猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ギフテッド・チャイルド続報 IQ134の小さな男の子

2022-12-23 13:28:17 | 愛すべき子どもたち

以前に紹介したIQ134の小学3年生の男の子の続報である。

放デイサービスでその子を担当して半年になった。いろいろなことがわかってきた。それなのに、来年度は「四谷大塚」に専念させると親からの連絡帳にあり、ちょっと残念に感じる。 

私は、新型コロナの騒ぎが続いているときに担当したので、その子のマスクの下の顔をずっと知らなかった。最近、鼻かぜをひいたのか、その子はマスクをはずして鼻水をかんだ。目が小さいから繊細な顔と思っていたのだが、意外にも、たらこ唇の意思の強そうな顔であった。

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嫌いな教科は「道徳」だと、その子は言う。自分は人の気持ちがわからないから、「道徳」の時間が嫌だと言う。私も同僚も、その子が、子どもなのに、大人の気持ちを気遣うのにびっくりしていた。私たちが「気遣う」と言うのは、大人の要求を推察するということではなく、大人の心を傷つけないよう配慮することである。気遣うことを良いとは私は思わない。精神医学哲学者のレイチェル・クーパーは人の心をシミュ―レーションできないし、するなと言っている。

学校の「道徳」の時間は子どもたちに「共感」を強要しているのではないか。「共感」を強要しても「共感」の心は育たない。

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その子は漢字を覚えるのが苦痛である。覚えることが嫌いである。その子の才能は「考える」ことにある。「考える」とは、しつこく試行錯誤を繰り返す能力にある。「学ぶ」とは「まねる」ことである。日本の学校教育は「覚える」「まねる」ことを強調し過ぎではないか。

その子の社会科の課題で、都道府県名とその場所を覚えることがあった。都道府県名と場所だけでなく、そのイメージをその子とおしゃべりした。テレビで見たことや地図上の位置から推察して、その子はイメージを楽しく語ってくれた。最後に、都道府県の白地図を指さして都道府県名を問うと、半分以上は覚えられていなかった。そのとき、突然、作業療法士から記憶力が劣っていると言われたと、その子は私に言った。なぜ、作業療法士はその子にそんなことを言ったのか、と私は思った。作業療法士に限らず、世の中は、発達障害児童に対する偏見をもっていて、不要な言葉を発する。人にラベルをつけてはならない。

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今年の夏に、その子は、素晴らしい読書感想文とゲームソフトを仕上げた。母親が助けたのは知っているが、それでも、その子の構想力と仕上げるまでの持続力がすごい。

ゲームソフトは「全国小中学生作品」に母親が応募して賞をもらった。問題は、学校代表になった読書感想文である。

その子の感想文は400字詰め原稿用紙4枚の長さだったが、コンクールに合わせて、担当教師が3枚の長さに縮め、それを清書するように指示した。その子は自分の言いたいことは3枚に縮められないと腹を立てたのである。削られた部分は調査捕鯨とそれに反対する団体に関して言及したところであったのでる。

その本はクジラについての科学的知識を増すことは良いことだという前提に立っている。したがって、調査捕鯨に反対するシーシェパードを悪者として扱う。

しかし、その子はつぎのように書く。

「ぼくは、シーシェパードの考えは、理かいはできる。でも、やり方を間ちがえてしまっているのがざんねんだと思う。」

「それでもぼくの心の中には、クジラをころしてしまうのはかわいそうだという気持ちがあって、ちょうさほげいにすべてさん成することはできなかった。」

その子は、「科学的知識」を得るためにクジラを「殺す」ことの問題を感じとっている。

だから、その子は読書感想文の冒頭につぎのように書いているのだ。

「ぼくは、どんな大人になるのだろう。ぼくらの未来は、どうかわっていくのだろう。きぼうとふ安とまよいがまじったような、よく分からない気持ちのまま、ぼくはこの本を読み終えた。」

担当教師はコンクールに応募することだけを考えていて、その子の早熟な感受性になにも感じ取っていない。

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今、子どもたちは無理解な大人に囲まれて生活しているように感じる。社会は形式だけが先行している。親は子どもを無理解な大人たちから守らないといけない。



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