『 ヘボのアルバム 』

“ヘボ”ちゃんをこよなく愛する蜂狂さんとのコミュウニケーションの場です・・・

     『 あすけ:“草の根の人びと・・・” 』

2011-04-19 01:26:03 | Weblog
                  


一頃、愛知県・足助通いをよくした!
高速中央道を飯田まで走る事1時間、それから1時間半153号線、通称飯田街道(三州街道)と称される山岳道路を阿智、浪合、平谷、根羽と南信濃を通り抜け、愛知県・稲武に出る。 稲武に出てトンネルを潜ると足助はもう、直ぐ、ソコだ!!!
言わずと知れた蜂狂と言うより蜂博士、Docter Andoh さん(大阪大学の蜂:農学博士)からのお誘いが多かった。 多い年は、3回位訪問した。
人懐こいドクちゃん、粘りっこく語り掛ける人柄に曳かれ訪問する機会が多かった。 初めての訪問は、雨の日だった。 雨の日を選んだ訳ではない! 約束した土曜日が、生憎、雨になってしまったのである。 ドクちゃんの懇切丁寧な地図を頼りに一発で辿り着けた。
雨にも拘らず、歓待を受け、ドクちゃんの作業場で奴豪いものを見せて貰った。 50数個も造ってある「入母屋式飼育箱」!  理論的考察が加えられた知恵の「ヘボ飼育箱」だった。 
行くなり、「持てるだけ持って行け!」と、気前がイイ!!! ドクちゃんのキャラクターそのものだ!
そしてそして、その「入母屋式飼育箱」で“アカンバチ(キイロスズメバチ)”の強制営巣実験をしていた。 既に、2巣強制的に仕込んだ女王蜂を入母屋式飼育箱にタカラせ!その場所を拠点に営巣開始!2つの箱から通っていた。 その時の弁、“ヘボ”ちゃんも強制営巣に成功し、山の林で飼っている!と、言う話だった。
夢にまで見てきた超超ハイレベルな飼育術である。
ドクちゃんの作業場には、足助中の蜂狂が数人集まって来た。 1時間位ヘボ談議をしたであろうか?
雨も降って居るので、場所を移し、大ヘボ談議をすると言う!
連れられて行ったのは、「道の駅」だった。 そこには足助中の蜂狂が30人近く集まっていた。 ドクちゃんに紹介され、30人衆とヘボ談議に入る・・・yの“ヘボ”交尾ビデオも披露した。 話は次から次へと果てしなく続き、別れの挨拶をしたのは、5時を回っていた。 土砂降りの雨!!! 外は真っ暗!!!
それからと言うもの、足助の人達とは阿吽の呼吸の仲となった。 その年、足助で「スガレ追ひ」大会が行われ極楽蜻蛉流スガレ追ひ術等披露した記憶が残っている。 確か、翌年も出掛け一層の懇親を深めた。 何だかんだで10数回訪問したと思う。。。
その折々に、足助の観光協会社長、Ozawa さんが、必ず、顔を出し老い耄れ蜂狂を歓待してくれた。 日にちは忘れたが、スガレ追ひ大会の日「へぼ講」と称して、簡単な蜂追い知識の講習会があった。 主催は、観光協会会長 Ozawa 社長さんだった。 言うなれば、若者を巧く育て、村興しを考えている! 「へぼ講」の集会場には、前日造った飼育箱が20数個も並べられて居て、壮観なモノだった。 スガレ追ひ大会で見付けた巣をこれに入れ、分配するのだと言う!
スガレ追ひ大会は、当然、大盛況! 各地から50人近く集まった!!!
足助のヘボの会会長安藤さん、観光協会社長: Ozawa さん、それにドクちゃん、皆、役者揃いで、「スガレ追ひ」大会を盛り上げるに事欠かなかった。 
そんなこんなで、足助には知人が多く、ヘボ・サミット等では、お互い、よく声を掛け合う!

Ozawa さんの家は、古くからの豪邸で、小高い田圃の上にあった。 門構えもド凄く、昔の庄屋を思わせる! そして、そこで、「ギボシ」を沢山栽培していて、それはそれは見事だった。
当時、「ギボシ」には、余り詳しくないので、失礼したが、お土産に2鉢も頂いた。
何年かして「ギボシ」に興味を持つようになり、チャンスがあったら、また、拝見したいなどと、慾深い事を考えてきた・・・

足助詣での事も縷々書きたいが、今日は、Ozawa 社長さんが「あすけ: 草の根の人びと」と言う本を送って下さったので紹介したい・・・
来たばかりで、まだ、読んでないが、目次を追っただけで社長の足助に掛けた村造りの信念が伺える!
長くなったので、この続きは、また、明日にしたいと思っているが、ドクちゃん等の話も総合して、この地:足助には古くからの日本文化が残っていて、実に、味わい深い古い文化の郷(さと)である。
武道等非常に盛んな郷で、また、蜂狂の多くは、非常に勉強家が多く、研究熱心。 人懐こく仲間意識も強く、老い耄れにとって好きな人材が多く居る・・・人の輪を重んずる「結い」の故郷かも知れない?

この著書を拝読して、今年、再度、足助詣でをしたいと思っている。。。 また、そこから新しい「足助」が見えて来る・・・