気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

2021年大晦日の感慨

2021年12月31日 | ガールズ&パンツァー

 2021年の暦も大晦日となりました。2012年10月に「ガールズ&パンツァー」のテレビ放送を初めて観てファンになって以来、九年余りが過ぎたことになります。

 この一年も、新型コロナの感染流行に悩まされました。ただ以前のような深刻化の傾向はやわらぎ、時には沈静化する流れもあって、自粛や規制の動きにも柔軟性が加わりました。ですが、大規模なイベントは、政治的メンツにより強行された東京五輪を除いては依然として行われず、アニメでも模型でも関連の催事は軒並み中止されていました。
 ガルパンの大洗に関しても同様で、冬からの第6派が警戒されるムードのなか、依然としてイベント再開への契機は得られないままです。そのまま来年へ続くのかもしれませんが、秋以降は大洗へのファンの訪問は増えていたようで、僅かながらも賑わいが戻ってきているようです。

 個人的にはこの一年を「ゆるキャン△」関連の計画で埋め、その半数を実施しました。春から上下を繰り返した感染流行の波の下降期にタイミングを見定め、静岡県エリアに絞って、2月、5月、7月、11月の4つの時期に、合わせて18回の聖地巡礼を計画し、9回は感染対策や天候不順などで中止または後送りにしましたが、あとの9回は予定通りに行ないました。特に巡礼コースの最難関とされる大井川エリアをほぼ踏破出来たのは大きく、静岡県エリアでの巡礼行動が一気に完遂となりました。
 来年からは劇場版があり、原作コミックのストーリーはほぼ山梨県内で展開しているため、聖地巡礼のメインを山梨県エリアに移す予定です。細かいコース計画は劇場版視聴後、および原作コミック第13巻の発売後に内容を精査してから決めます。

 模型サークルの定期会合は、今年も夏までは休止となり、10月以降に毎月行われましたが、出席者は半数以下に減ったままで、忘年会も新年会も中止となりました。メンバー同士の交流はネット上に移行してほぼ定着した感がありましたが、有志での食事会やミニ会合は時々行われていて、私もガルパン仲間のT氏やI氏とは時々一緒に模型店巡りをやりました。
 サークル交流仲間の8人のモケジョさん達は次第にガンプラに「原点回帰」していったため、会う機会は減りました。が、その一人が2020年11月にどういうわけか嫁に来てくれたため、それ以降は家で二人でプラモを楽しむのが日常となりました。感染対策下の巣籠もり生活のなかで、それぞれのプラモ積み在庫を減らそう、ということで暇さえあれば作っていました。一年前の2020年12月時点では、嫁さんのガンプラの積みが155個、私のガルパン戦車関係の積みが104個あったのですが、この12月31日時点では127個と94個になっています。

 今年のガルパンプラモデル製作は、昨年末から新たに取り組んだ戦車工場関連の製作にウェイトを置いたため、製作中のものも含めて僅かに4輌となりました。戦車工場関連の投入キットのほうが6点と多かったです。下記の通りです。

 1月  7TP軽戦車単砲塔2輌目(ボンプル高校)
 2月  7TP軽戦車単砲塔3輌目インテリア自作(ボンプル高校)
 3月  戦車工場 B棟建物 機関車および貨車
 4月  戦車工場 B棟建物 床、壁面、窓
 5月  戦車工場 B棟建物 レンガ壁面
 6月  戦車工場 B棟建物 レンガ壁面
 7月  戦車工場 B棟建物 窓、備品類
 8月  戦車工場 B棟建物 備品類、ガントリークレーン
 9月  戦車工場 備品類 ミニクレーン
 10月  九五式小型乗用車(知波単学園)
 11月  Ⅱ号戦車F型(西住家)
 12月  戦車工場 A棟建物 補強工事

 来年度は、とりあえず作りたい車輌が19輌あります。それらを作っても終わりではないので、まだまだ楽しめる筈です。が、いずれ公開される最終章第4話以降には、新登場の車輌があるかどうか予想出来ませんので、製作対象はそんなに増えないだろうと思います。
 また、戦車工場のほうはA棟の内装や補強を進め、B棟の残り半分を製作しますので、また半年ぐらいは費やすものと見込んでいます。

 

 上図は、12月下旬の久々の大洗行きの間に届いていた品です。左のコミック「プラウダ戦記」はこの5巻目で完結しました。右のDVDは帰宅後に視聴して楽しみましたが、新作OVAの「ダイコン・ウォー」には私も嫁さんもポカンとしてしまいました。
 年末年始はずっと家でゆっくり過ごします。ともに職場の休みが10連休となりましたので、静かで穏やかな正月をまったりと迎えつつ、のんびりとプラモ作りを楽しみます。今回も寒波が来ているので、このところ寒さが一段と厳しくなっています。無理はせず、初詣などの外出も必要最低限にととめ、暖かくして休みます。

 それでは、皆さま、よいお年を。

 

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(車輌目次表紙)聖グロリアーナ女学院 チャーチルMk.Ⅶ

2021年12月30日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ファインモールド/タミヤ 公式キット  (商品コード41109)

  制作期間   2017年7月31日~8月16日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 完成です!!

  総評・備考
 第二次大戦中のイギリス軍を代表する歩兵戦車のチャーチルは、ガルパンにおいては聖グロリアーナ女学院チームの隊長ダージリンの搭乗車として登場する。Mk.ⅠからMk.Ⅷまでの各型があるが、ガルパンの劇中車はA22Fのナンバーで知られるMk.Ⅶである。
 公式キット(下のキット一覧の1)はタミヤの製品(下のキット一覧の2)を用いており中身は同じである。しかしながら細部に省略がみられ、劇中車に仕上げるには若干の追加工作が必要となる。適応キットはAFVクラブの製品(下のキット一覧の3)であるが、AFVクラブはチャーチルの各型を精力的にキット化している唯一のメーカーである。ガルパンの劇中車もAFVクラブの製品がモデルとされたようで、細部などもほぼ一致する。公式キット、適応キットともにパーツ数は適度におさえられて組み立て易く、ガルパン仕様への改造や修正も最低限の作業で済む。初心者クラスにもおすすめ出来るガルパン仕様制作の入門キットの一つとされる。

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

 

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ゆるキャン△の聖地を行く22 その14  廃線小径の線路の西端へ

2021年12月29日 | ゆるキャン△

 井川湖畔遊歩道のメインルートとなっている、旧井川線の井川駅から堂平駅までの区間の線路です。実質上の廃線ですが、書類上では廃線ではなく休止区間とされていますので、このように線路のレールもそのまま維持されています。時折メンテナンスがなされているらしく、枕木にレールを留める釘にところどころ新しいものが見られました。

 

 井川湖を見下ろしつつ線路を歩く、というのは格別の感慨をともないます。既に紅葉の盛りは過ぎていましたが、それでも紅や黄の彩りはまだ鮮やかに頭上に散らばって、青い空と絶妙のコントラストを織りなしてくれました。しかも私以外には誰も居なくて、要するに貸し切り状態でした。

 

 この区間が休止となったのは昭和46年(1971)のことですが、それから50年が経とうというのに線路は撤去されずに生きています。実は休止後に昭和63年(1988)から資材輸送列車の運転が再開されて平成8年(1996)まで使用されたほか、1980年代には同区間で蒸気機関車の動態保存による遊覧列車が計画されたりしています。


 さらに平成20年(2008)5月に井川駅前で発生した土砂崩れにより静岡県道60号南アルプス公園線が封鎖された際、その迂回道路としてこの線路休止区間が転用されています。井川ダム展示館裏手から堂平広場までの区間の線路敷に保護シートを敷き、その上に砂利を敷いて整地した上からアスファルトで簡易舗装し、路肩にガードレールを仮設して車道として供用し、一年後の災害復旧後に簡易舗装をすべて撤去して原状に戻しています。

 このような経緯があったため、現在ではこの休止区間は、非常時の予備連絡ルートとしての機能も併せもつものと見なされているようです。線路が現在も維持され、今なお廃線となっていないのも、そうした事情によるのかもしれません。
 実際のところ、大井川沿いに井川へ入る唯一の道路である県道60号線は、接阻峡温泉から井川に至る数キロが車一台やっと通れるほどの細い険路のままで、落石や崩落も多く、いつ自然災害でやられて通行止めになってもおかしくない状態です。台風や豪雨などで通行止めになってしまうと、残る交通は井川線しかありませんから、その延長上にある休止区間もいざとなれば唯一の連絡ルートになり得ます。

 

 加えて、上図のように、井川線において井川湖を横に見ながら走る唯一の区間であって、湖畔の綺麗な景色が楽しめるので、現在のアプト式列車が井川駅までになっているのを残念がる意見も少なくないと聞きます。実際に堂平駅まで全線を運行すれば、井川本村にすぐ行けるうえに井川湖遊覧船との連絡も短くて済みますから、観光客もより増えるかもしれません。

 ですが、井川駅が地形上の制約からスイッチバック方式の線路レイアウトになっており、仮に堂平駅まで運行する場合は、いったん駅に入った列車を本線まで戻したうえでポイントを切り替え、再度進むという手順が要求されます。その場合は安全確保のための人出も必要となるし、ダイヤも組み直さなければなりませんが、現状の運行本数よりは明らかに減ってしまいます。

 しかも、まだ地元民の利用も多かった昭和46年に採算がとれずに休止していますから、それよりも利用客が減って観光客の増加もそれをカバーし得ない状況が続いていれば、運行再開というのは夢のまた夢でしょう。
 それよりも線路が今なお維持されているのを活かして、岐阜県の旧神岡線のレールマウンテンバイク「ガッタンゴー!!」のような観光遊覧用のアクティビティとかを試みたらどうか、と思います。奥静の観光行政も、いつまでも我関セズの後ろ向き姿勢に甘んじることなく、積極的に攻めのアクションに転じるべきでしょう。

 ここが遊歩道になったのは平成25年10月からですので、まだ10年も経っていません。遊歩道化に際して側溝がチップで埋められて歩きやすいように配慮されていますが、あとは上図左に見える転落防止用の防護柵が設置されたのみで、線路自体はそのまま保たれています。
 歩いているとトンネルがありました。休止から50年を経てもなお劣化がみられませんでした。

 

 内部に補修がしてあって、現役のトンネルそのままでした。平成8年までの資材輸送列車の運行に際してメンテナンスが施されたからでしょうか。それからでも25年ぐらいが経過していますが、どうも内部のメッシュ状の壁面補修は、ここ数年の間になされたもののようで、まだ新しく感じられます。これもこの区間が廃線になっていないことを物語っているのでしょう。

 

 数分歩いて、トンネルを振り返って撮影しました。紅葉のトンネルの中でしたので、線路にも落ち葉が積もって御覧の通りでした。

 

 さらに歩くと、いきなりレールが途切れました。約20メートルほどの区間でレールを外してありますが、それは前述の平成20年からの一年間の迂回路転用にかかわる措置であったのかもしれません。ここから井川展示館裏に続く車道が分かれているので、例の迂回路はここから線路に入ったのでしょう。

 

 レールが外されているのは、上図のシャッターで覆われたトンネルの所までで、軌道の石台と枕木がシャッターの手前に残されてありました。向かって左に道が見えますが、それが井川展示館裏に続く車道つまり、災害時の迂回路であった道です。
 ちなみにこのトンネルを向こうへ抜けると、井川駅の構内に入ります。井川駅で降りた際に見かけた分岐とトンネルへ、ここから繋がっています。レールを元通りに敷いて繋げば、堂平方面への運行は理論上は可能になるわけです。

 

 かくして、井川エリアの散策で一番面白くて楽しかった廃線小径歩きも終点に達しました。横から見える井川湖の湖面は水位が大幅に下がっていたものの、なお悠々たる静けさを保って私の心にも深い余韻を残したのでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く22 その13  堂平駅跡そして廃線小径へ

2021年12月28日 | ゆるキャン△

 井川の夢の吊り橋から車道に出て長い下り坂を降りてゆくと未舗装路になり、残土置き場に出ました。上図のように、道の左手に私の背丈の倍ぐらいに積まれた残土が一帯に広がっていました。一度上まで登って見たところ、残土置き場はもう長い事使われていないようで、残土の上には深い草薮が繁っていました。それを見てガッカリしました。

 奥静の観光情報等では一切触れられていませんが、この広い残土置き場が、かつての井川線の終点であった堂平駅の跡です。上流域に建設された赤石発電所の建設工事のために平成8年までここに資材輸送列車が運行されていたそうです。その時期の平成6年に撮影された写真が「エンジ軌道」というサイトの記事「大井川鐵道井川線 貨物専用線」に載せられており、それらの写真により、いまではもう見られない現役時代の堂平駅の広いヤード、長いホームや三本に分かれた線路、ホームに停まった貨車などの姿を知ることが出来ます。大変に資料価値のある貴重な写真ばかりで、旅行前の情報収集にて拝見して参考にさせていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
(追記 上述のサイトおよび記事は閉鎖されていますので、代わりの記事として「大井川鐡道・井川線」を紹介します。その記事の一番下に、休止線となった直後の平成9年頃の堂平駅の画像があります。)

 その広いヤード跡が、残土で覆われてしまってホームも留置線も完全に埋まってしまっているのですが、井川のビジターセンターの案内情報でも、奥静の観光情報等でも全くそのことに触れていません。だから、現地に行くまでは駅跡が残土置き場になっていることを知らず、駅の遺構が一部でも見られるかなと期待していたのでした。それだけに、残土置き場の様子を知って茫然とし、落胆してしまいました。

 実は、この堂平駅を含めた井川駅からの区間は、大井川鉄道の書類上では現在に至るまで休止扱いとなっており、廃線にはなっていません。しかし、堂平駅跡が埋められてしまっている以上、実質的には廃線扱いなのだろうと思います。だから堂平駅に至るまでの線路を廃線小径として散策路にしているのか、と理解しました。

 

 道をそのまま奥へ進むと、上図の開けた場所に出ました。観光マップ類ではここを堂平駅跡として紹介し、堂平広場の名称を付けています。厳密には駅の手前の広場にあたり、上図にも見える右上からの車道が駅へ繋がっている場所でした。よく見ると左手に線路と思われる高堤が伸びていて、駅の位置でないことがすぐに分かりました。ホーム自体はこの先で残土置き場になって埋もれていますから、ここが駅の位置でないことは来る前から分かっていました。

 なので、ここを堂平駅跡として紹介している現地の観光行政当局の基本認識はどうなってるのだろう、実際の堂平駅の経緯も現状も把握していないのじゃないかな、と思いました。残土置き場になっている状況を、知られたくないのかもしれません。奥静の観光情報は実態がきちんと反映されていないな、と感じました。

 

 現地のイラスト地図板です。今回歩いたコースの半分ほどが、この井川湖畔遊歩道にあたりますが、表示される所要時間が私の実際の移動時間と異なっていました。
 ビジターセンターから井川大仏まで40分とありますが、実際には28分でした。井川大仏から夢の吊り橋まで15分とありますが、実際には8分でした。その後に歩いた夢の吊り橋からの廃線小径も、井川堰堤渡船場まで35分とありますが、実際には26分でした。いずれも表示される所要時間より短かったのでした。

 私は各務原なでしこ並みの脚力を持つらしく足が速いほうですが、聖地巡礼の常で各所の景色を眺めたり写真を撮ったり、メモをとったり現地の案内板を読んだりしていますから、どちらかといえばゆっくり移動しているほうです。それでこの時間差はどういうことなのだろう、この調子だと井川駅に帰り着くのは予定より早いだろう、と思いました。

 

 さらに問題なのは、この広場に関する案内情報が何もなく、堂平駅跡の手前の広場であった旨を示す解説板の類が見当たらなかったことでした。しかも井川湖畔遊歩道のルート表示も無かったので、これからどう進んで廃線小径に行くのか、ちょっと迷いました。未舗装路そのものは上図のようにさらに奥に続いているように見えましたが、肝心の廃線跡の痕跡が見えなかったので、この未舗装路ではない、と直感的に察しました。

 

 それで周囲を見回すと、道から左手の少し奥まった所に、上図の看板がありました。それでやっと遊歩道の位置が掴めましたが、こういう看板はもう少し道から見えやすい場所に設置してほしいものです。

 

 看板の示す先へ進むと、高堤の奥に御覧のような廃線小径があらわれました。休止扱いの区間ですから、線路のレールもそのまま残されていました。上図手前の分岐が廃線小径の端になっていて、それより先は埋まっていて見えませんでした。この分岐が、かつての堂平駅への第一分岐点であり、その先に第二分岐点があって、広いヤードにホームと2本の留置線があったわけです。いまの残土を全部撤去すれば、それらの線路もよみがえるのでしょう。

 

 しかし、予想以上に状態の良い線路跡でした。レールが残されているので、いまにも向こうから井川駅発の列車がやってきそうな錯覚にとらわれました。

 

 歩いていくうちに、現役の線路と大して変わらない状態になってきました。向こうから井川駅発の列車がやってきそうな錯覚がより強まってきて、ここ本当に歩いていいのか?線路内を歩くのは違法だろう・・・、と思ってしまいました。

 

 素晴らしいほどに状態がよく保存されています。20代後半の昔、鳥取県に住んでいた頃に国鉄倉吉線の廃線跡を歩いたことがありますが、竹林の中の線路跡にレールが残されていて、ここと似たような雰囲気でありました。

 

 いいですねえ、この廃線小径。休止区間であって廃線跡ではありませんが、実質上の廃線ですから観光遊歩道にして活用しているのは正解だと思います。私は鉄道マニアでも廃線マニアでもありませんが、こういった歴史的風情のある遺跡遺産を見るのは好きなので、歩いているうえに楽しくなってきて、テンションも上がってきて、記念の自撮りもやってしまうのでした。

 

 もう最高でした・・・!間違いなく、今回の聖地巡礼旅行で印象に残ったスポットの一つになりました。残念だったのは、この線路跡を志摩リンと土岐綾乃が歩かなかったことでした。もともと人気の観光スポットらしいですが、ゆるキャンに出ていれば、知名度もさらに上がったことでしょう。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)聖グロリアーナ女学院 マチルダⅡ(テレビ版)

2021年12月27日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.24  (商品コード35024)

  制作期間   2016年3月11日~5月10日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 完成です!!

  総評・備考
 第二次大戦中のイギリス戦車の1/35スケールキットは、他国の戦車に比べて少ないとされるが、マチルダⅡも例外ではない。ガルパンにも登場して各試合で活躍するが、残念ながら公式キットは未だに出ていない。キットそのものがタミヤとICMからあわせて4種類しか出ておらず、入手が容易なのはタミヤの新キットのみとされる。
 ガルパンの劇中車はテレビ版仕様と劇場版以降の仕様とに分かれるため、どちらを作るかで適応キットも分かれる。今回はテレビ版仕様にて製作したが、その適応キットはタミヤの旧キット(下のキット一覧の1)である。劇場版以降の仕様の適応キットはタミヤの新キット(下のキット一覧の2)とされる。いずれも劇中車に仕上げるには多少の改造や追加工作を必要とする。特に、劇中車が付ける牽引ホールドのパーツはいずれのキットにも入っていないため、他キットからの転用に頼らざるを得ない。初心者向けではないが、あえてチャレンジすることで得られる経験値は大きいだろう。
 

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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ゆるキャン△の聖地を行く22 その12  井川の夢の吊橋

2021年12月26日 | ゆるキャン△

 井川の夢の吊り橋にやってきました。吊り橋を渡る前には、必ず説明板を読むのが私の癖です。なぜかというと吊り橋の多くは普通の橋と同じ感覚では渡れないからです。たいていは人数制限があって、現地の環境の特性つまり立地とか横風とかの要素がどのようであるかによって渡る際の心構えが異なるからです。
 上図のように、この吊り橋の定員は5人までです。5人以上が渡ってはいけないわけです。

 

 まず橋の全体を奥まで観察して、渡っている人の数を確かめました。すでに吊り橋自体がユラユラと揺れていたので、渡っている人がいることは分かりました。奥に1人、向こうへ渡り切りつつある方が居られました。
 観光客なのか、地元の方なのかは見分けられませんでしたが、渡り切ってそのままスッと林の奥に消えてゆきましたので、地元の方だろうな、と思いました。観光客ならば、当地の観光名所の一つであるこの吊り橋を振り返ったり、写真に撮ったり、場合によっては引き返してこちらに再度渡ってくる方がいるからです。

 

 誰も居なくなったので、しばらく深呼吸をし、上着やザックを整え直して全てのポケットを閉めて落し物防止を心がけ、それまで片手に持っていた観光マップもポケットにしまい、両手を空け、帽子を風に飛ばされないように深く被り直しました。いざ、と3回ほど足を踏み出そうとしましたが、震えがゾゾゾッときて止まってしまうのでした。

 橋の長さは80メートルで、吊り橋としては小型に属しますが、高さは50メートルと圧倒的です。先に渡った30メートル余りの井川大橋よりも高さがあるのが、高所恐怖症の身にはまさに地獄でしかありませんでした。

 

 ですが、これを渡らないと井川駅へ帰れません。橋を渡らないと県道60号線に戻って大きく迂回することになり、これからゆこうとしている廃線小径へのルートも大幅に変更となって所要時間も30分余り追加されてしまいます。迂回は絶対に避けたいので、渡るしか選択肢がありません。
 2分ほどを要しての決心ののち、慎重に渡りはじめました。中央部に達した際にも下を見ないで目を半分閉じたまま、カメラを左右に向けて感覚だけで撮りましたが、その一枚が上図です。谷底の僅かな流れが、恐ろしいほどの下方に見えています。

 

 橋を七割ほど渡ったところで立ち止まり、直立不動の姿勢のまま、両腕を後ろに曲げてカメラを頭の後ろに向けて構えて何枚か撮りました。上図が成功した3枚のうちの1枚です。御覧のように紅葉もまだ色をとどめて綺麗でしたが、この景色を実際に肉眼で見たのは、橋を渡った後で振り返った時のことでした。

 

 12時59分、吊り橋を渡り切りました。橋のたもとに着いてから7分もかかっていました。普通の方なら1分もかからずに渡れるでしょうが、高所恐怖症の身にはとても無理です。勇気と情熱と気合と無茶レベルの突撃精神が必要です。

 

 なので、渡った後の達成感、高揚感、安堵感、開放感といったら、それはそれはもう凄いものでありました。どうしても笑顔になってしまいます。なかなか来られる場所ではありませんので、記念の自撮り。

 

 それからの登りの山道も急でした。山歩きに慣れた身ですが、こんな急坂というのはあんまり無いと思います。

 

 上まで登り切って車道に出ました。上図の道標をみて、進むべき方向を確認しました。目指すは井川駅なので、山道を登り切ったところで左に進みました。

 

 車道はこんな感じの、寂れた下り坂でした。県道60号線から分かれて廃線の堂平駅の跡地へと通じる道で、その先は行き止まりになっているからです。しかし、歩いている私を2台の車が追い越して下まで行き、まもなく2台とも引き返して登ってきて戻ってゆきました。2台とも道を間違えて入り込んでしまったのでしょうか。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く22 その11  井川の夢の吊橋へ

2021年12月25日 | ゆるキャン△

 12時47分、井川大仏の広場を辞して、登ってきた南からの階段の参詣道とは別の、西側の山道へ降りました。御覧のように大仏の西横から曲がりながら下る林道で、振り返ると白い大仏の姿が木々の間に見えました。この大仏は周囲を高い林に囲まれているので、麓の井川本村からは見えません。

 

 山道を下ってすぐに下の車道に出ました。行きに登った階段参詣道の入口の赤い幟が南に見えました。上図右手前に道標が立っているので、あれだな、と考えて近寄りました。

 

 その道標が、次に行く夢の吊り橋への下り山道の起点になっていました。井川駅まで55分とありましたが、実際にはどうだろうか、とメモを取り出してこれまでの経路の時刻記録を見直しました。観光マップや地域のガイド情報に載せられる散策の所要時間とかなり異なっていたからです。
 もともと私自身が足が速いほうなので、予定では平均的タイムよりも短く見積もっていたほうなのですが、それでも移動時間の実績が、予想より長くかかったり、かからなかったりと、まちまちでした。奥静の観光情報や観光マップを作製した方は、実際にこの辺りを歩き回ったのか?と何度も首を傾げました。

 

 下りの山道は、いちおう階段がつけられているものの、かなり急でしたので、勢いで足を滑らせたりしないように、ゆっくりと慎重に踏みしめつつ降りました。登る場合はかなりキツイだろうと思います。

 

 下の県道60号線に出ました。車道との交差点に上図の道標が立っていました。井川駅および夢の吊り橋への方向は、なぜか右、つまり北向きになっていました。県道60号線をたどることになるようだ、と思いました。

 

 道標が示す方向を見ると、県道60号線の奥の左側に看板と幟らしきものが見えました。あれか、と気付いてそこへ向かいました。

 

 思った通り、散策路の案内地図板でした。夢の吊り橋を経て旧井川線の廃線小径までのルートがイラスト表示されていました。これで見ると、クマ出没の危険のリスクを避けて行かなかった山道は、まず井川小中学校の敷地に出て、それから井川大仏の裏手に回るもののようでした。そして井川大仏の西横から降りた山道は、なぜか描かれてありませんでした。

 

 案内地図板を見た後、地図板の脇から上図の林間の下り道に進みました。依然と急な坂でしたが、階段も無いので足を滑らせないように慎重に降りてゆきました。

 

 降り切ったところで前方にコンクリート製の門みたいな構造物が見えました。吊橋を支えるアンカレッジの基台かなと思いましたが、ワイヤー自体はそれをくぐってもっと奥に繋がっていました。

 

 12時52分、井川の夢の吊り橋に着きました。大井川水系に二つある「夢の吊り橋」のひとつです。もうひとつは寸又峡の夢の吊り橋で、5月上旬の大井川エリア聖地巡礼の第1回目に泊りがけで行ってきました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)サンダース大学付属高校 M4シャーマン(テレビ版)

2021年12月24日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ファインモールド/タミヤ 公式キット  (商品コード41108)

  制作期間   2017年3月24日~4月9日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンに登場するサンダース大学付属高校チームのM4シャーマンは4種類が知られ、うち3種類が試合に参加している。隊長のケイの搭乗車である無印M4(シャーマンⅠ)はテレビ版と劇場版の二つの仕様があり、今回はテレビ版仕様にて製作した。このテレビ版仕様は独自の設定要素が多く、ほぼ実車準拠の劇場版仕様よりも再現へのハードルが高い。
 ファインモールドの公式キット(下のキット一覧の1)は元製品がタミヤのキット(下のキット一覧の2)であり、初期型である点は一致し、履帯パーツもT48型で合っているが、VVSSパーツが後期型であり、劇中車と同じ初期型のパーツに交換する必要がある。アスカモデルの「M4シャーマン 垂直懸架サスペンションセットA」(商品コード35-007)がおすすめであるが、ドラゴンの他キットから転用する手もある。車外装備品に英軍仕様のものがあり、これもアスカモデルのシャーマンVCファイアフライ用のパーツなどを調達する必要がある。
 こだわるほどに費用と手間がかかるので、劇中車仕様にこだわらずにそのまま仕上げるのも一つの手である。細部が異なっても雰囲気はさほどに変わらないので、それなりに楽しめる。キット自体は組み立て易く、初心者クラスにもおすすめ出来るガルパン仕様制作の入門キットの一つに挙げられる。

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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ゆるキャン△の聖地を行く22 その10  井川大仏

2021年12月23日 | ゆるキャン△

 井川本村からさらに西へ進んで、県道60号線が南に大きくカーブして登り坂にさしかかる地点まで来ました。観光マップを見ると、その辺りに次の聖地スポットである井川大仏への山道の入り口があるようでした。

 

 右側の歩道に接して山道への標識がありました。井川大仏まで800メートルとありました。この山道が近道ルートだそうですが、それでもかなりの距離を歩くことになります。しかし・・・。

 

 この看板を見て立ち止まりました。奥静はクマの出没もよく報告される山奥で、井川地域でのクマ目撃情報も三度や四度ではありませんでした。これはヤバイ、山道を選択してクマに出会ってしまったらどうするか、と考えましたが、こういった身の危険のリスクはなんとしてでも回避すべし、との判断を優先して選択しました。

 

 なので、山道にはゆかずに県道60号線をそのまま進むことに決めました。時々車も通るこの道ならばクマもそうそう降りてこないだろう、と思いました。登り坂でしたが、山道を選んでも登り坂である点は変わりませんから、歩きやすいこちらの道を採ったほうが安心出来ました。井川大仏までの距離も約150メートルほど長くなるだけですから、足の速い私には何の問題もありませんでした。

 

 12時36分に上図のバス停「井川小中学校入口」に着きました。前のバス停「井川本村」を通ったのが12時24分でしたから、12分歩いたわけでした。このバス停が、井川大仏への参詣道の入口にあたっています。

 

 バス停の直上に御覧の標識があり、井川大仏まで0.2キロとありました。つまりはあと200メートルでした。

 

 バス停から少し奥に行くと、御覧のような広い駐車場がありました。奥にブルドーザーが停まっているので、駐車場の広さが分かります。上図右端に赤い幟が見えるのが、井川大仏への参詣道の入り口でしたから、この駐車場は井川大仏への参拝者のための駐車場なのだろう、と推測しました。

 

 井川大仏への参詣道の入り口です。ここからは階段が上まで続くようで、「ここから5分」とありました。

 

 階段を登り続けて5分あまり、一番上まで行くと視界が開けて広い平坦面に出ました。その奥に真っ白な大仏が見えました。

 

 これが井川大仏ですか・・・。ゆるキャン原作コミック第11巻53ページのイラストにて描かれる井川大仏の実物です。なんかえらく描写が異なりますね・・・。イラストのほうが可愛らしく描かれています。地元の歯医者さんが4年がけで作ったそうですが、この大きさですから相当の費用がかかったことでしょう。

 

 井川大仏の右脇の奥に立っているのは毘沙門天像です。この像もゆるキャン原作コミック第11巻54ページのイラストにて描かれ、土岐綾乃が「こちらがその歯医者さんです。」と説明し、志摩リンが「ちがうだろ」とツッこんでいます。
 そのイラストから、志摩リンと土岐綾乃が井川大仏にも立ち寄ったことが分かります。バイクは下の広い駐車場に停めて、長い階段を5分あまりかけて登ったのでしょう。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く22 その9  井川石油から井川本村へ

2021年12月22日 | ゆるキャン△

 井川ビジターセンターを辞して前の通り、県道60号線に出て、左へ行って下り坂を降りました。上図のように下り坂の向こうにガソリンスタンドが見えてきました。

 

 井川湖エリアにある唯一のガソリンスタンド、井川石油さんの店舗です。ゆるキャン原作コミック第11巻29ページ2コマ目にそのまま登場していますので、同じアングルで撮りました。
 作中で志摩リンと土岐綾乃がここに寄ってバイクにガソリンを補給しています。二人はそれから畑薙へ向かったのですが、現実においてもガソリンスタンドはここにしかないので、ガソリン残量によっては補給しておく必要があります。

 

 そして、上図が原作コミック第11巻29ページ3コマ目のアングルです。志摩リンが「さっきの危なかったけどちょっと笑っちゃったよ」と言い、土岐綾乃が「えー」と返していた場面がここです。奥のガソリンタンク車もそのまんまでした。

 

 原作コミック第11巻30ページ5コマ目のアングルです。土岐綾乃のエイブを先頭に、志摩リンのビーノが後に続いてガソリンスタンドを出発して畑薙に向かうシーンです。コマ絵は広角レンズ風のワイドビューなので、上図の左側にトラックなどが並んでて、実際もそうなっていますが、私のデジカメのフレームではそこまで捉えられませんでした。

 

 井川石油から道を引き返し、県道60号線を西へ登りました。左手に水位が下がった井川湖の湖面が広がって見えました。

 

 途中にあったお店は、最初はお茶の販売店かなと思いましたが、よく見るとフジカラー、カラープリントの文字が見えました。観光マップで確かめると「井川湖写真堂」という名前の写真屋さんでした。販売されているお茶は、このお店の方が生産されているもののようでした。

 

 周囲を見回したら、緑色に見える部分はほとんど茶畑でした。静岡茶の地域ブランドのひとつ井川茶の産地でしょうか。それならそれで、観光案内情報にはその旨も明記してアピールすれば良さそうなものですが、そういった情報には今回の巡礼では接する機会がありませんでした。

 

 茶畑の奥の丘上に旧井川小学校の校舎が見えました。小学校は平成28年に南にある中学校に移転統合されて井川小中学校になり、旧校舎のほうは地域住民の避難所施設として再利用されているそうです。

 

 井川地区の中心部、井川本村に着きました。古い店舗跡の前に自販機とバス停があり、道を隔てて向かいには酒店がありました。観光マップを見ると「はしとら商店」とありました。

 

 バス停です。これを見て、井川本村を「いかわほんむら」と読むのだと初めて知りました。かつての安倍郡井川村の中心部がこの辺りだったそうです。井川村は昭和44年に静岡市に編入され、平成17年の静岡市の政令指定都市移行にともない、葵区の一部となっています。なので、現在は静岡市葵区井川です。

 さて、このバス停ですが、さきに井川大橋までの往復に利用した自主運行バスもここを通りました。だから、井川駅からの県道60号線のルートと周辺の景色は、だいたい頭に入っていました。この県道60号線を、もうしばらく進んで次の目的地に向かいました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)サンダース大学付属高校 M4シャーマン(劇場版)

2021年12月21日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ドラゴン/サイバーホビー  (商品コードCH6511

  制作期間   2016年7月14日~7月20日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 完成です!!

  総評・備考
 第二次大戦中のアメリカ軍の主力中戦車であり、シリーズ合計で約5万輌が生産されたベストセラー戦車であるM4シャーマンの1/35スケールキットは多くのメーカーから多数が出ているが、今回の製作対象となったケイの搭乗車の無印M4(シャーマンⅠ)となると数が限られる。ファインモールドの公式キット(下のキット一覧の1)は元製品がタミヤのキット(下のキット一覧の2)であり、初期型を再現しているが、劇中車の細部まではフォロー出来ていない。VVSSパーツが後期型であり、劇中車と同じ初期型のパーツに交換する必要がある。アスカモデルの「M4シャーマン 垂直懸架サスペンションセットA」(商品コード35-007)がおすすめであるが、ドラゴンの他キットから転用する手もある。
 劇中車に最も近い適応キットは、ドラゴンの品(下のキット一覧の3)であるが、履帯パーツだけがT51型で劇中車のT48型とは異なる。アスカモデルの「35012- T48 部品(4本セット)」を購入して交換すれば事足りる。キット自体は組み立て易く、初心者クラスにもおすすめ出来るガルパン仕様制作の入門キットの一つに挙げられる。

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

 

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ゆるキャン△の聖地を行く22 その8  井川ビジターセンター

2021年12月20日 | ゆるキャン△

 井川大橋での滞在タイムは残り2分を切りました。名残惜しい気持ちがこみあげてきましたが、聖地はどこでも同じような感慨をともなうものです。明日も横を通るので、これでお別れというわけではなかったのでした。

 

 バス停に戻る途中で、一度振り返って橋を見ました。

 

 バス停に戻る途中で、道路わきに上図の標識看板を見ました。今日のコースは左の井川本村へ向かいますが、明日は右の田代、畑薙へと向かう予定でした。

 

 バス停に戻って上図の路線図を確認していると、バスがやってきました。きっかり11時51分でした。行きのバスから言付かってきたようで、運転手さんが挨拶してきました。会釈して乗りこみ、井川ビジターセンターまで行きました。

 

 12時4分に井川ビジターセンターのバス停に着きました。運賃200円を支払って運転手さんにお礼を言い、降りました。バスは上下とも上図のような9人乗りのワゴンカーにて運行されています。
 いわゆる地域のコミュニティバスですが、地元民の利用も少ないそうで、むしろ観光客の利用数が多かったりするのだそうです。井川まで鉄道でやってくる観光客にとっては唯一の公共交通機関なので、井川エリアの周遊散策のショートカットや井川湖遊覧船への移動手段に利用すれば便利だと思います。奥静の観光情報は、こういうバスの案内すらも宣伝していませんので、現地へ行って初めて知る事柄が色々とあります。

 

 井川地域の観光情報発信拠点とされる、井川ビジターセンターです。一帯は南アルプスユネスコエコパークに指定されているそうで、その案内拠点としてのビジターセンターであるようです。
 この施設は、外観はゆるキャン原作コミックには登場しませんが、教会の尖塔のような形の展望所からの眺めが、第11巻29ページ1コマ目に描かれています。

 

 さっそく展望所に登りました。奥に井川湖の湖面が輝くこの眺めが、第11巻29ページ1コマ目にそのまま描かれています。これを見ないで通り過ぎるわけにはいかなかったのでした。

 

 コミックのコマの描写範囲は広角レンズで撮ったようなワイドビューですので、右側にカメラをずらして井川本村の町並みも撮りました。志摩リンと土岐綾乃も眺めたであろう、そのまんまの景色でした。

 

 展望所から一階に降りて、井川地域の情報や観光案内の展示などを見ました。多くのパネルによって井川地域や井川湖の歴史、地域の暮らしや民俗の紹介がなされていました。

 

 エントランスは観光案内コーナーおよび特産品コーナーになっていました。井川地区の地図や散策マップ、登山関連情報類は、ここで初めて見る物もあったので、資料用として色々いただいてまいりました。井川地域の案内資料ですから、井川地域のここに置くよりは、大井川鉄道の観光案内所や千頭駅前の観光案内所に置いたほうが良いのではないかな、と思いました。

 そもそも、奥静の観光情報そのものが、他県からの観光客にとってはゼロに等しい状態です。ネットで探して見ても観光客や登山客のレポートが殆どですが、実はそちらのほうが実見し体験した内容を述べていて詳しい情報群になっている感がありました。
 そういえば、事前に千頭駅前の奥大井観光案内所に井川、畑薙の情報を問い合わせても「地図も資料もありません」との素っ気ない返事だけがかえってきました。要するに観光行政側にやる気がまったく感じられないのでした。だから明日の畑薙へのコースに関しては、依然として地図も案内情報も全く得られないままでした。こんなことで大丈夫なのか、と不思議にも思いました。

 

 大井川鉄道の井川駅までは相当数の観光客が居たのですが、ここ井川本村エリアはコロナ禍の観光客激減状態がずっと続いているような感じで、見物客は私の他には誰も居ませんでした。のみならず、ビジターセンターの係員も不在であったようで、広い展示室も案内コーナーも静まり返っていました。山奥のこの地域に観光客が戻ってくるまでには、まだ日数がかかるのでしょうか。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く22 その7  井川大橋にて

2021年12月19日 | ゆるキャン△

 井川地域での聖地巡礼スポットの1ヶ所目、井川大橋にやって来ました。原作コミック第11巻32ページにて志摩リンと土岐綾乃がバイクで中ほどまで走った橋です。二人は橋の中央辺りでバイクを降りて景色を眺め、記念撮影を行なっています。その後、橋を渡り切った描写が無く、田代地区へと移動していますので、どうも二人は井川大橋の中ほどから引き返したようです。

 

 この井川大橋は、車でも渡れる吊橋として知られますが、上図の注意書きのとおり、総重量2トン未満の車しか渡れません。橋の幅が車幅ギリギリですから、一台ずつしか通れません。吊橋ですから車が載っただけでも揺れるようで、徐行して渡らないと思わぬ事故にもつながりかねません。

 

 加えて、この日はすごい横風が吊橋をゴオオオッと揺さぶっていて、ギシッ、ビリリッという金属の摩擦音などが不気味に響き渡っていました。おいおい、大丈夫か、と不安にかられつつ橋に進んだ途端、ブオオッと唸るように左から冷たい横風が吹きつけてきて、帽子を必死で抑えたものの、よろけました。わ、わ、わ、と風に押されて右に寄ってしまい、縁のワイヤーに捉まらざるを得ませんでした。

 上図では横風の凄まじさは分かりませんが、心なしか橋の左側が浮きあがっているような感じで、橋がやや右に傾いて見えました。これはヤバイ、横風にあおられて下手すると落ちてしまう、と大げさでなく本気で思いました。

 

 さらにびっくりしたのが、眼下の井川湖にほとんど水が無いことでした。接岨湖だけでなく井川湖もこの時期は滅多に無いほどの水位低下が生じていたようです。ここ数週間まとまった雨が無かったそうなのですが、それにしても長さが約10キロに及ぶ井川湖の北側がこのように底を露出させているのですから、驚きました。

 

 驚くと同時に、恐怖心もソクソクと背筋に這い上がってきました。満水期の湖面からの高さが25メートルを測る井川大橋ですから、水がなくて湖底がむき出しになっている状態では30メートル余りの高さになっているわけでした。この30メートル以上の高さというのが、高所恐怖症の身には相当こたえました。横風にあおられつつも耐えて前屈みの姿勢で橋を渡れば、いやでも眼下の30メートル余りの高低差がリアルに迫ってくるのでした。

 アカン、これはアカン、こんな状態でとても向こうまで渡れるか、と感じましたが、それでも折角来たのだから、聖地スポットだけは行こう、志摩リンと土岐綾乃が行って景色を眺めた橋の中央部までは絶対に行こう、と恐怖心を打ち払いつつ目を殆ど閉じながら、半分の距離の140メートルを渡りました。

 

 なんとか到達した橋の中央部で、土岐綾乃にならって記念の自撮り。原作コミック第11巻32ページ2コマ目のアングルは広域レンズ風のワイドビューになっているので、私のデジカメではこんな感じに写りました。横風と恐怖心に包まれつつも、必死で聖地スポットにたどり着いて立つと、なぜか嬉しくなってきて自然に笑いもこみあげてきて、つかの間の到達感、達成感にひたりました。

 

 記念の自撮りの直後、不思議なことに横風がピタリとおさまりました。そして晴れ間が出てきて橋を陽光が包みました。これって西方極楽浄土の光明?・・私もなんとか極楽に往生出来るのかな・・・。 (アホかお前は)

 

 残り時間が半分の4分をきりました。やっぱり向こうまで渡っての往復は無理だったか、と悟りつつ引き返し始めました。

 

 横風がなければ普通に渡れる吊橋でした。橋を眺め、両側の景色を見渡しつつ、後ずさりして撮影したりしました。

 

 高さを気にしなければ、なかなかの景色が楽しめます。井川湖の水が無くなっている状態というのは、一年のうちでも一度あるかないかだそうなので、考え直してみれば、なかなか滅多に見られない井川湖の姿を見ているわけだな、と思いました。そのことにちょっと感動もしました。

 

 遠方を見ると白っぽいものが見えました。デジカメの望遠モードで覗いてみると、南アルプスの初冠雪だと分かりました。奥静の奥地にはもう冬の彩りが広がりつつあるのだな、と思いました。

 今日のルートはこれからバスに乗って井川本村に引き返しますが、明日はここからさらに奥へ進んで畑薙地域までいく予定ですから、あの白い頂きのアルプスの景色にも近づけるのだろうな、と楽しみになりました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)プラウダ高校 T34-85(1号車)

2021年12月18日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  プラッツ/ドラゴン 公式キット (商品コードGP-11)

  制作期間   2016年2月9日~2月28日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 完成です!!

  総評・備考
 第二次大戦中のソ連を代表するT34中戦車は、ガルパンにおいてもT34-76およびT34-85がプラウダ高校の中心戦力として活躍する。T34-85の劇中車は、1944年から1945年にかけて国営第183ウラル戦車工場にて生産されたタイプの1944年型に該当する。その適応キット(下のキット一覧の11)を公式キット化した製品(下のキット一覧の1および2)が発売されているが、1は廃番となっているので、2を買えば最低限の改造でガルパンの雰囲気に仕上げることが出来る。
 適応キットも複数のメーカーから幾つか出ているが、劇中車に合わせて作る場合には砲塔形状および溶接線を合わせ、転輪のタイプを二段ディスク型に合わせる必要があるほか、車体各所の細かい特徴を全て合わせる作業が追加される。なかでもタミヤの製品(下のキット一覧の6)は劇中車のモデルであろうとされるほどに近似しており、ストレート組みでも劇中車をほぼ再現出来る。公式キットの5番目(下のキット一覧の5)やAFVクラブの製品(下のキット一覧の19)はフルインテリアキットで内部構造もすべて再現されている。他にミニアートからも新製品が連出しているが、殆どは砲塔形状などが異なる国営第112クラスノヤ・ソルモヴォ工場での生産タイプであるため、下のキット一覧には載せていない。

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

 

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ゆるキャン△の聖地を行く22 その6  井川大橋へ

2021年12月17日 | ゆるキャン△

 井川駅のすぐ下の道路に面した広場には、かつては土産物屋や食事処だったと思われる廃小屋がありました。広場の端には上図のように観光地図板とバス停がありました。

 

 観光地図板に近寄って、今回の計画コースを確認しました。上の地図では、左端の「現在地」つまり井川駅から右側の「井川本村」までの範囲が表されていましたが、聖地巡礼の目的地は地図外にも一ヶ所がありました。井川湖に架かる井川大橋で、上の地図の外の右側から上あたりに位置します。その井川大橋まで行き、折り返して井川本村の聖地スポットを回り、西へ進んで廃線跡を経てここ井川駅に戻ってくる、という予定でした。

 

 井川地域には、御覧のように地元の自主運行バスが運行されています。平成20年5月31日にバス事業者が運行を廃止した「静岡井川線」を引き継ぐ形で、井川地区の生活交通の足の確保を図るために、平成20年6月1日より運行を開始したものだそうです。
 この日の井川地区での聖地巡礼は大半を徒歩で回るのですが、井川大橋だけがかなり離れた位置にあるため、そこまで徒歩で行くと時間が倍ぐらいかかって、井川線の帰りの列車に乗れなくなります。なので、井川大橋までの往復ルートはこの自主運行バスを利用することに決めていました。
 井川地区の自主運行バスに関する案内情報はこちら

 

 自主運行バスの井川駅前バス停の時刻表です。駅から井川本村および井川大橋へは、右側の「白樺荘方面行き」を利用します。井川駅に11時に着きましたが、これに連絡する11時15分の便があるので、それに乗る事にしました。

 

 11時14分にバスがやってきました。バスというよりワゴン車で、9人乗りでした。乗客は私だけでした。運賃200円を払いながら運転手さんに「井川大橋まで行きたいのですが」と伝えると、「帰りはどうなさる?帰りもバス?」と聞かれました。
 この便で行くと井川大橋のバス停には11時43分に着きます。同じバス停から井川本村へ向かうバス便が11時51分にあるので、それに乗りたいと答えると、「そうでしょうねえ、それしかありませんからねえ」と納得された様子でした。11時51分発の次の便は14時7分発ですから、帰りの井川線の列車に全然間にあいません。
「井川大橋を渡られるの?」
「ええ、まあ・・・。いったん端まで渡って、それから引き返してバス停に戻る積りですが・・・」
「帰りのバスまで8分しか無いからね、気をつけてね。かなり長い橋だから渡るのも時間がかかるよ」
 実はそれが心配でした。井川大橋は全長258メートルの吊橋ですが、高所恐怖症の故に吊橋をおそるおそる渡る私が、その往復をたった8分でこなせるかどうか、まったく自信が無かったのでした。

 

 11時43分きっかりに井川大橋のバス停に着きました。それまでの間、井川地区のあちこちの見どころなどを説明して下さった親切な運転手さんは、「帰りのバスとこの先ですれ違いますんでね、その時にあちらの運転手にあなたの事伝えておきますんでね」と言って下さいました。この日の初めての乗客が私だったのだそうです。地元民のための自主運行バスですが、あまり利用者は居ないようでした。

 

 井川大橋のバス停です。

 

 時刻表を見ると、帰りの便つまり「横沢方面行き」の次の便は11時51分とありました。事前に調べておいた通りでした。既に滞在タイム8分はスタートしていましたから、急いで橋へと向かいました。

 

 バス停から分岐路を下へ降りたところに井川大橋の長い吊橋がかかっていました。全長258メートルですが、見た感じではもっと長さがありそうに思えました。

 

 とにかく、ついに井川大橋までやってきました。この吊橋が、ゆるキャン原作コミック第11巻32ページに登場して志摩リンと土岐綾乃がバイクで渡ったところなのでした。
 井川地域の聖地巡礼の1番目で、かつ一番遠い位置にあるので、無事に来られたことに安堵しましたが、持ち時間が8分しかないので急いで渡ることにしました。しかし、渡ろうとした途端に思わぬ事態に陥ったのでした。  (続く)

 

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