碁のように相手の心理を利用したり、徒党を組んで陰謀を働いたりするようになる。競争はいけないことであり、競争に勝ったからと自慢することではない。

菅はコロナでGoToキャンペーンを推進している。国土交通省は公明党のポストであり、GoToトラベルを前倒しさせたのは、菅の腕力である。焦って失敗の政策であるが、菅のホームページにつぎのように自慢している。

〈GoToキャンペーンをはじめ、感染対策をしっかり講じることを前提に、観光など新型コロナによってダメージを受けた多くの業種を支援します。〉

横浜市民としては、菅がカジノを引っ張ってこようとしていて、私は大変困っている。カジノは一部の人が経済的に潤うだけで、全体として、モラルの崩壊を生み、横浜の市民生活をおびやかす。