猫じじいのブログ

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菅政権は これまでの自民党の経済政策の誤りを継承していくのか

2020-09-24 22:13:25 | 経済と政治
 
新首相の菅義偉が安倍政治を継承すると言っているが、安倍政権下の経済政策は失敗だったとしか言いようがない。日本の産業は、この間、安倍政権下で急速に国際競争力を失った。これは、日本の経営者を甘やかしすぎたからである。無能な経営者が社長や会長になっているからである。現在の経営者の総入れ替えをしないといけないのだ。
 
日本政府は、戦後ずっと日本企業の保護政策をとっている。政府や地方自治体の物品購入先は日本企業である。外国企業の製品には関税をかけ、日本企業を保護してきたのである。そして、政府が音頭を取って企業の合併を進めてきたのである。
 
日本が貧しい国であれば、政府が企業を保護するというのは、しかたがない。しかし、日本が敗戦から復興した1970年以降は、企業を保護する、経営者を甘やかすのはやめなければいけなかった。政府は農業の保護に限定すべきであった。
 
ところが、政府は、いつも、農業を犠牲にして、企業を保護してきたのである。
 
小泉純一郎が発明した「規制緩和」という流行語がある。「規制」には、国民を守るための「規制」と、政治家の既得権を守るための「規制」とがある。
 
最近の日経ビジネスに、「岩盤規制の改革が進まない裏には族議員や省庁の抵抗があり、その背景には規制に結びついた業界や省益の維持がある」とあった。まさに、その通りである。しかし、「国民をまもるための規制」は必要なのだ。緩和してはいけない。
 
自民党の「規制緩和」の対象に、戦後できた「労働三法」がある。労働組合法,労働基準法および労働関係調整法の3つの法律をいう。これは、つぎの憲法の理念を法律として実体化したものだった。
 
憲法 27条「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
○3 児童は、これを酷使してはならない。」
憲法 28条「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」
 
自民党政権は、ずっと、この「労働三法」の空洞化をはかってきた。
 
しかし、経営者は、労働者の権利を守って、その上で、活力ある企業活動をおし進めてこそ、経営者の資格があるのである。それなのに、安い労働力にもとづいて、しかも、米国の需要だけに頼っていたから、1970年代から米国との貿易摩擦が生じたのだ。労働者も大事な消費者であることを経営者がわすれているから、国外に需要を頼ることになる。
 
貿易摩擦を米国民の目からそらすために、日本政府は同盟国であると強調せざるを得なくなった。実質上の軍事同盟の強化と、米国から軍備の購入をおし進めるしかなかった。
 
本来は、日本では、理想的な経営がなされ、労働者が幸せに暮らしているから、米国民も見習いましょう、であれば、貿易摩擦が起きなかったはずである。1980年代から、日本政府は不正を行っているとの声を、私は米国民からよく聞いた。
 
「派遣労働」の創設は、労働市場の流動化をはかった「規制緩和」の1つである。この「派遣労働」の創設によって、人材派遣企業が雨後の筍のように多数でき、その当時の規制緩和推進の大臣である竹中平蔵が、いま、派遣大手のパソナグループの会長になっている。
 
すなわち、自民党は経営者に甘かっただけでなく、同時に、新たな利権者になってきたのである。
 
「自助」を唱え、安倍政治の継承をうたう菅義偉は、とっても悪い人間である。
 
そして、菅義偉の「デジタル化政策」も うさん臭いものだ。
 
日本政府は1970年代から国産コンピューターに力をいれていた。大学のコンピューターはすべて国産で、政府が各大学に国産メーカの日立、富士通、NECを割り振っていた。積極的にコンピューター産業に力をいれていたのである。1990年代は、政府はスーパーコンピューターに力をいれた。2000年代はインタネットに力をいれた。また、官公庁のデジタル化、小中高教育のデジタル化をおし進め、国産のパソコンメーカの後押しとソフト開発会社の救済を行った。
 
日本政府は「デジタル化」をずっと試みてきたのである。しかし、何か成功したことがあるのか。官僚が旗をふっても、せいぜいで、米国やドイツの後追いするだけである。現在は、日本のIT産業は、中国や韓国よりも、実力が低くなった。
 
人間の資質には国による差はない。自由な社会であるか、どうかがだいじである。政府は経営者を甘やかしてはいけない。しかし、政府は企業の経営に口出してはいけない。経営者を罷免するのは社員、すなわち労働者である。政府の口出しは利権を生み、第2の竹中平蔵を生むだけである。
 
政府は、若者に、新しい技術や産業を提案する場を、現在の経営陣を罵倒する場を、与えれば良い。出てきたアイデアをすべての人の共有財産として公表すればよい。それによって、若者が活性し、人材が育つ。別に博士の数が増加する必要がない。みんなが大学に進学する必要がない。大学は学問の場である。学問を目指すものだけが行けばよい。
 
最大の経済政策は、富の再分配による経済格差の解消である。経営者を甘やかす政策を打ち出しても、事態は好転しない。
 
財界は、菅政権の「デジタル庁」を新しい利権の場としか見てない。財界はろくでもない無能な経営者の集まりで、社会のルールを自分に都合が良いように変えることしか考えていない。