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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者ら働く「元気村」 有志団体、紫波町に開業

2016年05月23日 03時12分23秒 | 障害者の自立

 県内の地域福祉や接客業の経験者ら有志でつくる紫波湧活(ゆうかつ)協議会(斉藤清代表)は、紫波町上平沢の空き店舗で「しわ元気村」の事業を始めた。食堂やカラオケ喫茶の運営などを通じて障害者らに仕事の場を提供し、地域のにぎわい創出も目指す。紫波の取り組みをモデルに、コミュニティー再生や共生の社会づくりを進める構想を県内外に広げていく。

 元気村は飲食店「後庵(ごあん)」として営業していた店舗で4月24日にオープン。1階では昼にバイキングの料理(500円)を提供するほか、夜の居酒屋やカラオケ喫茶を予約制で営業。2階は健康器具を置いたリラクセーション喫茶となっている。

 今後は町内の就労支援事業所などと連携した雇用を進め、共同商品やメニュー開発なども構想。高齢者らの買い物の利便性を高めるため、食料や日用雑貨などの移動販売も計画中だ。

 元気村は月曜定休。問い合わせは同協議会(019・673・8282)へ。

【写真=紫波湧活協議会が運営するしわ元気村。今後の地域づくりのモデルを目指す】

2016/05/21   岩手日報


障害者スポーツ気軽に楽しんで 教室の参加者募集

2016年05月23日 03時02分56秒 | 障害者の自立

 県障がい者スポーツ協会は5~9月に行う障害者スポーツ教室の参加者を募集している。本年度から新設した卓球など11の種目で、参加料は無料。

 障害者がスポーツに親しむ機会を増やし、日常的にスポーツを楽しめる環境をつくろうと開催する。卓球以外の実施種目は陸上競技、フットベースボール、ブラインドテニス、車いすテニス、フライングディスク、卓球バレー、ボッチャ、乗馬、リハビリ・スポーツ、放課後スポーツ。6月1日から9月30日の期間中、各施設・団体が希望する日時に教室を開く出張スポーツも利用できる。

 参加を希望する教室の開催4日前までに申込書に必要事項を明記して申し込む。実施種目の参加対象者、開催日時、場所などの詳しい情報は同協会ホームページで確認でき、申込書もダウンロードできる。問い合わせは同協会、電話0952(24)3809。

2016年05月22日   佐賀新聞

重度の障害者でも、受け入れてくれるの・・・? 私、スポーツ大好きです。


福祉避難所 浜松の医療グループ、訓練重ね運営スムーズに

2016年05月23日 02時55分37秒 | 障害者の自立

 災害時に、高齢者や障害者など通常の避難所では生活に支障を来す被災者の受け入れ先となる「福祉避難所」。4月の熊本地震では、介護に当たる人材や物資の不足で、十分に機能しない例が相次いだ。浜松市の医療関係者でつくるグループ「みらいTALK」は2013年から毎年、福祉避難所の運営を想定し、障害者とその家族も参加した訓練を重ねている。運営側と避難者側が共に実践的な訓練を重ねることで、課題が見えてきている。
 同グループは、発達障害児の支援施設などがある浜松市発達医療総合福祉センター(同市浜北区)の医師らを中心に組織されている。11年の東日本大震災で、通常の避難所での生活が困難な障害者が自宅避難を余儀なくされ、物資や情報が得られなかった経験から、13年から市内の施設で「障がいをもつ子と家族のためのサバイバルキャンプ」と題した避難所宿泊訓練を主催している。
 昨年10月には、福祉避難所となることが想定される同センターの体育館で1泊2日の宿泊訓練を行い、人工呼吸器を使う障害者や、外国籍の障害者を含む13家族36人が参加した。延べ100人以上のボランティアも加わった。訓練は、通常福祉避難所が設置され始める地震発生から3日目を想定し、水道や電気、ガスなど主要なライフラインは全て止まったという設定で行われた。

 運営にあたる医師らは、参加者の障害の程度や介助の必要度を聞く問診をし、得られた情報に基づいて重度の人は医療スタッフの近くにするなどの配慮をして、部屋割りをした。参加家族は、段ボールで作った仕切りやベッドが並ぶ体育館で夜を明かした。子どもたちのために、ランタンや懐中電灯の光の中で遊ぶレクリエーションも用意された。参加者からは、「参加3回目でようやく子どもが寝られた」という感想や、「両親が離れ離れに避難した場合、一人で子どもを見られるか心配」という不安の声も聞かれた。
 同グループの副会長で、同センターの遠藤雄策医師(42)は「福祉避難所の初動では、避難者を受け入れる際の問診を手早く行うことが重要だと分かった」と振り返る。昨年の訓練では、同グループが作製した問診シートに沿って、食事や入浴など、項目ごとに介助の必要性を記していくことで、1人当たり5分程度で終わり、その後の部屋割りの迅速化に役立った。遠藤医師は「専門知識を持ったスタッフを災害時に確保できるだろうか。事前に避難者の状況を把握できると、よりスムーズな運営ができるのでは」と指摘する。

 ■設置は発災数日後 移動手段確保に不安
 福祉避難所は、市町がバリアフリー化している福祉施設などと事前に協定を結び、災害が発生して3~4日後に設置する。被災者はまず、一般の指定避難所で数日間を過ごした後、福祉避難所に移る流れになっている。
 浜松市は、複数の福祉施設などと協定を結んでいるが、市高齢者福祉課によると、設置予定の場所や数は公表していない。その理由として、医療や介護スタッフの確保など、福祉避難所の受け入れ態勢が整う前に、避難者が訪れ、混乱するのを防ぐことを挙げている。
 県肢体不自由児者父母の会連合会の大石辰夫会長(61)は「実際、災害が起きると自宅避難を選ぶ人が多いのでは。自宅が倒壊した場合は避難所に頼る必要があるが、福祉避難所に行く手段が確保できるだろうかという不安もある」と語る。

重い障害のある人も参加した福祉避難所訓練=昨年10月、浜松市浜北区高薗の市発達医療総合福祉センター

2016/5/22   @S[アットエス] by 静岡新聞


東京パラリンピックを盛り上げよう

2016年05月23日 02時51分46秒 | 障害者の自立

今朝の朝日新聞には、皇室と障害者スポーツの歩みが紹介されています。1964年の第2回東京パラリンピックは、当時国内で障がい者への理解が乏しい中で、今の天皇、皇后両陛下が開催の機運を高め、実現しました。大会には戦争で負傷した元軍人も出場しました。開催中は皇族が積極的に足を運ばれ、「戦禍から新しい平和な日本をつくるシンボル」となりました。

「このような大会が、国内でも毎年行えれば」という両陛下のお言葉もあり、東京パラリンピックの翌年に全国身体障がい者スポーツ大会が開催されました。その後、競技人口は格段に増え、パラリンピックの競技の幅も広がって、障がい者スポーツは現在に至るまで発展を続けてきました。

では、皆さんは障がい者スポーツをみたことがありますか。

まだまだ国内では認知度が低いと言われています。背景にはやはり、メディア露出の低さがあります。筆者自身もこれまでオリンピックに比べ、パラリンピックをテレビで観戦する機会は少なかったように感じます。今後は新聞やテレビなどのマスメディアに加え、SNSなども生かして情報の発信力を強化していくべきです。まずは多くの人に知ってもらうことで、ファンや障害者スポーツに携わるボランティアの増加につなげていく必要があります。

筆者は先日、実際にパラリンピックを経験された方からお話を聞く機会がありました。その方は「障がい者スポーツを一つのジャンルとして見てほしい」と語ってくださいました。選手たちは、数々の挫折や大きな絶望を経験し、それを乗り越えてきました。壮絶な人生の軌跡を取り上げられることが多くあります。でも、そうではなくて一つのスポーツ、一人のアスリートとして見てほしい。そんな切実な声があります。海外では健常者スポーツと障がい者スポーツが同じ大会で開催されることもあるそうです。

障害の有無を超えて、スポーツを楽しむ社会を作る取り組みが必要です。私たちは東京開催の2020年に向けて、オリンピックとともにパラリンピックを盛り上げていかなければなりません。現在、実際にアイマスクを装着して行うブラインドサッカーの体験会や、パラリンピック出場選手の講演会など多くのイベントが開催されています。今年行われるリオネジャネイロ・パラリンピックをテレビ観戦したり、記事を読んだりする機会もあるでしょう。まずは身近に障がい者スポーツに触れ、興味を持ってみませんか。

 22日付け 朝日新聞 朝刊 14版 35面 「障がい者スポーツ 扉開いた」


我が子は発達障害児 「母親の告白」をどう評価するか

2016年05月23日 02時44分03秒 | 障害者の自立

 発達障害児が9万人を超えたというニュースは多くの読者に驚きを与えた。ではその親はどのような心境なのか。コラムニスト・オバタカズユキ氏が一冊のコミック・エッセイを紹介する。

 * * *
 当ニュースサイトで5月7日に、「発達障害児が9万人超え 20年あまりで7倍増の理由」と題する拙稿を掲載させてもらったところ、たくさんの方に読んでいただくことができた。

 内容は、発達障害で「通級指導」を受けている公立小中学校の児童・生徒が、この20年あまりで7倍以上増えたというニュースを紹介、増加の主因はこれまで見過ごされていた発達障害が診断されるようになったからではないか、と述べたもの。そして、そのこと自体は医療の進歩だが、例えば、障害児たちを受け入れる学校の先生が多忙すぎて悲鳴をあげている、1クラスあたりの児童・生徒の人数を減らす教育政策が必要だ、と私見を添えた。

 医療・福祉界や教育界では普通に知られている事実を書き、ごく穏当な(凡庸な)提案でまとめたにすぎないコラムである。なのに、掲載後の反響が大きく、ちょっと驚いた。

 こんなことも滅多にないから、実際に読んでくれたのはどういう方でどういった感想を持ったのか、調べてみた。もっとも目についたのは、「自分もそうだったかも」と、ご自身の児童・生徒時代を振り返る読者の声だった。近年、発達障害と診断されるようになった子の多くは、昔だったら〈ちょっと変わった拘りを持っていたり、落ち着きがなかったり、癇癪を起こしたり、なんらか平均値から大き目に外れた傾向の子〉だったはず、という旨をコラムに書いたのだが、その部分に自身を重ねた方が大勢いたのである。

 また、発達障害とは直接関わりはないけれども、これは重要な社会問題だとコメントしてくれる読者も多かった。ネット上で障害者の話はからかいネタになりがちだが、ふざけた反応はほとんど見られず、意外なほど真面目に読んでもらえた感触がある。それだけ「発達障害」が身近なテーマになっている、ということのような気がした。

 発達障害者と健常者の間に、明確な線は引けないものだ。誰もが平均値から外れた何らかの性格傾向を有しているためである。その過剰や欠落が社会的日常生活を困難にさせるような場合、障害がある、とされる。

 それまで順調にやってきた人でも、自分の置かれている社会環境が変化すれば、発達障害者のような困難にぶつかることも十分にありえる。自分の性格傾向と周囲の人間の常識が折り合わなくなるのだ。そうした人生の不確実性を、たくさんの人々が共有するようになったのだろう。

 しかし、そのような困難からの脱出はそう簡単じゃない。薬を飲んで治るわけでもないし、フォローやバックアップをしてくれる社会的資源は不十分だ。発達障害の現実が、決して24時間テレビのようなキレイ事で語れないことは、もっと知られるべきだと思う。

 学校の現場が大変になっていることは前のコラムで触れたが、より大変なのは「発達障害児の親」だ。その七転八倒ぶりを描いた書籍が、つい先日文庫化されたので、紹介したい。『娘が発達障害と診断されて… 母親やめてもいいですか』という体験コミックエッセイだ。

 子供がほしくてたまらなかった1975年生まれの山口かこ氏の娘が発達障害児で、その療育に悪戦苦闘したという実話である。書籍の執筆時の職業はフリーライターだが、子育て時代は、ミュージシャン志望だった勤め人の夫の妻で、専業主婦をしていたらしい。というか、娘の「かんしゃく」がひどく、その世話で手いっぱいだったのである。

 専門医を受診したのは、娘が2歳7ヶ月のとき。診断は「広汎性発達障害」。「社会的な対人関係を築くのが難しい」「コミュニケーションがとりづらい」「興味の幅が狭くこだわりが強い」という3つの特性があらわれていた。知的な遅れは認められなかったが、医師から〈一生を通して「変わった人」という雰囲気は変わりません〉と告げられ、かこ氏の苦悩が本格化する。

 これより先は、あまりネタバレにならないよう、文庫本の裏表紙にある内容紹介文から引用する。こう書いてある。

〈不妊治療や流産を乗り越え、ようやく授かった娘は広汎性発達障害だった。療育に奔走するが、わが子と心が通い合わない事に思い悩み、気づけばいつしかウツ状態に。チャット、浮気、新興宗教……現実逃避を重ねる中、夫から離婚届を突き付けられてしまう〉

 娘が6歳のときに、かこ氏と夫の離婚が成立している。夫が娘を引き取って遠い実家へ。以降、母子は数か月に一度のペースで会う関係になっている。離婚原因は、〈部屋は散らかしっぱなしでおかずは手抜き〉〈表向き「お母さん」を演じてるだけで家庭放棄も同然の私〉の非にある、と著者のかこ氏は書いている。

「不倫に走った上で育児放棄した女の話で最低!」と文庫化前の書籍に対する読者レビューには、星1つの罵声系が相当多い。そして、それと同数以上に、星5つで「発達障害児の親の思いを代弁してくれた!」と絶賛するレビューが並ぶ。

 私の感想は星5つだ。潔癖なモラリストは許せないかもしれないが、彼女はものすごく頑張ったのだ。浮気や新興宗教に逃げずにはいられないほど、かこ氏は療育ママ生活に疲れ果て、そして孤独の限界に追いやられていた。その内面を詳細に描き出した本書で、「私だけではなかったんだ……」と救われる読者は幾らでもいるだろう。だから価値ある一冊なのだ。

 かこ氏の苦悩は、娘の「心」が見えないことにあった。彼女は、離婚し娘を手放すことを是とした回想シーンで、こう激白している。

〈「自分のことしか考えていない」って!? うるさい!! 発達障害さえなけりゃ私だっていいお母さんになってたよ!!〉

〈「世の中にはもっと重い障害や病気の子どもを持つお母さんもいる」って!? うるさい!! うるさい!! 私は“普通の家族”が欲しかったんだ!!〉

 そう、変わり者のお母さんとのひとり親家庭で育った彼女は、強く「普通の家族」を求めていた。娘や夫と「心」が通じ合う、「平凡な家庭」が欲しくてたまらなかった。なのに、頑張るほど一人ぼっちになってしまう。「普通」や「平凡」を求めるあまり、そこから外れた過剰や欠落を受け入れられない。

 普通が一番、平凡が一番、と人は言う。私も、歳を重ねるほど、たしかになあと思う。しかし、その小さな願いをあざ笑うかのように跳ね返す壁が、現実世界にはいくらでもある。

 結婚生活を続けるということは、配偶者と「心」が通じ合わないポイントを収集することと同じだったりする。魔の二歳児に始まって、反抗期に、受験期に、親離れ期に、子供の「心」がどんどん見えなくなっていくのが子育てでもある。実の親との関係もそうで、介護はまさに、見えなくなる親の「心」を目の当たりにする壁だ。

 発達障害児の親のみならず、『母親やめてもいいですか』に「あるある」と共感する人はたくさんいるだろう。「普通」や「平凡」は求めるほどに逃げて行くものであり、見えていたかに思っていたヒトの「心」は見えなくなるのである。そんな理を受け入れ、それでも生きる楽しみを見つけていくことが、人間の成長だと思うのである。

2016.05.21    NEWSポストセブン