(夜明け)
成田奈緒子の『「発達障害」と間違われる子どもたち』(青春出版社)がいま売れているらしい。同社が2月2日の朝日新聞広告によると、発行部数は11万突破となっている。去年の3月に出版された本にもかかわらず、先週、私が横浜市の図書館に予約したとき、予約順位が116位だった。
私がこの本の存在を知ったのは、ちょっと前のことで、まだ読んでいない。
NPOで私が8年間担当している男の子(23歳)が「発達障害」について書かれている本を読みたいと言うので、ふたりでインタネットで探したとき、たまたま、目にはいったのがこの本である。
彼は、本のタイトルの「間違われる」が気に入って、私と別れた後、帰り道の本屋で即座に買った。翌週、彼は、その本がとても良かったと私に告げた。読んで悩みがすっきりと解決したと言う。私は、13年間に「発達障害」児が約10倍に増えたのは、発達障害もどきを「発達障害」と間違えたからだというところか、と思ったが、そうではなかった。彼は、著者のメッセージ「治る」がうれしかったのだ。
似たようなタイトルの本に岩波明の『発達障害はなぜ誤診されるのか』(新潮選書)がある。この本は、『「発達障害」と間違えられる子どもたち』と逆に、発達障害なのに ほかの精神疾患(mental disorder)と間違えられると主張している。もっと正確にいうと、精神疾患が、もともとの発達障害から生じた2次障害なので、発達障害を直さないと、治らないという主張である。
岩波明の主張の問題点は、「発達障害」は治るのか、あるいは、抑え込めるのか、ということが曖昧であることだ。また、精神疾患にたいする環境の影響が軽視されていることだ。
「発達障害」というカテゴリがアメリカの診断マニュアルDSMにあらわれたのは、自閉スぺクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(AD/HD)が幼児期の母親の育て方に責任があるのではなく、生まれつきの脳機能の問題だとし、周りからの攻撃に対し、親や教育者の気持ちを軽くする意図もあった。
そして、日本では、NHKなどマスメディは発達障害を生まれつきの特性だとし、社会に適応できないのは、その特性のためだと煽ってきた。しかし、「発達障害」と言われた本人は、生まれつきの特性だと言われて、気持ちが軽くなるわけではない。生まれつきだとすると治らないのではないか、個性でなく特性だとすると社会から拒否されているのではないか、と悩んでいたのである。
23歳の彼は、その悩みは自分だけでなく、メンタル・ヘルス・ケアに集まる若者の共通の悩みであると言う。診断名よりも、「治る」あるいは「社会に受け入れられる」ということが本人にとって大事なのだ。それが、成田奈緒子の『「発達障害」と間違われる子どもたち』が静かにブームになっている理由のようだ。