ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

もっと広がれ!障害者のゴルフライフ

2016年05月16日 02時35分11秒 | 障害者の自立

ゴルフ場も健常者も学べることばかりだ

右手だけでスイングする。左足だけで立ってスイングする。両目を閉じてボールを打つ。こうしたゴルフを想像できるだろうか。そうした条件下でゴルフを楽しんでいる方たちがいるのを想像できるだろうか。

「NPO法人ジャパン・ハンディキャップゴルフ協会」が、4月から前身団体を含めて創立10年目に入った。理事長から1冊の小冊子をいただいた。「ザ・挑戦」という冊子を読み、年のせいでもあるかもしれないが、目頭が熱くなった。下肢障害、上肢障害、聴覚障害、視覚障害……さまざまな身体障害を抱えている人たちが、ゴルフを楽しむ自分を語っている。

走ったりしなくていいスポーツ

同協会で理事を務める角谷利宗さん(68)にお会いした。自分では想像できない障害を持つ方の「ゴルフライフ」を聞かせてもらった。

角谷さんは51歳のときに脳卒中を患い、左半身が麻痺した。

「入院先でリハビリをしているときに、ゴルフが大好きで同じ左半身麻痺になった方に出会った。私も営業でつきあい程度のゴルフはやっていたんですけど『退院したらゴルフしよう』となりまして。こんな体でゴルフができるなんて思わなかった」と当時を振り返る。左足を支える装具をつけている。装具がないと「左足が内転して、つま先が下がった状態になる」と、自由はほぼ利かない。

その状態で練習場に行ってみた。練習場はいわば打席と時間、ボールを買うだけなので、制限はないという。「ただ、恥ずかしくて一番隅っこでやった。全然当たらない。私を誘った友人に連絡して教えてもらうことにした」という。右手だけでクラブを持つため、最初は女性用の短く軽いクラブを使った。そこからショートコースで「ゴルフ再デビュー」し、協会設立にも関わった。

「ゴルフは走ったり、跳ねたりしなくていい。障害者にとっては可能性の高いスポーツなんです」という。ただ、角谷さんがゴルフを始めた十数年前は、まだゴルフ場の理解が少なく「予約のときに説明すると断わられることも多かった」と振り返る。健常者の友人と一緒ならできたが「1人でもやりたいと思って、会員権を探した。入会条件なし、入会金50万円以下、車で1時間、カートがある、というのを自分の条件に探して、今はホームコースを持っています。初めてそのコースに行って姿を見せて『やらせてもらえますか』と聞いたら、しばらく見て『どうぞ』といわれましてね」と笑う。

協会では研修会や定例会の形でコンペを始め、使用できるゴルフ場も増えていった。今は年10回程度行っている。仲間も増えてきた。1回に100人弱集まる。「障害者でやっている方は全国で300~500人ぐらいいるのでは」という。仲間の中からプロゴルファーも誕生した。同協会の理事で幼少のころに右手首を切断して義手をしている小山田雅人さんが、2014年に日本プロゴルフ協会のティーチングプロB級の資格を取得している。

ゴルフはどうやってできるようになるのだろう。「結局は工夫なんです。健常者のスイング理論は当てはまらない。でも、止まっているボールをまっすぐ打つという目指すところは健常者と同じ。私の場合、左足は体を支えるだけで右足体重で打ちます。障害によってスイングのポイントは違う」という。角谷さんは年齢もあってレディースティーからプレーすることが多いというが、スコアは90台前半、80台で回ることもある。

障害を負ってもできることに気づくかどうか

内閣府の2015年障害者白書によると、全国の身体障害者は366万3000人。すべての方にゴルフが当てはまるわけではないだろう。先天性、後天性(事故や病気など)でも違う。「要は障害を負ってもゴルフができることに気づくかどうか、なんですね。もっとゴルフをする障害者が増えたらいいと思っています。特に若い人が入ってきてほしい。これは今のゴルフ業界と同じなのでは」と角谷さん。体験からも「周囲に誘ってくれる人がいればやりやすくなる」という。

ゴルフ場の対応はどうなのだろうか。全国で133コースを運営するPGMホールディングスに聞いたところ「障害者受け入れのマニュアルはありません。聴覚障害の方は危険もありますが。問題はプレーの進行だと思います。受け入れはゴルフ場ごとの判断になります」とのこと。

障害者はプレーが遅くなるのだろうか。角谷さんは「一番気にするのが進行です。研修会などでも障害の程度などによって組み合わせを考え、3人で回してもらうとか、迷惑を掛けないようにします」という。健常者でも遅い人はいるし、気にもかけない人がいることを考えれば、視覚障害はサポートが必要なので多少難しい面もあるが、進行第一とする障害者は問題ないだろう。健常者も見習いたい。

障害者の目で見たゴルフ場の課題は、今後のゴルフ業界の課題にも合致している。「カートを使え、できればフェアウエーに乗り入れられることと、高低差が少ないこと」がゴルフ場選びの条件という。これから多くなる高齢者にとっても同じ。「2015年問題(団塊世代の退職)」「2020年問題(団塊世代の高齢化)」など問題を抱えるゴルフ業界。

少しでもつなぎとめておくために、芝や土質、メンバーシップなどの問題もあるが、考えていかなければならないだろう。100万~200万円ぐらいするらしいが、車イスのゴルフカートも海外にはある。障害者に対応できるゴルフ場は、高齢化対策はもちろん、初心者対策にもなる。コースレイアウトは変えようがなくても、できることは見つかるはずだ。

角谷さんは最後にこんなことを話した。「パラリンピックに採用されたらいいのですが。障害者にとって大きな目標があれば、もっと人口は増えると思います。車イスバスケットとか格好いいですもんね」。2020年東京パラリンピックの実施競技は2015年末に決定して、ゴルフは入っていない。せっかく日本で行われる大会。デモンストレーションでもエキシビションでもいいから、何かの形で実施できないものだろうか。

協会では研修会や定例会の形でコンペを始め、使用できるゴルフ場も増えていった。今は年10回程度行っている。仲間も増えてきた。1回に100人弱集まる。「障害者でやっている方は全国で300~500人ぐらいいるのでは」という。仲間の中からプロゴルファーも誕生した。同協会の理事で幼少のころに右手首を切断して義手をしている小山田雅人さんが、2014年に日本プロゴルフ協会のティーチングプロB級の資格を取得している。

ゴルフはどうやってできるようになるのだろう。「結局は工夫なんです。健常者のスイング理論は当てはまらない。でも、止まっているボールをまっすぐ打つという目指すところは健常者と同じ。私の場合、左足は体を支えるだけで右足体重で打ちます。障害によってスイングのポイントは違う」という。角谷さんは年齢もあってレディースティーからプレーすることが多いというが、スコアは90台前半、80台で回ることもある。

障害を負ってもできることに気づくかどうか

内閣府の2015年障害者白書によると、全国の身体障害者は366万3000人。すべての方にゴルフが当てはまるわけではないだろう。先天性、後天性(事故や病気など)でも違う。「要は障害を負ってもゴルフができることに気づくかどうか、なんですね。もっとゴルフをする障害者が増えたらいいと思っています。特に若い人が入ってきてほしい。これは今のゴルフ業界と同じなのでは」と角谷さん。体験からも「周囲に誘ってくれる人がいればやりやすくなる」という。

ゴルフ場の対応はどうなのだろうか。全国で133コースを運営するPGMホールディングスに聞いたところ「障害者受け入れのマニュアルはありません。聴覚障害の方は危険もありますが。問題はプレーの進行だと思います。受け入れはゴルフ場ごとの判断になります」とのこと。

障害者はプレーが遅くなるのだろうか。角谷さんは「一番気にするのが進行です。研修会などでも障害の程度などによって組み合わせを考え、3人で回してもらうとか、迷惑を掛けないようにします」という。健常者でも遅い人はいるし、気にもかけない人がいることを考えれば、視覚障害はサポートが必要なので多少難しい面もあるが、進行第一とする障害者は問題ないだろう。健常者も見習いたい。

障害者の目で見たゴルフ場の課題は、今後のゴルフ業界の課題にも合致している。「カートを使え、できればフェアウエーに乗り入れられることと、高低差が少ないこと」がゴルフ場選びの条件という。これから多くなる高齢者にとっても同じ。「2015年問題(団塊世代の退職)」「2020年問題(団塊世代の高齢化)」など問題を抱えるゴルフ業界。

少しでもつなぎとめておくために、芝や土質、メンバーシップなどの問題もあるが、考えていかなければならないだろう。100万~200万円ぐらいするらしいが、車イスのゴルフカートも海外にはある。障害者に対応できるゴルフ場は、高齢化対策はもちろん、初心者対策にもなる。コースレイアウトは変えようがなくても、できることは見つかるはずだ。

角谷さんは最後にこんなことを話した。「パラリンピックに採用されたらいいのですが。障害者にとって大きな目標があれば、もっと人口は増えると思います。車イスバスケットとか格好いいですもんね」。2020年東京パラリンピックの実施競技は2015年末に決定して、ゴルフは入っていない。せっかく日本で行われる大会。デモンストレーションでもエキシビションでもいいから、何かの形で実施できないものだろうか。

右足体重で打つという、角谷利宗さんのスイング

2016年05月15日  東洋経済オンライン


〝奇跡のクッキー〟年商2億円達成した障害者福祉サービス事業所のイノベーション

2016年05月16日 02時24分17秒 | 障害者の自立

 大津市に年商が一時2億円に達し、現在も1億円を超える障害者福祉サービス事業所がある。設立されて今年で30年になるが、工房で作られるオーガニック素材のクッキーが人気を呼んでおり、全国から注文が入るほど。障害者福祉サービス事業所の菓子販売としては異例の売り上げという。賃金も全国平均を上回り、低賃金とされる福祉サービス事業所の“常識”を打ち破った。キーワードは「障害の有無に関係なく、できる人ができる仕事をすればいい」。福祉サービス事業所の新たな可能性を探った。(江森梓)

体に優しいクッキー

 大津市内の田畑に囲まれた障害者福祉サービス事業所「がんばカンパニー」。受付を訪ねると、「取材のご予約ですか?」と車いすに乗った女性が対応してくれた。

 工房では、作業に通う障害者らが、パティシエと一緒に色とりどりのクッキーを作っていた。抹茶の緑にココアの茶色、紫芋の紫…。いずれもオーガニック素材にこだわった素朴で優しい味わいのクッキーだ。

 がんばカンパニーでは、大まかに身体障害者が事務、知的障害者が製造、精神障害者が製造の補助と仕事を振り分けている。

 「ここでの仕事はすべて適材適所。本人が一番楽にできる仕事を見つけてほしい」。がんばカンパニーの統括施設長の中崎ひとみさん(51)はそう話す。

「商いでノーマライゼーション」

 今や、福祉業界の中でモデルケースとして注目されるがんばカンパニーだが、軌道に乗るまでは平坦(へいたん)でなかった。

 事業所は昭和61年、重度の脳性麻痺(まひ)者である男性が中心となって、前身の「今日も一日がんばった本舗共働作業所」を立ち上げたのが始まりだ。

 男性は当初、他の福祉作業所へ通っていたが、内職のような地味な仕事ばかりだった。障害者でも外に出て、前面に出て働きたい-。事業を始めたのはそんな思いからだった。

 キャッチフレーズは「商いでノーマライゼーション」。商売を通じて、障害者と健常者が平等に暮らせるようにするという考えだ。そこで陶器や粉せっけん、茶菓子などの仕入れ販売を始めたが、現実は厳しかった。組織運営や経営に関して知識がなく、なかなか売り上げは伸びなかった。

経営見直しで年商アップ

 平成4年には、中崎さんが知人の紹介で、がんばった本舗で働くようになった。ゼネコンなど一般企業で働いた経験のあるスタッフによって、商品の在庫管理など、経営管理に基本を徹底させた。

 11年には、がんばった本舗の組織を、社会活動を通じた社会への働きかけを目標にした「まちかどプロジェクト」と、障害者の仕事と生活の自立を目指す「がんばカンパニー」に分割。がんばカンパニーにクッキー工房を設立した。

 「体に良くておいしいものを」とクッキーの素材はオーガニックにこだわった。健康志向の波にも乗り、24年度には年商2億円を達成。近年は消費税増税の影響などでやや伸び悩んでいるが、それでも27年度は1億1千万円を売り上げた。

障害者を取り巻く厳しい環境

 「仕事は適材適所」-。合理主義を追求する中崎さんだが、従業員と向き合うことは忘れない。自身も自閉症の長男を持ち、障害者を取り巻く環境には敏感だ。

 現在、民間企業は全従業員の2%以上で障害者の雇用が義務づけられている。しかし企業側の理解が乏しく、障害者の積極的な雇用はなかなか定着しないのが実情という。

 例えば、精神障害を持つ人の中には、ストレスやプレッシャーに弱くて仕事の環境になじめないケースもある。こうした人たちがうまく働ける環境の整備はまだまだ遅れている。また、表向きは平等とされるが、職場の飲み会に誘われないこともあり、人間関係に悩む知的障害者もいるという。

働くことが「誇り」へ

 一概に障害者といっても、健常者と同じように1人ずつ長所と短所がある。がんばカンパニーではその人が抱えるハンデは何なのか、丁寧に見極めながら、適性のある仕事をしてもらうことにしている。

 27年4月から28年1月にかけての1カ月当たりの実態賃金は8万8211円(平均時給は901円)。がんばカンパニーは、雇用契約に基づく就労が可能な人が働く「A型事業所」に含まれるが、厚生労働省によると、その実態賃金の全国平均は6万6412円で、これを大きく上回る。

 さらに扶養家族がいたり、1人で生活しなければならない人には手当てを多くつけている。「障害者も健常者もかかる生活費は変わらない」と中崎さん。

 売り上げが多ければ、その分を賃金や手当てに反映させるのは、従業員の仕事のモチベーションを高める狙いがある。

 草津市の女性(54)は、車いすで事務を担当。一般企業に就労していたが、経営不振でリストラにあったため、22年、がんばカンパニーに就職した。

 以前の会社では、トイレ掃除は女子社員が交代でやっていたが、自分だけ免除された。コーヒーも他の社員に入れてもらっていた。「自分は『守られる側』」-。そうした意識が心の負担になっていたという。

 しかし、今はちがう。他の障害者のサポートに回ることもある。女性は「気持ち的にはすごく楽になった」と話す。

 中崎さんはこう話す。「今やっていることは、『福祉』という意識は薄いかもしれない。『この人は障害者やからできへん』というのではなく、何ができるかを考える。それが本人の働くことへの誇りにもなり、人生を豊かにすることにつながっていくんじゃないでしょうか」

クッキーをつくる「がんばカンパニー」の利用者ら=大津市

クッキーをつくる「がんばカンパニー」の利用者

2016.5.15   産経ニュース


熊本で支え合う 福祉作業所の炊き出し脚光

2016年05月16日 02時12分58秒 | 障害者の自立

 熊本地震は十四日、最初に震度7の揺れが熊本県益城(ましき)町を襲った午後九時二十六分の前震から一カ月を迎えた。地震による死者は四十九人で一人の安否が不明。ピーク時に二十万人いた避難者は今も一万人を数える。再建への歩みを進める被災地では、日ごろ障害者の生活を支えている作業所が炊き出しや物資配給などの場として力を発揮。行政の手が追いつかない被災者支援に大きく貢献している。

 益城町の東隣の西原村にあるNPO法人「にしはらたんぽぽハウス」(上村加代子施設長)は、四月十四日夜の地震で益城町の大きな被害を知って、おにぎりを避難所に届ける炊き出しを開始した。その直後、十六日の本震で、施設の一部が破損。職員六人のうち三人の自宅が全半壊する被害を受けた。

 「何から手を付ければいいか分からなかったが、とにかく被災者のために炊き出しを続けた」と上村さん。自身も、最初の三日間は車中泊だった。

 たんぽぽハウスは、障害者が働ける農業と加工品づくりの取り組みで全国に知られる。そのつながりで各地からボランティアが駆けつけ、食材などの支援物資も次々に届いた。一日三回、それぞれ百~二百食を炊き出して、被災者や支援のボランティアらに配る態勢を整えた。その一方、支援物資を車に積み込んで、村内の調査を開始。在宅の障害者、高齢者らから困っている問題を聞いて、村の担当課に伝えている。

 まだ村内の三分の一が断水。人口約七千人の一割が避難所暮らしを続ける。「行政も必死で頑張っているけど、手が回らない。助け合わなくちゃね」と上村さんは明るく話す。

 益城町の「そよかぜ福祉作業所」を運営する浜田龍郎さん(71)は、もう一つの顔がNPO法人「九州ラーメン党」の理事長。一九九一年の雲仙普賢岳の噴火以降、阪神大震災、東日本大震災などの被災地にトラックで仲間と駆けつけ、被災者にラーメンを振る舞ってきた。その数八万杯以上に及ぶ。

 作業所の弁当・パン作りなどの仕事の傍ら、教会近くの空き地を借りて、ラーメン屋台を常設し、売り上げを被災地支援活動に充ててきた。そこが熊本地震での炊き出し拠点となった。

 「四月十八日からラーメンとおにぎりの炊き出しを始め、初日は四百食作ったけれど、足りませんでした。私としては、これまでの活動の延長。たまたま地元が被災地になった感じです」と浜田さん。

 一日二百食の炊き出しを続けるとともに、寄せられる支援物資をテント内に並べ、自由に持っていってもらえるようにした。町のボランティアセンターがパンク状態になる中、登録を断られた人を受け入れ、柔軟に動いてもらおうと「民間ボランティアセンター」も立ち上げた。

 作業所も破損し、通常の仕事は中断。通所できなくなった利用者もいる。浜田さん自身も十七日間、車中泊だった。それでも、麺、スープ、米、ワカメなど全国からの応援物資に励まされる。「特に、五年間通った東北からのエールの熱さに感動しています」と話した。

熊本地震発生から1カ月。熊本県益城町の避難所の保健福祉センターでは、子供らが手作りした追悼キャンドルが並べられ、犠牲者に黙とうをささげるなど、被災地は鎮魂の祈りに包まれた

地震当初から続くたんぽぽハウスの炊き出し

2016年5月15日  中日新聞


支援、長い目で一緒に ニーズ多様化に備え 震災経験・岩手のNPO理事長

2016年05月16日 02時06分21秒 | 障害者の自立

 東日本大震災の被災地を支援している岩手県遠野市のNPO法人「遠野まごころネット」が、熊本地震の被災者を応援しようと現地で活動を続けている。震災被災者でもある理事長の臼澤良一さん(67)は、生活再建に向けてニーズの多様化が予想される今後を見据え、長期的視点で支援を継続する。届けたいのは「忘れていない。一緒にいるよ」というメッセージだ。

  臼澤さんは2011年3月11日、岩手県大槌町にある木造2階建ての自宅で、激しい揺れに見舞われた。津波が迫る中、屋根の上に逃れたが、約300メートル流された。何人もの人々が渦にのみ込まれ、ガス爆発で火の海が迫る中、電線とがれきを伝って高台に逃れ、九死に一生を得た。

 「一体何から手をつければいいのか。なぜ自分は生き残ったのか」。途方に暮れる中、食糧などの救援物資を届けてくれたのが、比較的被害がなかった遠野市民や県外のボランティア団体などが3月末に設立した同ネットだった。がれき撤去や泥かきなど、被災者の求めに応じて働く姿を見て「この人たちがいないと前を向けない」と思った。

 臼澤さんは震災から2カ月後、メンバーとともに炊き出しに加わり、温かい食べ物を振る舞った。「目の前の被災者が何に困っているのか」。支援する立場になって、生かされた意味が分かった。

 11年6月、町内の仮設住宅に入居し、92世帯の自治会長に就任。「衣食住」が満たされると、自宅の再建や仕事の再開、体調管理など必要な支援は多様化する一方、家に閉じこもりがちなお年寄りや障害者のニーズは外から見えにくくなっていた。臼澤さんらは仮設住宅近くに、住民が集える広場を設けてお茶会などを開き、被災者のつぶやきに耳を澄ませた。

 熊本地震では外部から支援が届かず、自治体も被災者の声を十分把握できない中、先月24日から28日まで熊本県西原村などをメンバーと訪れた。15年11月に理事長となった同ネットの基本原則は、被災地に寄り添った長期支援の継続。「被災者がコミュニティーやなりわいなど、生きがいを取り戻すまで活動を続けたい」。臼澤さんは今月末に再び現地に入り、震災で培った後方支援のノウハウを伝えるつもりだ。

熊本地震の被災地での活動を振り返りながら「被災者が生きがいを取り戻すまで共に生きたい」と話す臼澤良一さん=岩手県大槌町大槌で2016年5月12日午後4時44分、中尾卓英撮影

毎日新聞  2016年5月14日
 

福祉避難所設置数に格差 熊本地震で課題浮き彫り [佐賀県]

2016年05月16日 01時59分00秒 | 障害者の自立

 さまざまな防災課題を浮かび上がらせた熊本地震から1カ月。県内でも市町によって、災害時に介護が必要な高齢者や障害者、妊産婦らの「福祉避難所」の設置数に大きな格差があることが西日本新聞の調べで分かった。大半の自治体は防災訓練に福祉避難所を組み込んでおらず、立地場所の周知不足も目立つ。平時から福祉避難所の確保と周知、訓練が必要だ。

 福祉避難所は、市町村が公共施設や民間の老人保健施設などを指定する。国の指針は原則バリアフリーで介護や医療相談用の場所を確保できる施設とし、介護・衛生用品の備蓄も定めている。

 しかし、県内20市町の設置数には大きな差がある。人口上位10市町の福祉避難所数(10日現在)は、佐賀市47▽唐津市10▽鳥栖市6▽伊万里市6▽武雄市15▽小城市10▽神埼市2▽鹿島市1▽嬉野市4▽みやき町4-で、必ずしも人口に比例していない。

 人口約3万人で1カ所しかない鹿島市は「避難所運営の人員確保が難しい」と説明。約7万3千人で6カ所の鳥栖市も「とても足りないが、避難所にしたい民間施設は満床の場合が多い」という。

 国の指針は小学校区に1カ所を目安としているが、指針を満たすのは半数以下の7市町(多久市、吉野ケ里町、基山町、上峰町、玄海町、大町町、江北町)だけ。佐賀市は設置数こそ多いが、校区内に福祉避難所がない空白区がある。

 日頃からの開設場所の周知も重要だ。

 今回、熊本市は約70カ所に福祉避難所を開設し、保健師らが一般の避難所を巡回して要支援者や家族に福祉避難所の利用を伝えようとしたが、車中泊や自主避難した人の把握は困難を極めたという。

 県内の市町もインターネットサイトや広報誌で災害時の開設予定場所の周知を図るが、どの担当者も「十分には知られてない」と口をそろえる。白石町では町の防災マップにも福祉避難所の位置が記載されておらず、担当者は「改善が必要」と認める。

 認知症の人と家族の会県支部の森久美子代表は「これまであまり話に出ることがなかった福祉避難所の重要性が、熊本地震を機に再認識された。私たちも会員の最寄りの福祉避難所を、日頃からしっかり把握したい」と話す。

 熊本地震は、福祉避難所も含めた防災訓練の充実も教訓として示した。

 2度の震度7に見舞われた熊本県益城町では、事前に5カ所の福祉避難所を指定していたが、一般の避難者も利用して混乱。今月10日ごろまで開設できず、いまだに十分機能していない。このため、要支援者が町外への避難を強いられたりしており、町の担当者は「福祉避難所を入れた防災訓練をほとんどやっていなかったので対応できなかった面もある」と語る。

 県内でも訓練を積んだ市町はほとんどない。佐賀市も3年前の県防災訓練でしただけで、市と福祉避難所協定を結ぶ高齢者施設「ロザリオの園」(同市大和町久池井)の大越健自施設部長は「災害時に市や他の福祉避難所と連携を取れるか不安。介助者の人数や受け入れ能力も考慮した訓練が必要」と指摘する。市福祉総務課の成富典光課長は「熊本地震を教訓に訓練数を増やしたい」と話している。

=2016/05/15付 西日本新聞朝刊=