猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

右傾化していない、左傾化もしていない、日本国民

2020-09-23 23:18:48 | 思想


昨年の9月、田辺俊介が『日本人は右傾化したのか データ分析で実像を読み解く』(勁草書房)を出版した。特に、若者が右傾化したかに関心があったように思える。若者は右傾化したとは言えないが、「権威主義」になっていると書いていたと覚えている。

もちろん、右傾化したかどうかは定義によるので、田辺らはつぎのように見なした。

〈経済政策に関して、新自由主義的であるほど、すなわち、反平等主義的・反福祉主義的・競争主義的であるほど、右傾化・保守化したとみなす。ナショナリズムに関しては、権威主義的であるほど右傾化・保守化したとみなす。ナショナリズムに関しては、愛国主義的・民族的純化主義的・排外主義的であるほど、右傾化・保守化したとみなす。〉
〈『保守』「右」とは何か、という問いに答えるのはそれほど簡単ではないが、社会意識、政治意識という観点からすると、おおよそ現状や伝統の維持、個人よりも国家を重視すると立場をさす。〉

2009年のアンケート調査と2017年のアンケート調査の比較であるから、結局とりたてた変化は見られず、世代間の意識の差も大きいと言えなかっただけかもしれない。

右傾化したか、と問いに対して、どうして、左傾化しなかったのか、という問いもあるはずだ。

急激な経済成長は1960年代で終わっており、その後は緩やかな経済成長中で、米国との貿易摩擦を起こし、円高を生じた。これは、1985年以降、日本に株や土地価格の急上昇、いわゆるバブル経済を引き起こし、1990年にバブルが破綻し、持続する不景気に突入している。2013年以降、アベノミクスで景気が回復したと言っても、恵まれたものが潤っているだけだ。高いものが売れると言っても、多数の人たちは安いものを求めて奔走し、昔からの商店街が破綻していっている。経済格差は拡大し、非正規雇用の割合が増えている。

経済の視点にたてば、日本政府は成功していない。それどころか、問題を是正する意志さえない。それなのに、日本国民はなぜ左傾化しなかったのか。こう問うほうが自然な気がする。

もちろん、この問いも、左傾化の定義によるだろう。

日本国民がイメージしている左翼は、経済の行き詰まりを解決する能力がない、個人の自由を奪う組織重視、などネガティブなものであったのではないか。これは、米国でも同じだが、権力や財力をもっているものは国家による教育を通して、国民を洗脳できる。国民に不平不満があっても、変革への意志とはならない。

現在の政府は、道徳教育で「郷土愛、愛国心」を強制し、国歌、国旗に心頭することを求めている。道徳教育だけでなく、公民の教科でも、「郷土愛・愛国心」「伝統文化」を強調し、政治の効率化を客観的に正しいと教えようとしている。野党が強いと政治は何も決まらないと教える。すなわち、上からの政治が良いと言っているのだ。

これらを考えれば、右傾化したとも言えない、左傾化したとも言えない、現在の状況は、不安定な平衡点に日本があると言える。政府の洗脳教育と経済格差増大とが拮抗しているのだ。もしかしたら、何も考えていない人たちが増えていて、つかの間の安定にあるのかもしれない。

私は自分を左翼と思っている。自由と平等を求め、あらゆる支配を拒否する。政府は、行政サービスの監視を国民から委託されているだけである。

教育の現場から、左翼が排除されている現状では、左翼思想をどのようにして、次世代の若者から見える場所に置くかとともに、既成の左翼組織は国民の生活と接点をもつかに、努力する必要がある。

新首相の菅義偉は「新自由主義者」か「国家主義者」か

2020-09-22 21:41:12 | 叩き上げの菅義偉

新首相の菅義偉は、酒やたばこをたしなまないという。私も酒やたばこをたしなまない。お金の無駄使いと思ったから、私はやめたのである。

あいかわらず、菅を「叩き上げ」の首相だとヨイショするメディアの番組や記事であふれている。しかし、どこにも菅が「弱者に寄り添う」というエピソードを紹介していない。紹介しようにもそのようなエピソードがないからだろう。

菅が2世3世議員でないことを持ち上げる人もいるが、それは自民党内の話である。民主党政権時代に、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦が首相になったが、菅直人も野田佳彦も2世3世議員ではない。現在の自民党の姿が問題なのである。自民党は腐りきってしまった。

「叩き上げ」の問題は、弱い人のことに寄り添うことができないことである。「自助・共助・公助」と菅は言っているが、その順序が問題である。菅は、総裁選出馬決意表明の9月2日につぎのように言っている。

〈まず自分でできることはまず自分でやる。自分でできなくなったらまずは家族とか地域で支えてもらう。そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行なっていきたいと思います〉

すなわち、「甘えるな、俺のように自分の力でやってみろ」と心の底で思っているのである。お坊ちゃんの自民党議員にそういうのは理解できる。しかし、弱者は別にお坊ちゃんではない。本人の希望で弱者になったのではない。

そして、その自民党は、ここ、数十年にわたって「自助」を党是にかかげてきたのだ。菅の「自助」は筋金入りである。

自民党政権は、労働市場の流動化という名目で、派遣労働者というものをつくった。戦後、労働者の権利を守るということで、雇用者を正当な理由なく首切れなくなった。会社の経営状態に応じて雇用者数を調整できるようにするため、派遣労働という不自然なものを作ったのである。労働者を安易に首にできないということは、経営者に安定して利益をあげるという責任があるという考えで、別に、不自然な考えではない。

また、菅は、この9月18日に人材派遣業大手のパソナグループ会長の竹中平蔵と会食をしている。

竹中平蔵は、20年前小泉政権で経済財政政策担当大臣、金融担当大臣を務め、銀行救済、規制緩和、派遣労働をおし進めた男である。竹中が、総務大臣をしていたとき、菅はその副大臣を務め、竹中から色々と教えてもらったと言っている。

菅は規制緩和を進めるのは間違いないだろう。いっぽうで、菅は中小企業や地方の金融業を政府主導で再編し、集約化しようとしている。農業においても、農協をつぶして、農業を株式会社しようとしている。

この一見矛盾しているような行動は、「新自由主義」と見るよりも、戦争中の統制経済を理想とする「国家主義」ではないか、と見る。

「国家主義」は「愛国」や「軍事大国化」と矛盾しない。

地元新聞によりと、秋田県民は、菅が首相になったことで、これまで以上に「えこひいき」してもらえると興奮している。「国家主義」は「不正」とも矛盾しない。

「国家主義」は「権力」に対する偏愛である。官僚を脅かし、命令することが「国家主義者」の喜びである。

「権力」を偏愛するものは、劣等感をもっている人を見出し、自分に忠実な部下に仕立てる。有能でも自分に反抗するものは徹底的にいじめる。菅の人心操縦法にこれが見られる。また、ナチの時代にドイツで現実におきたことである。

菅の父親は、戦前、満州鉄道に務めていたエリートである。戦後、秋田に引き上げて、イチゴ栽培をはじめ、地方の名士になった男である。菅も子どものときに統制経済の話をきいて洗脳されたのではないか。竹中平蔵のようなヤクザな男に利用されないことを望む。

権力闘争のため、食事時間や睡眠時間を切りつめ、考えることもしない「叩き上げ」は困ったものだ。


GoToキャンペーン、損得にこだわる セコい人たちは本質を見失っている

2020-09-21 23:12:32 | 社会時評

テレビの報道では、この連休中、観光地はGoToキャンペーンで混みあっていたようだ。なぜ、夏の疲れをとる時なのに、わざわざ人ごみの中に出かけ、疲れるようなことをするのだろう。新型コロナにかかっても たいしたことはない、それよりも、GoToキャンペーンにのると何か得すると思っているのだろうか。

GoToキャンペーンに限らず、ポイントを集めると得するとか、飲み放題の店で宴会をすると得するとか、セコい話が好きな人が多い。

私は商店街で生まれ育ったので、このようなセコい話を聞くと、バカみたいと思う。

世の中で、商取引をしているとき、ものごとにコストが発生するから、商売人は、そのコストは絶対に回収しないといけない、と考える。1つの取引でコストが回収できない場合があっても、一連の取引を合計すれば、コストを回収できればよい。そうでなければ、売り手は破産する。

したがって、市場の法則は、ある買い手が得するなら、ある買い手が損をするということである。

昔の商売では正札がなかった。価格は、売り手と買い手の交渉で決まった。売り手からみると、物の価格は買い手によって違った。すなわち、得する客と損する客とがいたのである。

私の父親の世代に、本や新聞などから得た情報で、そんな商売のやり方では お客の層を拡大できない、安心して買ってもらおうと、正札で、誰にでも同じ値段でモノを売るようなった。アメリカがそれで大衆消費の時代をつくったと父親の世代が思ったからである。

ところが、商品の値段そのものを下げるのではなく、ポイントで還元となると、公平性がなくなる。すべての情報は大量販売店に握られ、その思惑で、ある客はちょっぴり得をし、ある客はちょっぴり損をする。わずかな損得で、購買行動が販売店にコントロールされる。私は、そんな、なさけなくて あわれな買い手になりたくない。

ポイントがなかった時代、私の母は、私に好きなだけ果物を食べさせようと、夕方に市場に出かけ安くなった果物を買ってきた。傷んだ部分を切って、私に果物を食べさせた。しかし、考えてみれば、市場の売り手が朝仕入れたものが、その日の夕方に傷んでいることなど、ありえない。単に、夕方に、傷物として分けてあった商品を取り出して、安物として放出しているだけである。安くモノを買っても得をしない。

商取引に、得をした、あるいは、損をしたということがないのがビジネスの原則である。損得があるのは、健全ではない。損得があるのは、悪漢小説のなかだけに封じこめないといけない。

それなのに、怪しげな損得を求めて、セコい買い手がいるとは、「叩き上げ」というだけでほめたたえると、同じく、現代社会の病的な側面である。政府のやっていることも、ビジネスの公平さの原則を踏みにじっている。なぜか、法学部を出ただけの役人が、商売人より賢いと勘違いしているのではないか。

「うつ」は再発しやすい、心を癒やす人がもっともっと いて欲しい

2020-09-20 21:29:52 | こころの病(やまい)


今年の梅雨はとても長く、夏はとても暑かった。それに春先からコロナ感染騒ぎが続いた。

私のいるNPOは心に問題を抱えている子どもたちの教育を行っている。知識の伝授ではないので、リモート学習も試みたが、対面でないとうまくいかないことが多い。この間、綱渡りのような対面学習を続けてきたが、幸いなことに、まだコロナ感染者を出さないですんでいる。

しかし、夏の疲労で倒れるスタッフが出ている。私も仕事が終わると寝ころんでいる日々である。

ことしは、肉体的な疲労だけでなく、心も疲れ果てた人たちがいたのではないだろうか。心の悩みは、人との接触で作られるが、その悩みは、また、人との接触によって癒される。

大野裕は『「うつ」を治す』(PHP研究所)で、「うつ」は再発しやすいと、書いている。治っても薬を飲み続けろと、主張している。

薬に依存性はないと彼は言うが、やめるときには離脱症が生じるという。「治っても薬を飲み続ける」では、依存性とどこが違うのだろうか。精神科医が関わって「制御」されているから安全なのだろうか。

また、再発しやすいだけでなく、何年も何年も薬を飲んでいて、治らない男の子もいる。その子が20歳になったので、今年、私のいるNPOで成人式をし、みんなで祝う予定であったが、コロナ騒ぎで できなかった。来月に、遅ればせながら、NPOでの成人式をすることにしている。

同じ歳の女の子だが、その子が、今年の8月に、夜間に寝付けず、頓服薬リスパダールOD錠1錠を飲んだら、けいれんを起した。翌日、総合病院に受診して、ミオクローヌスと診断され、リボトリール錠0.5㎎を毎日のんだ。その後、職場にパラパラとしか通えなくなった。

その子の持病に てんかんの小発作(欠伸発作)があり、また、中学、高校、卒業後も何度か、うつ状態を示すことがあり、両方の薬を異なる病院で処方されている。私は医者でないので口をだせない。問題は、そのことではない。

9月に職場から「昼休みは元気だし、福祉ではないから、これ以上休まれると困る。完全に治るまで来ないでください」と言われ、休職扱いになり、給料が出なくなったことである。高校と先ほど言ったが、特別支援学校高等部で、職場は「特例子会社」である。障害者手帳で就職したので、「福祉」でないと言われても本人が戸惑うだけである。

この件で、女の子の相談にのったが、わからないのは母親の態度である。職場の「ジョブコーチ」の言い分を信用するが、自分の娘には「まとわりついて欲しくない」という。どうも、家庭が崩壊しかかっているのではないか。

2年前の春にも職場に通えぬということがあり、その後、落ち着いたので、安心していた。

心の病(やまい)は、薬だけで治るものではない。脳科学者の加藤忠史は「うつ」はこれから自分に起きることへの不安からくるという。細菌感染の治療薬は細菌を殺す。それに対し、心の病の薬は対処療法である。薬を使って症状を和らげるあいだに、自分の力で回復することを期待している。周りの人たちも、自分で自分を治すのを助けるのが望ましい。「自力」だけでなく「他力」もいるのだ。

今回のコロナ騒ぎのせいか、暑い夏のせいか、職場のジョブコーチも母親も心の余裕を失っている。特に母親の心の状態が心配である。だれか、寄り添ってあげないと、母親の心が壊れたままになる。

心を病む人は多いが、心を癒やす人はまだまだ少ない。きょうは涼しくなって、秋が来たようだから、事態は好転するかもしれないが。

座間市9人殺害犯、厚木市45人殺傷犯、叩き上げ新首相も神奈川県

2020-09-19 22:52:12 | 叩き上げの菅義偉


きょう土曜日のTBS『報道特集』は「▽新総理・菅義偉氏とは?生い立ち、そして“沖縄”との関係は?▽座間9人殺害事件・初公判を前に男が語った動機」を扱っていた。奇妙な組み合わせであるが、いっぽうで、現在の日本の病理を象徴しているように思え、妙に納得感があった。

神奈川県座間市の9人殺害事件とは、自殺を望む女をツイッターで募り、強姦し、金品を奪い、殺害し、切断し、首をクーラーボックスに保存し、死体とともに暮らしていた事件である。全員、自殺希望者だったわけではない。失踪した恋人を探している男も、事件の発覚を恐れた犯人によって殺害され、やはり、クーラーボックスに首が入れられてあった。

彼(犯人)は、殺された女のことを「自殺希望といっても、本当に死にたいわけでなく、単にかまわれたいだけですよ」と言う。

彼は、父親を、働いてばかりで、いつも疲れ果てていたという。そうはなりたくない、金儲けをしたくて、商業高校に進学し、会計士を目指した。しかし、会計士受験に失敗し、大手スーパーに正社員として務めたが、2,3年でやめ、職を転々として、女をスカウトして風俗に派遣する仕事についた。楽をして、スーパーの社員のときの数倍の収入を得たという。しかし、事件の半年前に、職業安定法違反で執行猶予付きの有罪判決を受け、スカウト業をやめた。

そして、楽をして金儲けをしたいと考えた新しい仕事が、自殺希望の女を殺害して金品を奪うことだったという。そして、自分は「成果主義」だという。その意味が理解しがたいが、楽をして金儲けをするということを、行為ではなく結果を重視する思想だと言いたいようである。

座間市9人殺害事件の1年前に、同じ神奈川県相模原市での津久井やまゆり園で、元職員による利用者とスタッフ45人殺傷事件があった。その動機は、社会に不要な人間を殺すべきという思想からきた。彼は、気楽に就職した津久井やまゆり園で、社会に役立つ人間と役立たない人間がいて、役立たない人間が役立つ人間に迷惑をかけていると考えるようになった。

同じ、神奈川県に、「叩き上げ」を自称し、「自助」を唱え、首相になった男がいる。菅義偉である。「自助」を言っているのに「叩き上げ」をもてはやす人たちがいるのは、どこかおかしい。これも社会の病理である。

菅義偉は私の1つ下である。私の世代は大学に行かないのが普通だった。高校にも行けない子もいた。家の生活をささえろと言って親が進学に反対するからである。私の親友も高校進学を親に反対され、中学教師の仲介で、定時制(夜間)高校に通いながら、家業の塗装業を手伝うことになった。

菅は、親のイチゴ農家を継ぎたくないから、ふらっと意味もなく、東京に出たのである。親に仕送りもせず、自分探しをし、その結果、夜間大学に進んだのである。卒業後も自分探しが続き、ある日、権力闘争に打ち込むことに自分の道をみつけ、自民党議員の秘書についたのである。けっして、不幸な人たちを助けたくて、政治家になったのではない。

「叩き上げ」の意味することは、自民党が「おぼっちゃま」の集まりになっていることである。別に「叩き上げ」だからといって偉いわけではない。自民党が腐りきっているだけである。

5分間で食事し、4,5時間の睡眠で働いたからといって偉いわけではない。だいじなのは、何を目指して猛烈に働いたかである。自分が権力を持つために猛烈に働いたことは、別に偉いことではない。結果として、極右の安倍政権を支えただけである。

菅義偉は、安倍晋三の下で、政権の不始末を隠し、沖縄に基地を押し付け、観光立国に ばく進した張本人である。森・加計・桜の生ごみにふたをしただけでなく、昨年の総選挙で1億5千万を河井克行・案里に出したのも菅義偉と言われる。今回の件は、マフィアのボスを支える殺し屋がボスに昇格したようなものである。

それなのに、「叩き上げ」を持ち上げる人たちは、神奈川県座間市9人殺害犯、津久井やまゆり園殺傷犯と同類の病気に陥っている。