古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

高千穂峰・白頭山は円錐形か

2017年06月06日 16時06分38秒 | Weblog
高千穂峰は遠目には円錐形にみえるのではないかと、想像しました。
http://www.pmiyazaki.com/taka_sakahoko/
高千穂峰(霧島連峰) Mt.takachihonomine
古事記、日本書紀にも出て来る天孫降臨の地、高千穂峰(1574m)この山は、裾野から見てもその秀麗さは見飽きない。
二つの寄生火山二ツ石と御鉢(おはち)を従え天に立つ高千穂峰。山頂には迩迩芸命(ニニギノミコト)が降臨に際して逆さに突きたてたという鉾「天の逆鉾(あまのさかほこ)」(鉄あるいは銅製、長さ138cm、周囲26cm 霧島東神社の社宝)が立てられており日本の創始の地である事を物語る。

こちらの冠雪した高千穂峰の写真を見ると、円錐形を想像します。
ところで,霧島連峰の最高峰は韓国岳で,標高1700.3mです。
高千穂峰は標高1574mで二番です。
おそらくその《位置》もそうですが《姿・形》からも高千穂峰は高千穂峰に選ばれた、のではないでしょうか。







池上彰のニュース解説の番組で《6月3日》
白頭山の頂上の天池が北朝鮮のテレビの女性アナウンサー(73歳)のバックに映っていました。
朝鮮人の聖なる山白頭山、だそうです。

そのほかの写真も、白頭山というと天池です。
このカルデラ湖・天池が白頭山を象徴するものであって、その遠景からの姿ではない気がします。

阿蘇山もカルデラで有名ですから、その姿がどう見えるのか検索したところ、
http://www.pmiyazaki.com/kyusyu/aso/
阿蘇中央火口丘群 阿蘇山
阿蘇山は世界を代表するカルデラという事で良く知られている。
阿蘇外輪山に囲まれたカルデラの直径は南北28km(東京都23区程の大きさ)
一般に阿蘇山と呼ぶ場合、中央火口丘群の阿蘇5岳すなわち、根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳、5つの山の総称であり、阿蘇山という名称の山はない。

カルデラの直径が28kmもありますから、白頭山のカルデラよりも遙かに大きい。
烏帽子岳だけですと円錐形にみえるかもしれませんが,阿蘇山全体では円錐形にはとってもみえません。

そこで、想像したのですが、白頭山は遠くからみると、元の姿は円錐形だったのではないでしょうか。
大噴火で上の部分がぶっ飛び、遠景からはもとの形がわからなくなり、霊峰のイメージは崩れたものの、新たに頂上にカルデラ湖ができて、新たな霊峰のイメージがついた。

現在の白頭山の遠景
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/104/8/104_8_XIX/_pdf

円錐形にはみえないようです。

しかし、白頭山がもとの形が円錐形でかなり遠くからもそれが見えていた、と想像しました。
(白頭山のもとの形が円錐形にみえていたと推測して論を進めます。)
現在の白頭山の山頂がどのくらい遠くからみえるのかわかりませんが、以前の元の姿の時はかなり遠くからはっきりみえていたのではないか。
その崩れる前の白頭山のイメージを日本に来た渡来人は持っていた。
そして、白頭山・高千穂峰・太白山・神山を結びつけようとした。
そうでなければ,この巨大な正三角形とそれを真半分にした直角三角形が現れるはずがありません。



上賀茂神社(賀茂別雷神社)の立砂のイメージのもとは白頭山ではないでしょうか。
巨大な正三角形は、白頭山が頂点になっています。
そんなはずがない、と思われる方も多いでしょう。
日本に(白頭山・長白山信仰)が残っているはずはないと・・・。
しかし、渡来人の影響は大きいです。その渡来人の一部は(白頭山・長白山信仰)を持っていた人たちでした。
ただし、その渡来人たちも、西洋の影響も中国の影響もその他,諸々の影響を受けていた人たちです。
また,日本の弥生時代であってさえ、日本列島には外から渡来した人の影響はあったでしょう。

しかし、日本文化は独自性を感じます。
どう考えればいいかというと、以前も考えましたが、水素と酸素というものが化合して,全く別の水が生成されたようなものではないでしょうか。
もっと複雑な融合をしたでしょうから、例えばの話、酸素と水素にしましたが、もっと数多く時代がずれながら,影響を受けたことでしょう。
しかし、独自性を持ちました。
ですから、日本文化を分解すれば、キリスト教の影響だろうと,ローマ・ギリシャの影響だろうと,中国の影響だろうと、その他、見つけられます。
それらを否定することはありません。
どう見ても独自な文化を形成したのですから。
あるいは、細胞のようなもので、取り入れられるものは取り入れるが、細胞として変化しているものの、統一性は続いていると、・・。

http://www.searchnavi.com/~hp/cbshan/chosenzoku2.htm
高句麗人の長白山信仰を知るためには、さまざまな方法が必要です。 それは、高句麗人が長白山を崇拝したと 記している一次的な史料がないという理由もあり、傍証出来る部分的な史料を通じて蓋然性を実証的に認証しなければならないからです。
まず、朝鮮民族と長白山の縁は、三国遺事の古朝鮮から始まります。 もちろんこの記録で、桓雄天王が神市を作った 太白山が今の長白山であると断定する根拠はありません。 ただ、後世の人々が、その時の太白山を今の長白山として 認識しているという事実だけは否定することが出来ません。

http://www.searchnavi.com/~hp/cbshan/chosenzoku.htm
長白山は朝鮮民族にとって、建国神話と深く関わる聖山です。

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この頃、まとまって本を読むこともしんどくなってきました。
コメントをいただいても、覚えていないことも多く、「あぁこんなことを書いていたんだ。」と思い出すことさえ苦労しました。で、もう実力的にも、体力的にも、無理ですので、何年もコメント欄をみていません。何年か後にはみることもあるかもしれませんが、当面ご勘弁ください。



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