古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

法隆寺と石上神宮・石切劔箭神社の距離

2013年01月24日 12時23分30秒 | Weblog
「額田王」が気になっているのですが、まとまりません。
『額田部』「NU・KA・TA・BE」「NU・KA・T(A・BE)」とすると「A・BE」「阿倍」が浮かび上がってきます。
推古天皇は「額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)」ですし、元明天皇は「阿閇皇女(あへのひめみこ)」、孝謙(称徳)天皇は「阿倍内親王」でした。
その他、や御名部皇女(みなべのひめみこ)、田辺もあります。
(孝徳天皇の寵妃も阿倍(あへ)氏)
(そういえば、現在・2013・1/24時点でのわが国の首相も安倍晋三氏でした)

「物部」と「額田」は関係がありそうに書かれているものもみかけましたので、もしかすると、以下のことも少しは引っ掛かりがあるかもしれません。
全然ないかもしれません。

で、ともかく、
藤ノ木古墳は崇峻天皇陵だという言い伝えが法隆寺にあり、その藤ノ木古墳を監視するのが法隆寺の役目である、ということは以前に読みました。
さて、私の考えでは藤ノ木古墳の第一の被葬者は文武天皇です。
そして殺害したのは物部連麻呂です。
そこいらはもう何度も書いています。

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/74e321edcb4ea175f07d9112e7661655
物部連麻呂が不比等に味方した本当の理由の想像  2011年05月08日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/484a177ee6167bf0dfd51579906962d1
橘三千代の父は物部連麻呂ではないでしょうか。  2011年05月10日

少し違ってきているかもしれませんが
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/2040efca3c490496d20f21aa7d3b81ec
崇峻天皇のモデルは二人2008年04月29日

さて、石上神宮や石切劔箭神社は物部氏と深い関係にあります。
そこで、気づいたのは、法隆寺から石上神宮、法隆寺から石切劔箭神社は同一距離になりそうなことです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%88%87%E5%89%A3%E7%AE%AD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
《石切劔箭神社の祭神
饒速日尊(にぎはやひのみこと)
可美真手命(うましまでのみこと):饒速日尊の御子》

橘三千代は法隆寺に多くのものを施入している、とは梅原猛氏が書かれていました。
法隆寺を丁重に祀っているようです。
橘三千代は(私の考えでは)物部連麻呂の娘であり、文武天皇の乳母であり、不比等の奥方でもあります。
橘三千代はこの中の誰が亡くなったとしても、心を痛めるしかない状況だったはずです。
しかし、抗争は殺し合いでしか決着はつかないものでした。
そして、藤ノ木古墳が文武天皇陵ならば、その霊を監視・懐柔(橘三千代の気持ちからすると言葉は悪いかもしれません)する法隆寺に多くの気持ちを託さなければならなかったでしょう。
石上神宮、石切劔箭神社は、藤ノ木古墳を監視する法隆寺を、さらに監視するという役目もあったのではないでしょうか。
監視する、というより見守るといった方がいいでしょうか。
物部・藤原はともかく、橘三千代からするなら鎮魂といった方がふさわしい気がします。
ともあれ、二重の防衛・セキュリティがかけられた、と思われます。







初めに藤ノ木古墳でやってみました。
△藤ノ木古墳-石切劔箭神社-石上神宮
藤ノ木古墳→石切劔箭神社
 Ⅰ315°43′07.44″ Ⅱ135°40′17.23″  Ⅲ10,915.666(m)
藤ノ木古墳→石上神宮
 Ⅰ97°44′09.00″  Ⅱ277°48′19.46″ Ⅲ11,340.679(m)
石上神宮→石切劔箭神社
 Ⅰ296°25′13.18″  Ⅱ116°18′12.32″ Ⅲ21,045.321(m)

藤ノ木古墳から二神社の距離は425m違っていました。
11,340.679(m)-10,915.666(m)=425.013(m)

藤ノ木古墳での角度
360°- 315°43′07.44″+97°44′09.00″=142°01′01.56″≒142.0171度
石上神宮での角度
296°25′13.18″-277°48′19.46″=18°36′53.72″≒18.6149度
石切劔箭神社
135°40′17.23″-116°18′12.32″=19°22′04.91″≒19.3680度

そこで、法隆寺・五重塔なら近づきそうだということでやりました。
△法隆寺・五重塔-石上神宮-石切劔箭神社
法隆寺・五重塔→石上神宮
 Ⅰ99°24′54.81″ Ⅱ279°28′55.72″  Ⅲ10,956.473(m)
法隆寺・五重塔→石切劔箭神社
 Ⅰ313°09′57.80″ Ⅱ133°06′58.02″ Ⅲ11,035.865(m)
石上神宮→石切劔箭神社
 Ⅰ296°25′13.18″  Ⅱ116°18′12.32″ Ⅲ21,045.321(m)

ぐっと近くなって79mしか違いません。
11,035.865(m)-10,956.473(m)=79.392(m)
法隆寺・五重塔での角度
360°-313°09′57.80″+99°24′54.81″=146°14′57.01″≒146.2492度
石切劔箭神社での角度
133°06′58.02″-116°18′12.32″=16°48′45.7″≒16.8127度
石上神宮での角度
296°25′13.18″-279°28′55.72″=16°56′17.46″≒16.9382度

法隆寺・大講堂でやるともっと近づきます。

法隆寺・大講堂→石切劔箭神社
 Ⅰ312°54′22.49″  Ⅱ132°51′22.56″ Ⅲ10,998.623(m)
法隆寺・大講堂→石上神宮
 Ⅰ99°44′26.10″  Ⅱ279°48′26.86″ Ⅲ10,959.996(m)
石上神宮→石切劔箭神社
Ⅰ296°25′13.18″  Ⅱ116°18′12.32″ Ⅲ21,045.321(m)

10,998.623(m)-10,959.996(m)=38.627(m)

法隆寺・大講堂での角度
360°-312°54′22.49″+99°44′26.10″=146°50′03.61″≒146.8343度
石切劔箭神社での角度
132°51′22.56″-116°18′12.32″=16°33′10.24″≒16.5528度
石上神宮での角度
296°25′13.18″-279°48′26.86″=16°36′46.32″≒16.6129度

法隆寺・大講堂の北側の建物・・上御堂というらしい。
鎌倉時代後期のものだそうです。
この上御堂の東の端だとほぼ同じになります。

ともかく、法隆寺から石上神宮、石切劔箭神社は同一距離になります。

藤ノ木古墳
北緯34度36分42.53秒、東経135度43分46.01秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343642.53&l=1354346.01

法隆寺・五重塔
北緯34度36分51.14秒、東経135度44分02.83秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343651.14&l=1354402.83

石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)
北緯34度40分56.03秒、東経135度38分46.62秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344056.03&l=1353846.62

石上神宮
北緯34度35分52.77秒、東経135度51分07.02秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343552.77&l=1355107.02

法隆寺・大講堂
北緯34度36分53.15秒、東経135度44分03.10秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343653.15&l=1354403.10


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 元明天皇陵から出雲大社、軽... | トップ | 大蛇の居る上に常に雲気あり »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事