猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

老いていくこと、それでも生きていくこと、森村誠一

2021-10-03 22:24:30 | こころ

きのう、朝日新聞の(売れてる本)『老いる意味 うつ、勇気、夢』を見て、森村誠一が老人性うつと認知症にかかり、それに打ち勝って作家活動をしていると読み、深くおどろき、敬服した。

私の父は70代半ばから認知症になり、散歩に出ると自分で帰ってこれなくなった。

森村は1933年生まれ、だから、私より、14歳上である。10年前、吉川英治文学賞を受賞した時、「これからまだ50冊を書く」と宣言したとある。その4年後、82歳のとき、医師から老人性うつにかかったと言われたという。そこからの病(やまい)と闘いを記したのが売れている本である。

作家にとって言葉が命である。老いによって言葉が出てこない苦しみが老人性うつを招き、それが認知症をさらに進めたのだろう。老人性うつと闘い、そこから脱出したというのを聞いて、敬意を表する。

学校教育では、教科書などに出てくる単語の意味を辞書で引かせて調べさせたり、同意語をテストで書かせたりして、言葉を覚えさせる。しかし、私は言葉が違えば意味が違うと考える。言葉には辞書にない深い意味があり、それは本をたくさん読むことによってのみ、知ることができるのだ、と思っている。

だから、ある文脈で最適な言葉は常に1つしかない。作家にとって、その1つしかない言葉がでてこなくなることは、とてもつらいだろうと思う。

私は言葉をつかうことを職業としてこなかった。それでも、子どもと話をしているとき、言葉が出てこなくなり、それで話題を切り替えることが多くなった。NPOで子どもの指導にあたるのが、だんだん難しくなった。目が見えない、耳が聞こえないも、直接的に困るが、人間関係において言葉が命であり、言葉がでてこないというのも、致命的な欠陥である。私にまだ残された能力は、他人に共感することである。子どもの気持ちがわかる。同僚の気持ちがわかる。まだ人が好きになれる。

私のもとの仕事、物理の理論は個人のペースで進める。他人と競争しようと思わなければ、世紀の発見をしようと思わなければ、老いてもゆっくりゆっくり進めることができる。私は自分の納得のために いまも 研究ノートを毎日書きつづっている。若いとき、不思議に思わなかったことが、突然、納得がいかなくなり、考え込む。書きつづっていると、新しい発見が出てくる。自分のための研究は急ぐことはないのだ。

もしかしたら、作家の仕事も同じところがあるかもしれない。個人でできる仕事だ。無理に大量の作品を書く必要がないのだ。何度も何度も書き直していくうちに最適の言葉が見つかるかもしれない。自分が納得できる作品を作れば、だれかに読んでもらえるはずである。



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