古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

⊿石上神宮-大津皇子墓・鳥谷口古墳-秋山

2014年01月25日 13時28分12秒 | Weblog
以前から高市皇子は大津皇子を秋山で殺害したと考えています。
そしてその場所は宇陀松山城跡・城山の南側の道路で、弓で射殺したもの
と考えたこともありました。
しかし、ヤマトタケル(小碓命・おうすのみこと)は兄の大碓命(おおうすのみこと)を厠で殺します。
また、ヤマトタケルはイズモタケルを、川で水浴の後、刀を変えるというきわめて卑怯な手で殺します。
ヤマトタケルには高市皇子(天皇)が投影されて、イズモタケル、大碓命には大津皇子が投影されていると考えると次の想像が浮かびました。
「大津皇子は即位のための禊で伊勢に行きます。その禊の帰りを、高市皇子は、秋山のふもとで舎を造り(宮と偽って)、大津皇子に『身支度を整えて飛鳥での即位に備えましょう』、と誘い込み大津皇子を殺害した」
《神武東征の時の宇陀での、兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯(オトウカシ)の話も織り込めます》
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/804ea52634180ab7e8538ab6d189f4e3
イズモタケルも大津皇子であることの再確認 2010年07月14日

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/2828eb0f9e7099dfbf1599d52b186aec
兄宇迦斯(えうかし)・弟宇迦斯(おとうかし)の兄弟 2010年07月17日

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/8fdc6a555b3b4ee66b26d25ff659b29f
高市山-二上山(大津皇子墓)-宇佐神宮の直角三角形の意味
2010年07月20日

そうしますと
⊿石上神宮-大津皇子墓-阿紀神社ではなく
⊿石上神宮-大津皇子墓-秋山(宇陀松山城跡・城山)のふもと、のほうがいいかもとなります。
しかし、⊿石上神宮-大津皇子墓-阿紀神社で
石上神宮での角度は89.6931度で、変える必要はないようにみえます。
秋山(宇陀松山城跡・城山)にすると直角よりだいぶ大きくなります。

宇陀松山城跡・城山
北緯34度28分52.45秒 東経135度56分16.23秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342852.45&l=1355616.23
石上神宮
北緯34度35分52.90秒 東経135度51分07.11秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343552.90&l=1355107.11

石上神宮→秋山(宇陀松山城跡・城山)
 Ⅰ148°39′35.20″ Ⅱ328°42′30.46″ Ⅲ15,165.312(m)
石上神宮→大津皇子墓
 Ⅰ243°13′08.48″ Ⅱ63°07′15.24″ Ⅲ17,788.455(m)

これでは石上神宮での角度は
243°13′08.48″-148°39′35.20″=94°33′33.28"≒94.5592度
ちょっと直角より大きすぎます。
しかし、偽の宮を造るなら秋山(宇陀松山城跡・城山)のふもとになります。




また、ところが、
大津皇子の墓は二上山にありますが、本当の大津皇子の墓は鳥谷口古墳だ、という説がありました。
以前からその説は知っていましたが、鳥谷口古墳がどこにあるのかわかりませんでした。

鳥谷口古墳(とりたにぐちこふん)・県指定史跡
http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/14,10478,53,215,html

グーグルアースでも国土地理院の電子国土WEBでもわかりませんでした。
今回、何とか、まだ曖昧ですが、それらしい地点がわかりました。
鳥谷口古墳
北緯34度31分15.69秒 東経135度41分16.19秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343115.69&l=1354116.19

二上山頂の大津皇子墓と近いですが、いったいどちらが大津皇子の墓にふさわしいのでしょうか。
無理とは思いましたが、例によって位置関係で何かわかるかと・・。

⊿鳥谷口古墳-石上神宮-秋山(宇陀松山城跡・城山)ふもと
 
石上神宮→秋山(宇陀松山城跡・城山)ふもと
 Ⅰ149°25′11.75″ Ⅱ329°28′06.64″ Ⅲ15,472.460(m)
石上神宮→鳥谷口古墳
 Ⅰ240°29′29.23″ Ⅱ60°23′54.02″ Ⅲ17,317.641(m)
鳥谷口古墳→秋山(宇陀松山城跡・城山)ふもと
 Ⅰ101°42′05.20″ Ⅱ281°50′34.62″ Ⅲ23,437.546(m)

石上神宮での角度
 240°29′29.23″-149°25′11.75″=91°04′17.48”≒91.0715度
鳥谷口古墳での角度
 101°42′05.20″-60°23′54.02″=41°18′11.18”≒41.3031度
秋山(宇陀松山城跡・城山)ふもとでの角度
 329°28′06.64″-281°50′34.62″=47°37′32.02”≒47.6256度

秋山(宇陀松山城跡・城山)ふもと
北緯34度28分40.51秒 東経135度56分15.58秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342840.51&l=1355615.58


ここだけでいえば二上山の山頂のほうが良さそうです。
ところが、いろいろ面白いことがありました。
本日の部分は取っ掛かりです。
微妙な違いがあります。







この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ?の直角三角形。石上神宮-... | トップ | (大津皇子墓と鳥谷口古墳)... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事