猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

伊藤亜紗の『どもる体』と『記憶する体』

2020-07-19 21:47:55 | 脳とニューロンとコンピュータ

きょう、昼に散歩していたら、親が子に向かって「話したら負けよ」と言っている親子とすれ違った。そのとき、「だるまさん、だるまさん、にらめっこしよう。笑ったら負けよ」という子どものときの遊びを思い出した。これは、「笑う」という情動を意識すればするほど、その情動を意識が制御できないことを利用した遊びである。

伊藤亜紗の『どもる体』(医学書院)が扱っている問題は、人間の脳のなかに、自分がコントロールできない自分がいるということだった。どもりを直そうとすると、自分が自分でなくなるという、どもる当事者たちの率直な話を書いていた。

私は、最近、統一された「自己」というものはないと思うようになった。笑う自分も、笑うまいとする自分も、自己。どもる自分も、どもるまいとする自分も、自己。いろんな自分が争わなければ、悩むこともない。

笑うまいとする自分、どもりを直そうとする自分は、対人関係のなかで生じた自分である。対人関係のなかで生じた自分は、言葉で自分を分析し、脳のなかにたくさんいる自分を言葉でコントロールしようする。そんなことができるはずがない。

伊藤亜紗は、『記憶する体』(春秋社)のエピソード10「吃音のフラッシュバック」で、どもらずに話せるようになった「柳川太希さん」が、どもる他の人を見たくないと言う。どもっていたときのトラウマがフラッシュバックするからだと言う。

このようなことをも「トラウマ」というのかと思うが、嫌な思い出は、しっかりと、人間の脳のなかで長期記憶になっている。長期記憶は削除できない。思い出さないようにするしかない。

もちろん、トラウマをもっている人に向かって、思い出すなと言っても無駄であるし、ますます、嫌な思い出を意識するようにさせる。「思い出すな」と絶対に言ってはならない。

「柳川さん」は、昔、保育園で、みんなの前で立って話すように仕向けられたとき、「発作みたいな感じで動機が激しくなって」しゃべれなくなったという。

自己主張をみんなの前ですることは、競争社会で勝ち抜くために有用かもしれないが、それが別に正しい生き方ではない。勝たなくても生きていける。

保育園によっては、「みんなの前で立って話す」ことが、個性を育てる教育で、名門幼稚園や名門小学校の「お受験」に役立つと考えている。間違っている、間違っている、許さないぞ。それは支配―被支配の構造を固定化させる行為だ。

「柳川さん」のトラウマは、思い出したとき、当時の保育園の園長や保育士はグズだったと思うことで、ダメージを弱めることができる。

対人関係のなかで生じた「自分」のなかには、現実社会の掟を維持しようとする保守的監視人が内在化した「自分」がある。監視人の「自分」は、ほかの多くの「自分」を劣っていると非難する。そういう監視人の「自分」にみずから気づき、それを排除する」と、人は楽になれる。

人は言葉を使うようになったばかりに、言葉を通じて、他人が、社会の掟が、脳のなかに監視人や命令者として入ってくる。

どもらずに話せるようになるため、「柳川さん」は非常に苦労したのであろう。コントロールできない自分とコントロールしたい自分とが妥協したのであろう。いまにも壊れそうな妥協であるから、どもる他人を見れないのだろう。

どもることは悪くない、どもることは悪くない、と心から納得できるまで、コントロールされる自分とコントロールしたい自分との休戦の不安定は続くと思う。

伊藤亜紗の『記憶する体』、普遍性より個別性、個人の豊かな心的世界

2020-07-18 22:30:00 | 脳とニューロンとコンピュータ


昨年の暮れ、新聞の書評で伊藤亜紗の『記憶する体』(春秋社)を知って、図書館に予約して、8カ月、ようやく、きょう、本を手にした。伊藤亜紗のファンがいかに多いかということだ。

「記憶する」とは、脳の神経網の働きである。タイトルに「体」とあるのは、身体的に何かの障害をもった人のことを、伊藤亜紗は書いているからだ。

彼女の特徴は、障害をもった人を書いているのにもかかわらず、暗いところがまったくない。個性として書いている。私には脳科学の話しとも読めるが、脳科学の知見を持ち出さない。あくまで、書かれているのは、生き生きとした個人の感じ方である。

本書のプロローグで、彼女は、つぎのように書く。

〈小説ならば、こうした固有性についてダイレクトに語ることができるでしょう。
ですが、学問となるとそうはいきません。哲学にせよ認知科学にせよ生理学にせよ、科学であるかぎり、普遍性のある合理的な記述を目指します。〉
〈けれども、身体の研究として、それだけでは何だか半分な気がする。〉
〈本書は、この「もやもや」に対して、私なりに答えを出そうとした本です。
そのために選んだのが、「記憶」というテーマでした。〉

「普遍性」でなく、「個別性」を重視した調査研究手法を、文化人類学や社会学において「エスノグラフィー(ethnography)」と言う。伊藤亜紗の行っていることは、まさに、エスノグラフィーである。この手法を私がはじめて知ったのは、中村かれんの『クレイジー・イン・ジャパン(A Disability of the Soul)』(医学書院)である。

「人間」に関する研究では、統計とか理論とか「普遍性」を仮定した研究手法では、欠落する「真理」があると私は思う。

今回の新型コロナウイルスSARS-CoV-2の感染に関しても、エスノグラフィーのアプローチも必要である。定説からものをいう専門家が多いが、定説が適用できない可能性もあり、あくまで、実例を集めることが、SARS-CoV-2固有の感染メカニズムを理解し、適切な感染対策を行うに必要である。

私自身も、昔、理系博士課程で『分子間力の個性』という論文を物理教室に提出し、それまで関わりのない植村泰忠先生に おほめの言葉をいただいた。じつは、深く考えずに「個性」という言葉を使ったのだが、「普遍性」を暗黙のルールとする物理教室で「個性」という言葉を使ったことを先生は高く評価してくれたのだ。いま思うと、「個性」というアプローチは良かったと思う。「普遍性」に縛られると、「自然」の表面的理解に終わってしまう。

人間の脳は、汎用コンピュータと同じく、同じような構造の繰り返しから成り立っている。ブロードマンの脳地図といって、脳の機能を大脳皮質の局所に割り振るが、その大脳皮質は、場所によらず、ほぼ同じような構造をしている。体験を通じて、脳の神経網が個性化していく。

個性化によって、どのように感じ方が人によって違うか、身体の障害をもった人にインタビューすることで、伊藤亜紗はせまっている。そして、身体の障害にかかわらず、人は、それぞれの豊かな世界「記憶する体」をもっていることを、伊藤亜紗は見いだす。

生活していけるなら、障害というのは、多数派からみた偏見である。

脳の神経網でどのような処理が行われているか、考えるうえでも、本書は素晴らしいインスピレーションを与えてくれる。

映画『オズの魔法使い』コミュニケーション力がないと悩むあなたに

2020-07-17 20:43:33 | 映画のなかの思想

コミュニケーション力が欲しいと息子に責めたてられると、私が小学生のとき見たミュージカル映画『オズの魔法使い』を、いつも思い出す

それは、竜巻に家 (house) ごと「オズの国」へ吹き飛ばされた少女ドロシーが、うち(home) にかえるため、大魔法使いに会い、悪い魔女を倒す冒険物語だ。

 ドロシーは、途中で、自分は賢くないと悩むカカシと、自分は優しい心がないと悩むブリキ男と、自分は勇気がないと悩むライオンと出会う。彼らは、大魔法使いオズに会って願いことを言うと、悪い魔法使いを倒したら、と言われる。4人は、助け合って、ついに悪い魔女を倒す。

ドロシーは自分をうちに返して、カカシは自分を賢くして、ブリキは自分に優しい心を、ライオンは自分に勇気をくださいとオズに言うと、ニセの魔法使いであるオズは、あなたがたの願いはすでにかなえられている、カカシは充分に賢く、ブリキは充分に優しく、ライオンは充分に勇気がある、と告げる。

最後にドロシーだが、良い魔女に教えられて、「おうちほど素晴らしところがない」という呪文を唱えると、目が覚めて「おうち(home) 」にいる。その枕元に、近所のカカシにそっくりの農夫、ブリキ男にそっくりの農夫、ライオンにそっくりの農夫がいて、ドロシーの意識が戻ったことをみんなで喜んでくれた。

 人は色々と能力がないと悩むものである。悩んでいるうちに能力がついてくる。けれど、自分でそれに気づくことはむずかしく、適切な人に適切に告知される必要がある。

 コミュニケーション力とプレゼンテーション力とは違う。相手が共感する心を持っていないと、コミュニケーションは続かない。相手に通じなかったからといって、くじけないように。

私と対話しているあなたには、すでに充分なコミュニケーション力がある。

奴隷制はいかに生じたか、ローマ帝国、漢国、ロシア帝国

2020-07-16 21:14:23 | 国家

奴隷というと、戦争で得た捕虜のことと考えやすい。ジェームズ・C・スコット著の『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』(みすず書房)もそういう印象を与えるかもしれない。古代のローマ帝国では、確かに、そういう側面があったが、古代社会が すべて そうであるわけではない。

古代のメソポタミアやパレスチナでは、しもべと奴隷との区別がなかった。しもべも奴隷も主人に仕える点で同じである。所有物である。お金で売買された時点で、現代的な意味で「奴隷」であることがわかる。

古代メソポタミアでは、戦争で捕虜にされるのは、敵国の裕福なもの、王などの支配者の一族である。貧しい者は、殺されるのでなければ、負ける前に逃亡するのである。王などの支配者一族は反乱を避けるため、隔離する必要がある。これを「捕囚」という。裕福な者は、その身内が身代金を支払うまで、すなわち、「贖われる」まで、捕虜にとどまる。

「奴隷」は、優遇されなければ、カウツキーが指摘するように、非常に生産性の悪い「労働力」となる。したがって、単純労働する奴隷が社会のなかで多数を占めたのは、ローマ帝国の特殊性である。ローマ帝国が安易に勝てたという時代が一時的にあったということだ。

戦争は、勝てるために、自軍からも死者をださないといけない。戦闘の努力が、得た奴隷の労働奉仕に見合うとは、かなりの偶然的要素に依存している。ローマ帝国が他国に容易に勝てる時代がすぎると、奴隷制が崩壊した。

奴隷が生じる要因は、かならずしも、戦争の結果ではない。

歴史上最悪の奴隷制は、200年前のアメリカの奴隷制である。ここでの奴隷制は、国内的には、暴力と人種差別によってなりたっていた。対外的には、イギリスの奴隷商人が、中央アフリカの部族王と、工業製品と奴隷との交換貿易を行って、アメリカに奴隷が供給されていたのである。王が着飾るために、奴隷を輸出していたのである。

これは、グローバリズムのなかで、生産力の差によって、奴隷が輸出されたという例である。

社会が安定した結果、格差が拡大し、奴隷が生じたという例も多い。

『図説中国文明史』(創元社)第4巻の「秦漢 雄偉なる文明」には、9箇所、奴隷のことが書かれている。中国は殷、周、春秋、戦国と、次第に奴隷の売買や殉葬がなくなり、戦国末には法的にも禁じられた。国が分かれていると、王や貴族の過酷な支配から平民や奴隷は逃亡するから、競合して下層民の人権もみとめるようになる。

すなわち、国政に競合があると、奴隷制はなくなるということだ。けっして、巨大統一国家は望ましいことではない。

ところが、漢代のように、競合的支配体制がないと、自営農民が没落し、小作になり、借金がかさむと奴隷になる。奴隷が増加し、後漢時代には、奴隷の売買が法的にも認められたとある。

『地域からの世界史』(朝日新聞社)第11巻、和田春樹の『ロシア・ソ連』に同様の例が見られる。ロシア帝国の国力が高まり、治安が良くなると、地主は農民から過酷に取り立てを行うようになり、逃亡が起きるようになった。そこで、農民の移動を禁止し、農奴が生じた。農奴制が立法化されたのは1649年である。ロシアに初めから農奴があったわけでない。

日本も、このまま、格差が大きくなると、奴隷制がおきるかもしれない。
支配・被支配関係が強化された形が、奴隷制である。

働くことは生の一部である。働くこと自体が苦痛であるのではない。働かされるから、苦痛なのだ。働くことが喜びであるのが、あるべき社会だ。
農耕は苦役だから、奴隷制が生じたというスコットの見解に賛同できない。


死んで鬼神となる - 日本人の戦争

2020-07-15 22:33:37 | 戦争を考える


75年前に敗戦で終わった日本人の戦争が、コロナ騒ぎで忘れられないために、昨年書いたブログを再録する。

去年(2019年)の2月24日に、日本を愛した研究者ドナルド・キーンが96歳で亡くなった。
数年前、彼の本『日本人の戦争―作家の日記を読む』(文藝春秋)に、私は衝撃を受けた。
多くの日本の作家たちがガダルカナル島で「死んで神となった兵士たちを称揚した」とあるからだ。

ドナルド・キーンの驚きは、知的なはずの作家たちが、1942年8月から翌年2月まで続いたガダルカナル島の戦闘で、多くの日本兵が銃弾や飢餓で死んだことに悲しまず、個人的な思いを書く日記で、その死を讃えたことにある。

わたしの驚きは、兵士が「死んで神となる」という考えである。英米文学やドイツ文学、ロシア文学の素養がある作家、ジャーナリストが「死んで神となる」と本気で考えたことである。これは、天皇の神格化と同じく、わたしにとっては理解できない。

しかし、戦後まもないわたしの子供時代を思い出すと、少なくない年寄りが天皇を神として参拝していた。とんでもないことだが、戦前、戦中の作家やジャーナリストの中に「死んで神となる」と考えがあったのも、事実であろう。
天皇が神であるという考えや、戦いで死んで神になるという考えは、日本の伝統にはもともとなかった。明治維新体制の官僚が創作し教育を通じて広めた新たな宗教観である。

日本には、人間がすごい恨みを持って死ねば、「鬼神」になってたたるという考えは、確かにあった。菅原道真を祭るのは、鬼神の霊をなぐさめるためである。
「たたり」を恐れてではなく、死んだ開祖者を「守り神」として祭るのは、徳川家康が最初かと思う。この場合は、開祖者が自分の子孫を守るため、自ら「鬼神」となって祭られるのである。

天皇が祭司として自分の祖先に仕えるのはありうるかもしれない。しかし、生きている人を神として祭るという創作が、74年前まで、日本でまかり通っていたのは理解しにくい。しかも、戦争で死んだ兵士も神となって、生きている神のもとに馳せ参じるとは、思うだけで、おどろおどろしいホラー映画のようである。この官製ホラー物語の舞台が、74年前まで、靖国神社であった。そこに戦争で死んだ兵士が天皇のために鬼神となって集まるのである。

1945年の敗戦に伴って、宗教団体法や治安維持法などが廃止され、靖国神社の特権的位置も廃止された。靖国神社は普通の貧乏神社になった。この靖国神社に、1978年、第2次世界大戦のA級戦犯が合祀される。いま、戦後74年になっているのに、一部の国会議員が靖国神社に参拝する。1975年以来、天皇は靖国神社を参拝していない。

小熊英二の『「誤解」を解く「枢軸国日本」と一線を』では、合祀を決めた靖国神社の宮司の次の言葉が紹介されている。
「現行憲法の否定はわれわれの願うところだが、そのまえに極東軍事裁判がある。この根源をたたいてしまうという意図のもとに、“A級戦犯”14柱を新たに祭神とした」
このようにして、靖国神社は普通の神社から大日本帝国の復興を願う神社になった。一部の国会議員が参拝するが、決して天皇が参拝しない神社になった。新しいホラー物語の舞台になった。

【引用文献】
ドナルド キーン:「日本人の戦争―作家の日記を読む」文藝春秋 (2009/07) ISBN-13: 978-4163715704
小熊英二:「『誤解』を解く『枢軸国日本』と一線を」朝日新聞2014年10月14日夕刊3面