猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

どもること、音声がこもること、音程とリズムがはずれること

2020-07-04 00:30:23 | 脳とニューロンとコンピュータ

伊藤亜紗の『どもる体』(医学書院)が面白い。
シリーズ「ケアをひらく」の一冊である。
「どもる人」の立場からの「どもること」のルポあるいは研究である。
医学書院がこのような本を出版するなんて、
このようなシリーズを出版するなんて、と私は感激してしまう。

「どもる」は吃音のことである。米国精神医学会の診断マニュアルDMS-5では、「神経発達症群」の中の「コミュニケーション症群」の中の「小児期発症流暢症」(Childhood-Onset Fluency Disorder)である。

実は、小学1年の時、先生か校医が私のことを親に「どもっている」と告げた、と記憶している。
DMS-5には、大人になれば多くの人が治ると書かれている。しかし、伊藤亜紗は、そんな簡単なものではない、と言う。

「どもる」ということは、ある言葉を話そうという意思に反して、体がエラーを起こすことだそうだ。典型的な「どもり」では、最初の子音が連発して出てしまう。「たまご」と言おうと思うと「たったったったったまご」となる。意識して直そうとすると、最初の音が出なくなる。「・まご」となる。これを難発という。これを意識すると、連発や難発がおきる言葉を避け、他の言葉で言い換えしようとする。

大人になって「どもらなくなる」といっても、本人は非常に苦労しているのである。だから、意識して話しているときは「どもらなく」ても、親しい人と話しているときに「どもり」が出てしまう。

脳科学的に見れば、体がエラーを起こすとは、実は脳がエラーを起こすことである。
話すためには、運動神経系が、肺、喉、顎、舌、唇の筋肉を動的に制御しなければならない。

運動神経系は、脳内の多数の神経細胞から伸びる軸索が集まった繊維のことだ。一本一本の軸索は興奮を、収縮命令として、それぞれの筋肉に伝えているだけである。興奮が伝えられると、筋肉は縮むだけで、伸びろの命令がない。体の器官の1つずつに複数の筋肉がついていて、どれかが縮むことで、動くべき方向に動く。

脳(中枢神経系)が、脳内の一群の運動神経細胞の興奮を時間的に制御するという形で、この一連の収縮命令を発する。この複雑な処理を、意識せずに、多くの人がしている。

「体がエラーを起こす」というのは、「意識される脳の部分」が組み立てた「言葉」を、「意識されない脳の部分」が、一連の「運動神経細胞の動的興奮」に変換するのに失敗すること(disorder)だ。

さて、現在の私自身は、「どもっている」との気がしないのである。だから、本当は、学校側から親が何と言われたのか、わからない。

ただ、現在、私が意識しているのは、自分の「発音」が不明瞭であることだ。DSM-5 の「コミュニケーション症群」の中の「語音症」にあたる。教材を読みあげるときは、明瞭に話すことができる。しかし、思ったことをすぐ言おうとすると、「発音」が不明瞭になる。言葉を組み立てることと、明瞭に話すことが、同時にできないのだ。「発音」を明瞭にするためには、顎や舌や唇を意識せざるを得ない。

これは、どもりの人が抱えている問題と同じだ。

私にはさらに音痴という問題を抱えている。頭の中では、聞いた歌や演奏が鳴り響くのに、そのメロディーを口にすると、音程やリズムが制御できなくなる。歌うことが嫌いでないのに、自分の音程とリズムが制御できない。

さらに、私は、これだけでなく、リズム運動の問題も抱えている。フォークダンスが好きだが、動作のテンポがずれてしまう。

ただ、このような困難を抱えていたため、ほかの人の脅威となることはなかった。だから、子ども時代、みんなに好かれた、と本当に思っている。だから、「エラーする体」を恥じない。私はユニークな存在なのだ。

【参考図書】
伊藤亜紗:「どもる体」≪シリーズ ケアをひらく≫、医学書院、2018.06、ISBN978-4-260-03636-8


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