「こども家庭庁」の設置法案が、きのう6月15日に参院で可決され、成立した。早速、けさの朝日新聞の30面(社会)に「新設 こども家庭長の課題は」と、『保育園 数は増えたが』の見出しで「トイレ閉じ込め・・・娘の心に傷」という事件の報告がのった。
2019年の春、当時3歳の女の子が保育園の保育士に「外から鍵のかかるトイレに閉じこめられ」「電気も消され真っ黒闇の中、1時間30分、ずっとひとりぽっちだった」事件である。泣きながら訴える子を抱きしめて、母親は「行かなくてもいいよ」と言った。園側から謝罪があったが、なぜ、そういうことが園で起きたのかの説明がないという。ほかの職員もそれを見ていたが止めなかったという。トイレに閉じこめた保育士は、子どもたちにささいなことで制裁を加えていたという。
その女の子は嘔吐、震えのPTSDになり、今でもフラッシュバックが起きるという。
聞いているだけで、とても腹がたつ話だが、東京の認可保育園でのことである。その女の子がいたクラスは、18人の子どもたちを非常勤を含めて2人の保育士で対処していた。
保育士による子どものネグレクトや虐待はここだけのことではない。
子どもを育てるのはとても大変な仕事である。優秀な人だけが保育士になるわけではない。保育士の給料は専門職として高いわけではない。福祉に関する職場の給料は一般に低い。施設開設・維持の費用は人件費を圧迫するほどかかる。
女性に賃金労働者になれと、安倍政権以来、声高に呼びかける。保育園でのネグレクトや虐待を防ぐためには、保育士の数を増やし、しかも小学校教師並みの給料を払う以外に、解決の道はないようにも見える。が、子どもを保育園に預ける賃金労働者のほとんどは非常に安い時間給で外で働いているのだ。高い保育費なんて一般の女性が払えるはずはない。子ども1人に保育士1人の体制はどだい無理だと思う。
しかし、子どもを外に預けるまでして、外に働きに行く価値があるのだろうか。私は、保育園も幼稚園も体験していない。私は、家でミシンを踏みカーテンや家具のカバーを縫う母の足もとで育った。私は、いまなお集団生活も集団教育も感覚的に嫌いである。
確かに、外で働きたいという人の存在も認める。しかし、集団生活や集団教育で、人に愛される心、人を愛する心が育つだろうか。現状では、かなり難しいと思う。政府としては優秀な人材を保育施設に集めるしかないが、政府の本音は安い賃金労働者を確保することにあるので、政策に矛盾が生じざるを得ない。
女性に限定されず、子育てはだいじである。とくに幼い子供の子育てはだいじである。子育てを外に委託することに私は不安を感じる。
まず、原則からはじめよう。外から賃金をもらわないと、女性の人権が認められないというのはオカシイ。
家で働いて稼ぐという手もあるだろう。会社に出勤しなくても家でリモートで働くという手もある。
あるいは、出勤しても、そばに子どもをおいて働くという形もある。
しかし、職場によっては、リモートも子ども同伴もだめなところもある。そのときに保育園が必要となるだろう。子どもに対して保育士の数が多いほど良いだろう。しかし、利用者が高い保育費を払えるだろうか。女性が賃金労働者になる理由の一番多いのは、男性の稼ぎだけで生活が維持できないことのように私は思う。NPOでの放デーサービスの経験から、利用者の女性の多くは「非常勤労働者」である。「非常勤」というが毎日働いている。日本の流通業や接客業は、「非常勤」がいなければ、なりたたない。
そのためには、保育園の保育体制を変えるしかないと私は思う。保育園は「おばば」や「おじじ」をボランティアとして雇うしかない。専門職の保育士が、「おばば」や「おじじ」を管理していく。保育士の知識は学校で習ったものにすぎない。大学の先生って無能な人や無責任な人や現場を知らない人もいる。「おばば」や「おじじ」のほうが現場での知識をもっている。そして、保育園での相互研修を、各構成スタッフが対等の原則で、行う。
育児が終わった「おばば」「おじじ」も、まだまだ働けるのだ。