ノーベル化学賞の受賞した吉野彰のインタビュー記事が、12月4日の朝日新聞の《オピニオン&フォーラム》に『企業研究者の誇り』というタイトルで載った。
企業の研究所にいた者として、同意できるところもあるが、同意できないところもある。吉野彰は少し「いい子ちゃん」ではないか、あるいは「エリート」ではないか、という気がする。
吉野はつぎのように答える。
「企業の研究者は『論文』ではなく、まず『特許』で結果を出しますからね。」
「しかも特許というのは、できるだけ中身がわからんように書くのがコツでね。」
「特許を先に出す」というのは、30年前の日本化学会のガイドだから、仕方がないとしても、「中身がわからんように書く」というのは、いただけない。
IBMの研究所は、昔、自分たちの研究力に誇りがあったから、特許を先に出すのではなく、発見および発明を日付と共に研究ノートに書き込み、それを同僚が確認してサインした。自慢したい発見、発明は、研究所が公刊していた。発見、発明の学会発表も自由だった。
すなわち、IBMの研究所では、自分たちの研究・開発・製造を特許で守るという考えはせず、特許侵害で訴えられないように、自分たちの発見・発明が先だという証拠を残せば良かったのである。
ところが、特許の使用権ビジネスや、特許で他の企業の開発・製品化を邪魔できることで、学会自体が「特許を先に出す」というガイドを出すようになった。他の企業の研究・開発を邪魔するというのが、「中身がわからんように書く」ということである。
特許の理念は、人類共有財産になる貴重な発明や発見が、世に知られないまま、失われるのを防ぐためである。発明や発見の利用を、期間を区切って、独占できると、国が保証するかわりに、産業上有用な発明や発見を公開させるのが特許制度である。企業同士が意地悪合戦をするためではない。
したがって、「中身がわからんように書く」というのは、特許の理念に違反する。
さて、現在、日本化学会は論文を書くようガイドをだしている。特許を書けば事足りるとしてきたために、日本化学界の知的レベルが国際的に下がってきたことを、反省しているからだ。論文を書くということは、科学技術を底上げするに必要なことである。
つぎに、インタビュアーの記者が、日本でのイノベーションが生まれにくいのは終身雇用制度だ、競争こそがイノベーションを生むという意見を、吉野彰にぶつけていた。吉野は即座にそんなことはないと否定した。
米国には定年という考えはない。IBMの研究所は、研究に飽きないかぎり、務められた。定年があるということは、終身雇用ではない。私のカナダの大学でのボスは、80歳になっても、大学に研究室があり、毎日通っている。
これは単にコストパフォーマンスという経済的問題であり、高い給料を要求しなければ、企業としては、研究を続けてもらって かまわないのである。
イノベーションが生まれるには、その個人に自由な心があるのか、努力を続けられるのか、が関係しても、競争が研究所に導入されているかは関係ない。そういう意味で、人格的資質が重要である。企業の研究所は研究環境を提供するだけだ。アメとムチでイノベーションが生まれるのではない。
吉野は「会社から『成果をださなくてもいいよ』と言われた」と答えているが、企業の研究所は、このように、本来、ゆるいものである。
フィリップ・W・アンダーソンは、1949年から1984年まで民間企業のベル研究所に務め、1977年にノーベル物理学賞を受賞している。彼は、企業は一流の学生を雇う必要はない、企業の研究者は二流の学生で良いのだ、研究が大好きであればよいのだ、と言っている。
また、新日鉄の研究所の素材研究者は、口の立つ子は信頼できない、地味な顔の子でないと研究がつづかないと私に言っていた。
吉野のインタビューでわからないのは、独りで研究していたのか、2,3人で研究していたのか、10人程度のプロジェクトであるのか、ということである。
研究に成功し、開発のフェーズになれば、予算も人手もつくのは、企業では当然である。問題は研究に成功するまで どうだったのか、ということである。この点について、吉野も記者も言及しないのは、片手落ちである。
企業の研究は仲間といっしょにするものである。吉野はこのことをどう考えているのだろう。
また、この記事ではないが、朝日新聞大阪科学医療部は、吉野のリチウムイオン電池は「改善」であって、同レベルの仕事をした人にもノーベル賞が与えられよう、同一分野は3人に限るという原則をやめた方が良いと提起していた。
私は、3人に限るという原則は守った方が良い、と思う。画期的な研究、発見、発明に賞をあげるのが目的だから、本来、該当者が多数いるのではおかしい。それでは画期的でないことになる。吉野のリチウムイオン電池の発明が画期的でないというのなら、その理由を明記すべきだと思う。ノーベル賞委員会と異なる判断をいうこと自体は あっても良いことだが。
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