goo blog サービス終了のお知らせ 

ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

福祉避難所、モデルづくりに力 東海豪雨16年、障害者の母

2016年09月12日 02時53分54秒 | 障害者の自立

 死者十人、約七万棟が浸水した東海豪雨の発生から十一日で十六年を迎える。当時、脳性まひの娘佳代子さん(46)を連れて避難所に逃れたNPO法人理事長の戸水純江さん(73)=愛知県清須市西枇杷島町=は、大規模災害が起こるたび「障害者はどうしているのだろう」と不安になる。心ない言葉を投げ付けられた体験から、地域の福祉避難所を少しでも良くしようと活動を続けている。

 「何で来るんだ。出て行け」

 戸水さんは生まれつき重い心身障害のある佳代子さんを連れて、避難所の中学校の体育館に逃れたところ、避難していた男性から罵声を浴びた。数百人が詰め掛ける中、車いすは場所をとった。話すことのできない佳代子さんは驚いて、泣いた。「みんな自分のことで精いっぱいだったんでしょう」。今はそう思えるようになったが、それでも思い出すとつらくなる。

 当時は家で寝ていて深夜、布団がぬれているのに気づいた。急いで佳代子さんを車に乗せ、近くの大型量販店の屋上へ逃げた。翌日の夕方に自衛隊がボートで救出に来るまで飲まず食わずで過ごし、ようやくたどり着いた避難所だった。殺気立った雰囲気に我慢できず、名古屋市の福祉サービス施設に連絡して、何とか仮住まいができた。家は高さ一・五メートルまで浸水していた。

 福祉施設の職員だった。「これではいけない」とすぐに地域の特別養護老人ホームや作業所、社会福祉団体などに声を掛け、対策を話し合った。災害時に連携できるよう、緊急連絡網を作った。施設の職員だけでは利用者を助けられないかもしれないと考え、近くの事業所や世帯に呼び掛け、避難訓練に参加してもらった。

 旧西枇杷島町の町議になった二〇〇三年からは一般質問で、福祉避難所の在り方をただし続けた。車いすに乗る人や寝たきりの人がいるのに、避難所は勤労福祉会館の二階。停電でエレベーターは止まる可能性が高い。「おかしい」と言い続けた。議員を引退した今は、災害ボランティアコーディネーターを務め、福祉避難所の運営方法や地域との関係づくりなどをアドバイスしている。

 東海豪雨以降も列島はこの時期、多くの水害に苦しんでいる。一一年九月の紀伊半島豪雨、ちょうど一年前の一五年九月十日にも鬼怒(きぬ)川が決壊した関東・東北豪雨が起きた。ことし八月末には台風10号の影響で、岩手県岩泉町の高齢者グループホームで男女九人が死亡。福祉施設の防災や避難所のあり方が問われている。

 「東海豪雨という災害を知っている私たちが、万一の時に、モデルとなる福祉避難所をつくらなければいけない」。それが教訓だと思っている。

 <東海豪雨> 2000年9月11日から12日にかけて、台風14号と秋雨前線の影響で、東海地方に大きな被害をもたらした。以降、各地で「ゲリラ豪雨」と呼ばれる局地的な大雨の増加が指摘されている。名古屋市西区の新川堤防が決壊したほか、庄内川や天白川支流から水があふれた。愛知、岐阜などで死者10人、負傷者111人の被害が出た。1時間当たりの雨量は愛知県東海市で114ミリ、名古屋で97ミリを記録し、名古屋の総雨量は、年間雨量の3分の1にあたる567ミリに上った。

2016年9月11日   中日新聞


パラリンピックの意義 「共生社会」実現の試金石

2016年09月12日 02時47分36秒 | 障害者の自立

 【論説】日本勢が大活躍したリオデジャネイロ五輪が幕を閉じ、その熱気を引き継ぐようにリオ・パラリンピックが始まった。南米初の大会には159の国と地域から過去最多規模の約4400人の障害者アスリートが結集。日本からも約130人の選手が参加し、そのパフォーマンスは早くも輝きを放っている。

 4年後の2020年に東京パラリンピックが控え、その前18年には本県で障害者スポーツの全国大会「福井しあわせ元気大会」が開かれる。特別な意味合いを持つリオ大会の機会に、いま一度パラリンピック、障害者スポーツの意義を考えたい。

 ■当初は障害リハビリ■

 パラリンピックの原点を探ると、1948年に英国ロンドン郊外で開かれた障害者スポーツ大会に行き着く。当地の病院のグトマン医師が第2次大戦で負傷した兵士のリハビリにスポーツを取り入れ、アーチェリー競技会を開いたのが始まりである。

 4年後にはオランダも参加し国際大会となり、60年のローマで第1回パラリンピックが開催。次の64年東京大会はパラリンピックと日本人の身障者を対象にした国内大会の2部構成だった。

 歴史的には障害の克服、リハビリの一環としてスタートし、長く医療・福祉的な目的が主流を占めていた。しかし発祥から60年以上を経過し、リオ・パラリンピックでは競技種目も22競技、528種目まで増え、無限の可能性を持つ国際イベントとして注目を集めている。

 ■飛躍的に競技力向上■

 とりわけ進歩が著しいのが競技力の向上である。五輪競技に劣らず技術革新は日進月歩で、高性能のスポーツ器具が威力を発揮した。また選手強化や指導レベルのアップも目覚ましく、スポーツとしての醍醐味(だいごみ)が飛躍的に上がっている。

 男子走り幅跳びでは義足のジャンパーがロンドン五輪金メダリストの健常者記録を上回るパフォーマンスを見せた。「技術ドーピング」という言葉まで生まれ、義足の優位性について議論が交わされたほどである。

 障害者選手の力量は輝きを増し、おのずと一般の関心は高まった。前ロンドン大会では全世界38億人がテレビ放送を視聴。NHKは今回、放送時間を3倍に拡大したようで、手に汗握る試合を観戦できるはずだ。

 大勢の人たちが、特に子どもたちが障害者スポーツの素晴らしさ、選手たちの力強さを知ることは、車いすでも視覚障害でもスポーツを楽しめるという事実、さらに心の壁を取り払い共に生きる社会の大切さに気付く良い機会となる。

 ■障害を特別視しない■

 ところが障害者スポーツへの理解が広がり次第に定着する中で、その意義を根底から揺るがす事態が発生した。神奈川県相模原市の障害者施設で19人の生命が奪われた事件である。

 容疑者は「障害者は不幸だ」「いなくなってしまえ」という差別的な発言で世間を唖然(あぜん)とさせた。これがきっかけか、逆境を乗り越えスポーツに挑戦する障害者を感動的に伝える番組を批判する意見も出された。

 相模原の惨事を受け、全国手をつなぐ育成会連合会が発表した国民向けの声明はこう結ばれている。「障害の有る無しで特別視されることなく、お互いに人格と個性を尊重しながら共生する社会づくりに向けて共に歩みましょう」

 障害を持つ選手の躍動を通して障害者に勇気を与え、一般社会の受容も促す。それこそパラリンピックの目指すものだろう。福井、東京へとつながるリオ大会は本来の意義を再確認する特別な大会。そして全ての人が共生できる社会づくりの意欲を問う試金石といえる

2016.9.11  福井新聞


パラスポーツを体験してみた

2016年09月12日 02時35分36秒 | 障害者の自立

 身近に体験会が行われているのを知り、パラスポーツの体験会を訪れてみました。挑戦したのは車椅子バスケット。いざ、競技用車椅子に乗ってみると、思っていたより軽い。でもなかなか思うような方向に進めません。シュートを試みても、ボールが上がらない。いつもはジャンプしてボールを投げていますが、車椅子に乗ると足の力を借りることができないのです。 

 「腹筋と手の力を使うんだよ」。アドバイスをいただいて、ようやくリング近くの高さまで投げられるようになりました。ほかにも陸上競技用車椅子のレーサー に試乗したり、義足を手に取って反発力を感じてみたり。初めての体験に新鮮味と難しさを痛感しつつ、純粋にスポーツを楽しみました。パラスポーツというと障害者だけのスポーツと思われがちです。けれども、アイマスクをつけてブラインドサッカーを楽しむというように、健常者も共にプレーをする環境が広がりつつあるようです。 

 日本時間8日に開幕を迎えたリオパラリンピック。チケットの売れ行きが心配されていましたが、開会式は満席。競技にも関心が高まっています。私が考えるパラスポーツの魅力は、五輪競技とは異なる様々な特徴があることです。 

 例えば、昨日広瀬選手と藤本選手がメダルを獲得した視覚障害者柔道は、組んだ状態から競技が開始されます。このため、技の掛け合いが続き、柔道のダイナミックさを堪能できます。また車いすバスケットでは、車椅子同士の衝突が許されており、非常に激しくエキサイティングな戦いが繰り広げられます。連日、各紙ではパラ競技のルールが紹介されています。重度障害者でも参加できるボッチャや、鈴入りボールを用いて聴覚を頼りにプレーするゴールボールなどパラリンピック特有の競技もあります。詳しいルールを知ると、奥が深いパラスポーツをもっと面白く、身近に感じられると思います。 

 競技を楽しむとともに、パラリンピックからはメッセージが伝わってきます。先日、水泳種目に出場している一ノ瀬メイ選手が高校時代に発表したスピーチを目にしました。 

私は何でも自分でできます。しかし、自分が障害者であるように感じさせられることがあります。みんなが私をじっと見るとき、私をよく知らずに障害者のレッテルを貼るときです。

 彼女が訴えていたのは、障害の「社会モデル」。これは身体の欠損ではなく、社会の配慮の欠如こそが障害者の壁になることがある、という考え方のことです。9歳の頃、障害を理由にスイミングスクールへの入会を断られた悔しさが、今も水泳に打ち込む原動力になっていると話します。それでも彼女は、スピーチの最後に力強い言葉で伝えています。 

大切なことは、彼らを知らずに判断しないこと、知ろうとすること、みんなが違い、それぞれのやり方で特別な存在であることを受け入れることです。もし、社会が障害者を作るならば、社会はそれを止めることだってできるのです。 

 まずはパラリンピックを観戦し、パラスポーツを実際に体験することです。障害へのイメージや概念が変わるかもしれません。心のバリアを作っていたのは、私たちではないでしょうか。4年後には、東京パラリンピックが迫っています。互いの違いを認め合い、誰もが輝ける環境を目指すことで、社会も人の心も変えていく。そんなきっかけが生まれる「リオの12日間」であることを願います。

 2016年9月10日   朝日・日経・読売 3社共同プロジェクト

 


大阪)相模原事件「四十九日」追悼イベント 12日

2016年09月12日 02時32分42秒 | 障害者の自立

 神奈川県相模原市の障害者施設で入所者19人が死亡した事件から四十九日となる12日、大阪市で犠牲者を追悼する催しが開かれる。

 障害者ならではの表現を追究する「劇団態変」(大阪市東淀川区)と有志が「障碍(がい)者だけでなくすべての人間を侮辱し抑圧する事件」と捉え、企画した。劇団員の小泉ゆうすけさん(45)は事件について「人の命に対する挑戦的な行為。忘れてはいけないという思いを共有したい」と話す。

 12日午後7時~8時半にJR大阪駅近くのヨドバシカメラ前で集会。それぞれ歩いて移動し、9時から扇町公園で参加者同士で語り合ったり祈ったりする。追悼の意を表す黒い物を各自で身につける。プラカードや明かりは主催者が用意。問い合わせは劇団態変(06・6320・0344)。

2016年9月11日   朝日新聞


柔道女子、広瀬順が銅 リオ・パラリンピック

2016年09月12日 02時27分49秒 | 障害者の自立

 【リオデジャネイロ=本社取材団】リオデジャネイロ・パラリンピック第三日の九日、視覚障害者による柔道は女子57キロ級で初出場の広瀬順子(25)=伊藤忠丸紅鉄鋼=がスペイン選手との三位決定戦を制し、銅メダルに輝いた。二〇〇四年アテネ大会から採用された柔道女子で日本勢初の表彰台となった。

 二連覇を狙うゴールボール女子の日本は一次リーグで地元ブラジルを2-1で破って初勝利。日本選手団最年長の卓球女子シングルス(車いす5)の別所キミヱ(68)=兵庫県障害者スポーツ交流館=は準々決勝に進んだ。陸上女子走り幅跳び(切断などT44)の中西麻耶(31)=うちのう整形外科=は四位だった。

 第四日の十日は柔道で男子100キロ超級の前回王者の正木健人(29)=エイベックス=が初戦、二回戦ともに一本勝ちした。男子90キロ級の広瀬悠(37)=伊藤忠丸紅鉄鋼=は初戦で敗れ、敗者復活戦に回った。

 陸上の女子400メートル(車いすT52)決勝には木山由加(32)=エイベックス=が臨む。新採用のトライアスロンでは、男子で車いすの木村潤平(31)=東京都板橋区、NTT東日本=と、運動機能障害PT4の佐藤圭一(37)=名古屋市西区、エイベックス=がメダルを目指す。

2016年9月11日   中日新聞