毎月1回、月曜日の夜。新宿・高田馬場のクライミングジムで、目や耳が不自由な人たちが健常者と交流を温めている。
全盲の男性が壁のホールド(人工の石)をなぞる。「結構いっぱいあるね」。周りの人たちから指示が飛ぶ。右、普通、1時半、やや近め、12時近め――。
ホールドがある方向は時計の針の向きで伝える。距離は指先からひじまでが「普通」、それより近ければ「近く」、遠ければ「遠め」。しっかりつかめるホールドは「ガバ」、つるっとしているのは「スローパー」。もどかしく思ってもクライマーの体には触れない。それがルールだ。
企画するのは武蔵野市のNPO法人「モンキーマジック」。代表の小林幸一郎さん(47)は視覚障害のあるフリークライマーで、昨年9月にスペインで開かれた世界選手権視覚障害の部で金メダルを獲得した。
小林さんは28歳で進行性の網膜の病気を発症。不自由な生活の中で、16歳で始めたクライミングだけは違った。岩をつかむ感覚は悪くない。落ちても落ちても繰り返した。誰でも受け入れる気負わないスポーツ。2005年、モンキーマジックを立ち上げた。
月曜夜のイベントは4年目に入った。毎月、45人の定員はいっぱいになる。小林さんたちスタッフのテーマは「クライミングの普及を通じ、どういう社会をつくりたいのか」だという。
5月に初めて参加した健常者の男性会社員(52)は「(障害者に対し)これまで構えすぎていた。でも、肩が当たっても、ごめんで済む。声をかけてくれる。ユニバーサルな社会とは何かが分かった」。
理学療法士の男性(42)の視力は矯正後で0・1。若い頃から視力が悪くなり続け、ショックを受けていた。職場の仲間は車の話ばかりで会話に入れない。だが、40歳を過ぎてクライミングに出会った。「やればやるだけ達成感がある。視覚障害でもできることはある」。交友関係が広がり、悲観的な感情も消えた。マラソンも始めた。
全盲の志賀信明さん(56)と弱視の道子さん(56)夫妻は、埼玉県入間市の自宅から2時間近くかけて電車を乗り継ぎ、新宿に通う。「同じ課題をクリアするために同じ壁を登り切る」と信明さん。自宅2階の子ども部屋にクライミング用の壁までつくった。
イベント会場は視覚障害者と聴覚障害者が知り合う場にもなっている。耳が不自由な男性(50)は、これまで両者がコミュニケーションを取ることがなかったと話す。1対1での会話は難しいが、健常者が間に入れば成立する。「見えない人には難しいスポーツかと思ったが、楽しくやっている」と励まされるという。
眼科医の大野建治さん(48)はイベントに参加して3年目。今年、視覚障害スポーツで視力や視野に応じてクラス分けをする国際資格をギリシャで取得した。「健常者が障害者を助けるのではなく、一緒に楽しむのがいい。障害は個性。どう生きているかということが大切」と話す。
小林幸一郎さん(左から2人目)
2015年6月5日 朝日新聞デジタル