気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く23 その8  畑薙大吊橋を渡る

2022年02月28日 | ゆるキャン△

 志摩リンと土岐綾乃が渡った「デス・ブリッジ」こと畑薙大吊橋に着きました。大井川エリアの聖地巡礼では最も最奥に位置し、車やバイクで行っても沼平ゲートからは片道2.7キロを歩かないと行けない難度の高さから、ゆるキャン巡礼者の大半がいまだに行けていないと聞きます。志摩リン、土岐綾乃も相当な苦労をしたうえで来ていますから、気楽に行ける場所でないのは確かです。

 御覧のとおり、現在の畑薙大吊橋は平成元年の竣工です。それ以前からあった木造の吊り橋を金属製で架け直したものといいますが、それからでももう33年が経過しているわけです。
 財務省の「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」のなかに「機械及び装置以外の有形減価償却資産の耐用年数表」という項目があり、さまざまなものの耐用年数が書かれていますが、橋も含まれます。吊橋の耐用年数に関しては、木造なら10年とあります。金属製吊橋に関する記述は見当たりませんが、「金属造のもの」としての「橋」については45年と書かれますので、いまの金属製の畑薙大吊橋もそれに準じるものとみてよいかと思われます。あと10年ぐらいはもつということでしょう。

 

 自撮りの最中に、吊橋がカシャ、カシャ、というような妙な音を立てているのに気付いて思わず橋を見てしまいました。

 

 よく見ると、向こうから吊橋を渡ってくる人影が見えました。さきに望遠モードで捉えたカップルだったようで、こちらに渡り切った際に挨拶してきましたので、向こうに何かあるのかを聞きました。「普通の登山道みたいですけど、なんかクマが出るそうで、クマ注意の看板があるんで、すぐに引き返してきたんですけど」と答えてきました。向こうも、ゆるキャンのコミックでこの吊り橋を知って来たということでした。やっぱり同じ目的だったか、と笑ってしまいました。

 

 では、と私も高所恐怖症に震えつつ渡りはじめました。というか無理してでも渡らないと、はるばるここにやってきた意味がありません。小学生の頃に超苦手だった平均台よりはマシじゃないか、と思いつつも、覚悟を決めて足を踏み出しました。

 

 土岐綾乃いわく「足場ほっそ!!」・・・いや普通に他の吊橋と似たような足場の幅ですけど・・・。

 

 志摩リンいわく「手すりスカスカ!!」・・・いや他の吊り橋だって手すりはこんなものでしたけど・・・。

 

 そして二人が「めちゃくちゃ高っ!!」・・・いやこの程度の高さは・・・めちゃくちゃ高っ!!

 

 眼下の畑薙湖に水があった場合の湖面からの高さが約30メートルだそうです。ということは干上がってる状態ではもっと高さがあるわけです・・・。・・・めちゃくちゃ高っ!!高所恐怖症にの身には地獄・・・。

 

 やめて・・・!やめてちょうだい・・・!高い、という日本語をここで言わせないでちょうだい!!高い、って何?・・・そんな恐ろしくて難しい日本語はやめてちょうだい・・・!
 というか、なんでここを渡る羽目になるわけ?長さ181.7メートル・・・・、ウヒョヒョヒョ・・・。(アホかお前は)

 

 恐怖と緊張と錯乱に震えつつも後ろを振り返りました。畑薙湖の北端が奥まで伸びているのが分かりました。僅かな水流が白い湖底に細く流れているのも視認出来ました。というか、極力下を見ないようにしていました。

 

 ただ、周囲の景色は大変に良かったので、高所恐怖症さえなかったなら、普通に楽しめたと思います。紅葉の時期にはもっと美しい景色だっただろう、と思いました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)BC自由学園 ソミュアS35

2022年02月27日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.344  (商品コード35344)

  制作期間   2019年1月16日~2月4日、6月2日~6月3日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンのBC自由学園チームにおけるソミュアS35は、副隊長のひとり安藤レナの搭乗車であり、その率いる小隊も同車で構成される。その1/35スケールキットはエレールとタミヤから出ており、エレールの製品(下のキット一覧の4)が公式キット化されてプラッツから販売されている(下のキット一覧の1、2、3)。しかし、劇中車の形状と一致するのはタミヤ製品(下のキット一覧の5)のほうであるため、今回の作例もタミヤ製品を利用した。求めやすく、組み立て易く、ガルパン仕様への追加工作も簡単であるので、初心者クラスにもおすすめ出来る入門キットの一つに挙げられる。

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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チーム「鬼」九四式軽装甲車2輌(リボンの武者版) 作ります!! その3

2022年02月26日 | ガルパン模型制作記

 ステップ4では車輪類を作ります。起動輪、誘導輪、下部転輪です。

 

 左が起動輪、右が誘導輪のパーツです。今回のキットの九四式軽装甲車は前期型にあたるので、御覧のとおり誘導輪が小さいです。後期型の誘導輪は大きくなって接地しますから、外見上でも見分けがつきます。

 

 組み上がりました。

 

 転輪のパーツ群です。

 

 組み上がりました。これの組み立ては、大体は転輪も含めて接着固定するもののようですが、私の製作では原則として転輪は可動にしているため、キツキツの軸部や転輪の軸穴をヤスリ調整して転輪がクルクル回るようにしています。そのほうがポスカでタイヤゴム部分を塗る際にも、ペン先を当てて固定しつつ転輪を回すだけで仕上がるからです。

 

 2輌ぶんの転輪が仕上がりました。

 

 ステップ5では履帯を組み立てます。起動輪および誘導輪に巻きつける部分から組みます。

 

 御覧のとおりの小さなパーツですので、ピンセットで丁寧におさえながらはめこんで繋ぎました。

 このキットが発売されたころに、サークル交流仲間のモケジョさん達がその小ささに驚き、かつ苦手な連結式履帯パーツなので「鬼じゃー」とかのたまっていたのを思い出しました。「鬼じゃ」と騒ぎつつも、結局はモケジョさん達もこのキットを組み立てて完成させたと聞きましたが、現在は嫁さんになった一人の分をのぞいて、その完成写真すら未だに見せて貰っていません。

 

 とりあえず組み上がりました。これを組んでいる間は、嫁さんもテーブルの向かいでガンプラを作っていて、時々こちらの手元をのぞきこんでは「前よりは連結の履帯に慣れてきたみたいですねー」とか言っておりました。

 

 ついでに、後のステップ7で組み立てる直線部分も半分ほど仕上げました。こういった連結式履帯は、治具や定規があると作り易いものですが、何度もやっていると、治具も定規も無しで作業用マット上の罫線に沿って組めるようになってまいります。問題は、組んだ後に接着固定したにもかかわらず、二、三ヶ所ぐらいが外れたりしてしまうことです。繋ぎ方がまだうまくないようで、そのあたりはもっと精進が必要だな、と思います。  (続く)

 

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く37 その15 「大洗へ戻ります!!」

2022年02月25日 | 大洗巡礼記

 袋田の滝トンネルから滝川沿いの道に出て、滝を振り返った図です。左に見えるコンクリート施設が第1観瀑台、その奥にそそり立つ断崖絶壁が陽にあたって白っぽく輝いていました。

 

 現在は一般通行禁止となっている、四度滝不動堂奥之院への参道です。いまは寺の専用管理路となって奥之院堂宇の維持メンテナンスや儀式等に寺関係者が使用しているそうです。かつては滝見物の観光客もここを行き来して奥之院まで参詣していましたが、御覧の通り、現在の判断基準では危険とみなされますので、立ち入りは不可となっています。

 

 現在の順路は、かつての奥之院参詣路の一部を再利用する形で滝川の北岸を少しなぞりますが、旧参詣路がそのまま北岸に沿ってゆくのに対して、上図の吊り橋によって地形的に安全な南岸へと導かれます。旧参詣路は滝川べりの岩だらけの川原沿いに続いて一部が崩落してしまっているため、南岸へと回る現在のコースが設けられたもののようです。

 

 吊り橋から見下ろした滝川の景観です。かつての溶岩流の名残なのでしょうか、大きな岩がゴロゴロ転がって渓流に洗われていずれも丸くなっています。上図左奥に、滝川の南岸の高台へと通じる順路の階段が見えます。その上の傾斜面が天険をうたわれた戦国期の佐竹氏の「月居番」こと月居城の北西崖にあたります。

 

 吊り橋から滝の方角を見ました。滝の三段目と第1観瀑台、そして左上端に第2観瀑台のデッキの一部が見えました。

 

 そして天然の要害となった月居山の城塞の外郭を成した、断崖絶壁の連なりが南へと続いて滝の上流に沿ってゆくのが望まれました。この地形のなかで捉えると、袋田の四段の滝は月居城の東から北にかけての塁線下を護る天然の水濠になっていることが分かります。佐竹氏が本拠地常陸太田の勢力圏の北を護る拠点を置く地として、これほど相応しい地形もそうそうないと思います。

 

 袋田から、一気に大洗へ移動しました。車中では私自身が勤務先の大学にて最近に直面している改革や試行等の各課題などについて色々話していたと思いますが、Hさんも様々に見解を披露してくれて盛り上がりました。それで二時間近くの移動があっという間に過ぎた気がします。

 大洗へ入ってからの予定は特に決めていなかったのでしたが、Hさんは当然のように大洗磯前神社へと入りました。大洗にてガルパンファンが必ず行く場所の一つであるからでしょう。

 

 相変わらずのガルパン大絵馬が最終章仕様になっていました。これは2021年12月時点でのデザインで、BC自由学園メンバーが並ぶ第一話の仕様でしたが、来たる2022年には第二話か第三話の仕様に置き換わるのでしょうか。それともこのままずっと変わらないのでしょうか。聞けばHさんは新年の1月にも大洗へ行くそうなので、ガルパン大絵馬のその後をいち早く知る事でしょう。

 

 とりあえずは神前に進んで拝礼しました。

 

 その後は曲松商店街に移動し、上図の江口又進堂さんにも挨拶しましたが、江口さんに会うなり「・・・奥様とはいつから・・・?」と訊かれたのには面食らいました。大洗の方々にはこれまで嫁さんのことは一切話していなかったので、なぜ江口さんが知っているのかと動揺し、かつ不思議に思いましたが、周囲に居たガルパン巡礼の方々もこちらを見て答えを待っている風情でしたので、仕方なく小声で「去年(2020)の秋から・・・」と答えました。

 そして、時折聞かれるままに経緯を簡潔に述べましたが、江口さんが知ってるということは、おそらく私を知る大洗の方々は大体知っているのだろうな・・・、と悟って再び動揺しました。嫁さんも一度大洗へ行っていますから、その時を覚えている方は、小柄な和装の佳人のイメージで記憶している筈です。
 おそらく、鳥孝の稲石さんもカノウヤの柴沼さんも知ってて、お店に行けば何か訊いてくるのだろうな、と予想しましたが、その通りになったのでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く23 その7  畑薙大吊橋へ

2022年02月24日 | ゆるキャン△

 11時8分に沼平ゲートから入って30分ほど歩いた時点で、畑薙湖の北端が東に曲がってクランクするような感じの辺りにきました。上図のように湖の北端が近づいて両側の山が次第に迫ってきていました。その景色を眺めていて、あれ、と立ち止まりました。既視感を覚えたからです。同時に、干上がった湖面の上に何かが見えたからでした。

 

 あれは・・・、吊り橋じゃないか・・・? そういえば、原作コミック第11巻46ページ2コマ目とほぼ同じアングルだ、と気付きました。じいっと目を凝らしました。ある、あるぞ・・・。

 

 デジカメの望遠モードでのぞき、撮ってみました。今度はハッキリと吊り橋が見えました。この日の主目標である畑薙大吊橋でした。ついに見えてきたか、と感動が胸にわきあがってまいりました。

 

 しかも、吊り橋を渡っている人影まで見えました。二人居て、一人は女性でした。吊り橋自体が西の赤石山系への登山口にもなっていると聞きましたが、どう見ても登山客とは思えない軽装なので、吊り橋散歩のカップルかな、と思いました。

 

 目指す吊り橋を視認したことで、足取りも軽く、そして早くなりました。

 

 一度、後ろを振り返りました。畑薙湖が東に曲がっている部分がよく見えました。

 

 そして前方に視線を戻すと、吊り橋がさっきより明確に見えてきました。

 

 この時点で11時42分、沼平ゲートから34分が経過していました。沼平ゲートからの距離表示は御覧のとおり2.5キロでした。正確には沼平ゲートから畑薙大吊橋までの距離が2.7キロですから、吊り橋まであと200メートルの地点でした。

 

 あれが志摩リンと土岐綾乃が渡った「デス・ブリッジ」か・・・。遠目には普通の吊り橋に見えますが・・・。

 

 吊り橋までの途中の道端に上図の待機小屋がありました。バス停小屋みたいな感じに見えたので、昔はバスが走っていたのかと思ってしまいましたが、中部電力のプレートが打ちつけられてありましたので、林道保全作業用の施設であるようです。

 

 11時44分、この日の聖地巡礼の主目標である畑薙大吊橋に到達しました。沼平ゲートからの所要時間は36分でした。一般には約50分から一時間と言われているルートなので、私の歩速が早いほうに属することを改めて実感しました。
 上図は、原作コミック第11巻46ページ3コマ目とほぼ同じアングルです。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)BC自由学園 FT-17

2022年02月23日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  プラッツ/モンモデル 公式キット  (商品コードGP-42)

  制作期間   2018年3月22日~4月6日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンに登場して試合に参加した戦車は大部分が第二次大戦時のそれであるが、最終章からは第一次大戦時の戦車も登場した。FT-17はその一輌であり、BC自由学園チームの隊長マリーの搭乗車である。黎明期の戦車らしい素朴かつ武骨な外観ではあるが、小型であるために可愛らしく見えて人気も高い。キットはRPMとモンモデルから発売されており、後者の製品(下のキット一覧の4)はプラッツにより公式キット化されている(下のキット一覧の1)。FT-17の砲塔はリベット接合の角型、鋳造による円形の2種類あって、劇中車は後者に相当する。下記のキット一覧にも、鋳造円形砲塔のタイプのみを挙げている。

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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チーム「鬼」九四式軽装甲車2輌(リボンの武者版) 作ります!! その2

2022年02月22日 | ガルパン模型制作記

 ステップ2では車体のハッチなどを取り付けます。チーム「鬼」のメンバーは、作中ではハッチを開けたりするシーンが皆無で、試合中でも古代零だけが砲塔のハッチから上半身を出して九七式自動砲の弾倉の再装填を行なうシーンが描かれるのみです。それで車体各所のハッチは接着固定としました。

 

 ステップ2で組み立てるパーツ類です。殆どがハッチのパーツです。

 

 組み上がりました。

 

 2輌とも仕上がりました。このキットは小さいので組み立てるパーツが細かいのばかりです。ハッチ類は割と大きなサイズに属しますから、組み付けるのも簡単でした。

 

 ですが、次のステップからは足回り関連の小さなパーツが多くなります。側面に沢山あいているダボ穴が、その取り付け工程の複雑さを予感させますが、あせらずに丁寧に、ひとつひとつのパーツを順に組み付けてゆけば、さほどの労苦を要しません。

 

 ステップ3です。足回り関連の組み立てですが、日本軍車輌特有のシンプルなスプリング懸架タイプなので、パーツも最低限の数で組み合わせて仕上げられます。ドイツやアメリカやフランスの戦車の複雑な足回りのパーツ構成に比べればかなり楽だと思います。

 

 1輌ぶんの足回り関連のパーツは上図の通り、そんなに多くはありません。日本軍の車輌は小型が多かったので、必然的にパーツも小さくなりますが、数も最低限に近くなります。ファインモールドさんは割合にパーツの分割化をはかる傾向がありますが、ドラゴンやホビーボスほどの極端さは無いので、楽なほうです。

 

 片側を組み上げました。パーツB17およびB18は転輪のアームですから高さを合わせないといけないので、ズレが出ないように定規で合わせてチェックしました。

 

 両側のパーツを全て組み付けました。

 

 2輌とも仕上がりました。私の製作において、今回のキットのような小型車輌の場合は、パーツを仮組みして確認したのち、そのまま組み付けた状態で流し込み接着剤をチョンチョンと付けて隙間に流し込む感じで接着することが多いです。上画像では、その流し込んだ跡が鈍く光って見えます。  (続く)

 

 

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く37 その14 「三名瀑の一です!!」

2022年02月21日 | 大洗巡礼記

 袋田の滝は、往古は滝壺に近い四度滝不動堂の奥之院から見上げ、昭和54年に袋田の滝トンネルが完成して後は第1観瀑台から見上げるのが滝見物のパターンでした。上図は第1観瀑台からの眺めですが、落差約120メートルを四段に流れ落ちる滝の三段目に近いため、滝のアップが眼前に広がって迫力は感じられるものの、上図の通り滝全体を捉えるのは難しく、最上段の滝はほとんど見えないという難点がありました。

 

 そこで、平成20年に第1観瀑台より約50メートルの高さの、約10メートル後ろに下げた位置に第2観瀑台が新設され、上図のように滝の最上段とほぼ同じ高さに最高視点を確保して、滝全体を俯瞰出来るようになりました。第2観瀑台は3つのデッキからなり、第1デッキは第1観瀑台よりも約44メートル、第2デッキは約48メートル、第3デッキは約51メートル上にあるため、滝の全容を三段階の眺望高によって楽しめるようになっています。

 同時に個人的には、この滝を天然の水濠と見立てた天険の要害、月居城の有る月居山の峻険なる威容をも目の当たりに出来てより楽しめました。上図の滝の右側の急斜面が、月居山の西崖です。

 

 その要害の月居山よりも更に険しい地形が、滝をはさんだこちら側、第2観瀑台の西側に聳える上図の断崖でした。この凄まじい段差が、戦国期の月居城の鬼門を護って敵を寄せ付けず、常陸大子に南下してきた白河結城氏もこれを越えられず、古河公方家の足利政氏・高基の内紛に際しても佐竹義舜方の勢力圏の北限を維持して「月居番」の戦略的重要性を誇示したのでした。

 

 その息をのむような断崖絶壁の真下に、かつての四度滝不動堂奥之院、江戸期までは「本殿」または「奥殿」と呼ばれたかつての「奥之院」の堂が残されていました。江戸期の懸造(かけづくり)建物で、かつての滝見物の名所でもありました。時折改修がなされて維持されていますが、滝川沿いの参道の高低差が大きいうえに危険なので、現在は一般の立入りは禁止となっています。

 昭和54年に袋田の滝トンネルが完成して第1観瀑台からの滝見コースが定着した後に、従来の参道(遊歩道)は寺専用の保全路となって今も残されていますが、そのルートは滝に最も近づいて滝壺のすぐ横を回るので、今とは違った眺めが見られたことでしょう。この奥之院までの途中に滝の参拝所があったそうですが、現在は袋田の滝トンネルの一番奥に移設されています。

 

 第2観瀑台にて滝見を楽しんだのは御覧のように12時28分のことでした。気温は2.2度で、有名な氷瀑が形成されるにはもう少し寒さが必要でした。

 

 第2観瀑台へはトンネル内のエレベーターで上り下りしますが、そのエレベーターの中で見た見学コース案内図。エレベーターの位置が分かります。

 

 トンネル内のエレベーターの出入口。

 

 袋田の滝の四季のポスター。右端の冬の「氷瀑」が三名瀑の一としての袋田の名を高からしめています。

 

 ちょっとブレてしまいましたが、袋田の滝トンネルの一番奥に移設されている、かつての奥之院までの参道途中にあった滝の参拝所。本尊不動明王の分身をお祀りしています。

 

 その立派な寺名碑は、昭和54年の建立でした。同年に袋田の滝トンネルが完成した際、四度滝不動堂の参拝路を新たにこちらに移す事になったのを記念しての造立でしょうか。

 

 帰路はトンネル内をそのまま戻るのではなく、途中から左の順路にそれて外に出て、かつての参道に合流する滝川沿いのルートをたどりました。そのルート上の吊橋を渡る前に、一度振り返って滝を見上げました。見どころの多い、三名瀑の名にふさわしい素晴らしい自然の景観だった、としばらく感動の余韻に浸りました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く23 その6  畑薙湖べりを歩く

2022年02月20日 | ゆるキャン△

 11時8分に沼平ゲートを抜けて、東俣林道と呼ばれる畑薙湖東岸の上図の道を歩きました。かつては奥の赤石ダムや赤石水力発電所などの建設用作業路として機能し、ダンプカーや作業車が行き来したそうですが、現在も中部電力の管轄下の保全用林道として、御覧のように常時メンテナンスがなされて綺麗に保たれています。
 こんな立派な普通の道路なのに、一般車の通行が禁止されている、というのが不思議に思えましたが、歩いていくうちに、通行禁止の理由をまざまざと知ることになります。

 

 林道の左手、西側には畑薙湖の湖面が低くなりつつも北へ続いており、満水期には相当規模のダム湖の景観を呈することが容易に理解出来ました。新緑の頃、または登山シーズンにはあおあおと水をたたえて周囲の赤石山系の緑と重なる美しい景色が見られることでしょう。

 

 しかし、15分も歩かないうちに湖面は次第に灰色のむき出しの湖底に転じました。井川大橋から眺めた井川湖の景観と同じく、畑薙湖も年間最低の水位に達して北側は完全に干上がりつつありました。以前は緩やかな谷間地形であったそうなので、昭和37年(1962)に畑薙第一ダムが竣工してからのダム湖形成後に周囲の山々から流れ込んで堆積した土砂の量が相当なものになっていることがよく理解出来ました。

 

 御覧のように、堆積した土砂が形成した平べったい積層が島のように見え、まだ残っている北からの水流が積層の端を削りつつ流れていました。上図右奥には、向かいの山からの渓谷が完全に干上がった状態で湖底面に繋がっているのが望まれました。

 

 そうした畑薙湖の景色を横目に、ひたすら東俣林道を北へと進みました。二度ほど、中部電力の作業車に追い抜かれた他は、人影を全く見ませんでした。昨日に井川からの帰路にて同道した藤枝の登山客が「道そのものは普通の車道だからね、歩いて行くぶんには何の問題もないよ、でもこの時期は登山シーズンには外れてるんでね、あんまり人に出会わないね」と語っていたのが思い出されました。

 

 途中の電柱に上図の地名表示を見ました。各所にこういった地名表示がありましたが、多くは「沢」の字がつくので、畑薙湖に流れ込む水流の位置も示唆しているのだろう、と解釈しました。

 

 東俣林道には、ところどころ未舗装の箇所があり、ガードレールが未設置の区間もあり、また古い時期の路面状態の箇所も見られて、整備メンテナンスが依然として全域に行き渡っているのではないことが伺えました。原作コミック第11巻44ページ4コマ目でも、荒れたような路面を志摩リンと土岐綾乃が歩いている描写があります。

 

 沼平ゲートから歩き始めて20分になろうとする頃には、左側の畑薙湖は完全に干上がって湖底面が白っぽく浮き上がって見えました。僅かな水流が細く蛇行しているのが見えました。

 

 ちょうど20分に達した11時28分の位置からの景色です。既視感がありました。

 

 このあたりでしょうか。原作コミック第11巻45ページ5コマ目の描写は。志摩リンと土岐綾乃は相変わらず荒れたような路面を歩いていますが、実際には綺麗な路面でした。

 

 ですが、その手前には上図のような路肩崩壊の箇所がありました。まだ路面が真新しくてガードレールも茶色の最新のものでしたが、それらが下の崖面に崩落してしまっていました。向こうの白いガードレールも、路肩の崩落に引きずり込まれてグニャグニャになっていました。

 こうした路肩崩落の箇所が、他にも2ヶ所にあり、いずれも道路が最近に直されたばかりのところでした。大井川流域は地盤が崩れやすい地層が多く、山でも谷でも各所で頻繁に崩れが発生するそうですが、ここ東俣林道をはじめとする各所の林道のなかには崩落多発のせいで廃止になった道も少なくないのだ、と藤枝の登山客に聞きました。
「・・・だから、東俣林道だって崩壊の危険にいつもさらされているの、落石もしょっちゅうだから、一般車の通行はもとから無理なんだ」との言葉が思い出されました。一般車通行止めの意味がよく理解出来ました。

 

 地盤が崩れやすい地層が多い事は、畑薙湖周囲の山々に上図のような崩落面が幾つも見られることからも分かりました。登山客が「ガレ」や「ゴーロ」と呼んでいた、岩だらけの急斜面があちこちに出来ていましたが、赤石山系には特にそれが多いのだそうです。その影響で登山路が壊滅してしまうことも少なくなく、昔からの登山ルートがこういった崩落で変更付け替えを余儀なくされるケースも多いそうです。

 藤枝の登山客も、「基本的に言って木曽赤石山系は登山コースとしては決して初心者向けではないね。中級者以上の、というかもう上級者向けだね、そう、危険が多過ぎるからね・・・」と語っていましたが、確かに危険は身近にありました。なにしろ、落石も多くて路面に大きな石が転がっているだけでなく、私が歩いている最中にも、一度、右手の斜面上にカラカラッと音を響かせての落石を見たのでした。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)ダイムラー斥候車ディンゴ

2022年02月19日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.18  (商品コード35018)

  制作期間   2016年10月19日~10月20日

  製作記事   その1 その2 その3 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンでのダイムラー斥候車ディンゴは、テレビシリーズ第5話にて、角谷杏がサンダース大付属高校チームとの試合前の挨拶から自チームに戻る際に乗った車輌である。脇役車輌の常として公式キットは未だに存在せず、適応キットがタミヤ、ミニアートから発売される。ダイムラー斥候車ディンゴは生産時期によりⅠ、Ⅰa、Ⅰb、Ⅱ、Ⅲの5型式に分かれるが、劇中車はⅡ型に相当する。その適応キットはタミヤ、ミニアートの2社から発売されている。外見上ではⅢ型も近似するがⅢ型は天井板が無い等の相違点がある。劇中車に最も近いキットはタミヤの品であり、価格も安いうえに入手し易い。

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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チーム「鬼」九四式軽装甲車2輌(リボンの武者版) 作ります!! その1

2022年02月18日 | ガルパン模型制作記

 従来、私のガルパンプラモデル製作においては、アニメ本編登場車輌と並行してコミック版登場車輌の製作も進めてきました。その中心は「リボンの武者」の車輌群で、現時点で「強襲戦車競技連合」チーム10輌を含む15輌を仕上げています。「リボンの武者」のほうは全16巻にて既に完結していますが、私の製作計画ではあと7、8輌ほどが未着手のままです。そのなかには、上図の車輌も含まれます。チーム「鬼」の九四式軽装甲車です。

 

 チーム「鬼」の九四式軽装甲車は2種類があって、上図右の「スーパー改」と左の「無人砲塔化仕様」があります。鬼チームは3人ですが、うち2人(古代零、佐伯薫)が「スーパー改」に、もう1人(滝沢聖)が「無人砲塔化仕様」に搭乗し、女子高生の各チーム戦車連合「対鬼さんチーム任務部隊」と夜を徹しての凄まじい砲撃戦を展開します。そして「対鬼さんチーム任務部隊」の全車を撃破しつつ自らも白旗を挙げ、「スーパー改」だけが満身創痍で夜明けの補給スポットに辿りついて力尽きたのでした。

 

 この恐るべき「鬼」チームの2輌が、ファインモールドさんから公式キット化されて発売されています。
 ファインモールドさんは、もともと九四式軽装甲車のキットを出しており、作中車が装備している九七式自動砲も以前に「陸軍九七式自動砲 (ファインディティール アクセサリーシリーズ 品番MG04)」(現在生産休止中)の名でメタルパーツで販売していた実績があります。この二つを組み合わせれば「鬼」チームの2輌が再現可能となりますから、公式キット化が実現したのでしょう。
 今回は、この「鬼」チームの2輌を製作してみます。

 

 組み立てガイドの表紙(右側)には、チーム「鬼」の3人が若き日の姿と現在の姿とで描かれています。左より佐伯薫、古代零、滝沢聖です。それぞれの名前の元ネタは、佐伯かよの&新谷薫夫妻、古代進と松本零士、滝沢聖峰、であるそうです。あとは従来の九四式軽装甲車のキットの組み立てガイドと同じです。

 

 パーツの成形色は御覧のとおり、作中車のカラーに合わせてあります。下の右寄りの黒いパーツは連結式履帯のそれです。

 

 そして九七式自動砲のパーツです。この公式キットのために新規に開発されたものです。チーム「鬼」の2輌は車体は九四式軽装甲車そのままですが、「スーパー改」は砲塔左右に2挺の九七式自動砲を装備し、「無人砲塔化仕様」は砲塔を撤去して遠隔操作システムの九七式自動砲ユニット1挺を装備します。これらを再現するべく上図の新規パーツが追加されており、左が「スーパー改」用、右が「無人砲塔化仕様」用となります。

 

 今回は2輌がセットになったキットですので、2輌を同時並行で製作します。ステップ1では車体を組み立てます。

 

 1輌ぶんの組み立てに使うパーツ群です。

 

 2輌とも組み上がりました。

 

 パーツの成形色は作中車のカラーに合わせてあるようですが、パッケージイラストおよびコミックのカラーページでみるともう少し青味が強い色であり、かつメタリックブルーに近いような光沢を帯びているようです。塗装作業の段階になったら改めてカラーを検証検討してみたいと思います。  (続く)

 

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く37 その13 「袋田の滝です!!」

2022年02月17日 | 大洗巡礼記

 コンビニ小西屋を辞したのち、同じ常陸大子の町内にある、Hさん提案の袋田の滝に行きました。久慈郡大子町袋田の月居(つきおれ)山(標高404メートル)の北裾に所在し、日本三名瀑のひとつに数えられて国名勝に指定されています。
 この袋田の滝は、小西屋に行ったガルパン巡礼の大半が立ち寄っている名所であるそうで、ネットやツイッター上でもよく訪問コメントを見かけますが、私自身は初めてでした。

 

 袋田の滝周辺の観光駐車場は幾つかありますが、Hさんは何度も来ているようで、一番奥の、滝に最も近い食事処「鮎美屋」の西隣の滝川べりの駐車場にサッと入れました。駐車場の西にはトイレもあり、これは帰り際に利用しました。
 そこから徒歩に移って道なりに滝川に架かる滝見橋を渡り、滝川の南から北に移って商店街のなかを進みました。途中で上図の寺院を左手に見つけ、寺名標を素早く探して「四度滝不動堂」であることを知りました。続いてお堂の横にある寺紋を読み取って真言宗系列かな、と拝察しました。
 そして、先行するHさんの背中を追いつつ、仏教美術史研究者としての心の動きにしばし身を任せて脳裏であれこれ考えをめぐらせました。

 不動明王は、滝や瀑布に縁が深い仏教尊像の随一です。これを祀ったのは主に天台宗本山派や真言宗当山派の山岳修験者であったとされますが、当地においては後者の活動が盛んであったようで、山門に無数に貼られた千社札にも、「四度滝不動堂」の構えにも真言系らしき要素が垣間見られます。

 ですが、その本堂が別に本殿とも呼ばれているのは珍しい、と感じました。江戸期までの神仏混交の形態を維持している様子で、山門近くの標識に「奥之院不動尊」と書かれていたのにも興味を覚えました。
 日本の有名な滝の多くは、古代において山岳修験の聖地とされた歴史があり、滝そのものが御神体と崇められてその本地仏として不動明王などを祀る形式が一般的であったのですが、ここ袋田の滝も同じなのかもしれない、と考えました。
 そうすると、「奥之院」とあるのは多分滝のすぐ近くにある筈だ、こちらの「四度滝不動堂」は「奥之院」に対する「本寺」にあたるわけか、と納得しました。

 

 滝への見学導入路は、もとは上図のように階段で直線的に上へ結ばれたようですが、現在は閉鎖されて御覧のような花壇ゾーンに転じていました。現在の見学導入路はこの階段の左へスロープ状にクランクして「四度滝不動堂」の脇をかすめる形で上に登っています。

 

 上に登ると上図の案内板がありましたが、Hさんがドンドン先へ進むので、立ち止まって読む暇も無く、必要最低限の情報だけを素早く見て、撮影するにとどまりました。
 それから、周辺の地形をふと見回して、ちょうど真南に峻険の語句があてはまりそうな月居山の聳え立つ威容を捉えたとき、ああ、そうだったのか、戦国期に「月居番」が置かれた地とは、ここのことだったのか・・・、と思い至りました。

 当時の袋田は、常陸太田に本拠を置いた佐竹氏15代当主、右京大夫義舜(よしきよ)の支配下にありました。十年余りにわたった同族佐竹山入氏の反乱を鎮めて常陸太田城を回復、その後永正の乱の不穏に乗じて北進し、当時は依上保(よりかみのほ)と呼ばれた袋田地域に版図を拡げました。同時期に大子北部を侵略していた白河結城氏の動きがあり、戦線が流動的ではあったものの、袋田が境目になり得る可能性は緊迫した情勢のなかで高まってきました。そこで佐竹義舜は袋田の月居山に城を築いて「月居番」を配置し、結城氏への備えとしたのでした。

 

 現在の袋田の滝の見学路となっている「袋田の滝トンネル」の入り口です。長さは276メートルを測り、それ以前の滝川べりの見学路に代わる安全かつ高位置にある観瀑ルートとして機能しています。このトンネルを通って、昔からある第1観瀑台および2008年に竣工した新観瀑台(第2観瀑台)へ行きます。入場料は大人一人300円でした。

 

 Hさんに導かれるまま、まずはトンネル最奥部の右手前へ出て第1観瀑台に行きました。トンネル入り口からの緩やかな登り坂を5分ほど歩いた地点でした。上図のように滝が真正面に見え、ほぼ真下に滝壺が見えました。第1観瀑台の位置は滝壺から約10メートルしか離れていないそうで、岩肌を無数に流れ下る白糸の如き清流が視界いっぱいに広がって迫ってきました。

 袋田の滝は、滝川が4段に岩肌を落ちることから「四度の滝」とも呼ばれますが、第1観瀑台の位置は滝の上から3段目の目の前になるので、上図のように3段目の流れが大きく迫ります。その上の段は遠くに見え、最上段はほとんど見えませんでした。そのことに気付いて、だから新観瀑台(第2観瀑台)を追加したわけか、と納得しました。

 

 第1観瀑台からは3段目の流れが真下の滝壺に垂下して右側に流れてゆくのが見えます。

 

 そして真下の右手に4段目の短い滝が流れ、渓谷の下へ流れてゆきます。3段目までは岩肌をつたって音も静かだった流れが、4段目の段差でザーッと飛沫音を響かせていました。

 

 渓谷は御覧の通りの景観で、右岸上に現在は立ち入り禁止となった、以前の見学路が残されています。現在の見学路と合流する辺りで滝川をまたぐ吊橋に繋がっています。そして吊橋からは道が滝川の南、月居山の裾に沿って下へ続いてゆきます。

 

 峻険を誇る月居山の山容を、滝川と共に写真におさめようとしましたが、御覧のように高過ぎて山頂まではデジカメのフレーム内に入りませんでした。撮影後に月居山をぐうっと見上げ、あの山に築かれていまも遺構を残す戦国期の月居城の寂漠たる雰囲気を想像しました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く23 その5  沼平ゲートを抜けて

2022年02月16日 | ゆるキャン△

 10時59分、車に戻って畑薙第一ダムを出発しました。上図のダム堤上の県道60号線を北へ渡って左折しました。原作コミック第11巻42ページ2コマ目のアングルです。

 

 11時3分、沼平ゲートの少し手前あたりで、上図の標識に既視感を覚えて停止し、見上げて撮りました。原作コミック第11巻42ページ3コマ目のアレでした。「県道南アルプス公園線 起点」と書かれるのも同じでした。つまり、ここからが県道60号線南アルプス公園線であるわけで、その先の沼平ゲートから先は、昨日の帰路で同道した藤枝の登山客の話によれば、東俣林道ということになります。

 

 11時4分、沼平ゲートの手前の駐車場に車を停めて降り立ちました。9時17分に千頭のカーケア中原を出発してから、1時間47分で到達したことになります。あちこちで停まったり撮影したりしていましたから、移動時間だけに限れば1時間半ぐらいだろうと思います。

 

 ついにここまでやってまいりました。原作コミック第11巻42ページ5コマ目のアングルです。感慨深いものがありましたが、これからが徒歩での往復コースになるので、時間が貴重な点は変わりませんでした。

 

 しばし、かたわらの電柱の沼平の地名表示を眺めました。畑薙第一ダムが出来る前は、このあたりに沼があったのだろうか、と思ったりしました。

 

 原作コミック第11巻43ページ1コマ目のアングルです。上図左端の小屋が沼平ゲートの管理施設で、つまりは検問所でした。挨拶して畑薙大吊橋まで往復する旨を伝え、林道への立ち入り許可をいただきました。
 管理人さんが言うには、畑薙大吊橋への往復で5キロぐらい歩くので、吊橋を渡るのも含めてだいたい二時間ぐらいかかるよ、との事でしたが、私の歩速ならば二時間もかからない筈だ、と考えました。

 

 沼平ゲート管理施設の向かいには上図の建物がありました。この時期は閉鎖されていると聞きましたが、赤石山系への登山客はここで登山路マップなどを貰い、最新情報を仕入れ、登山届の提出などを行なったりするのでしょう。

 

 11時8分、上図のゲートを通りました。ここが沼平ゲートであり、県道60号線と東俣林道の正式の境界にあたります。

 

 ゲートをくぐると上図の広い敷地に入りました。中部電力のダム建設用資材置き場だったところで、今も林道保全用のコンクリート建材や作業用車輌などが停めてありました。

 

 振り返った景色が、そのまま原作コミック第11巻43ページ2コマ目のアングルでした。土岐綾乃が「荒れた道ならここまでずっと走って来たもんねぇ」と両腕を広げながら言い、志摩リンが「今さらって感じだよね」と返す場面です。奥に見える建物が、先ほど見た「南アルプス登山指導センター」です。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)継続高校 BT-7(フェイズエリカ仕様)

2022年02月15日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.327 (商品コード35327)

  制作期間   2018年6月1日~6月7日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンコミック「フェイズエリカ」に登場する継続高校チームは、アニメ本編とは異なって多彩な車輌を展開しており、ほぼ「月刊戦車道」以下の公式設定資料の記述に沿った陣容を呈する。その快速部隊の構成単位となっているBT-7は、公式キットこそ出ていないが、適応キットは豊富に揃う。四つのメーカーから1935年型および1937年型、BT-7MおよびBT-7Aのキットが発売されているが、作中車はBT-7Mの1937年型に相当する。BT-7Mの1937年型は、ガソリンエンジンタイプとディーゼルエンジンタイプとに分かれるが、作中車はガソリンエンジンタイプに属する。その識別点はエンジングリル上に円盤型のベンチレーターカバーが付くことであり、キットを買う際にそのベンチレーターカバーのパーツが有るかを確認すれば良い。
 校章デカールはモデルカステンの「MGデカール ガールズ&パンツァー 」シリーズから調達すれば良いが、既にバックナンバーの販売終了および品切れが出てきているので、継続高校の校章が含まれるVol.4、Vol4.5、Vol.9のうちで2022年2月時点で購入可能なのはVol.9のみとなっている。

  公式および適応キット一覧(2022年2月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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大洗巡礼記の目次  その五

2022年02月14日 | 大洗巡礼記の目次

 

ガルパンの聖地・大洗を行く37   2021年12月24日~27日
  1 ひたちなかの模型店です!!
  2 楽しい模型店と蕎麦屋です!!
  3 継続高校ウイスコ型舟艇です!!
  4 新しいガルパンギャラリーです!!
  5 素晴らしきガルパンプラモデルです!!
  6 SHOWACASE OARAIです!!
  7 マリー様のモンブランです!!
  8 常陸大子のコンビニです!!
  9 コンビニ内のガルパン展示です!! ①
  10 コンビニ内のガルパン展示です!! ②
  11 コンビニ内のガルパン展示です!! ③
  12 コンビニ内のガルパン展示です!! ④
  13 袋田の滝です!!
  14 三名瀑の一です!!
  15 大洗へ戻ります!!
  16 カバさんチームⅢ号突撃砲です!!
  17 藤乃屋です!!
  18 水戸学の道です!!
  19 水戸城薬医門です!!
  20 水戸城二の丸です!!
  21 水戸城の模型です!!
  22 水戸城二の丸隅櫓です!!
  23 水戸城大手門です!!
  24 改装後の大洗駅です!!
  25 うみまちテラスです!!
  26 神磯の鳥居です!!
  27 大洗での半日です!!

ガルパンの聖地・大洗を行く38   2022年6月3日~6日
  1 M.S Modelsとガルパン車輌です!!
  2 晴天の大洗です!!
  3 サザコーヒーです!!
  4 SHOWCASE大洗です!!
  5 ざる蕎麦と鯛めしです!!
  6 大洗模型展示会です!!
  7 ガルパン模型の数々です!!
  8 あの芸術的作品です!!
  9 ウマ娘と各務原なでしこです!!
  10 伯爵高校とコアラの森学園です!!
  11 ガルパン模型作品の数々です!!
  12 栗崎屋とゆっくら温泉です!!
  13 かじまと水浜線跡公園です!!
  14 ガルパンどろソースとギャラリーです!!
  15 ガルパン関連品の数々です!!
  16 ガルパングッズ色々です!!
  17 ガルパンフィギュアと月の井です!!
  18 ブロンズです!!
  19 大洗駅です!!
  20 ファイナルです!!


 それ以前の記事は、(大洗巡礼記の目次 その一)、(大洗巡礼記の目次 その二)、(大洗巡礼記の目次 その三)、(大洗巡礼記の目次 その四)に収録しています。

 

 大洗巡礼記「ガルパンの聖地・大洗を行く」シリーズは以上にて完結しました。

 

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