トーマス・マンはなぜヒトラーとナチスを嫌ったのか。たぶん、感覚的なものだったのではないか、と思う。
池内紀は、『闘う文豪とナチス・ドイツ トーマス・マンの亡命日記』(中公新書)でつぎのように書いている。
「ヒトラーは若いときから熱狂的なワーグナー・ファンだった。」
「ナチ党はバイロイトをナチスの音楽聖地とするかたわら、物心両面にわたり手厚くワーグナー家を援助した。」
いっぽう、トーマス・マンも「ヴァーグナー心酔者」だった。
「そんなマンにとって、並はずれた芸術家の意味深い作品が、1つの政党のキャンペン音楽になっていくのは我慢ならないことだ。」
ここでワーグナーとヴァーグナーとは、同一の名前を英語風に読むか、ドイツ語風に読むかの違いで、ドイツ文学者の池内は、ナチスの立場に立つと英語読みにし、トーマス・マンの気持ちに心寄せるときは、ドイツ語読みにしている。
要するに、マンは、下品なヒトラーやナチス党とは感覚が合わないのだ。
ナチスにドイツ再入国を拒否されたマンは、1933年4月の日記につぎのように書く。
「垢にまみれてしまった神話。堕落したロマン主義と、けちな毒を含んだ小市民的怨念。芸術の領域での英雄はR. ヴァーグナーというわけだ。」
「小市民」とは、たぶん「プチブル(petty bourgeois)」のことであろう。
1935年2月、日本のクーデタ(2.26事件)の報に接し、2年前の6月30日の長いナイフの夜事件を思い出し、つぎのように書いている。
「小市民大衆が、またまた、下賤な心理学を用いて自分たちのために書かれたこの勧善懲悪劇の罠にまんまとはまりこみ、あらためてヒトラーを救世主と見なすことはあり得るし、事実そうなりそうな気配だ」
トーマス・マンは、ヒトラーやナチスを正義ぶっているが、心根の卑しいものの集まりだと思っていたのだ。ナチス親衛隊が党内外のヒトラーの政敵116名の非合法殺害を、正義の名のもとに正当化したことに、マンは、怒りを抑えきれないのだ。
マンは自分の妻の両親のことでも、怒っている。妻はミュンヘンのブルジョアの出である。妻の両親は大きくて美しい屋敷を所有し、陶磁器、銀細工品のコレクションをもっていた。これらを、結局、ナチスが取り上げるのである。
ナチスからみれば、政権をとったことは、革命である。もはや、ブルジョアの所有権は認められない。ブルジョアのつくった法律よりもヒトラーの言葉が権威をもつ。
マンからみれば、ナチスは、大衆の心理操作にたけた下賤な泥棒集団にすぎない。
正装を好むマンは、ドイツの古典的なブルジョア教養人であった。マンが、教養人として、ブルジョア民主主義者として正しいかもしれないが、ナチスをプチブルとののしっているだけでは、民衆のこころをつかむことができない。本書の「白バラをめぐって」の章で池内が記すように、ここが、ドイツ教養人の限界であったのではないか。
とすると、マンが放浪者ハムスンの文学作品を評価するのはなぜなのか。また、ヴァーグナーを評価するのはなぜなのか。それも感覚的な理由で、論理的に説明できないのではないかと思う。
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