死者十人、約七万棟が浸水した東海豪雨の発生から十一日で十六年を迎える。当時、脳性まひの娘佳代子さん(46)を連れて避難所に逃れたNPO法人理事長の戸水純江さん(73)=愛知県清須市西枇杷島町=は、大規模災害が起こるたび「障害者はどうしているのだろう」と不安になる。心ない言葉を投げ付けられた体験から、地域の福祉避難所を少しでも良くしようと活動を続けている。
「何で来るんだ。出て行け」
戸水さんは生まれつき重い心身障害のある佳代子さんを連れて、避難所の中学校の体育館に逃れたところ、避難していた男性から罵声を浴びた。数百人が詰め掛ける中、車いすは場所をとった。話すことのできない佳代子さんは驚いて、泣いた。「みんな自分のことで精いっぱいだったんでしょう」。今はそう思えるようになったが、それでも思い出すとつらくなる。
当時は家で寝ていて深夜、布団がぬれているのに気づいた。急いで佳代子さんを車に乗せ、近くの大型量販店の屋上へ逃げた。翌日の夕方に自衛隊がボートで救出に来るまで飲まず食わずで過ごし、ようやくたどり着いた避難所だった。殺気立った雰囲気に我慢できず、名古屋市の福祉サービス施設に連絡して、何とか仮住まいができた。家は高さ一・五メートルまで浸水していた。
福祉施設の職員だった。「これではいけない」とすぐに地域の特別養護老人ホームや作業所、社会福祉団体などに声を掛け、対策を話し合った。災害時に連携できるよう、緊急連絡網を作った。施設の職員だけでは利用者を助けられないかもしれないと考え、近くの事業所や世帯に呼び掛け、避難訓練に参加してもらった。
旧西枇杷島町の町議になった二〇〇三年からは一般質問で、福祉避難所の在り方をただし続けた。車いすに乗る人や寝たきりの人がいるのに、避難所は勤労福祉会館の二階。停電でエレベーターは止まる可能性が高い。「おかしい」と言い続けた。議員を引退した今は、災害ボランティアコーディネーターを務め、福祉避難所の運営方法や地域との関係づくりなどをアドバイスしている。
東海豪雨以降も列島はこの時期、多くの水害に苦しんでいる。一一年九月の紀伊半島豪雨、ちょうど一年前の一五年九月十日にも鬼怒(きぬ)川が決壊した関東・東北豪雨が起きた。ことし八月末には台風10号の影響で、岩手県岩泉町の高齢者グループホームで男女九人が死亡。福祉施設の防災や避難所のあり方が問われている。
「東海豪雨という災害を知っている私たちが、万一の時に、モデルとなる福祉避難所をつくらなければいけない」。それが教訓だと思っている。
<東海豪雨> 2000年9月11日から12日にかけて、台風14号と秋雨前線の影響で、東海地方に大きな被害をもたらした。以降、各地で「ゲリラ豪雨」と呼ばれる局地的な大雨の増加が指摘されている。名古屋市西区の新川堤防が決壊したほか、庄内川や天白川支流から水があふれた。愛知、岐阜などで死者10人、負傷者111人の被害が出た。1時間当たりの雨量は愛知県東海市で114ミリ、名古屋で97ミリを記録し、名古屋の総雨量は、年間雨量の3分の1にあたる567ミリに上った。
2016年9月11日 中日新聞