猫じじいのブログ

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政府は 札束で学者の頬を叩くだけでなく 追い出すと恫喝する

2020-10-09 22:38:35 | 日本学術会議任命拒否事件
 
ずいぶん前のことになるが、「学者たちが居眠りをしているから、札束で頬を叩いて目を覚まさせるのだ」と言った男がいる。1954年に突如、原子力予算案が政府から提出され、抗議した学者たちに、中曽根康弘が、そう言い放ったのである。
 
いっぽう、学者たちは、原子力が軍事研究に転化されることを防ぐため、また原子力利用の安全性を高めるために、「公開」「民主」「自主」の三原則の声明を日本学術会議から出した。
 
当時、原子力研究はアメリカでは軍事と結び付いていたため、非公開であった。また、アメリカでは軍がトップにいて研究が管理されるのに対し、研究者がみずから研究を管理することを「民主」「自主」と言ったのである。
 
さて、どうなったのか。政府は、出来上がった原子力発電システムをアメリカから買ってきて、日立、東芝などの技術者たちをアメリカに送り、運転操作を学ばせたのである。このときの技術者たちが、そのまま、大学の原子力学科の教授になったのである。日本の原子力村は政府によって作られ、だからレベルが低いのである。
 
その結果、何が起きたか。津波が押し寄せる沿岸沿いに多数の原子力発電所をつくり、2011年の東日本大震災のとき、地震で送電塔が倒れ、津波で非常電源が塩水につかり、福島第1原発事故が起きた。日本人が、原子力発電システムの設計に関与していないのである。
 
「札束で頬を叩いて」と言った中曽根はなんら原発事故の責任をとることなく、101歳で昨年死に、今月、国費9600万円をかけて葬儀をする。
 
自民党政権は、昔から善人を罰し、悪人を讃えるやからである。
 
戦後、戦争への反省から政府に創設された日本学術会議は、1950 年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」という旨の声明を、1967 年に「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を出している。日本学術会議は、日本が戦争に巻き込まれそうになったときは、その設置目的を記した学術会議法にもとづき、軍事研究反対の声明をだしてきたのである。
 
2017年の日本学術会議の「軍事的安全保障研究に関する声明」も同じ趣旨である。1つは、「安保法制」で日本の軍事行動の範囲が拡大され、もう1つは、文部科学省管轄の研究費予算が減額され、その代わりに、自衛隊の研究費が増額され、その金で大学に対して軍事研究の公募がかけられたからである。
 
これは、あらたな「札束で頬を叩く」行為ではないか。
 
軍事研究は民生品の技術にも貢献するというが、もしそれなら、はじめから民生品の研究に公費を出せばよい。軍事研究となると、発見や発明が非公開になり、また、研究を防衛庁の職員が細かく管理したがる。
 
ところが、今年なって、菅義偉は日本学術会議新会員6名の任命を拒否した。それだけでなく、きょう、河野太郎は、菅の命をうけ、日本学術会議を効率的でないと、組織をつぶすと恫喝した。
 
この国の政府はなんと下品で高慢なのだろうか。


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