ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

体験 育む理解 花巻福祉まつり 障害者大会競技もPR

2015年06月01日 02時21分11秒 | 障害者の自立

 花巻市社会福祉協議会主催の「花巻福祉まつり」は30日、同市石鳥谷町の石鳥谷生涯学習会館で開かれた。触れ合い体験やフリーマーケット、希望郷いわて大会競技体験といった各コーナーが家族連れらでにぎわい、ご当地ヒーローの鉄神ガンライザーとの握手会に長い列ができるなど、市民が楽しみながら社会福祉に理解を深めた。

 「福祉でまちづくり」をスローガンに開かれている恒例イベント。各地区の奉仕グループによる活動紹介やステージ発表、楽器演奏、屋台販売などが行われた。

 車椅子や点字に触れるおなじみのコーナーに加え、間近に迫った岩手国体のPRパネルも設置。希望郷いわて大会競技のフライングディスクを体験する部屋では、子供たちが次々にディスクを投げていた。

 母親と一緒に来場した吉田幹太君(8)は「フライングディスク体験で投げ入れるのが楽しかった。ガンライザーと握手もした」と、イベントを満喫した様子。弟の芽生ちゃん(5)も「車椅子に乗ったのは初めて。坂を上ったり下ったりするのが面白かった」と笑顔を見せた。

福祉まつりで希望郷いわて大会競技のフライングディスクを体験する子供

(5/31)    岩手日日新聞


「白杖SOS」全国発信 盲人代表者会議で運動推進採択

2015年06月01日 02時09分43秒 | 障害者の自立

 全国の視覚障害者団体でつくる日本盲人会連合などは30日、岐阜市長良福光の岐阜都ホテルで全国盲人代表者会議を開き、視覚障害者が白杖を示して助けを求める「白杖SOSシグナル」運動を推進していくことを決めた。岐阜市がシグナル普及のために定めたシンボルマークの活用も検討していく。

 シグナルは視覚障害者が外出先などで困った場合、白杖を頭上50センチ程度に掲げるサイン。35年以上前から提唱されているが、周知が進んでいないため、市は3月に独自のシンボルマークを制定。シグナルを見たら声を掛けて困りごとを聞き、手助けしてもらえるよう、県・市の視覚障害者福祉協会とともに啓発を進めている。

 会議では視覚障害者の生活に関する分科会があり、県協会とシグナル発祥の地・福岡県の盲人協会がシグナルの普及と推進を共同提案し、採択された。

 分科会に先立ち、安全な外出と白杖をテーマにしたシンポジウムがあった。パネリストを務めた市協会の渡邉巧会長(77)は、帽子を飛ばされて困り、シグナルを発したところ、拾ってもらえた体験を語り、「マークが日盲連の後押しで広まり、全国でシグナルが理解されれば外出の安心感が増す」と普及への協力を訴えた。

 日盲連などは31日、約1300人が集う全国盲人福祉大会を開き、白杖の意義啓発を盛り込んだ宣言、視覚障害者の就労拡大への配慮を求める決議を採択する。代表者会議、福祉大会とも岐阜新聞・ぎふチャン後援。

白杖SOSシグナルを実演し、シンボルマークとともに普及させる運動への協力を求める渡邉巧会長(右から2人目)ら

2015年05月31日    岐阜新聞


栗原類が発達障害を告白 民放でこれまで同様に振る舞えるか

2015年06月01日 02時05分23秒 | 障害者の自立

 タレント・栗原類がテレビで発達障害を告白したことが話題になっている。勇気ある行動にコラムニスト・オバタカズユキ氏が拍手を贈る。

 * * *
 NHKがまたひとつ、たいした仕事をやってのけた。5月25日放送の「あさイチ」(NHK総合)で組んだ「どうつきあえば?夫や子どもの発達障害」特集にタレントの栗原類を招き、彼が発達障害であることの告白の場とした件である。

 番組開始から20分ほど経った頃、キャスターの有働由美子アナが、〈実は今日のゲストの栗原類さんも、実は公表されていないんですけど、発達障害の当事者でいらっしゃる――〉と話を振った。それを受けて栗原類はこう語り始めた。

〈はい、僕がアメリカにいた8歳の時に、ADD、注意欠陥障害と診断されたんです。渡米したばかりで英語がわからないという言語的な問題だけでなく、行動的な面もちょっとおかしいと思った担任の先生が、親に「診察を受けてみるのはいかがですか」と言ってくれ、それでぼくは初めてADDと診断されたんです〉(※適宜、文章整理しています)

 緊張だろう。表情がいつも以上に硬い。でも、両の眼にはいい意味で力が入っている。ガチな覚悟が見て取れる。

 栗原類はこの番組内で、冷蔵庫のお茶の位置がいつもと違うだけで気持ち悪く感じるような拘りが今でもあること、感覚過敏でテレビの大きな音や人の大声が苦手であることなどを明かした。子供の頃に観た魚が主人公のアニメ映画で自分の障害と向き合えるようになったエピソード、自分のできることとできないことを親や主治医がちゃんと言ってくれたからこそ今の自分があるという思いも語った。

 彼に関しては、キャラを演じているというより天然に近い不思議君ぶりを感じていたので、カミングアウトに驚きはしなかった。でも、そのしっかりとした告白には凛々しさがあった。あの栗原類は確実にカッコよかった。

 番組内で一人の医師が〈3歳児検診で発達障害が疑われる率13%。10人に1人よりも多く、これはみんなで考えていかねばならない問題だ〉と言っていたが、世間の理解はまだまだ足りない。発達障害は千差万別で栗原類が抱える困難はその一例にすぎないとはいえ、彼の勇気ある行動はたくさんの障害者やその周囲の者の気持ちを強くさせたことだろう。

 私のツイッターのタイムラインでは、そう簡単に人を褒めたりしない精神科医が〈こういった告白をしてもらえると、患者さんや家族へ、説明しやすくなるのも確か。ありがとうございます〉とつぶやき、大勢がそれをリツイートしていた。番組はNHKオンデマンドでまだ視聴可能なはずだ。できることならNHKには公共の利益のために番組を再放送か無料配信してほしいが、関心のある向きには買って損のない優良コンテンツだと思う。

 私がもっとも感銘したのは、特集の終盤に栗原類がこう述べた部分である。
 
〈基本的にテレビで発達障害を取り上げる時は、天才型や著名人の名前を出したりするから、それを見て「ぼく発達障害?」とか、実際に障害のある人でも相談しにくいところがあると思うんです。やっぱり周りが理解してくれるような環境がもっと整ったらいいなとすごく思います〉

 そうそう、そうなのだ。ここ10年ほどの間に、発達障害に関する情報はずいぶん増えた。しかし、マスメディアがその題材を扱うと、栗原が指摘したような「脚色」をすぐにやってしまう。Aにはそんな障害があった、にもかかわず、こんなに成功したのである!というお決まりパターン。日常生活は滅茶苦茶だったが、驚異的な記憶力や集中力や映像思考力などなどで、彼は彼にしか為しえない偉業を果たしたのです!といった語りのスタイルだ。

 たしかにそう紹介できる成功者も存在する。でも、当然の話だが、発達障害があれば図抜けた他の能力がセットでついてくるわけではない。大半の障害の持ち主は人知れず地味にハンディキャップと格闘している。シリコンバレーでイノベーションをおこしたり、芸術やスポーツなどの才能で世界を感動させたりするのはごくごく一部の天才的発達障害者だけだ。

 なのに、世間は彼らにファンタジックな夢を重ねたがる。奇跡の物語として彼らを消費しようとする。そして、どんなに駄目な人間だって誰よりもすばらしい何かがきっとあるんだよ、みたいな無責任ポエムにつなげてくれる。もともと特別なオンリーワン主義的ポジティブシンキングをおしつけるなよ、と思う。おかげで図抜けた能力を持つでもない大半の障害者の人生が見えなくなっちゃうじゃないか。

 実際はそんなんじゃない。もっと普通に周りから理解され、周りに相談できる環境が欲しいんだ。等身大のぼくらの受け入れから始めてほしいんだ。つまり栗原類はそう訴えたのである。「え~、キャラじゃなくて障害だったの。きつー」とドン引きされかねないリスクを背負い、彼は人間宣言をしたのだ。私にはそう見えた。

 大きな話題になった「あさイチ」放送日の夜、栗原類は「改めて」と題してブログにこういう文章を投稿した。

〈今日のあさイチは多くの人に発達障害について知ってもらう凄くいい機会だったと思います。ご覧頂いた方々の反応も暖かく僕が伝えたかった事をちゃんと伝える事が出来て凄く嬉しかったです。ただ僕は僕であり、今までとこれからが何も違う事はなく僕にとっては一本の道が繋がっていてそこを歩いているだけです〉

〈僕の行動に関して今まで面白いとバラエティで笑ってくれた方々、僕が発達障害者だと知ったから“笑っちゃいけない”とは思わないでください。僕が発達障害者であっても、そうでなくても僕は僕だし、僕の個性が人を笑わせられるほど面白いのであれば、それはコメディ俳優を目指している僕にとっては本望です〉

 彼はコメディ俳優の道を歩きたい青年だったのか。それなら障害のことはグレーにしておくほうが都合良かろうに、あえて告白とは強気だな。では、分かった。観る者が発達障害者だということも忘れるぐらい笑える芝居を楽しみに待とうじゃないか。

 栗原類の挑戦に期待すると共に、これからのマスコミが彼をどう扱うかに注視したい。具体的には、NHKという温室の外、民放のお笑い番組やバラエティ番組といった市場社会で彼がこれまで同様に振る舞えるか、だ。

 一昨年、お笑いコンビの松本ハウスが著した『統合失調症がやってきた』という本づくりに私は編集協力で関わった。本が出て以来、統合失調症のハウス加賀谷とその良き相方の松本キックは、全国の自治体やNPOなどが催すイベントに呼ばれ続けている。舞台にもコツコツ立っている。でも、テレビ出演は、障害者情報バラエティ『バリバラ』(NHK Eテレ)ばかりだ。彼らはとっても面白いのに、フラットにお笑い芸人として起用する民放の番組がなかなか出てこない。

 障害者という線引きを乗り越えるのは、障害者の周りにいる者たちの役割だと私は思っている。栗原類、松本ハウスで視聴率稼ぎを狙う野心家の仕事を早く見たい。面白ければ何でもありの精神で突き進む、この国のお笑いの底力を見せつけてくれ。

2015.05.30     NEWSポストセブン


2030年、人間とロボットはどう共存しているのか?

2015年06月01日 01時54分35秒 | 障害者の自立

 お店やホテルに入ったら、ロボットに案内された。そんな経験が、これからは増えるでしょう。身の回りでロボットを活用する話が多く聞かれるようになりました。映画やアニメの世界が現実になろうとしています。2030年、人間とロボットはどう共存しているのか。人間とロボットの違いはどこか。まずは、アンケートから探ります。

■500回答を集計

 アンケートは5月20日から朝日新聞デジタルで実施しています。今回は30日午後までに寄せられた500回答をまとめました。「こだわりのラーメン店主」「親の介護」「担任の先生」「裁判官」「恋人」「兵士」「外科医」「政治家」について、ロボットに「任せたいか/任せたくないか」「2030年までに実現可能か/不可能か」を尋ねています。微妙な感覚や好みを左右するもの、命や心がかかわるもの、リスクがあり正確さが要るもの、教えたり諭したりする役回り、などを念頭に選択肢を設けました。結果をグラフにしたのが上図です。

 2030年としたのは、作家の瀬名秀明さんと同じ発想です。空想よりは近くにあり、かといって状況をだれもきっちり描けない、そういう時期が15年後だと考えました。

 グラフは、「任せたい/実現可」を+1、「任せたくない/実現不可」を-1として、Y軸、X軸方向に全回答を計算したものです。

●家事も一緒に

 息子2人は仕事に忙しく離れているし夫との会話は全くなく、友人も少なくなってきた。動物は世話が大変なのでロボットとお話しし、家事も一緒にしたい。(komomo・70歳以上女性)

●トイレまで運んでくれる

 親の介護は終了。将来の自分の介護にぜひ欲しい。ベッドからトイレまで運んでくれる。下の始末は尊厳の課題。夜中でも、遠慮なく頼めるのはロボット以外には考え難い。(PUFFIN・70歳以上女性)

●障害者の自立の手段として

 わたしは障害者だが、自立して地域で生活したい。その手段として、介護はロボットに全面的に任せたい。人に介護されるよりしがらみがなく、自由に時間を使えるから。(ウッキー・50代女性)

●恋人、実現すると思う

 別に子供は欲しくないが、恋愛がしたい。好感が持てる女性には相手にされないが、そうではない女性とは付き合いたいとは思わない。そうすると、恋人の役割をロボットに任せたいし、2030年までに実現すると思う。(おはらっきー・30代男性)

●どうしたって無機質

 ロボットはヒト型にしても可愛らしくしても話ができても、どうしたって無機質な冷たい感じがしてしまい、私は嫌です。ただ、力仕事など人間ではきついことも簡単にできるところは良いところだと思います。(ふぅ・10代女性)

●外科医や教師、任せてもいい

 外科医や教師など今のままの“お客さま対応”のような環境ではロボットに任せるほうが合理的に思えてしまう。(ゆり・10代女性)

●葛藤・心のゆらぎ 理解できる?

 ロボットは冷静に判断できそうですが、人間の葛藤などのゆらぎを、理解することが出来るのでしょうか?(若手のN・30代男性)

●人をサポートする位置づけに

 人間をサポートする位置づけが社会に受け入れられる。裁判で「過去の判例は?」と問えば、容易に回答できそうだし、政治にも利権や私情をはさまずにある程度の判断や法案の問題点・矛盾点を提起できそう。(shinz_y・50代男性)

●依存しすぎないことが大事

 人間より賢く有能になってはダメ。リアルな人格を与え過ぎる、学習能力を持たせ過ぎるのも避けるべきだ。実用的にも、感情的にもロボットに依存し過ぎないことが大事。(sakupi・30代女性)

●ロボットが代替できない人材を

 ロボットに仕事を奪われた人がどこに行くか。社会不安の火種になる危惧がある。ロボットに出来ないことを出来る人材を育てる、教育投資とセットでなければならない。(AirStripOne・20代男性)

●仕事奪われ、競争させられ

 ロボット技術の所有者が一部の持てる者であれば、多くの人がロボットに仕事を奪われて失業するか低賃金でロボットと競争させられ、むごい格差社会が到来するかもしれません。(tsussy・30代男性)

●軍事利用の制限、議論を

 「二足歩行ヒト型ロボット」は人類最大のパートナーとなりうると同時に最大の脅威になる可能性も。軍事利用の制限ルール成立に向けて早急に真剣な議論が必要。(いしばし たたいて わたる・60代男性)

◆アンケートの意見から抜粋。カッコ内はニックネームです。

■作家・瀬名秀明さんに聞く

 2030年を舞台にした小説を書いているところです。再生医療がテーマで、自律型ロボットがテロを起こす話を織り込んでいます。

 15年後というのは、読者は関わりを感じられる一方、専門家はロボットのビジョンを「こうだ」と描けません。小説家として書く余地がある。今の技術に少しアイデアを加えて、こういう未来もあり得るかもね、と。それより先だとまったくの空想の世界になりがちです。

 ヒト型ロボット「アシモ」が出たのが15年前の00年でした。今年の夏ごろに「ペッパー」=図のロボット=が売り出されますが、税抜き20万円弱で、意外と高くない。最近では、百貨店でロボットが受付係を務めました。ロボットが人間の住んでいるところに近づいている感じがします。

 ここから15年というと、さらにロボット像が具体化して、人間に近い領域に入ってくるんでしょうね。考えると、モヤモヤしてきます。

 そもそも人間が本当に人間らしいことをやっている時間って、どのくらいなんでしょう? マニュアル化されている仕事はロボットにやらせればいいという考え方があります。実際、高校生レベルのアルバイトはロボットに置き換わっていくと予測する研究者もいます。

 でも、突発的なことが起こったときの判断は、ロボットにはできません。ハンバーガー店のバイトでも、プライスレスな笑顔を求められる場面が必ずあるはずです。ロボットにはルール作りもできません。将棋の「電王戦」は、人工知能とロボットアームの組み合わせが人間の棋士と対戦しましたが、どうしたらフェアな戦いになるか、おもしろくなるかは人間が考えたわけです。

 15年先となると、ロボットと人間がどう付き合うか、そのルールを作る力がいろんなところでもっと必要になってくると思います。教師ロボットが国語や算数を教えられるようになっているかもしれません。でも、できない子がいたときにクラス全体をどうもっていくか。考えるのは、子どもら人間です。

 先生、兵士、介護……、どれも倫理観が問われます。こういうロボットとどう付き合うかは切実な問題です。人間というもの、社会というものを考えることにつながります。

 2015年の今も、ロボットがどんどん入っている現実があります。今さらやめようと思っても無理。人間とロボット、それぞれの長所をうまく持ち寄って共存関係をつくっていくのが得策です。(聞き手・村上研志)

 〈せな・ひであき〉 68年生まれ。東北大の大学院在学中に「パラサイト・イヴ」でデビュー。著書に「ロボットとの付き合い方、おしえます。」など。

■〈記者の視点〉嘉幡久敬

 ロボットは現実に、私たちの生活に差し迫った問題をつきつけているわけではありません。

 しかし技術は日進月歩です。ロボット開発の現場を取材して感じるのは、「ブレーク間近」という確信です。ロボットが人間のさまざまな生活シーンに現れたとき、どのようにつきあえばいいかを考えることは、早すぎるとは思いません。

 ロボットが人間社会に及ぼす変革はいろいろ考えられます。例えば、優秀なロボットが量産されて、人間の職場を奪う。工場の製造ライン、介護や医療の現場、接客やサービス業、アートの世界……。ロボットに取って代わられることのない、人間の仕事や役割とは何でしょうか。

 ロボット兵士が戦場に投入されたら、戦争のあり方はどう変わるでしょう。ロボット同士が「殺し」合う。そのような代理戦争によって人間が得るものは何でしょうか。

 人間の感情がわかり、対等にコミュニケーションできるロボットは実現するのか。人間の顔そっくりの造作と表情を見せるアンドロイド型のロボットや、かわいがることのできるペット型のロボットはすでに登場し、銀行やデパートの受付、認知症患者の介護の現場などに活用され始めています。人間は将来、そのようなロボットと、友人、恋人といった生身の存在と同等につきあうことができるでしょうか。

 人間とロボットが築く未来を考えることは、人間とは何かを考えることにつながっている。そんな思いから、このテーマに取り組みたいと考えました。

朝日新聞デジタルのフォーラムページはhttp://t.asahi.com/forum別ウインドウで開きますです。ご意見はasahi_forum@asahi.comメールするか、〒104・8011(住所不要)朝日新聞オピニオン編集部「ロボット」係へ。

写真・図版

ロボットが担うことについてどう思いますか?

2015年5月31日    朝日新聞


李節子 NPO法人ジャパンユニバーサルスポーツ・ネットワーク理事長

2015年06月01日 01時45分02秒 | 障害者の自立

◇違い認め合う社会に

 障害のある人もない人も、高齢者も子どもも、男性も女性も、お互いの違いを認め合いながら、みんなでたすきをつなぐ「おおたユニバーサル駅伝」があした(31日)、東京都大田区の大田スタジアムで行われる。

 その日初めて出会った選手5人とサポーター5人が一つのチームを作り、5区間計5キロを走る。速さを競うのではなく、大会本部が設定したタイムに近いタイムでフィニッシュしたチームを表彰する。

 選手として参加できるのは小学生、60歳以上、視覚障害者、車いす利用者、フリースタイル(障害の有無に関わらず誰でも可)で、伴走サポーターの中高生とチームリーダーの大学生らがつく。サポーターとリーダーは事前研修を受講してもらう。

 8回目の今年は2004年アテネ・パラリンピックの男子マラソン(視覚障害)で優勝した高橋勇市さんや1964年東京オリンピックで聖火ランナーを務めた人たちが参加してくれる予定だ。

 13年前、新宿区で開催した駅伝大会が始まり。08年から私の地元の大田区でも開催するようになり、10年にNPO法人を設立した。これまでに延べ1000人ほどが参加したことになる。

 小学生の時に選手で走り、中高生で伴走サポーター、大学生になってチームリーダーを務めた人、大学の自己推薦入試で伴走サポーターをした経験を作文に書いて合格した人もいる。

 チーム編成には正直、苦労している。障害者はその日によって体調が変化する。エントリーしていても当日になって突然棄権せざるを得ない人もいる。そういう場合には伴走サポーターの中学生にアイマスクをして選手として出場してもらっている。

 日本では障害を理由に自宅に閉じこもりがちな人が多く、活動的な障害者は少ない。みんなで楽しく、汗をかきながら走ったり、歩いたりすることは将来自立した生活を送るうえで貴重な経験になる。ユニバーサル駅伝が社会に出るきっかけになってほしいという思いは変わらない。

 2年前の東京国体ではデモンストレーション種目に採用された。趣旨に賛同してくれた人たちが青森や堺市でも同じスタイルの大会を開催している。大きな夢だが、この大会を日本だけでなく、世界に広げたい。5年後、東京でオリンピック・パラリンピックがある。両大会の選手やボランティアが国籍などの違いを超えて、東京の街をたすきをつないで走ることができたら言うことはない。

 地域にはいろいろな人が暮らしている。同じフィールドで同じスポーツを一緒に楽しむことによって違いを知り、困った時には助け合うような社会を目指したい。

【構成・落合博、写真は李さん提供】=隔週土曜日掲載

 ■人物略歴

 ◇り・せつこ

 1948年生まれ。日本女子体育大卒。体育教師として中学、高校に長年勤務。介護予防と身体機能の維持を目的にした「シャッキリ体操」を考案して普及に努めている。健康運動指導士。

  毎日新聞 2015年05月30日 東京夕刊