猫じじいのブログ

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同じ量刑なのに控訴審が1審を破棄、紀の川市小学5年生殺人事件

2019-07-16 19:33:22 | 社会時評


和歌山県紀の川市で4年前、小学5年の少年を殺したとして、殺人罪などに問われた中村桜洲被告の控訴審判決公判が、きょう大阪高裁で開かれ、1審の地裁判決を破棄した上で、改めて1審と同じ懲役16年を言い渡した。

これだけでは、量刑が同じなのに、なぜ1審を破棄したのか、わかりにくい。今のところ、読売新聞の報道が もっとも わかりやすい。明日になれば、もう少しまともな報道がほかの新聞社やテレビ局からあるだろう。

読売新聞によれば、判決理由は次のようである。

控訴審で改めて行われた精神鑑定の結果では、責任能力が認められたが、1審では心神耗弱を前提にし、殺人動機が解明されていないので、破棄した。審理にもとづき、動機は妄想による少年への怒りであるとし、懲役16年が適切であるとした。

1審判決で採用された検察側の精神鑑定は「被害妄想があったが、犯行への影響は限定的だ」とするものらしい。産経新聞の報道では「統合失調症か妄想性障害による心神耗弱状態」とある。

控訴審での精神鑑定では、対人関係を築くことが難しい「軽度の自閉スペクトラム症」だった。ただ、鑑定医は法廷で「幻聴や妄想もあり、障害が事件時の行動や動機に影響した」と証言していた。

1審の精神鑑定も控訴審の精神鑑定も、現物を読んでみないと、なんのことかわからない。

報道の1審の「統合失調症か妄想性障害」という意味がわからない。「妄想性障害」とは「統合失調症」より症状が軽いものをいう。すると、鑑定では程度がわからない、という意味なのか。幻聴があったのか。

控訴審で、幻聴や妄想があるのに「軽度の自閉スペクトラム症」だけの診断で良いのか。「自閉スペクトラム症」には、幻聴や妄想の症状はない。

現在の精神医学では、本人の主張と、他人の目からみた本人の行動とで、診断名を与えるしかない。恣意性があるのだ。思うに、1審と控訴審との精神鑑定は、本質的には差異がなかったのではないか。

だから、診断名だけで「心神耗弱状態」かどうかが判断され量刑に影響があるという、これまでの裁判のありかたはおかしい。今回の控訴審が、動機の解明に踏み入ったのは、正しい判断であった、と思う。

私は、「心神耗弱状態」での減刑を定めた刑法39条は廃止すべきだ、と思う。

その上で、精神鑑定で、1審でも控訴審でも、証言された「妄想」どうするのか、議論しなければいけない。「妄想」に加え、「幻聴」もあれば、「統合失調症」と診断されてもおかしくない。

刑法39条を廃止し、これからは、罰として、刑務所に閉じこめる期間を定めるために精神疾患の診断をするのでなく、社会復帰を考えて、刑務所内や外で、どのような治療をほどこすかも、考えていく必要がある。

【追記】
7月17日の朝日新聞は、控訴審の判決文を次のように紹介している。

「中村被告は自閉スペクトラム症の影響で、森田君が自分に嫌がらせをしていると考え、その憤懣を晴らすため、15年2月5日午後、同市後田の空き地で森田君の胸などを刃物で刺すなどして失血死させた。」

これが判決文とすると、「自閉スペクトラム症の影響」は「自分に嫌がらせをしていると考え」にかかるのか、それとも、「失血死させた」にかかるのか。いずれにしても、「自閉スペクトラム症」とは、なんの因果関係はないので、この判決文か、または、記事は不適切である。

善意に推測すると、中村被告が、「自閉スペクトラム症」のため、日常的に行う奇妙な行為に対して、小5の少年が からかったが故に生じた突発的な犯行とも考えられる。

さらに言うと、小学校や中学校の同級生からの中村被告の評判をネットで読む限り、「自閉スペクトラム症」を思わせる特徴を見いだせない。高校受験に失敗してから、奇妙な行動を近所の人が目撃していることから、1審の精神鑑定のほうが、納得いく。ただし、妄想性障害だからと言って、殺人を起こすことの因果関係はなく、あくまで、動機を個別に考えて判決を下すべきである。診断名を判決理由にすることは やめてほしい。

精神鑑定は、犯罪心理の研究にもとづくものではなく、精神医学にもとづいて、本人の精神的苦痛に伴う もろもろの症状に分類名を与えるものである。したがって、「××症」「××障害」だから犯行をなすというわけではない。