猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

新型コロナ騒ぎの中で、民主主義がまだ生きている、世界への窓がまだ開いている

2020-04-18 22:12:11 | 新型コロナウイルス

これまで、幾度か、日本に危機が来て、それで社会が変わるのではないか、と期待された。

75年前に日本がアメリカとの戦争に負けた。このとき、日本は軍国主義の国から民主主義の国に代わると期待された。じっさい、日本国憲法が新たに決まり、国民に主権がわたされ、日本の軍隊が解体された。しかし、いつのまにか、日本は軍隊をもち、国民の半分近くが、近代民主主義の基礎である、議員選出のための投票に行かなくなった。

9年前に東日本大震災が起き、お金が一番、お金を設けて何が悪いという価値観が変わるか、と期待された。じっさい、かなりの人たちが、震災地でのボランティアに出かけ、全国の原発がつぎつぎと稼働を止めた。しかし、たった9年で、原発事故があったことが忘れられようとしている。

今回の新型コロナ感染の大流行は、日本や世界に何をもたらすだろうか。一時的な民主主義やグローバル化の後退で済むのだろうか。大流行(パンデミック)が収束したとき、どのような日本や世界になっているのだろうか。

安倍晋三が、「50%減収の世帯に30万円給付」の閣議決定を覆してまで、無条件に国民ひとり10万円給付にしたということは、選挙を意識してのことだ。特別措置法にもとづき緊急事態宣言をせよという大合唱のなかで、経済を心配してかも知れないが、安倍が、法の定める手続きの順守を名目に、緊急事態宣言をためらった。

そう、日本では、民主主義がまだ生きている。

たしかに、現在、日本や世界で緊急事態が宣言され、外出の自由が制限され、休業が要請されている。

しかし、日本では、外出の制限や休業の要請が延長されるとしても、いちおう、5月6日までと期限が切られている。そして、4月17日の朝日新聞のインタビューで石川健治が心配したように、緊急事態を名目に、国会が、誰か一人に権力を集中させようとしているわけでもない。そればかりか、みんなで安倍を笑いものにしている。

そう、一時的な個人の自由の制限があっても、民主主義がまだ生きている。町には戦車が走り回っていない。銃をもった自衛隊が町を闊歩(かっぽ)していない。政治家は選挙を気にしている。自由にものが言える。

グローバル化も後戻りできない。経済が各国を結びつけているからだ。情報はデジタル化され世界をめぐる。

グローバル化とは、地域の伝統的文化が、他の文化と接触し、化学変化することである。日本も、約150年前に開国して、いつの間にかチョンマゲをやめ、ザンギリ頭になった。75年前に、日本は国民主権を憲法で明文化した。姿かたちをまねることから、ヒトの中身も変え始めたのだ。

新型コロナ感染症流行が収まったら、仕事をみんなで共有し、必要以上の金儲けをやめ、弱者にも敬意を払い、みんなが投票に行き、原発を廃止し、増収ねらいのカジノ誘致をきっぱりとやめ、海外とのヒトのつながりを強化するのだ。一時的な民主主義とグローバル化の後退を取り戻すのだ。

だから、この緊急事態宣言のなかでも、言論の自由を守り続け、多様な意見に寛容であり、世界からのニュースに耳を澄ますのだ。


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